第43話 井上さんの独壇場

 



 もっとも会いたくない奴ら登場に、一瞬にして嫌悪感が湧き上がる。

 その存在も、その話し方にすら拒否反応が現れ……心地良かった心が冷め切る。


 最悪だな。しかし、前に会った時に事実とはいえ結構キツめな対応したつもりだけど……にも関わらず、声を掛けて来るとはメンタルだけはバケモノか? ……いや? 


 その瞬間、ふと井上さんと目が合った。

 俺一人ならこいつらの戯言にも耐えられるし、カウンターをぶち込む事だって出来る。井上さんだって、こいつらの悪しき噂は聞いてるし、何とでも対処出来るはず。

 ただ、今この状況……居るのは俺と井上さんだけじゃない。彩夏ちゃんに雛森、そして笑美ちゃん。矛先がこの3人に向けられたら、決して良い気持ちはしない。それに危険度で行けば笑美ちゃんが相島笑美だとバレる事が1番だ。そして2人にも被害が向かないようにする……それらを最優先しないとな。偶然にも俺と井上さんが通路側に座っている事が唯一の幸いか。


 恐らく井上さんも同じことを思っているんだろう。そうでもないと同じタイミングで視線が合うなんて考えられなかった。すると井上さんは察したようにゆっくりと頷く。


 ……だな井上さん。はぁ、やっぱ個室の居酒屋にするべきだったか? 井上さんもこの場所を提案した時に心配してたし、俺も気になってた。


『変装してれば大丈夫でしょ~? それにあのワイワイしてる雰囲気好きなんですよぉ』


 なんて笑美ちゃんの言葉で、決定してしまったのがまずかった。今話題の女優だって事を俺自身が軽視していたのかもしれない。反省しか浮かばないよ。


「おいおい。無視は止めてくれよ? 元同僚だろ?」

「そうそう。なになに? 井上さん~こんな負け犬と一緒に居るとか、もしかしてそんな関係? ヤバぁ」


 とはいえ、それは後で良い。まずは笑美ちゃんに意識が向かないようにして、彩夏ちゃんと雛森に被害がいかない様にするだけだ。


「あら。黒滑さん、美浜さんお久しぶりです」

「相変わらず美人だね、彩華ちゃん。でも、いきなり会社辞めるって聞いた時はビックリしたよ」


「そうですか。それはそれは」

「んで? さっきサンセットプロダクションって聞こえたけど……なに? 彩華ちゃんあの事務所に入ったの?」

「いやいや、いくらなんでも自信過剰じゃない? ちょっと美人だからって……」


「はぁ。何を勘違いしてるか分かりませんが、私は事務職として採用されただけです」

「へぇ~? そんでなに? そんなサンセットプロダクションに入った彩華ちゃんと一緒に、なんでこいつが? おいおい、まさか君島~お前もか? ったく、今話題の事務所だかなんだか知らないけど、こんな脳なし採用してる時点でたかが知れてるな」


 ……いくらバカでも流石にこの雰囲気と、さっきの彩夏ちゃんの言葉で状況は理解出来るか。まぁだからと言って、それでマウントを取る必要はない。淡々と粛々に追い詰めて……お帰りいただこう。ただ、これ以上サンセットプロダクションを侮辱するなよ。


「そんな会社に居る人達と飲み会って……受付でチヤホヤされてた方が良かったんじゃないですかぁ? 井上さん」

「ちょっと……」


 そんな奴らの口撃の前に、思わず笑美ちゃんが声を出そうとした時だった。俺がすかさず割って入ろうとするより早く……


「あの黒滑さんと美浜さん?」


 声を上げたのは井上さんだった。


「私は別に会社が嫌になって止めた訳じゃないですよ? 君島さんに声を掛けて貰って、もっと自分自身が成長できると思ったからこそサンセットプロダクションに入ったんです」

「やっぱ君島ぁ。お前が引き抜いたんじゃねぇか。ったく道連れにするとかヤバいな? ははっ」

「本当、往生際が悪いねぇ」


「入る事を決めたのは自分の意志なので、君島さんは関係ないです。それより、黒滑さん?」

「なんだ?」


「部長からの叱責は無くなりましたか? 私が居た頃は毎日怒鳴られて居た様ですけど? あっ、失礼。正確には君島さんが辞めてからでしたね?」

「はっ、はぁ? なにふざけた事……」


「そうそう美浜さん?」

「なっ、なによ!」


「事務のミスは減りましたか? 受付嬢の間でも噂になってましたよ? ミスが多くて嫌になる……なんて事を、総務課の人達がボヤいているって。それが原因か分かりませんけど、係長さん休職してましたよね? 噂だと数名の男子職員が体調不良だとか……まさかミスを庇ってもらってた訳じゃないですよね?」

「なっ! 何言ってんのよ! そんな事ある訳無いじゃない!」

「あの~声が大きいです。静かにしてもらって良いですか?」


 うおっ。井上さん……キレッキレじゃないか。アルコールのせいか、聞いた事のないくらい棘がある言い方だぞ?


