壊し愛（統合版）

三章 💣

1．🍃💧🎭

道の端から真っ黒な車がスッとタイミング良く出て来て、また運転手さんが後部座席の扉を開けてくれる。

乗ってから気付いたけれど、その助手席にいた綾愛さんはいなくなっていた。

「あれ、綾愛さんは……？」

「学校に行ったよ」

「……はっ！！」

そう言えばあの子はまだ学生さんで、なぜか私のことを優先したのか、この男にさせられたのか、私に付いていてくれていたのだ。

どうしよう、勉強遅れちゃってたりするんだろうか、お友達関係とか、先生に怒られたりとか……。

あわあわとしている私の横に座ったユラが、ふっと笑って私の頭を撫でてくれる。

あ、いつもの優しいユラに戻ってる。

「綾愛は大丈夫だから」

「でも私、あんなに綾愛さんに良くしてもらって……なにかお礼しないと、あぁでも所持金が……」

一応お財布も、カード類や通帳も持って来てはいるけれど、残高を見るのがとても怖い。

それでなくてもただでさえお金が無いのだから、働かねばいけない。

「そんなに心配しなくても、こっちから報酬出てるからいいよ」

「報酬！！？」

「仕事させたんだからそりゃあ出すよ。俺の指示なんだから」

……そうか。

そう、か。

お仕事だったって、ことだもん、ね。

お仕事でも、私はあの言葉に助けられた。

綾愛さんの本心が、もし話してくれたところと別にあったとしても、私は綾愛に助けられたことは忘れない。

そう、また不安に飲み込まれそうになっていると、ふわりとしたユラの優しい声に包まれる。

「話の内容はあやめ自身のものだし、なんならあかねの話をした時にこの役を自分から買って出たのは綾愛だから」

「……綾愛さんから？」

「そう。だから綾愛の言葉は本心だから、信じてあげて」

私……あぁ、そうか、また悪い癖が出てた。

状況も知らないのに、綾愛さんの言葉をニセモノだと、また、思い込んでしまっていた。

相手の本心は相手しか分からない。

相手の本心は相手の言葉からしか伝わらない。

そこに自分の思い込みが含まれたら、それはもう相手の言葉ではなく憶測だ。

綾愛さんの言葉は、そのまま言葉通りに受け取らないと、綾愛さんに失礼だ……。

「その罪悪感も、だね。思ったことは否定しないで、そう思ったことだけ受け入れるのがいい」

「そう、だった」

「他人を信じられないのは？」

「……自分を、信じられていないから」

まだまだ、足りないようだ。

いや、この『まだまだ足りない』という気持ちも、自分の中にあるそのままの気持ちを受け入れるべきだから、足りないと思う必要もない。

余計な罪悪感も、必要ない。

努力や知識が足りないと思ったのは自分だけ、という事実を受け入れる。

マイナス思考が染み付いてしまっている思考回路では、この『気付く事』と『訂正していく事』が、かなり難しい。

無意識というのは酷く厄介なものだ。

だからこそ、無意識に染み付くまで訂正していく思考回路が身につけば、ちょっとやそっとで揺るがなくはなるんだろう。

うん、練習あるのみだ。

「うん、いい顔になった」

「顔でわかるの？」

「あかねはわかりやすいよ。あれからちゃんと考え方の訂正を続けてるのがわかる」

そう、それを教えてくれたユラに言われてしまうと、心が踊るように嬉しくなってしまう。

顔には出さないけど。

出てないはずだけど。

出てないはずなのに、ユラはまたくすくす笑っている。

「ていうか、この車どこに向かっているの？ユラの家？」

ユラの家に向かっているんだろうと思って外を眺めていたけれど、どうやら方向が全然違うように思う。

北の方へ、向かっていない？

駅から家に来るまでは、真っ直ぐ西に来たというのに。

「あぁ、今向かってるのは本部だよ」

「……ほんぶ？」

「情報屋の本部。地下室の牢屋にお目当ての奴がいる」

お目当て……そう聞いた私の顔が強ばる。

私とユラが揃って、牢屋に顔を出す……ということならば、それが指すことはひとつ。

『加害者』との接触、じゃないだろうか。

「あかね」

「……いや、急にそうなるとは、思わなくて」

腕に力が込められて、カタカタと震える。

怖い？憎い？そんな言葉では纏まりきらない感情が渦巻いて、こんな精神状態で大丈夫なのかと、不安になる。

ずっとずっと追い求めて、ずっとずっと憎んできた相手だ。

二人とも、揃っているんだろうか。

