壊し愛（統合版）

2．🛏👢💕

一度、受付の広々とした空間に出て注目を浴びると、その奥にあるエレベーターの前へと着く。

ここを通らなければエレベーターにはたどり着けなかったようだけど……。

「ねぇユラ」

「なに？」

「なんで下ろしてくれないの」

くそ痛い無言の注目を浴びているというのに、涼しい顔でスルーしていくこの男……いや、この男たち。

佐渡さんも、気にならないのだろうか。

すぐに開いたエレベーターに乗り込めば、行く先は4階だそうで。

「あかねは俺のって、ひと目でわかっていいでしょう？」

「いや、なんでそんな見せつけるような事すんの。意味わかんない」

「半分は俺の気分だけど」

「気分て……」

持ち上げられているために少し高い位置にある私の顔を、ユラが見上げてくる。

この角度からユラを見ることは中々ないから、かなりドキドキと鼓動が高鳴るけれど、そんなことは悟られないように軽く睨みつける。

やってることと心の反応がちぐはぐなのは、わかってる。

「もう半分は、噂を広めてもらうため」

「……噂？」

「俺が唯一入れ込んでる女の子が現れたよって、見せびらかして、広めてもらうため」

「……なんで」

ユラの行動は、相変わらず不可解で。

元カレのような嫌な感じは全く受けない不可解さではあるけれど、それでも彼のことでわからないことがあると気になってしまう。

ユラは謎ばかりだから、気になったところで全部がわかるわけではない、とは、わかっているけれど。

そんな、気になってしまう乙女心に、逆らえない。

「この方法が一番手っ取り早く組織内で広まるし、あかねの逃げ道もなくなるよね」

「………………は？」

私は、もう、逃げる気はないというのに。

「別に、逃げないけど」

「俺が内心、どれだけ不安なのか、知らないでしょ」

珍しくそんなことを口にするユラに、胸がぎゅゅゅんと締め付けられる。

なんだそれ、かわいい、え、なにそれ、聞き間違い？

このいつも冷静で、人を操っちゃえるような罠をサラリとしかけてきて、他の人には冷たいと言われていて、論理思考の塊が生きているような……そんな、ユラが？

「ふ、あん……？ユラが？」

「俺だって人並みに不安になる。これから話をするって言うのに逃げられたら、俺の心が折れるし」

「……だ、から、逃げないって」

そもそも今逃げた所で、どうやってこんな森に囲われた所から帰るというのか。

ポーン、と、エレベーターが目的の階へと着く音が響くと、佐渡さんに続いてユラも、抱えられている私も、彼に続く。

「俺、顔は隠してるけど結構言い寄られるよ。気の強い子だったり、頼ってくれる後輩だったり、性別関係なく慕われてるんだ」

「なにそれ、また嫉妬でもさせたいの？」

そう言葉では煽っているけれど、余裕なんてものは欠片も無い。

そうやって焦らせて、私が逃げないようにと、ユラなりに最後の悪あがきのように、挑発してきているのだろうか。

「上等。乗ってあげる」

佐渡さんがその部屋の鍵をカチャリと開ければ、扉の奥にはワンルームの部屋が広がっている。

確かに、この物の少なさでは部屋というより、寝室なのかもしれない。

ただ寝るための部屋。

ホテルの一室のような部屋に、少し服がハンガーにかかっているだけのような。

その奥へと足を進めるユラは、廊下で別れる佐渡さんの方を一切向かず、私だけをその瞳に映していた。

私も彼の瞳の奥にある心を射抜くように、今度こそ逃さないように、強く見つめ返す。

