第53話 おっさんとの惚気

 



 サンセットプロダクションに入ってから、仕事が辛いと思ったことはない。

 もちろん慣れないことは苦労したけど、それ以上にやりがいを感じたから。だからこそ、事務所へ向かう足が重くなったこともないし、いつも清々しい気持ちで足を踏み入れていた。


 そんな職場。

 それは今日も変わらない……変わらない……


「お待たせ~って、丈助? 顔気持ち悪っ」


 えっ? 


「ちょっと待っててとは言ったけど……ソファーで、しかも社長室で見せる顔じゃないよ? もう筋肉という筋肉が緩みまくってるって感じ。ねぇ? 彩ちゃん?」

「そうですね。失礼を承知で言うと、某ゲームに出て来るモンスターの様でした。ふふっ」

「いや……すいません」


 清潔感溢れるいつもの社長室で、女性2人に呆れられるおっさん。傍から見れば、状況の判断が付きにくいだろう。

 俺としても、いつもの様にキレキレな反応をしたい所だけど、2人の言葉には心当たりがあり過ぎた。


「はぁ……そんで? 話したい事って? まぁその雰囲気を見る限り、何となく分かるけどさ?」


 そう。俺は今、ある報告をしようと社長室へ来ている。とは言っても、既に気が付かれている気はするけど。


「マジですか?」

「マジです。顔に出過ぎだし」


 その言葉に反論はできない。

 一昨日昨日と、いわゆるイチャイチャ生活を送り気分は最高潮だ。もちろん、今日に至ってもそれは変わらない。

 流石にお互い仕事があるとなれば、そういうモードに切り替わる。起きてからの生活も、ある意味今までと何ら変わらないモノだった……しかし、


『はい、丈助さん? 行ってきますのチューしよ?』


 いつも演技の一環だと自分に言い聞かせた行為の意味合いが変わるだけで……ここまで違うのかと思い知らされた。

 つまり、朝から俺はテンションが高いと自覚している。ここに来てからはなるべくいつも通りにしようと思っていたけれど、ふとした時間でそれが現れたらしい。


 ヤバい。いくらなんでも社長や井上さんの前では……


「すっ、すいません……」

「って、こらぁ! ニヤけながら謝るんじゃないよっ!」

「いやはや……こんな君島さん見た事ありません」


 なんて一連のやり取りをしながら、ソファーに腰掛ける社長と井上さん。

 その瞬間、さっきまでの楽観的な気持ちは少し薄れ……俺は真っすぐに社長を見つめた。営業時代に常に考えて来たからだろうか、どうも対面で話すと気が引き締まる。ただ、そんな一種の仕事病が……今は役に立った。


 ……何浮かれてるんだ俺。ちゃんと社長に言う為に来たんだろ? そこはちゃんとするべきだ。


「えっと社長、井上さん。時間作ってもらってすいません。ちょっとご報告があって来ました」

「って、急に真顔になるんじゃないよ! こっちがビビるっての。はいはい……なんでしょう?」

「その……相島笑美さんと、お付き合いする事になりました」


 いくら社長が背中を押してくれたとはいえ、報告はしないといけない。もしかしたら、あれは冗談で、マネージャーと女優が付き合うなんてあり得ないんなんて、怒鳴ら……


「ようやくかよぉ。おめでとう」


 えっ?


「これで1つ肩の荷が下りるよ」


 ん? 想像以上に軽くないですか?


「なぁ彩ちゃん?」

「そうですねぇ。やっとジレジレ状態から脱出できます」


 ……マジか。てか、第三者から見たらそんな分かりやすかったのか? 他の社員の皆さんにもそう見られていたと思うと結構恥ずかしくなってきた。


「ジレジレって……」

「だって、最初話聞いた時どんな奇跡だよって思いましたよ? しかも出会いから今に至るまでの状況なんてホントドラマじゃないですかぁ。そんな状況を間近で見てたら、そう思っても仕方ないですよ?」

「彩ちゃんの言う通りだな」


 珍しく感情を露わにする井上さん。普段の様子とは違うその表情と、女子高生の様な目の輝き。井上さんの意外な一面が垣間見える。

 ただ、2人の反応的にそういう関係になったのことについては、歓迎ムードが漂っている。それは素直に嬉しかった。けど……


「すいません。本気だったので慎重になってしまいました。それに、こういう関係になったからには気を付けなきゃいけないことも多々あると自覚してます」


 高揚しっぱなしという訳にも行かない。今をときめく女優とマネージャーが付き合ってるなんて、マスコミにバレたらヤバい。今人気を博してる笑美ちゃんだからこそ……そこだけは注意が必要だった。