加害者のひとりがあのクズ野郎だと知った今、私は……どんな行動を取るのか、自分でもわからないのだ。

「あかね」

カタカタと震えるその手の上から、優しくユラの手のひらが包んで来る。

とても冷えているその手に、ビクリと体が反応して、顔を上げてユラに向く。

その唇はまだ、紫色を残したままだ。

「寒いね」

「……ご、めん。待たせた、から」

「いや、暖まればいい話だから」

「……？」

下から顔を覗き込むようにして近付いてくるユラに、まさかコイツまた……！？と思っている間にも唇が塞がれる。

運転席の後ろに転がされるように押し倒されると、音を立てないように静かでゆっくりな動きで、何度も口を塞がれる。

私が熱くなってどうするの……！？

「まっ……車っ」

「着くまで、俺の事だけ考えてればいいの」

首の裏に回ってくる冷たい指先にまた、ピクリと反応する。

冷たい、この男本当に冷えきってる……！！

「だから場所っ……考え、ん……」

「綾愛いないから、いいでしょ」

「そういう……！？」

いや、運転手さんいるじゃん！？

ていうか綾愛さんいてもさっきされてたけど！？

また急によく分からないスイッチ入りやがって、この男……！！

冷たい肌が、だんだんと私の熱を奪って少しずつ冷たさがなくなっていく。

その冷たさが私に移ってくるにつれて、私の余裕まで奪われていくわけだけど。

何分なのか何十分なのか、車が止まるまでずっとそのキスは止まらなくて、運転手さんに申し訳ないのと恥ずかしいのとで、また軽く死にたくなった。

「ほんぶ……？」

車が止まり、目の前にはひとつのビルが立っていた。

普通のビルのように見えるけれど、周りは森に包まれていて民家などはない。

住宅地からそんなに離れてはいない場所だとは思っていたけれど……人の気配がない。

不自然な位置に立っているビルが、なんだか不気味だ。

そこまで高さはないけど……。

「上の階は主に仮眠部屋や寝床、会議室のような広い部屋と、一階は依頼管理の受付と個室。地下数階が牢獄や拷問部屋があって、防音」

「……エグい」

防音って所が、内容とか一切聞いてないのにいかにも痛いことしてそうな……いや、想像するのやめよう。

「まぁあのクズ野郎たちはそこまで血みどろにはなっていないはずだよ。あかねの目にも入ると思って、見た目は保ったままでってお願いしていたからね」

「お願いの仕方」

本当に日本なのだろうか。

というかそんなことしておいて大丈夫なのだろうか、バレないのだろうか、警察のご厄介になったりとかないのだろうか。

そうは考えるけれど、ここは情報屋だから、きっとユラの部屋のように管理は徹底されているんだろう。

なにそれ、怖っ。

あぁだからこんな、人気のない所に本部があるのか……。

「あかねは色々と心配してるかもしれないけど、相手と会えても会話はきっとできないよ」

「……一方的に見て終わりってこと？」

「ん……というか、精神がね。どっか行っちゃってると思うんだ」

「…………は？」

意味が、分からない。

精神がどっか行っちゃってるというのは、さすがに想像も出来なくて。

ただ、不気味な不安が募って行く。

車から出ると、そのビルの入口に誰か立っていた。

……なんだか見覚えのある小柄な男のシルエットだな。

「あ、来た」

「……佐渡さん？」

そう彼の名前を呟くと、隣にいるユラの手が私の指先に絡まる。

いつの間にかユラはマスクをしてフードを被っていた。

これ、なに、変装？

「お待ちしておりました。御用意出来ております」

そう柔らかい笑みでこちらに話しかけてきたのは、まさかの佐渡さん。

「……は？」

「行こう、あかね」

なんだか丁寧で気持ち悪い佐渡さんに付いて歩くユラに、手を引かれる私。

え、なに、なんでこの人今日はこんなご丁寧にしてんの？

微かな謎を残しつつ受付だという一階の自動ドアを潜ると、微かにしていた話し声がピタリと止まり、私達に視線が集中する。

え、なに、どうしたの、怖いからこっち見ないで。

変に注目を集めている事が嫌で視線を下げると、ユラと繋いだ手が視界に入る。

……まさかこれが原因なんじゃないか？と思い、振り払おうとするけれど、やはりユラの手は簡単に離れてはくれない。

「なんで離さないの」

「どうして離そうとするの？」

「見られてる」