「なっ、大体な? この負け犬は最低なんだぞ? 自分のせいで会社クビになって、蘭子が妊娠したってわかると着信拒否する奴だ。彩華ちゃんだって騙されてるんだぞ?」

「ホント。最低よね……そんな時親身になってくれたのが颯さんなの……」


 ……あぁなるほど? 俺とこいつが別れたとはハッキリと井上さんに言ってない。それに嘘だとしても、そう言う出来事を話して俺に対する疑念を抱かせる。そうすれば、この場に居る4人は俺に警戒心を持って、今までのように楽しく居られないってか? 結局、ターゲットは俺って事ね。


「クビになって、親身に……その割には、君島さんが辞めた翌日から仲良く出社してたようですが? まるで前からそんな関係だったような雰囲気でしたけど?」

「なっ! そんなのただの噂だろ?」

「そうよ! そうよ!」


「そうですか……ちなみに妊娠何ヶ月なんですか?」

「今……3ヶ月よ」


「なるほど? それで産むおつもりですか?」

「そっ、そんな訳無いじゃない!」


「だったらなぜ、その為の行為をなさってないのですか?」

「それはこいつがお金を……」


 ……一応、俺と前に話した時からちゃんと計算して話はしてるな? けど、やっぱ子どもをダシに使うのはムカついて仕方がない。仮にも1度、子どもの為の職に就いた男だぞ?


「はぁ。そうですねぇ、前に偶然会った時その話しましたね? けど、その時俺はハッキリ言ったじゃないですか。DNA鑑定して、一致してたらしかるべき事をしますと」

「そっ、そんなの聞いてない」

「何嘘言ってんだ君島!」


「あら? じゃあ今決めちゃいましょう? 当事者他、ここには5人もの証人が居ますし。どうですか? 美浜さん?」

「そっ、そんなの……」


「なぜそこで言葉に詰まるのか理解できません。ねぇ? 黒滑さん?」

「なっ、そそっそんな事しなくても、こいつの子どもだって分かるだろっ!」


 はぁ……この話題を話すなら、前に俺に言ってた事も踏まえて打ち合わせしとけよ……


「あの……ちょっと意味が分かりませんね? 妊娠している事が事実で、それが君島さんの子どもだというなら検査くらい快く受けますよね? でも受けない。でも君島さんの子どもだ。それって、遠まわしに嘘だって言ってる様なモノじゃないですか?」

「なっ、なによあんた! 黙って聞いてれば……」


「だから静かにして下さい? ほら、近くのお客さんがチラチラ見てますよ?」

「ぐっ……」

「それで? あと何か?」


 まさに井上さんの独壇場。1人で2人を圧倒する光景は、その言葉が一番よく似合っていた。

 井上さん……凄いな。


「ちっ……」

「ぐぬぬ」


 これで奴らも観念……


「あっ! もしかして男性の方って、君島さんから何件か成績を貰っておきながら、打ち合わせを口実に騙してクビ追い込んだ、腹黒先輩さんですか?」


 なんて少し安心して居た時だった……まさかのまさか、隣の笑美ちゃんが予想外な言葉を口にした。その行動とその言葉に、全員の視線が自然と集まる。

 おっ、おい? 笑美ちゃん!?


「なっ、なんだと?」

「あとそっちの女の人は、料理も出来ずに部屋に転がり込んでおきながら、3年間も浮気して君島さんをクビにする為に手を貸した最低女さんじゃないですか?」

「はっ、はぁ?」


 ちょっ! ダメだって、折角笑美ちゃんに意識が向かない様にしてたのに……


「あっ、あぁ!」


 って!! 今度は彩夏ちゃん!?


「思い出しました! 男の人、鳳瞭駅前のファミレスに平日なのになぜかしょっちゅう来て、店員に横暴な態度を取ってるモンスタークレーマーさんじゃないですか!?」

「ぐおっ!」


 ん? 平日? モンスターって、あの日だけじゃなかったのか?


「そっちの女の人も、どこかの会社の制服でモンスタークレーマーさんと平日によく来てた、モンスタークレーマーその2さんじゃないですか!?」

「はっはぁ?」


 お前もかよっ! てか、その言葉からすると完全にサボりじゃねぇか。


「あら? 2人共、仲良く外に出る機会が多いとは思ってましたけど……もしかして?」

「なっ、ふざけんな! 行くぞ蘭子」

「そうよっ! 行きましょ颯さん!」


 ……しかもその反応……マジだったのかよ。


「いいか? 絶対許さねぇからな? 彩華……君島ぁ……サンセットプロダクション」

「この負け犬っ!」


 なんて捨て台詞を吐きながら、颯爽と居なくなった奴ら。

 なんとか最悪な事態は免れ、俺と井上さんは安心して居た。まぁ、横の大学生コンビはめちゃくちゃテンション上がってて、雛森はポカンとしてたけど……俺と井上さんが店員さんに騒ぎを謝罪し、雛森に説明した後は……楽しい飲み会が再開された。


 ふぅ、とりあえず一安心かな? ただ、なんだろう? 楽しいのに、心のどこかで感じる……


 この嫌な予感は。



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