「今度こそ、私がどれだけユラが欲しいのか、思い知らせてやるから」

閉じられる扉の奥、廊下で手を振る佐渡さんを横目に映し、そこは二人だけの空間となった。

靴を脱いで上がるユラに、私は焦る声を上げる。

「まって、私ブーツ……」

「大丈夫」

ブーツを履いたままなのに運ばれる私は、そこにあるシングルベッドの上にふわりと座らされる。

その私の前に膝をついて座り、足に手を伸ばしてくるユラに、まさか、と家でのスリッパの件を思い出す。

やはりブーツのチャックに手をかけた彼は、それを脱がす気でいるようだ。

「なんで、そんな……っ」

「あかねがこういうのに弱いから」

「……っは！？」

まさか、この似非紳士的な行動は、嫌がらせのうちなのだろうか。

ご丁寧に両足ともブーツを脱がされると、膝に一つキスを落として玄関へと戻っていく。

その背中を、また恥ずかしさから睨むけれど、ユラは涼しい顔で靴を置いて戻って来た。

「さて」

フードを下ろし、マスクを机の上に放ったユラが、迷いなく私に覆いかぶさってきて抱きしめる。

そのままユラの体重に耐えられなかった私と一緒にベッドの上に倒れ込むユラが、深く息を吐いて、吸い込む。

「話をしようか」

「話する体勢じゃないんだけど」

「まだ襲ってない俺を褒めて欲しい所だよ」

「これ襲ってないの？」

まぁ、襲われたとしても、もう私は逃げも隠れも反撃も、しないだろうけど。

いや、でもここ佐渡さんの部屋なんだよな……と、ふと我に返るけれど、腕に回る力にまた、意識がユラへと戻る。

「ここではシないよ。佐渡の部屋にあかねの香り振り撒くようなことはしたくない」

「その言い方、喧嘩売ってんの？」

いや、そんなホイホイ私だって匂いを振りまく気はない。

というかその場合、きっとユラの香りもおまけで振り撒くことになるじゃ……いや、これ以上考えるのやめよう、変な気分になってくる。

「話、するんでしょ」

どれについての話をしたいのか、まだわからないけれど。

変な空気のまま居られると、期待ばかりしてしまって、苦しい。

期待させるだけなら、やめてほしい。

素振りだけ見せてまた中途半端に辞められたら……今度こそ殺してやりたくなる。

だから、話すならはやく、何を話したいのか教えて。

「あかねの事も教えてくれたから、俺も少し話をさせて」

そう言って後頭部に頬擦りをしてくるユラ。

ユラの話ということは、ユラの過去について何か教えて貰えるんだろうか、と彼の顔を見る。

けれど、私に覆いかぶさって布団に顔を埋めている彼の表情は見えない。

あまり重くないから、体重はかからないようにしてくれているようだ。

「俺はね、今まで人に執着がなかった。佐渡からだって、連絡が途切れてもきっと何も思わないし、この仕事だってやめようと思えばスッパリ辞めると思う」

佐渡さん、すらも。

あんなにユラを思ってくれる友達……いや、友達だと思われてるかもわからないって言ってたっけ。

当事者じゃない私の方が、それを寂しく思ってしまっているのは、なぜなんだろう。

「まぁでも、こんな俺でも佐渡は気にしてくれて、事情を知ってる上で一緒に仕事してる。良い奴だとは思う」

「それでも、離れるってなった時に、怖くなったりしないの……？」

ユラは数秒置いてから、重く口を開く。

少し、言いにくそうに。

「離れるとしても、死ぬ訳では無いでしょう？おれはアイツがどこかで生きているだけでいいんだよ。どこかで、誰か心から寄り添える人を見付けて幸せに死んでいければ、それでいい」

