第37話 おっさんと非対称な2人
あの偶然が偶然を生んだ日から、数日が経った。
互いが不思議な縁で繋がった関係そのままに、井上さんは社長と初対面。まぁその場にはなぜか笑美ちゃんと彩夏ちゃん。ついでに俺も居た訳だけど……正直本題については一瞬だった。俺が井上さんを紹介し、井上さんは自己紹介。その後社長が事務所の説明をし……
『よっし! 彩華ちゃん、君は私の秘書だ』
なんともすんなり採用……いや、仮採用が決定してしまった。流石に井上さんも驚いてたな……でも俺自身、井上さんレベルの人がホーリョーで受付嬢をしてるのは勿体ないと思ってた。それプラス、
『いやぁ私の直感なんだけど、彩華ちゃんは秘書似合うと思うよ? 私のスケジュール任せれる気がする』
そんな一言に、堕ちない人はないだろう。
『よっ、よろしくお願いします!』
見事、承諾を得るに至った訳だ。それに……まさか妹の彩夏ちゃんまでバイトとして採用するとはな。
井上さんの話が終わった後、話題は彩夏ちゃんに。笑美ちゃんの後輩って事もあって、社長が興味を抱かない訳が無い。デザイン学科らしく、絵を描くのが好き。しかもバイトを辞めたばかりという話を聞いた途端……
『あっ! じゃあ紋別さんのアシスタントとかどうかな?』
なんてトンデモ発言が飛び出した。しかもやはり社長、そこからが早かった。彩夏ちゃんを連れて紋別さんの所へ。いや、紋別さんも彩夏ちゃんもめちゃくちゃ驚いてあたふたしてたよ。ぎこちなく自己紹介をして、社長が紋別さんへ説明。
彩夏ちゃんも紋別さんのデザインしたキャラは大好きらしく、それが緊張とぎこちなさの正体だった。
まぁ自分の作品を好きだと言ってくれる人が居るとなると嬉しいはず。次第に紋別さんの表情が明るくなって……なぜかデザイン談義で盛り上がるまでに。
まさに適材適所と言ったところだろうか。偶然かどうかは分からないけど、それを見つける社長の見る目はやはり恐ろしい。
とまぁそんなこんなで、彩夏ちゃんはバイトとして採用。井上さんも社長並みの行動力で、翌日には退職願を提出し2週間後……いや今日からだと数日後には正式にホーリョーを去る事が決まっている。
まぁ嬉しい事には違いはないけど、その前に……井上さんもサンセットプロダクションか。あと彩夏ちゃんも。2人共、存分に活躍してくれる気しかしないよ。俺も負けないようにしないとな
なんて、改めて感じつつ……すっかり暑さが増す中、俺はお世話になっている出版社への挨拶を終えて帰路についていた。
さて、事務所帰ってまとめて……夜から笑美ちゃんの撮影に同行だな。なんか営業やってた時みたいに動いてるけど、不思議とキツくないんだよな。まじで遣り甲斐を感じる。
「っと、イカンイカン。考えに耽ってないでさっさと……」
「じょ、きっ君島くん?」
なんて気合を入れ直そうとした時だった。不意に後ろから聞こえた自分の名前。思わず反射的に振り向くと、そこには……知らない女性が立っていた。
……ん? 誰だ?
1度会った事がある人なら、大体分かるはず。ただこんな容姿の人、何処かで会ったか? 全然記憶にないんだけど。
「あっ、やっぱり。その……久しぶり」
えっ? 初対面のはずなのに、この声は聞いた事あるぞ? いや……まさか?
「久しぶりって……もしかして雛森……か?」
「うっ、うん」
正直、半信半疑だった。
髪はばっさりと短く、肩までの長さに。そして緩めのパーマがかかっている。
コンタクトレンズにしたのだろうか、目印とも言える黒ぶち眼鏡が無くなっている。
服装も、黒系統のモノばかりだったのに、白と青。ピンクを取り入れた爽やかな服装。
その変わり様は、声を掛けられなかったら雛森だとは分からない程だった。
「随分と……変わったな?」
「へっ、変かな?」
「いや。全然。全部似合ってるよ?」
「ほっ、本当? 良かった。でも……こういう自分になれたのは君島くんと島さんのおかげだよ?」
俺と笑美ちゃん? むしろ大部分は笑美ちゃんのおかげだったけどな。もしかしてファミレスで別れた後、帰り際の言葉通り色々と頑張ったのか?
