第56話 おっさんのモヤモヤ
青森での映画撮影は笑美ちゃんにとって初めての経験だった。
それは同行する俺も同じ。
何時もとは違う雰囲気に、いつも通りの演技が出来るのか不安を募らせ……4日。
結果で言うなら、順調すぎる程撮影は進んでいる。笑美ちゃんもその他出演者の皆さんもNGがほとんどなく、監督さんは満足そうな表情を浮かべていた。
全てが上手くいっている。そう、撮影だけを見ればそうかもしれない。ただ、俺は……別なことに危機感を抱いている。
「丈助さ~ん。来たよ?」
「笑美ちゃん……」
そう、それは……他ならぬ笑美ちゃんのことだ。
「ふふっ。丈助さん? 今日も私頑張ったよ? だからご褒美くださーい」
正直、最初は少しぐらい話せる時間があっても良いと思っていた。ただ、今思えば最初のその判断が間違っていたのかもしれない。
撮影に関しては何ら問題なく、演技も好評を得ている笑美ちゃん。ただ、あれから毎日……お風呂上がりのタイミングで俺の部屋に来ている。
いや……確かに笑美ちゃんは撮影頑張ってるし、俺も傍に居たいのはやまやまだ。けど、ここはあくまで地方で、ここの別館にはスタッフさんや他の出演者の方も泊ってる。そんな中、毎日決まった時間に来るのは流石にヤバくないか?
俺達の関係がバレる危険性もあるし……流石にキス以上の行為はしてないけど、そういう場面にスタッフやら誰かがここに来ないとも言い切れない。
そのリスクを考えると……ここでちゃんと言わなきゃだよな?
「笑美ちゃん。あのさ? 今は撮影中なんだし、毎日来るのは……」
「えっ? 丈助さんは私が来るの嫌なの?」
「違うって。そりゃ一緒に居たいよ? それに、こういうことを喜んでた自分も悪い。けどさ? ここは地方で、俺達は映画の撮影に来ているんだ。いつもの家じゃない。だからこそ、今だけは……ちゃんと区別をつけなきゃいけないと思うんだ」
「区別って……」
「笑美ちゃんだって分かるだろ? 今の状況は、いつもとは違う。いうなれば、ここ……いや、この部屋にはいつだれが来てもおかしくない状態なんだ。それに今、俺と笑美ちゃんの関係がバレたら……ダメージを受けるのは烏真社長と、映画に携わる全ての人なんだよ」
「あっ……」
「それに、想像はしたくないけど笑美ちゃんがここに来るのを見てる人も居るかもしれない。噂になれば、撮影にも影響が出るかもしれない。だから……」
「そう……だね……ごめんなさい」
その瞬間、笑美ちゃんの表情が暗くなる。
自分でもそんな顔は見たくはない。ただ、この状況を考えれば……仕方がないと痛む心に鞭を打つ。
「俺だっていつもの様にしたい気持ちはある。それだけは分かってくれないか?」
「うん。でもごめんなさい。私、丈助さんとちょっとした旅行に来てるみたいに感じちゃって、浮かれて
た。丈助さんの言葉を聞いてハッとした」
「俺の方こそゴメン。こういう時こそ、マネージャーである俺がちゃんとしなきゃいけないのに」
「うぅん。私、こんなに離れたくないって思ったことなくて……離れるのが寂しいって思ったことなくて……プライベートと仕事を混同しちゃってた。だからごめんなさい」
「笑美ちゃん……」
「じゃあこれからは来ないようにするね? じゃあ……おやすみ……丈助さん」
「おっ、おやすみ……」
★
「はぁ~」
外に広がる綺麗な夜景と、漂う湯気に香り立つ木の匂い。そんな絶好の景観に囲れた露天風呂に入っているというのに、俺は全くと言っていい程気持ち良くなれずにいた。
……あぁ言い過ぎたかなぁ。
頭に過るのは、笑美ちゃんの表情。正直、あそこまで暗い顔は見たことがない。家に居る時とは違う……そのリスクの大きさを素直に話はしたけど、笑美ちゃんだけが悪い訳じゃない。それを許して、ズルズルと今日までそういうことをしていた俺にももちろん問題はある。
「はぁ~」
「おいおい~何ため息ついてんの?」
なんて、後悔にも似た溜息が止まらずにいた時だった。突如として聞こえてきた声に、思わず視線を向ける。するとそこには、湯気をかき分けてこちらに近付く人の影。そして、次第にあらわになるのは……引き締まった体と、見知った顔だった。
「透也さん?」
「よっ! 丈助くん」
宮原透也さん。ここ宮原旅館……今の館主の長男。つまり時期館主になる予定の人だ。そりゃ4日も泊っていると、顔も分かるし話もするけど……透也さんに至っては、それなりに年も近いってのもあるのか妙に気が合う。今では世間話も出来るくらいの関係になっていた。
それにしても、下隠さないんですね? しかもめちゃ立派なんですけど。ったく、そのひげも似合うダンディイケメン顔に引き締まった顔。デカイ息子に話しやすい人柄。追い打ちをかける様に時期館主とか……どんだけ凄いんですか。
「よいしょっと」
そんなダンディイケメンと、隣同士で露天風呂に浸かり……夜景を眺める。俺が女だったらイチコロだろう。まぁ、こんな人だからこそ、若女将のハートもゲット出来たんだろうし、正直話も面白いしネタにも困る気はしないけど……今だけは無理な気がする。
「ん~おいおい、もしかして……」
ん? なんで小声なんですか?