「……それで、ユラは満足するってこと？」

「生きたいように生きればいいんだよ、俺が求めてるのはそれだけ」

ユラは、バカだ。

なにが冷たいだ、なにが執着がないだ、なんとも思ってない？

なんとも思ってない奴が、そんな苦しそうな声、出すわけないじゃない。

心のことを学ぶくらい、悩むわけがないじゃない。

「ばーか」

私はユラに言ってやる。

頭のいい人のバカな部分を見て、バカと言えるのは、なんだか気分がいい。

性格悪いかもしれない。

でもね、ユラが遠い存在なんてものじゃないんだって思えるから、そんなバカな部分も好きなんだよ。

「……どうしてバカにされてるのかな？」

「執着がなくてもユラ、それ佐渡さんのことが大好きって言ってるようなもんじゃない」

「……え」

「友達って、執着がないといけないの？興味がないといけない？違うよ、一緒にいる時間や相手の存在が大切だと思えればそれで十分だよ」

顔を上げたユラが、「とも……だ、ち？」と、言い慣れないように口にするのを見て、私はおかしくなって、ふふっと笑えてくる。

友達じゃん。

もし離れていたとしても、幸せ、願っちゃってるじゃん。

「佐渡さんはユラのこと、友達だと思ってたよ。ユラはそう思ってくれてないかもって不安そうに話してたけど」

「……アイツが？」

「あれは、指示されて話したわけじゃないんだね。それって佐渡さんの本心なんじゃない？」

ユラは、周りの人がどんなにユラのことを大事に思ってるのか、きっと分かってないし。

ユラ自信が大事にしたいと本当は思えていることに、気付いてないだけなんじゃないだろうか。

「ユラは、ユラが思ってるほど冷たくないよ。まぁ外でのユラはほとんど見た事がないけど……何人か会ってきた限りでは、慕ってくれてる人ばかりじゃない」

「慕われてる……？アイツらに？」

「というか、見守られてる？というか。なんか時々子供みたいなところあるよね、ユラ」

私の顔を見て、本当に何も分かっていないような顔をされている。

でもね、きっとそうなの。

ユラは頼られて慕われている一方で、心配されて見守られている。

「ユラの知識がどんなに大人でも、心は大人になり切れてないみたい」

心が、体に、知識に、追いついていないような、大人。

なんといえばいいんだろう……。

……あぁ、そうか。

「ユラは、ちゃんと甘えたことがある？」

「……誰に」

「親とか、お姉さんとか、友達にも。頼って甘えて育つことが出来た？」

困ったような、寂しいような、そんな切ない表情を向けられると、思わず笑みが出る。

そういうことだ。

「ユラって私にしか甘えてないんじゃないの？」

甘えて来れない子供って、変に大人っぽくて、けれど危なっかしい所がある。

自分でなんでも解決したがる。

なんだかユラって、そんな危なっかしさのある子供がそのまま大人になったみたいに感じるし、ユラが甘えてるところなんて想像出来ない。

「いい子ちゃん過ぎたんだ」

「別に、そういうんじゃ……」

「上手に甘えられないとね、周りの人って心配になってくるし、頼って欲しいものなの」

きっと、私みたいに。

私はユラよりずっと頭が良くないだろうし、なにか頼られるようなことがあるかといえばないだろう。

ユラはなんでも出来ちゃいそうで、なんでも一人で解決しちゃいそうだ。

けれどふと、心配になることがある。

あなたは周りに頼っているところを見せないから。

私には甘えてくるけれど、表面だけ。

甘く撫でて、頬ずりして、愛でるだけ。

心から寄り添って頼ってくれるようなことはしない。

「ユラは、本当に『人』に興味がないの？『人』に執着がないの？」

私にはそうは、見えなくて。

だって本当に執着がないなら、嫌な顔すらしないよ。

表情が変わらないんだよ。

そこにあるのは、『無』なの。

でも二人には、どうでもいいっていう態度に見えないし、ずっと嫌な態度してたら風邪の時もあんなに二人に心配されないでしょう？

佐渡さんが最初に気付いて、お姉さんを呼んでくれて、お姉さんだってすぐに駆け付けてくれて、ごはんを作ってくれて。