「そりゃあ指揮官が二人揃ってもいれば、注目も浴びるよ。俺、レアキャラだから」

そう言っていい無駄にいい笑顔を振りまくユラは、口元が見えない分煌めきがなんとか抑えられている。

この注目はお前のせいか！！！！

え、でも顔見えてないのにわかるの？なんで？

私の頭の中は混乱でいっぱいだ。

その時、奥の方から女の人が緩やかな歩みでこちらに来ると、私たちの前で一礼した。

「お待ちしておりました」

「あれ？レイン、今日はこっちに来てたの？」

「あなたが顔を出すと聞いて、こちらも顔を出さない訳にはいかないじゃないですか。先日頂いた情報も、とても助かりました。いつもご提供ありがとうございます」

「こちらこそ、いつも無茶なお願い聞いてもらっていて、ありがとう。今回のことも君の所の子たちのおかげだよ」

何も話が分からないけれど、多分仕事の話なんだろうな、と、その女の人を見ていると、繋いだユラの手にキュッと力が入るので、視線を向ける。

というか、そういえばまだ繋がれたままだったじゃないか。

「あかね、この人はあのクズ達を捕まえるのに走ってくれた組織の人。何でも屋さんだよ」

「……捕まえるのに？……って、え！？」

それって『加害者』を捕まえてここの地下に連れてきた人ってこと……！？

全然関係ない人じゃなかったということではないか！！

ていうかなんでも屋さん？なんでも屋さんてなに？？

「え、ちょ、まって、情報量」

「俺たちの組織は同盟を組んでいてね、こちらが主に脳、あちらが胴ってイメージ」

「ねぇだから情報量！！」

ついていけない私にニコリと笑うお姉さんは、緩やかな笑みで私を見る。

「もしかして、なにも説明されていない？」

「な、なにも、というか……ほとんど」

え、まって、私どんな反応をしたらいいの？

とりあえずこくりと会釈して「捕まえてくださった件、は、ありがとうございました」と、お礼を言っておく。

ただ、その捕らえられた本人たちにまだ会っていないのだけれど。

「じゃあ、部屋を移って少しお話しましょうか」

そのお姉さん……レインさん？の案内で、個室の6人席に案内され、私とユラ、レインさんと佐渡さんで二人ずつ座る。

「あー、固苦しいのしんどい」

扉を閉めてすぐに机に突っ伏してぐでーっと伸びている佐渡さんに、ユラが机の下で佐渡さんを蹴る。

「いって」

「変わりすぎ」

「息苦しいんだよ、一階は。俺は地下の人間なのー」

額をグリグリと机に擦り付けている佐渡さんは、今日も今日とて可愛い。

「佐渡さんはなんで、その、さっきはあんなにくそ丁寧だったの？」

「くそ丁寧って酷い言われよう……。いやだって俺、地下の人間だからさぁ」

そう言ってまた額を机に擦り付ける佐渡さん。

その説明ではなにもわからない。

すると、ユラが補足してくれた。

「地下の人間……拷問部屋に出入りする人達って、あまりいい印象を持たれてないんだよ。単純に怖がられてる」

「なるほど」

「それで、せめて口調だけでも丁寧に見せて印象悪くしないように必死なんだよね。佐渡は怖いって感じでもないけど、一応指揮官だからね」

そうか、この可愛い可愛い佐渡さんも、拷問の指揮官さんだから……。

拷問している所なんて見たことがないから、全然想像ができなかった。

「その話はもういいかしら？私も彼女とお話がしたいのよ」

机に両肘を付いて指先を組み、その上に顎を乗せるレインさんは、ニヤリと怪しい笑みでこちらを伺う。

なんだか、食べられてしまいそうな、呑み込まれてしまいそうな瞳をしている。

蛇みたい、体が緊張して固まってしまう。

……ということは私、今カエル状態じゃないか？

それはちょっと、なんか嫌。

「手は繋いでたけど、まだ心は通じ合ってないか」

そう言葉を落とすレインさんに、スッと肝が冷えるのを感じる。

え、なに？待ってこの人さっき会ったばかりなのに……私たちの関係のこと、話してる？

話を先に聞いてた？

いや、でもまるで言い当ててるかのような口調だった、から……。

「怖がらせるつもりはなかったんだけれど……。そうね、確かに心配事は片付けてからの方がいいものね」

「相変わらず怖いくらい見通す洞察力だね」

「ありがとう。定期的に使ってないと忘れそうなのよ」

洞察力……？なの？それ？

預言者みたいな、占い師みたいな怖さがあったんだけど、それ洞察力なの？

混乱する私の頭を柔らかく撫でてくれるユラに視線を向けると、心が落ち着いてくる。