「笑美ちゃんとなあんかあった?」
はっ!? ちょっと待て! いくら何でも俺と笑美ちゃんのことは言わないし言ってないっての。こっ、ここは上手く誤魔化せ。
「えっ? 一体なんの……」
「あぁ、そういうのは良いって。もうバレバレだから」
なっ! バレバレっ!?
「いや、何がバレバレなのか……」
「はぁ~、じゃあもうハッキリと小声で言うけどさ? 丈助と笑美ちゃんって男女の仲だろ?」
その言葉は……胸に響く。少し笑みを浮かべながら俺を見る透也さんを、これほど恐ろしく思ったことはない。一体なんで? もしかして、既に映画関係者の中で俺達の関係を知っている人が居るのか? そんな嫌な予感が頭を過る。
嘘だろ? なんで……
「あぁ、別に誰からか聞いたって訳じゃないよ。俺……てか、俺達は特別なんだ。それに、このことを誰かい言うつもりもないよ。単純に俺は丈助のこと気に入ってるし、変な話だけど弟みたいな感覚なんだ。だから純粋に心配なだけだよ」
はい? 特別? ますます意味が分からないんですけど……
「あの透也さん? 特別って……」
「あぁ、ここってさ? 有名人も来る訳。それも色んな人とさ? ただ、それを公にするのは旅館の信頼に関わるだろ? そういう件については口が堅いんだよ」
「いや、それもですけど……なんで俺達の……」
「あぁ。そりゃ簡単だ。2人を見た時の雰囲気が、完全に男女のそれだったからさ」
なっ! 嘘だろ? 皆の前でそういう素振りは見せたことないぞ!? 気付いてないだけか?
「マジですか……そんな分かります?」
「いや、他の人達は分からないだろうね。ただ、俺……というか、宮原旅館の人達なら分かるかもな」
「どっ、どういうことですか?」
「宮原旅館ってさ? ほとんど家族経営みたいなもんだろ? 俺も妹の千那もさ、小さい頃からこういう雰囲気の中に居た訳」
千那って、女将見習いの子だよな? たしか年の近い笑美ちゃんとめちゃくちゃ仲が良くなってる。
「つまり、小さい頃から色んなお客さんを見てきたし、沢山の人と話もしてきたからさ? いつの間にか……人を観察する習慣ていうのかな? そういうのが身に着いちゃって。その内、旅館に来た人達の関係とかも何となく感じるようになったんだよね」
「ちっ、小さい頃からの賜物ってやつですか?」
「そうかもしんない」
なっ、なにそれ怖いっ!
「じゃっ、じゃあ別にカマを掛けようとした訳でも、その事実を餌に脅そうって訳でも……」
「ないないない。そんなの評判を落とすだけじゃないか。評判ってさ? 一度落ちたら取り戻すのに何十倍も労力と時間も掛かるんだ。それだけ、旅館とかホテルとか……そういう場所にとって個人情報やプライベートの流出は怖いんだよ」
透也さんの話は……経営する側としては、至極真っ当なことだった。それを踏まえると、別に誰から聞いた訳じゃない。誰かに言うつもりもない。ただ純粋に……気になったから聞いただけという透也さんの話も納得は出来る。
しかし、その人を見るだけで関係まで見抜けるものなのか?