佐渡さんもしばらく家で様子を見てくれていて、私だって……隣にいることしか出来なかったけど、心配してた。

そんな人が、人を本当にどうでもいいように扱っているはずがないじゃない。

だって人は、鏡のように返して来るって教えてくれたのは、ユラでしょう？

「ユラは、どちらかと言うと……人の好意を、避けているだけのように見える」

わざと冷たい態度を取っているような、違和感があるの。

話していて、自分でもちょっとニュアンスが難しいというか、他人の心のことだから、余計難しいと思うんだけど。

多分この人は、人に執着がない訳では無い。

「あかねには、コレがなにか、わかるの？」

「ユラはなんだと思ってたの？執着心0だとか思ってたの？言っとくけど私への執着心振り切ってるからね？」

「……そこが自分でも、よく分からない」

ユラの中では、解決していなかった事だと、ここに来て初めて知る。

あんなにも人のことを自分の好きなように誘導できる癖に、自分のこととなるとわからないのか。

「ユラは、佐渡さんやお姉さんと普通に話してる時、なにか思ってる？」

「ウザいと思ってるよ」

「うざ……え、あぁ、そう……」

ちょっと二人が可哀想だ。

「でも離れると別に、ウザくない。話してなければ別にいい。もちろんあかねとはずっと話してたい」

「私が大丈夫なのって、もしかしてユラから逃げようとするからじゃない？」

「……え？」

「だから、ユラってきっと、人から好かれて寄ってこられるのは苦手で、逃げようとする人はその対象に当てはまらないから大丈夫なんじゃないかってこと」

これは、仮説でしかない。

本当の答えは、ユラの中にしかないのだから。

「私がそうなの。あんまりグイグイ来られると逃げちゃって、静かなところが好き」

「……あかねが？」

「ユラほど差が激しくないだけで、要は相手するのが疲れちゃうの。でも別に人が嫌いなわけじゃないし、騒いでるのを遠目から見てるのは好き」

こんなだから、人間関係が狭いまま学生時代を過ごしてきたし、人と関わる経験も少なかった。

元カレは少しずつ馴染んで来るようで、その距離感を作るのが上手かったから丸め込まれたようなものだ。

ユラからだって、私は逃げてしまうじゃないか。

口が悪くなるし、避けたくないのに避けちゃうし、心と体がちぐはぐだ。

「ユラは私から逃げないし、嫌な態度も取らないけど、私がユラに近付く時なんて殺そうとしてる時くらいだったじゃない」

「……そう、だね」

「どう？合ってると思う？」

べつに、機械じゃないんだから、必ずしもこの仮定通りしか事が起こらないわけでもないだろう。

例外なんて沢山あるし、生理的に無理ってのがあるのと同じくらい、生理的に好きがあってもおかしくない。

大枠が合っていればいい。

それから少しづつ、合っているのか間違っているのか、沢山確かめていけばいい。

この先、どれだけ時間がかかってもいいじゃないか。

わからなくなったら、人に聞いてみてもいいじゃないか。

私には自分のこと、話せたじゃない。

ユラの話を聞いてくれる人なんてきっと、沢山いるよ。

「……やっぱり、あかねは俺が知らない視点を持ってるね」

起き上がって手を差し伸べてくれるユラの手を取り、起き上がる。

座って向き合えば、今度は優しく抱きしめられた。

「俺には、愛情がないと思ってた」

「重いくらいあるよ」

「好きとか、わからなかった」

「一人が好きなんじゃない？というか、落ち着ける場所が、ユラは好きだよ」

私に寄り添って、いつも落ち着く落ち着くって言ってくるじゃないの。

落ち着ける環境、大好きじゃん。

「あかねも」

「なに？」

「……あかねと一緒にただこうしているだけでも、俺は好き」

急に、そういう話に持っていかれると、体が緊張してきてしまうじゃないか。

何言ってんの、もう、馬鹿じゃないの紛らわしい。

「私も別に、ユラとこうしてるのは嫌じゃない、けど」

「嫌じゃ、ない……？」

抱きしめられていた体が離れると、真っ直ぐと見詰めてくる瞳に囚われる。

急にガラリと変わる雰囲気に、私の頭の中が真っ白になる。

「嫌じゃない、じゃ、もう足りないよ」