ユラもかなり私の奥底を見抜いてくるけれど、なんかそれとも違った見通し方をされたように感じた。

「あかねにここのこと、説明するとね。ここはMINE（マイン）ていう組織なんだよ。意味は『地雷』の方ね」

「まいん……？」

「レインさんはBOMB（ボム）っていう同盟を組んでる組織で管理の指揮や組員への指示をしてる人」

「……ぼむ」

ここがまいんで、レインさんの所が、ぼむ。

同盟を組んでる。

ここ……まいんが頭で、ぼむが胴……？

「……なるほど？」

「あ、これよくわかってないやつだね」

「可愛いから許せるわ」

ふふっと笑うレインさんに、私は困ってユラに視線を向けてばかりいる。

コミュニケーションは、あまり得意ではないのだ。

「そうだねあかね、すぐに二人きりになりたいよね」

「どこまで拡大解釈したらそうなるの？」

今日のユラはなんだかとてもアホっ気が強いというか、変な解釈ばかりしてくるというか、ブレーキが壊れているというか。

なんだか甘いを通り越して気持ち悪いのだ。

まぁいつも気持ち悪いんだけど。

「ユラくんはすぐに彼らに会わせて帰りたい感じかしら？彼女の心の準備、出来てる？」

「俺がいるなら、あかねは大丈夫。なにも心配いらないよ」

「不安しかないんだけど」

なんといっても、精神がどっか行ってるとしか説明されていないのだ。

会話が出来ないらしいけど、それ以外何も解らない状態で。

私の心がどんな乱れ方をするのかも、わからなくて。

「元カレさん、だったかしら？」

レインさんの言葉に、ズキッと反応する心臓の奥。

視線が机に落ちると、ユラが私の手をまた強く握る。

持っていかれそうになる意識を、留めてくれる。

「あかねには、あまり思い出させたくないんだけど」

「ユラくんならわかっているはずでしょう？抱えたものをそのままにしておいた方が長期的に苦しむこと。だから『加害者』のいる元へ連れてきたんでしょう？」

「ゆー、そろそろ腹くくろう。この子の為だよ」

「……はぁ」

ユラがため息をついてから、私を握る手に力を込める。

「あかね」

ユラの眉間に、小さくシワがより、滅多に見せない複雑な表情を見せる。

その表情を見ているだけで、私までなんだか、辛くなりそうだ。

「あかねはあの男のこととか、歩道橋から落とされた時のことを、紙に書き出したり人に話したりしたことは、ある？」

『加害者』について、あのひたすら気持ちを紙に書き出すということをしたことがあるか？ということだ。

私は首を、横に振る。

「思い出す時に、落ち着いた気持ちでいられる？」

また横に振る。

落ち着いていられるわけが無い。

だからこそ誰にも話せなかったし、向き合うことを恐れていた。

お腹にいた子のことは綾愛さんに話せたものの、『加害者』については全く、触れなかった。

それは一番、憎しみの核にあるものだから。

つまり、そう。

私は────まだ逃げているのだ。

現実から、自分の心から、過去の苦しみから。

「話せるだけでいい」

やはり……ユラが考えているのは、そういうことなのだ。

ここで話せるだけ話せということ。

一度、吐き出させる気、なんだ。

「……お、もいだしたく、ない」

「でもそのままじゃ『加害者』に会えないよ。それにあかねが過去に縛られたままになるのは嫌だ」

私が、過去に縛られたまま、じゃ……。

私がこのままだと、まだユラを一番に考えていないと、思われたまま、なんだろうか。

このままじゃ、ユラが私の元に来ることは無い。

私を貰ってくれない。

欲しくても、彼を一番に考えられないままの私では、ユラが満足してくれない……。

「あかねは、復讐を諦めたの？」

「そんなことない！それは絶対……絶対、私が幸せな姿、見せ付けてやる気で、いる、から……」

けれど確かに、思い出したくないのに『加害者』に会うというのは、おかしい話だ。

会えばどう考えても過去を思い出してしまう一択しかない。

『加害者』に会うのが怖いというよりは……あのクズ元カレに会うのが、不安で仕方がないんだ。

もう一人の方は正直、不安も怖さもない。

知らない人だし。

「もし話すのに俺と二人きりがいいなら、二人を退出させるし、何も知らない他人に話したいと言うならレインを残す。このままでいいならこのまま聞くし、紙に書けるなら用意させる」