「気を付けるねぇ。まぁ、その顔じゃ全部覚悟の上でしょ? 丈助」

「考え得ることは全部……」

「まぁ、丈助なら一般的な常識も分かってると思うし、この件に関して社長として一言言うなら……笑美を幸せにしろってことかな?」


 幸せ……か。


「了解です。今の状況で、不用意に自分達の関係が知られないようにします。それと……責任が持てない行為も心配しないで下さい。ちゃんと避妊……」

「ちょっ、君島さんっ! 凄い立派な事言ってますけど、そこまでナチュラルに言わないで下さいよ!」


 えっ? いや、そこも大事なことでは……


「ははっ。まぁまぁ結構大事なことよ? 彩ちゃん。まぁ今の丈助なら安心だ。丈助に関してはね……」


 ……ん? 少し表情が変わった?


「じゃあ、これからは今まで以上に公私共々笑美を頼むよ? 丈助!」


 いや気のせいか? とにかく、社長の言う通りだ。今の段階で、必要なのは笑美ちゃんの飛躍。俺は影で支えつつ……今は静かに2人で関係を深め合うべきだ。


「了解です」

「はぁ……なんか惚気聞いてたら羨ましいです」

「まぁまぁ、彩ちゃんもアプローチ受けてるじゃない?」


 井上さんがアプローチ? 初耳だな。


「社長! 思い出させないで下さい!」

「えっと、アプローチとは……?」

「いやね? あのPAI事務所での話し合いの後から……彩ちゃんに熱烈なアプローチをしてる子が居てね?」


「うぅ……」

「えっ? そうなんですか? いったい誰なんです?」

「ふっふっふ。あの軽部黎だ」

「軽部黎!?」


 はい? あの軽部黎だよな? 笑美ちゃんに好きだと言い放ったやつがなぜ? もはや見切りつけたってのか! いや、俺としては有り難いけど……その素早い見切りはちょっと腹が立つ。


「えぇ!? あの野郎……」

「いやでもね? その理由が何と言うか……」

「はぁ……本当に嫌なんですぅ」


「理由ですか?」

「そうそう。あの時、男らしくないって彩ちゃんに怒られたじゃない?」


 ……あぁ、そういえば。


『さっきから聞いてれば、未練がましくウジウジウジウジ。話聞きました? 小さい頃から憧れていた人と偶然再会して、一緒に働いてマネージャーをしてもらってる。運命じゃなくて何だっていうんですか? そんな2人の間を邪魔するなんて、男じゃないですっ!』


 なんて言われてたな?


「そんなこと言われてましたね?」

「その時、ビシッと言ってくれた彩ちゃんにビビっと来たんだって。良い意味、初めて怒られて……それを指摘してくれた彩ちゃんが素敵な大人の女性に思えたんだとか何とか」

「いや、あれから連絡攻撃凄いんですよ? ご飯行こうとか……こっちの身にもなって下さい」


 まじか? あの指摘が、別の意味で心に刺さったって訳か。いや、あいつの惚れポイントが未だに分からないな。まぁ怒られて好きになるってのは、憎めない所ではある。


「えっと……頑張って?」

「あぁ~! 君島さん幸せだから適当なこと言ってますね?」


「ちょっ、違うって!」

「ははっ。丈助……まだまだ女の気持ちが分かってないなぁ?」

「もう……まぁこれはあくまでコッチの問題ですしね。何とかします。その代わり、君島さんは笑美ちゃんをちゃんと幸せにして下さいね?」


「はっ、はい」

「はははっ」

「社長! いつまで笑ってるんですかぁ? 次の仕事の打ち合わせ準備しますよ?」


「めんごめんご。準備するよぉ~」

「頼みますよ? あっ、君島さん? 笑美ちゃんが主演予定の映画のスケジュール案届いてました。これです」

「おっ、ありがとう」


 そう言われ、俺は手渡された紙を受け取った。そこには笑美ちゃんが主演予定の……そう、ホラー映画のスケジュール案が書かれている。


 なになに? やっぱ、地方での撮影もあるな? そうなると泊まりか……時期的に大学は始まってるし、そこの調整もして行かなきゃだな? 大学側にも挨拶行かないと。ちなみに、撮影場所は……っ!!


 案ということで、かなり大雑把に書かれたスケジュール。それを見ながら、やるべきことを頭に入れていく俺。そんな時目に入ったのは……地方での撮影。そしてその場所だった。


 その名前が目に入った瞬間、これも何かの運命かと感じる。

 そしてもう1つ……笑美ちゃんはここへ足を伸ばせるのかという不安が浮かんだ。


「地方の撮影場所……青森県……か」

「ん? どうかしました? 君島さん?」

「いや? なんでもないよ?」


 まさか俺と笑美ちゃんの……地元だとはね……



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