さっきまで、わからないわからないと考えている子供のようだったのに、急に獲物を捕らえるような瞳で見詰めてくる。

「……え」

「俺、不安だって言ったよね。初めてなんだよ、こんなに失敗したくないと思うのは」

近付いてくる顔が、すぐ目の前でピタリと止まる。

近すぎて、その手のひら分の距離に、心臓が忙しなく動き出す。

「きっと拒否されてももう、離れてあげられない」

「……ユラ」

「その声でずっと、俺の事呼んでいてほしい。ずっと、この先もずっとずっと、離れないで」

臆病な気持ちが、見え隠れする。

彼の不安な気持ちが、こちらにまで伝わって来る。

その熱い視線に、体が震えてくる。

──期待してしまって、いいの？

「……う、嘘、言った」

「どこ？」

「ユラとの、こと……嫌いじゃない、とか」

顔が熱くなってくる。

口からつい出てしまった言葉で不安にさせてしまったのなら、私は訂正しないといけない、のに。

震えて、また涙が溢れて来そうになる。

「じゃあ、どう思ってる？」

聞いて来ないでよ、もう。

こっちは慣れないことしてて、恥ずかしくて死にそうなのに。

「……特別な、時間」

「特別？」

「……っ、ユラといる時間はずっと、私にとっても大事な時間なのっ」

恥ずかしすぎて、布団の上に頭から突っ込んだ。

ぽふりと柔らかな布の感触に、真っ暗になる視界。

あの距離でそんな話するとか、鬼じゃん、バカじゃん、無理でしょ。

恥ずか死ぬ。

すると、上からユラが被さってくる気配を感じて、また体がピクリと反応する。

今度はなんだ、なにするんだ、何を言われるんだ。

そう、身構えていたら。

耳元で、囁くような掠れた声が響く。

「俺も、あかねとこうしていられる時間が、特別で、大事だよ」

耳が熱くなる。

また体が、震えてくる。

「こんなに人を、愛しいと感じたのは初めてだよ、あかね」

涙が、ポロポロ、ポロポロ落ちて、布団に染みていく。

彼は言う。

私の名前を優しく呼びながら、その柔らかな声で。

『愛しい』と。

「好きなんかで足りるわけないよね」

「……っ」

「愛してる」

────愛、してる。

私がずっとずっと求めてきて、ずっとずっと与えたかった愛。

彼の、知らなかったはずの、愛。

「──こんな気持ち、あかねが教えてくれたんだから」

「……っ」

「もちろん、受け止めてくれるよね？」

────拒否できるはずがない。

私だってずっとずっと、求めていたんだから。

どれだけ欲しかったか、知らないでしょう？

どれだけ優藍に愛されたかったか。

どれだけ自分を抑えつけてたか、どれだけあなたのことで涙を流してきたか。

どれだけ、あなたに救われたのか。

「私だって……優藍に負けないくらい、愛してるっ」

涙でボロボロの顔を、思い切って優藍に向ける。

「馬鹿みたいに、優藍に溺れてるんだから、責任取ってよっ」

好きだって認めてしまったのは、つい最近のことで。

それまで認めたくなくて、逃げていて、それでも逃げきれなくて。

せめて離れる前に身体だけでも、と、引き裂かれるような気持ちで、あなたと繋がりに行ったのに、まだ足りないと言われて。

────どれだけ、必死に過去を清算したことか。

「あかねの一番になれるまで待ってた」

「一番に、ちゃんとなった？」

「これでちゃんと俺の事だけ、考えられるようになったでしょう？」

悪戯っぽいその笑みは、とても楽しそうで。

全くこの人は本当に、たまに子供っぽく悪戯に笑う。

「まったく、あんたの思惑通り、優藍で頭の中がいっぱいよ」

一呼吸分、私たちは見つめ合って。

それから、優しい優しい、誓いのキスを交わした。

もう、絶対に離れない。

離さない。

「ねぇ……これって、付き合う、の？」

「俺は結婚でもいいけど？」

「ばっ……ばかじゃないの！？早すぎるから！」

「じゃあもうしばらく、恋人の期間を楽しんでからにしようか」

「……こい、びと」

「うん、こいびと」

「……」

「……あかね？」

「……ばか」

「照れくさがってるあかねもかわいい」