「……っ、ユラ」

「選んで、あかね」

こんなにもたくさんの選択肢をくれる。

私のため、私が過去から解放される為、復讐を完全な形で成功させるため、私の心を安定させて会わせるため。

思い出したくないと思うのは、なんでなんだろう。

怖いから。

裏切られた時も、突き落とされた時も、失った時も……強い恐怖心を植え付けられた、から。

でも、それは過去の話で、もう怖がる必要はないはずなんだ。

ユラがいる。

私にはユラがいて、私の知らない知識まで使って、私を想って全力で支えてくれる、ユラがいる。

それなら、こんなに怖がる必要なんて、あるんだろうか。

ただ、自分の中で固まった『加害者』のイメージに、未だにビクビクしているだけじゃないか。

実際に今、『加害者』と顔を合わせて話したわけじゃない。

それなのに怯えているのは……過去に引きずられているだけ、なんだ。

私は現実と向き合わなきゃいけない。

向き合いたい。

今、私の前にいるのはアイツじゃない……ユラなんだから。

ユラとこの先も、歩んでいきたいから。

「ユラ、が」

「うん？」

「ユラがいなくなっちゃう方が、ずっと……怖い」

口に出すだけで、こんなに苦しくなる。

こんなに辛くて、涙が出そうになる。

一度手放したはずの、ユラ。

もうあんなに心を引き裂かれるような想いは、したくない。

あんな気持ちになるくらいなら私は……過去と向き合うくらい、どうってことない。

だって私はもう、ユラと一緒になることに迷いなんてないんだから。

私にはユラがいて、ユラがいなくなる方がずっと怖くて、ユラがいてくれるなら──過去のことなんて、話すことくらい怖くない。

ギュッと握り締めた拳の中で、手汗が滲む。

腕も脚も背筋も、身体中が変な緊張で震えてくる。

それでもいい、言葉にならなくても、ぐちゃぐちゃで伝わりにくくても、私一人だけがこの場で取り乱すことになるだろうけど。

ユラがいるならきっと話せるし、私はもっと不安を他人に話せるように、なっていきたいから。

綾愛さんに話せたように、このレインさんにも、佐渡さんにも。

──ユラにも、聞いて欲しい。

震える唇を開く。

「聞いて、くれるなら……このままでいい、話す。いい加減、頭の隅に居座られてんのもウザったいから、あの男」

「……そうだよね、ウザったいよね」

「おい、ゆー。顔が喜んでる。不謹慎」

「このままでいいなら、頭に浮かんできたことから話していこうか」

「また無視！？」

ぷふっと、思わず吹き出してしまう。

もう、佐渡さんが笑わせてくるから、緊張が少しほぐれてしまったじゃないか。

笑わせるようなことは言ってないはずなんだけど、おかしいな。

「俺はあかねから元カレの悪口聞くの、たまになら好きだよ」

「それすごく性格悪いけどね」

「あかねはそんな俺の事、いや？」

甘く微笑みを浮かべて、こてんと首を折るユラ。

その聞き方はずるいじゃん。

好き？って聞かれれば否定も出来るものの、嫌い？って聞かれると……。

「……別に、嫌とかは……ない、けど」

「そうか。あかねはそんなに俺のことが大好きになってくれたんだね」

「だからどうしてそうなるのか意味がわからない！」

まったく、こんなんじゃシリアスな話も出来ないじゃないか。

……いや、ユラのことだ。

わざと雰囲気を壊して話しやすくしてくれているんじゃないだろうか……？

ダメだ、もうユラ相手だともはや、ふざけた言動すらも裏があるんじゃないかと思えてしまう。

大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いていく。

大丈夫、ユラがいるから。

またそう自分に言い聞かせてから、口を開く。

「元カレ、の、ことだけど」

思っていることを、浮かんできた感情を、そのまま、そのまま言葉にしていく。

「……正直、怖い。『加害者』が元カレだなんて考えたこともなかったから。……私を落とすように指示してきたんだっけ？もう、私には理解不能で、ただひたすら怖い」

ユラが繋いでくれる手に、力がこもる。

大丈夫、と言われているようで、心の底からモヤモヤが消えていくような感じがするの。

「ユラがいるから、もう大丈夫なのは、わかってるんだけど……。元々確かに、よくわからない性格ではあったの」

ユラの眉間にシワが寄る。

やっぱり、ユラにとっては聞きたくない話なのかもしれないけれど。

ごめんねユラ、それでも私は知って欲しい。

「アイツと関係を持ってたのは、半年くらい。私が働いてた居酒屋で、お客さんとして来て酔い潰れてたの」

「うわぁ……」

ユラの顔は酷く歪んでいて、見たことがない表情をしていた。

なんということだ、あのクズ男、ユラにまでこんな顔させて、許すまじ。

「出会いから酷いものね」

「酔い潰れてて、その後どうしたの？」

レインさんの後に佐渡さんが質問してくる。

「いや、あの後はタクシー呼んだくらいで……その日はなにもなかったの」

「その日は？」

「次の日、また店に来た」

ユラのこめかみがピクピクとし始めるのに気付くけれど、残念ながらまだ序盤である。

「あかね」

「なに」

「ちょっと……もう既にアイツ殴りたくなってきたんだけど」

「まだダメ。始まったばっかり」

大きなため息を吐くユラ、この後話を続けても大丈夫なのだろうか。

というかユラは知ってたはずでは……？

私のことも調べたんでしょう？

「ユラは、知ってたはず……だよね？」

「調べたことと本人の口から出てくることって全然意味が変わってくるんだね。俺も初めて知ったよ、殺したい」

「抑えて」

ギュッと握られる指の先が絡んできて、恋人繋ぎになっている。

どさくさに紛れて何してんだこの男？

隣にあるユラの足を蹴って、話を続ける。

「それで、最初は……全然違ったの。すごく私を……なんというか、凄いねとか、偉いねとか、だだ褒めして来てた」

「あぁ……」

三人にそれぞれ視線を向けていくと、みんな呆れたような、哀れんだような、なんとも言えない顔を向けていた。

「変に媚びへつらってくる男って、相手が下だと見ると急に掌返してくるのよね」

「あ、それ。めちゃくちゃそれ」

レインさんの言葉に同意しか出来ない。