「えっと……透也さんの話は分かりました。でも、いまいち人を見ただけで関係が分かるってのが……」
「まぁ分かるというか雰囲気を感じるってだけだよ。あくまで雰囲気だから、全員が全員分かる訳じゃない」
人間観察の強化版って訳か?
「ちなみに、ディレクターの羽田さんと、主演の石黒さんなんかは笑美ちゃんのこと好きだろうな」
「はっ! マジですか!?」
「そういう気配バリバリだぞ? それと、女優の田村さんは監督に好意抱いてる」
なっ! 田村さんが監督に? ……でも待てよ? 確かに田村さんって監督が関わってる作品に結構出てるよな? まさか……
「まぁあくまで雰囲気だから。合ってるかは別だな。ただ丈助……お前らは分かりやすい」
「分かりやすいって……」
「俺達の前ではマネージャーと女優って感じだけど、もうさ? 熱々な雰囲気感じてるわけ。互いに見せる笑顔とかそりゃ男女のそれだって」
「そっ、そんな顔出てました!?」
「だから、たぶん俺達にしか分からないだろうって。ちなみに千那は2人の関係にいち早く気付いてたぞ? あっちにはプラスで女の勘もあるしな」
「うお……なんか見る目が変わりそうです」
「なんでだよ! とにかく、せっかく仲良くなったんだ。そんな人が落ち込んでたら気になるのは当たり前。んで? どうなんだ? 笑美ちゃん絡みか?」
……なんだろう。出会ってたった4日なのに、どうしてここまで分かるんだろう。それにどうしてこの人にはこんなに安心感を覚えるんだろうか。
これが兄さんって雰囲気なのか? それにしても……透也さんや千那ちゃんにまで勘づかれるなんて……こうなったら、透也さんを信じるしかないか。
「実は……そうなんです」
「……そうか。まっ、多くは聞かないよ。なんとなく雰囲気で察せる」
……えっ?
「ふっ、雰囲気って……」
「そうだな……よっし! 丈助、明日の撮影は何時から?」
「10時にここ出発の予定ですけど……」
「なるほど、早起きは得意な方か?」
営業時代の影響で、遅寝早起きはまだ体に染み込んでます。
「そうですね……」
「じゃあ決まりだ! 朝の5時に、風呂来てくれ!」
「はい?」
「見せたいもんがあるんだ。じゃあ……よろしくなぁ」
って! そそくさと行かないでくれます? ねぇ? 透也さ~ん!?
★
そんなこんなで……ただいまの時刻は朝の4時55分。
結局、透也さんの言う通り、風呂場まで来てみたけど……あっ。
「よう、丈助。おはよう!」
「おはようございます。それにしても、見せたい物ってなんですか? それに、時間だけ言ってすぐにお風呂上がっちゃうし……」
「すまんすまん。まぁ良いから、男湯に入れって」
なんて、笑顔で話す透也さん。ただ、その入り口には……
「えっ? でも7時まで清掃中って立て看板が……」
そう、清掃中の看板が立てかけられている。
「大丈夫だって! ほらほら行った!」
「ちょっ! 背中押さないでくださいって!」
頭には至って普通の疑問が浮かび上がったものの……透也さんのプッシュに、俺はあれよあれよとその中に押し込まれた。
「じゃあ、楽しめよ?」
すると、俺を男湯に押し込んだ透也さんは、そんな一言を残して……そそくさとドアを閉めてしまう。
おい~! 随分強引だなぁ。
カチャ
って、え? 今の音なんだ? ドアの方から聞こえたけど……今鍵掛けなかった?
その一連の行動に、全く理解が追い付かない俺。
ただ、そんな俺に追い打ちをかける様に……その声は耳を通った。
「……えっ……丈……助……さん……?」
その、聞き覚えのある声に俺は一瞬にして息を飲んだ。そしてゆっくりと振り返ると、そこには居るはずのない人が立っていた。
えっ……なんで?
「笑……美……ちゃん?」
なんで男湯に笑美ちゃんが居るのっ!?
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