「……じゃあ、よろしく……こいびと」

「こちらこそ、よろしく。俺の愛しい恋人さん」

────ばか

その言葉は、口を開いた隙に、優藍の口に消えていった。

優藍と並んで寝転がっていると、だんだんと、うとうとし始めて来て目を擦る。

そういえば今日、あまり寝ていなかった。

優藍が目覚めるまでに起きて、部屋から出て行かないとって、思ってたから。

「ねむい？あかね」

「……ん、ちょっと」

「寝不足はよくないよ。寝れるなら寝ておこう？」

優藍の心臓の音が、とくとくとく、ゆっくりと伝わってきて。

背中も同じように、ゆっくりと優しく叩かれてしまうと、眠気にどんどん呑み込まれていく。

「たくさん感情に振り回されて、疲れたね。ゆっくりおやすみ」

「……ん」

すり、と彼の胸に頭を擦ると、もう片方の手が柔らかく頭を撫でてくれる。

もう、逃げなくてもいいんだ。

もう、怖くならなくて、いいんだ。

大きな安心感に包まれながら、幸せいっぱいのまま、深い眠りへと誘われた。

目が覚めると、すっかり外は暗くなっていて、それに気付いた私は飛び起きる。

──夢？

ふと不安に駆られる。

優藍に愛してると囁かれた記憶が、夢だったんじゃないかって。

けれど、いや、ここは……寝る前の記憶を辿り、佐渡さんの部屋だと思い出す。

隣にいたはずの優藍がいない……？

「……ゆ、優藍……？」

どこ？どこに行ったの？

私を1人にして、どこかへ行ったの？

不安に駆られたまま、持ってきていたショルダーバッグの中からケータイを取り出す。

電話は、かけたことがない。

けれど今、下にきっといるはず、だから。

彼なら、優藍の居場所を知っているかもしれない、から。

頑張って記憶した11桁の番号を打ち、電話をかける。

これは……一度もかけることのなかった、佐渡さんの番号だ。

1コール、2コール、プツッと直ぐに切れたコール音に、私は慌てて声をかける。

「もしもし、ねぇ、優藍知らない！？」

「……」

「起きたら居なくなってて……ねぇ、佐渡さん……？」

声が聞こえて来ない。

あれ、どこか番号を間違えただろうか？

けれど確かめる術は、私にはなくて。

「佐渡さん、じゃ、ないの……？」

不安に駆られる私の耳に、くすくす、笑い声が聞こえてから、その柔らかな声が届く。

「──あかね」

「……え」

それは、電話越しに聴こえた彼の初めての声。

聴き慣れた柔らかな、包み込んでくるような、愛情深い声。

「……優藍？」

どうして、優藍がこの電話番号で出たのだろう……。

そこまで考えて、「まさか……」と、ひとつの仮説が浮かぶ。

「優藍の、番号だったの……？」

「ご名答」

あの時渡された名刺は、佐渡さんの名前で、電話番号は優藍のものだったということだ。

つまりいつかけても、この電話は優藍に繋がったということになる。

「優藍……今、どこにいるの？」

知らない場所で一人にしないでほしい。

そんな不安を抱えて、彼に尋ねる。

近くにいるなら、早く戻ってきて欲しい。

「あぁ……ごめん、あかね。今地下なんだよ」

「地下……？」

ということは、拷問部屋や牢獄のある所にいる、ということだろうか。

「なんで……？」

「ちょっと用意してたから……すぐ戻るよ、少しまっててね」

「……うん」

用意……？

用意ってなに……？

プツリと切れた電話に、少し心が踊ってしまう。

優藍と、初めて電話してしまった……。

いや、本人とは毎日のように会っていたんだけど、なんだか新鮮というか、恋人っぽいというか……。

そんなつもりはなかったのに、繋がった先はまさかの優藍で、耳元で緩やかな雰囲気の言葉が伝わってくるのが、なんだか新鮮で、嬉しかった。

こんなことで、不安だった気持ちが一気に幸せいっぱいで満たされてしまうなんて、なんて単純なんだろうか、私。

ぽわわぁ……と幸せ気分に浸っていると、何分経ったのか、すぐにその扉が開かれる。

「あかね」

「優藍！」

すっと立ち上がって優藍の元へと行くけれど、なんだか照れくさくて、その一歩手前で立ち止まってしまう。