言われている通り、ある日を境にガラリと態度を変えてきたのだ。

「仕事が終わった後に、外で待たれてたの。心配だから、とか言って」

言わずもがな、みんなして『うわぁ』という表情をしている。

「いや、私もさすがに最初は迷惑かけるからって、断ってたの。でも電車に乗るまで付いてきて……それを何日も、繰り返して……」

「迷惑かける側だと思ってたんだ……」

「その時はまだ、自信とかなくて」

机の上で腕を組んだ上に顎を乗せている佐渡さんまでもが、顔を歪める。

可愛い顔が……それでも可愛いのはなぜなのか。

「その状況で迷惑かけられてんの、明らか君の方だよね」

「うぅ……今はおかしいと思ってるし……」

これでも、ユラのおかげでかなり歪んだ考え方は減ってきた方なんだ。

まだ人を見る目は、ないかもしれないけれど。

「その時は、本当に気遣ってくれている人だと思ってたの」

本当に、私の目にはそう見えていた。

あの男の汚い欲にも気付けず、駅までの道くらいならまぁ大丈夫か、と。

次第に、彼の話に笑って返すようになったのが、会ってから3週間程してからだった。

「だんだん、軽いスキンシップが、増えてきて」

「……チッ」

「ゆー舌打ち、抑えて」

どんどんユラがやさぐれて行く……。

けれど、見たことないユラに少し、ドキドキしている自分もいる。

だって、私のことだから怒ってくれてるってこと、だよね？

ユラが怒ってるのに嬉しくなってしまっている自分も、十分性格が悪いのかもしれない。

「それで、流されるまま……」

「……え？」

「え！？」

「まって、どこまで流されたの？」

言い難い話になることは、避けられないことはわかってた。

そんな細かいところまでユラだって調べられないだろう、し……。

「家、に……最初は、入って美味しい紅茶を飲んだだけ……。なんか、ストロベリーティーがあるから飲んでいかないかって……」

「釣られたのか」

「釣られたわね」

「……あかね」

真剣なユラの瞳が、私の顔を覗き込んでくる。

いや、だってその日も何もなかったんだもん。

大丈夫だと思ったんだもん。

「ホイホイ男の部屋に行くんじゃないよ」

「ゆーは自分の胸に手を当てて考えてからモノを言えよ」

「俺も1回注意したし……」

たしかにホイホイ家に入って行くのはやめないとな……。

いやでもチョコレートの香りとか、フルーティーな香りとかいろいろあるって誘われて……気になって……。

「反省は、してる……」

「それから……？」

レインさんに促されるまま、その後のことを思い出す。

もうそこまで行けば私の中に不信感なんてなくなっていて。

「家に行くのに慣れて……告白されて、付き合って……」

段階は一応、踏まれていた。

だから私はこの人とこのままこの先も一緒にいるものなんだと、思っていた。

おかしい、と思い始めたのは、初めてシたその日。

「もし聞きたくなかったら、ユラは……出ていってもいい」

「どうして？」

「付き合ってから態度変えられるまで……気分のいいもんじゃない、し」

これは、ただ人に伝えるための話じゃない。

私が、私の辛かったことや苦しんだことを吐き出す為の、吐き出させてもらう為の場……なんだから。

不可解に思っているその部分を話さないなんてことしたら、意味が無いのだ。

「わかった」

「ユラ……。まって、なにしてんの」

椅子を引いて、私の腕の下に手が入り込んだと思ったら、急に持ち上げられ、そのままユラの膝の上に着地した。

まって、まって。

「ばか、じゃ、ないの……！？人！人いるんだけど！！」

「あかねが俺の腕の中にいた方が冷静でいられる」

「あたしが冷静なんかじゃいられな……いや、話せるし！話せるけど」

ここで冷静じゃいられないなんて言ったらユラにくっついて余裕が無くなってるみたいに思われるじゃないか。

いや、余裕は既にないんだけど、ていうか二人はこんなの見せられてどうなの？いいの？

二人に恐る恐る視線を向けると、レインさんはニヤニヤとしていたし、佐渡さんは呆れた顔で頬杖をついていた。

「いいわ。続けてくれる？」

ニヤニヤ、楽しそうなレインさんに促される。

ちょっと話しにくさはあるけれど……仕方ない。

「好きとか、あの頃はまだよくわからなくて。でも今フリーなら付き合ってみたらいいじゃんって、感じで、拒否する理由もなくて、付き合った」

ユラの腕が、お腹の上にギュッと回ってくる。

いわゆる、バックハグで……話しにくいったらない。

「……付き合ってからそんなに期間も経たないころ、アイツの家で映画を見に行って…………。はじ、めてを、シたん、だ、けど……」

もごもご、声が小さくなっていく。

後ろめたい記憶だ。

好きなのか分からない人、そのうち好きになる予定なんだからと、押し倒されて。

それなら確かに、いつその行為を始めたところで、結局この人とすることになるなら変わらないな、なんて。

流されたとしか、言いようがなかった。

「くっっっっっそ、痛かった」

「……」

「だってあのクソクズ野郎、いきなり指入れて来て、痛いっつってんのにグリグリと……中で動かしてれば濡れるからとかほざきやがってあの、クズ！！」

殺意が、殺意が溢れ出して来る。

私は初めてだったから知らなかった。

入れてれば濡れると言われ、それで本当に濡れて来たもんだから、本当なんだと納得してしまって。

今ならわかる、あのクソ野郎、めんどくさい工程全部すっ飛ばしやがった。

ユラに幾度も触れられ、焦らされ、弄られてきた私にはもう、その差が天地ほど開いていることが分かる。

『濡れるのは気持ち良さだけじゃなくて防衛本能も兼ねてるから、濡れてれば感じてるとも限らない』

ハニートラップを仕掛けたあの時、ユラが教えてくれたその話、そのものだ。

防衛本能で濡らされていた、そうとしか考えられない扱い。

多少のキスはしても短いし、メインは第一次性感帯、そこに入れることしか欲のないクソ野郎。

「アイツ絶対人のこと人だと思ってない。指の次何入れられたと思う！？血が出るのは嫌だからってオモチャ入れられたんだけど！！どういうのかよくわからないけどそれでぐちゃぐちゃ掻き回されて、私の初めて終わったんだけど！！」

