第5話 たべる
結論から言うとシアは師匠に助けられて無事だった。
師匠がここまで持ってきた時と同じように《浮遊》の魔術で絶命した猪を浮かせると、必死に巨体を持ち上げようとしていたシアの姿が現れる。
猪の返り血で全身真っ赤だったが五体満足だ。
シアが無事だと分かると、一部始終を見守っていた警備兵たちが騒ぎ出す。
大半は純粋な称賛の声だが、一部は元孤児であることを蔑むような囁きであった。
「あの歳でたった一人で猪突牙獣を仕留めるとはな」「聖女としてだけでなく魔術の才能もあるのか」「体捌きも堂に入っているじゃねえか」「一瞬とはいえ猪に押し潰されたよな?それで無事なんてどんだけ強い加護を持ってるんだ」「孤児だってのに当主様が養女に迎えた理由が分かったわ」「でも流石にお子は残させないでしょう。孤児なんてどんな血が混ざっているか知れたものじゃ……」
「師匠。顔、顔が怖いよ」
「こんなラブリーな顔を捕まえて怖いだなんて、失礼だなあシアは。ちょっとうっかり〈流星〉の二つ名の由来を、あの不届き者たちに知らしめそうになっただけだよ。おっほん」
わざとらしく咳ばらいをした師匠が詠唱を紡ぐ。
「水嶺を
掲げた短杖の赤い宝石が鈍く輝くと、誹謗するアンドレイの側仕えのメイドたちに《流星》をお見舞いする代わりに、シアの足元から突然水柱が吹き上がる。
水柱に体を飲み込まれたシアであったが、それが収まると全身にこびり付いていた猪の血が綺麗に取れていた。
これは《洗浄》という
しかも普通の水ではなく魔素で作った水なので、役目を終えると空気中に溶けて消えるため乾燥する手間がない。
何かと汚れる仕事の多い冒険者たちにとっては欠かせない魔術だ。
ちなみに術者の熟練度合によって洗浄能力も変わる。
衣服にこびり付いた血糊を綺麗に洗い落とす程の腕を持つ者は、王国内でも片手に納まる程度しか居ないだろう。
「まあちらっと聞こえた悪口は聞かなかったことにしよう。ところで猪の下でよく耐えてたね。もしかして魔法を使った?」
「いいえ。あと少し師匠に助けてもらうのが遅かったら、背骨がバキバキになってましたよ」
しれっと答えたシアだが、実は最初から魔法を使っている。
シアの体内に同化しているアキ―――ナノマシンによる身体強化だ。
「ふーん。シアの加護だと一瞬も耐えられない気がするけど、まあいいか」
このアトルランと呼ばれる世界には加護というものが存在する。
それは世界を創造した神々から人に与えられる不思議な力で、身体強化、技能向上、特殊能力の付与など様々な効果がある。
ただし加護の内容や強さは人それぞれで、この世に生まれた瞬間に決定し、生涯変わる事がないというのが定説だ。
シアの持つ加護は【地母神の加護】で、その名の通り地神教の信仰対象である地母神から与えられた。
その加護の効果は軽度の身体能力強化と、魔術精度の微上昇だと自己申告してある。
魔術と魔法も明確な区別がある。
簡単に言えば人が扱えるものが魔術で、普通なら人が扱えないような強大な力を魔法と呼んでいた。
シアがレヴェンシアニス侯爵家の養女となり、加えて聖女候補になっているのは魔法が使えるからである。
その魔法とは先に述べた身体強化の他に、不治の病を治したり、欠損した手足を再生させる力のことだ。
これらはアキというナノマシンの能力であり、正確に区分するなら魔法とも違う存在なのだが……。
そして何故魔法を、身体強化を使っていることを師匠に隠しているかといえば、出来るだけ楽をしたいからだ。
というかこっそり使わなければ先程猪に潰されたように、師匠の過酷な授業に耐えられないというのが実状なのだが。
「夜通し獲物を探してたからお腹がペコペコだよ。早速屋敷の人に猪を料理してもらおうかな」
『牡丹鍋!牡丹鍋がいい!』
「ぼたんなべ?さっきも言ってたけどなにそれ」
『牡丹鍋というのは猪肉を用いた鍋料理のことだ。薄切りにした猪肉を牡丹に似せて盛りつけたのが名前の由来でな……ああ、牡丹というのは花の名前でな』
「シア、どうしたの?嫌そうな顔して。猪の肉嫌いだった?」
「いいえ師匠、私はなんでも食べます。アキが……聖霊様が肉を鍋の料理にしろってうるさいだけです。そんなに鍋にしたいなら作り方を直接あそこにいるメイドさんに言えばいいじゃない」
『い、いや、それはできない。俺には契約者との守秘義務がある。契約者意外とみだりに会話してはいけない規則があ、あるのだ』
妙にたどたどしい口調になるアキにシアが呆れた表情を浮かべる。
「私以外に話しかけることはできるんだよね?」
『もちろんだ。主な会話手段は骨伝導によるものだが、盗聴防止のためにこれに指向性を持たせて対象以外には集音させない構造が確立されている。だがこれを応用して指向性を他者に向ける事が可能であるからして、シアの腕部へ振動細胞を増設すれば可能だが、それには五段階の承認処理が……』
「ちょっと何言ってるかわからない」
すごい早口で小難しい言い訳をしているが、単純に他の人に話しかけるのが恥ずかしいだけでは?とシアは思っている。
結局肉を鍋料理にしてくれという要望だけは通った。
出てきた鍋料理はシアと味覚を共有しているアキ曰く、牡丹鍋からは程遠い味付けだったそうだ。
アキはがっかりしていたが、シア的には大変美味しく頂いたのであった。
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