人ひとり分の距離は、彼が一歩踏み出すことで埋められてしまい、その腕が腰に回る。

うわ……なんか、恋人っぽい……。

「寂しくなるから、遠慮しないで」

「……慣れないんだもん」

「恋人でしょう？忘れた？」

はわわわわわわわ

夢、じゃ、なかった。

私はちゃんと、優藍と、心が通じあった世界線に、いる。

なんということだ。

「……壊れそう」

「それはまだ早いよ。家に帰ってから、存分に俺に愛でられながら壊れて？」

それは……あれか、そうか。

もう、拒否する理由もお預けされる理由もなくなったから……。

ぼふっと顔に熱が集まって、妄想を振り払うために首を左右にめいいっぱい振る。

だめだ、無理、想像しちゃいけない、しゃっきりしないと。

そんな私の頭をひと撫でした優藍は、私の手を取るとその部屋から出て行くように導く。

廊下に出ると壁にもたれかかっている佐渡さんがいて、私たちが部屋を出た後に鍵をかける。

「佐渡さん……あの、ありがとう」

「うん？」

「部屋、貸してくれて」

「いーよ。これでやっと次行けるんでしょう？こっちも助かる」

次、ということは。

佐渡さんが助かる、ということは。

「……会いにいく、の？」

「あかねの心の準備さえ良ければ」

『加害者』に会う……私の復讐と、過去を断ち切って未来を進む為に。

優藍がずっと前から設定してくれていた、この時の為に。

「……終わらせに行く」

「さすが、俺のあかね。立ち向かっていく姿がカッコイイよ」

「……嬉しくないけど」

「褒めてるんだよ」

頬に手をかけて近付いてくる優藍の奥に、呆れた顔の佐渡さんが見える。

「お前らさらに二人の世界に磨きがかかってない？俺そのうち砂糖吐くよ？」

「吐けば？また詰め込んであげるよ」

「うげぇ、容赦ねぇ」

砂糖吐くってどういう状況だよ？

そう眉を潜めていると、額にキスが落ちる。

指先を絡めて「行こう」と先導する彼に付いていく私の心の中は、まだ少し不安が残っていて。

けれど、少し寝たおかげか、寝る前のようなぐちゃぐちゃとした気持ちはスッキリしていて、今は優藍がいるなら大丈夫だろうと思えている。

「……優藍」

「ん？」

「ちゃんと終わらせるところ、見ててね」

私にちゃんと、ついていて。

そばにいて、離れないで。

不安の裏側で、優藍の言う『カッコイイ』私で居られるようにと、気を引きしめる。

大丈夫、私には優藍が付いていてくれるのだから。

エレベーターを降り、一階を越えて地下、B2と書かれた階で、その扉が開く。

そこは、しん……と静まり返っていて、なんだか病棟の地下にでもいるような錯覚が起きた。

明かりが付いているのに、暗い、それに寒い。

陽の光の届かない、地下。

「佐渡さんは普段……ここにいるの？」

暗いと無条件で不安が募ってくる。

そこから意識を逸らしたくて、そんな質問をした。

「うーん、ここは地下にいる人たちのオハナシ聞く階だからなぁ。俺はB1で監視してることが多いよ」

「B1……？」

「そこで指示出したり、監視カメラの映像見てたり、ゆーから届いた情報を整理してたり。事務所みたいな感じかなぁ」

「……そう、なの」

彼の言うオハナシが、恐らく普通にお話する訳じゃないんだろうな、と、無知の中でも想像出来てしまう。

廊下を歩いていると換気扇の音がしていて、不安をさらに煽られる。

私、ホラーゲームとか肝試しとか得意じゃないんだけど。

いくつもの部屋を通り過ぎ、奥の部屋まで来ると、佐渡さんが鍵を出す。

どうやら着いた、のだろうか……？

カチャリと解錠する音が、妙に廊下に響き渡り、その扉を開く佐渡さん。

「まずは、一人目から」

「……」

「どうぞ、入っていいよ」

ひんやりと冷たい空気の中、緊張が走る。

どっちだ、ひとりめ？

どっちの『加害者』だ？元カレ？違う方？

一歩踏み出すことを躊躇っていると、背中からふわりとふわふわしたものに包まれ、優藍の香りがいっぱいに広がる。

「寒いでしょう？あかね。大きいけど俺の上着着て行って」

まるで、その柔らかな香りに背中を押されるように。

私は、一息ついてから一歩、その部屋へと踏み込んだ。