涙が溢れてくる。

ボロボロ、ボロボロと、止まらない涙が。

そうか、私、これが一番嫌で、痛くて、思い出したくもない過去だった。

怖かったし、初めてなのに扱いが雑で、でもかけられる言葉は優しさが混じっていて、気遣われているような言葉をかけられて。

そんなやってることと言ってることが合わないあの男に、混乱するばかりで。

いつ終わるかも、わからないで、ただ痛みに叫んで、口を塞がれて、暴れていたらようやく、抜かれて。

「なんで、彼氏にレイプされた気持ちにさせられなきゃいけないの……」

「……」

「なんで、優しい言葉をかけてきて、気遣う言葉をかけてきて、それなのに……痛いことするの」

ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃだ。

離れるべきなのか、それともあの行為の時だけ酷くなるだけなのか、彼の本質がどこにあるのか、私にはわからなくて。

経験もなければ知識もない、流されていたばかりの自分。

一度受け入れることを覚えたそこは、指で簡単に広げられ、濡らされ、ホンモノを受け入れられるようになる。

痛みがあるものだと、仕方ないのだと、受け入れるようになってしまった。

だってしばらくして慣れてくると、痛みは無くなってくるから。

それだけで随分、楽になるから。

「……ゆら」

「……」

「痛かったの、苦しかったの、辛かったの、虚しかったの。どれだけ初めてが……アンタだったらって。何度も、考えて、後悔して」

涙の溢れる目元を、彼の肩口に埋める。

そう、せめてこんな風に抱きしめてくれる人だったなら、もう少し心穏やかに付き合って行けたんだろうか。

「あの男と付き合ってたことは、後悔しかないけど……『この子』がお腹の中にいた事は、後悔しない」

小さなショルダーバッグ、その中にハンカチに包まれている『この子』を取り出して、机の上にコトンと置く。

「骨壷。これが、私の子。私の心を支えてくれていた、私の愛したかった子供。今日やっと、迎えに行けたの」

ほろほろ、一緒に涙を流してくれるレインさんが、口元に手を当て、哀しそうに口を開く。

「その子、お名前は……」

「決めてなかった。性別もわからなくて、過ごしたのは4ヶ月と少し……。その間ずっとずっと、私の心を支えていてくれてた、大事な子」

母になる人にしか、きっとわからないのかもしれない。

けれど、母体ってずっと、24時間毎日毎日、ずっとお腹の中の子と一緒に過ごすの。

ずっとずっと、忘れることなんて出来ないくらい、気を付けて日々を過ごすの。

食べ物にも、お薬にも、軽い運動にも、体調にも気を配って、病院に通って、少しずつ大きくなっていく体を実感していくの。

例えまだぺちゃんこのお腹の中でも、その中には命がある。

別の命を、私が守っている……いや、守りたかった。

守れなかった。

産みたかったの。

育てたかったの。

私が誰よりも大事に大事に、思い出を沢山一緒に作ってあげたかったの。

またつくればいい、とか、そういう簡単な話じゃない。

この子は、この子しかいなかった。

そして私が育てる気でいた。

──それを、お腹に子供がいると知って逃げた父親に殺されたなんて、なんて……遣（や）る瀬無い。

「逃げられて初めて気付いた。私はただの処理道具で、甘い言葉で引き止められていただけで、私のことを想ってくれていたことなんて、きっとなかったこと」

私はまたユラの肩口に額を当てて、すり、と額を擦り合わせて、少しだけ甘える。

今は甘やかしてよ、私頑張ったんだよ。

お腹にあった手が私の頭の上に移動して、緩やかに撫でられる。

ユラに撫でられるのは、気持ちがいい、落ち着く。

ユラの表情は見えない、私が背を向けて視線を合わせないでいるから。

泣いた顔を見せるなんて、気が引けるから。

「あかね」

「……ん」

「あかねはたくさん、頑張ってきたよ。頑張りすぎだよ、我慢しすぎ。もう十分だよ」

やめてよ。

ここで優しい言葉なんてかけられたら……また涙が、溢れてしまうじゃないか。

「よく逃げないで、話してくれたね。あかねのそういう、苦しい場面でも立ち向かっていく所、一番好きなんだよ」

ピクッと思わず、体が反応する。

いや、今のはそういうんじゃないでしょう、反応する所じゃない。

そう、自分に言い聞かせる。

彼の『好き』に、簡単に反応してしまう。

「あかねのそういう所、ほんとかっこいいし、可愛い」

「んなっ……馬鹿なこと言わないで！」

またからかわれているんだろうか。

「まだ話し足りないことはある？」

「いや、もう……十分話した。……ユラのおかげで、向き合えたし、何が怖かったのかわかった」

怖かったのは、あの言動のちぐはぐや、彼から与えられる痛み。

不気味で、曖昧で、変に恐怖心を煽られていた、そんな所。

話しているうちに頭が良く回って、気付かなかった所にも気付くことができた。

怖かった所がわかってしまえばもう、怖くなんてない。

だって私にはユラがいて、ユラがきっと守ってくれていて、ユラはあんな奴よりずっと強いだろうし、口ではそこらの人間にも負けないだろうし。

私が何を言われたってもう、ユラの甘く惑わせてくる言葉に、あの男が敵うはずもない。

ユラしか選ぶ要素がない。

「私がもうあの男に惑わされることは無い。もう流されないし、ユラがいてくれるならユラに勝てる人なんていない気がする」

私の頬を指先で優しく掻くユラ。

なんだかペットにでもなった気分になる。

ユラがペットを飼ったら、きっとこんな風にずっと幸せな気持ちに満たされて、沼にハマって、離れられなくなってしまいそう。

って、なんで私は空想のペットを羨んでいるんだ、おかしい、そうじゃない。

私がなりたいのは、ユラのペットじゃない。

「あかねが言ってることって、ずっと俺のところにいてくれる前提の話ってことでいい？」

「……あの部屋が私の家だって言ったのは、ユラでしょう？」

どうしても素直にはなれなくて、恥ずかしくて、一緒に居たいだなんて……言えないけれど。

きっとユラは、わかっているくせに、言葉に出させようとする。

「ねぇゆー、話終わって2人で話したいなら、上の階使ってもいいよ」

「上、の階……？」

上の階、は、なんか、ユラから説明聞いた気がする。

拷問部屋の印象に引っ張られて忘れていたけど。

「……仮眠室、だっけ？」

「仕切りがカーテンしかない仮眠室と、個別に与えられてる寝室もある。地下は警備もしてるから交代制なんだよ。俺の部屋使ってもいいよ」

「部屋って……」

以前、彼は私のいた部屋の元住人で……引っ越したと言っていたけれど。

もしかして引越し先が、この上の階ということ、なんだろうか。

「あ、そうだった。佐渡、家の鍵返して」

「えー。ゆーがサボった時に突撃出来なくなるじゃん」

「あかねがいるんだから開けてもらえば？ほら、鍵。また変なタイミングで来られたら嫌だから」

「ちぇっ」

そう言って取り出された佐渡さんの鍵がユラの手に渡り、それから私の手のひらに落とされる。

…………あれ？

私の、手に、鍵が……来た。

「え？」

「今日からそれ、あかねの鍵だよ」

「…………えっ！？」

ばっとユラを見上げると、とてもいい笑顔のユラが、甘い雰囲気を纏って私に近付いてくるので、すぐに下を向く。

まったく、隙あらばキスしようとしてくる、この男。

だから人前はやめろってあれほど言ってるのに。

「ていうか、鍵って……使う？」

なんだか自分で言っていて、何かおかしいな？と感じる。

鍵は必要なはず、なのに、なんだか使う気になれないというか……。

ユラの家で鍵を使うイメージが出てこないから、なくても不便だと思えないというか……。

「あかね、もう外に出ていいんだよ？」

「え？」

「自由に外を歩いて、買い物して遊んで。たくさん楽しんできたら、それからその鍵を使って俺の元に帰ってきて」

そう、私はこの三ヶ月、外へと出られなかったんだ。

それは、復讐が絡んでいたから、外へ出たらもうあの部屋へは戻って来れないと思っていたから。

けれどもう、そんな毎日は終わった。

「自由、に？」

「そうだよ。仕事したいなら仕事してもいいし、家にいたいならいつまでもいていい。あのマンションがあかねの家だから」

「それって……ユラも一緒じゃダメ？」

「え？」

なにを、口に出しているんだろう。

けれど、外へ出ていいと言われて真っ先に思い付いたのは、私一人が外で遊ぶなんてことじゃなかった。

「ユラも……買い物行ったり遊んだり、お散歩でもいいけど……してくれない、の……？」

密かに憧れていた、『デート』ってやつを。

二人で並んで歩いて、話しながら手を繋いで、空の下を歩くだけであんなにも鼓動が高なったあの感じを、忘れられなくて。

あんなに短い間じゃなくて。

叶うなら、また、今度は二人で。

もっと欲を出すならば、一緒に映画でも水族館でも、テーマパークでも……二人で外での思い出を、つくりたくて。

「あぁ、もう」

ギュッと抱きしめて首に顔を埋める男は、そこで長く大きなため息を吐く。

だからそこで息を吐くなと何度言ったら……。

「佐渡」

「はいはい」

二人にしかわからない会話をするとユラが立ち上がり、私を腕に抱え込んで座ったままの姿勢で持ち上げられる。

なんで私を持ち上げてんだこの男。

なんで私は持ち上げられてんだ、小さい子供じゃないし逃げもしないのに。

個室のドアを開いて出て行く佐渡さんに、それに着いて行くユラ。

座ってこちらに手を振ってくるレインさん。

どういう状況？

「また会いましょう」

「……え、あ、はい」

私は呆然と受け入れることしか出来ず、そのまま廊下を進んでいく私たち三人はまた、注目を浴びていた。