「俺と島さん?」
「うん。あれからね、家に帰って自分の言いたい事全部言ったんだ。もちろん殴られちゃったり、大きな声出されたよ。怖かったけど……今の自分じゃダメだって思って、そのまま家出しちゃった」
殴るって、やっぱそういう行為も厭わない親だったのか。
「お見合いなんて嫌だ! って言った時の父さんの顔は面白かったけどね? それに1人の夜は本当楽しくて、ホテルの部屋でいっぱい考えたんだ。変わるなら今だって。そこからは今までの自分は何だったんだってくらい行動が出来た。すぐにアパートを契約して、一人暮らしを始めて……めちゃくちゃ楽しくてね?」
「マジかよ。驚くほどの行動力だな」
「自分でも驚いたよ。でも仕事に行くとお父さんも居る訳で……そこで一大決心したんだ」
「一大決心?」
「会社を辞めて、違う所に入ろう。お父さんの全てから抜け出して、自分の力で自分の意思で働こうって。そして退職願出して……ここに拾って貰ったんだ」
「ここ?」
そういうと、雛森はあるビルを見上げる。その視線の先には、俺がついさっき挨拶に言った出版社のビルがあった。
「もしかして、
「うん。そりゃ全国的な知名度は、前の会社の方があるけど……青空出版の本はどれも素晴らしくて、取材記事にも温かさを感じてたんだ。だから思い切って電話して、直談判して、会ってもらって……拾ってもらえたの」
そう話しながら、笑顔を見せる雛森。それは誰が見ても分かるほど、嬉しさと充実感に溢れたものだった。
そして、一歩踏み出して変われた雛森を前に……何も出来なかった自分への後悔と、笑美ちゃんのおかげで自分の人生を歩き出せた雛森に嬉しさを感じる。
まさか……ここまで変われるとはな。キッカケは笑美ちゃんだったのかもしれないけど、その先で行動したのは紛れもなく雛森だ。純粋にすごいよ。
「そっか。その顔で、めちゃくちゃ充実してるのが分かる」
「ふふっ」
「俺も青空出版さんにはお世話になってる。今後も変わらぬご愛顧を。あと、もしかすると同じ仕事で顔合わせる事があるかもしれない。その時はよろしくお願いします」
「弊社もサンセットプロダクションさんには大変お世話になっております。仕事で一緒になったら、そりゃもう頑張らせていただきます」
「頼もしい限りだ」
「そう? 嬉しいな。じゃあ、そろそろ行くね?」
「おう。俺も事務所戻るわ」
「あっ、今度ちゃんとお礼させてね? 絶対島さんも一緒ね? 直接会って話したいから」
島さん……笑美ちゃんはいつまでキャラを通すつもりなんだろうか。まぁ、それは抜きにして……自分から誘えるようになったのは、やっぱり凄いな。
「了解、伝えとく。それじゃまた」
「うん。またね?」
そう言うと、俺達は互いに進むべき方向へ体を向ける。そしてゆっくりと歩き出した。
恐らくもう、雛森は大丈夫だ。そしてそうさせたのは笑美ちゃん。
やっぱ救われてばっかだな……だったら、俺は全力でサポートするだけだ。
「よっし、頑張ろう」
「何を頑張るの~丈助?」
それは唐突だった。
せっかくの清々しい気持ちと、やる気に満ち溢れた気持ち。その両方を噛み締め、たった数秒も経たずに纏わりつくモヤ。
その声がもたらす嫌悪感はすさまじく、未だ自分の奥底で根付いていたのだと憤りを感じる。
優しい表情はどこかに消え、自然と表情は強張る。
そんな眼つきのまま、俺はゆっくりと……横へと視線を向けた。
するとどうだろう、そこに奴は居た。見た目はさほど変わりはない。変わらないからこそ、自分が抱く感情も変わらない。
なんでここに居る。美浜蘭子。
「あれ? 久しぶりなのに挨拶もなし? それはちょっとショックー」
「あぁ、久しぶりだな美浜さん」
「そうねぇ。着信も拒否しちゃって、でもまさか偶然会えるとはねぇ」
服装は私服。って事は休みか? 有名ブランドの紙袋を持ってるって事は買い物中……偶然にしては運が悪すぎる。
「まぁ赤の他人なんで」
「いやいやそれはないわ~。それに本当に部屋解約しちゃって、あり得ないんですけど? マジ大変だったんですけど~」
「事前に話しましたよね? それに、豪華タワマンに行けばいいのでは?」
「はぁ? いやいやちょっと聞いてよ~アレ嘘だったんだよ? 実際はフツーのワンルームでさぁ。マジ騙されたわ。蘭子に相応しい男にならないとって思って見栄張っちゃって……なんてバカは事言いだしてさ? まぁ住むトコないし、全然気にしないよぉ? なんて、しおらしくしといたけどさっ!」
……やっぱりな。
「そうですか」
「マジあり得ないっての。仕事でも部長に怒鳴られてるし、タワマンと出世街道無くなったらあいつに何残るんだって話」
それもやっぱりか。
「それにあそこ小さいし、今まで演技してたのバカらしいんだよねぇ。その癖やたら求めてくるし……まっ、部屋に潜り込んでる以上ヤラせるんだけどさ? マジ欲求不満ー」
「そうですか。じゃあ俺はこれで」
「ちょいちょい! 下の話してる流れでさ? 実はあたし……丈助の子ども妊娠してるだよね」
「ん?」
「だから妊娠。でも、一応颯さんと付き合ってるから堕ろしたいんだ。だから費用ちょうだい?」
その言葉とその醜い顔。
不思議とさっき会った雛森と比較してしまう。
片や自分を変える為に変わった。片や、何も変わらず腐りきったまま。
その対比がより一層腹立たしさを増長させる。
てめぇ……
「じゃあDNA鑑定をして正式に私が父親だと判明したら出しましょう」
「はっ、はぁ? そんな事しなくたって、あんたとの……」
「ちなみに妊娠何カ月です?」
「えっ? そっ、そりゃ1ヶ月……」
「おかしいですね。あなたとお別れしてからもう3ヶ月は経ってます。それに1ヶ月だとしたら、詳細に何週目と病院の先生も教えるのでは?」
またもや営業時代の知識が役立つとは。マタニティグッズを扱ってる企業さんにも営業行ってたんだよな。社員の方も担当の方も女性だったから、もしもの可能性を考えてそう言うのも勉強してたんだよね。
「担当の先生はハッキリ1ヶ月って言ってましたぁ! そっ、それに時期なんてちょっとズレただけだし! 」
「そもそもそうなる1年間は、そう言う事をしてませんが?」
「ぐっ……よよっ、酔っぱらってヤラレたんだよ! その時に出来たんだ!」
「だったら尚更合いませんね?」
「なっ……こっ、この辺で働いてるんなら有名企業なんじゃないの~? 別に安いもんでしょ?」」
……ネームプレート鞄に入れてて良かった。下手に付けててサンセットプロダクションの名前が見られたら、俺はともかく事務所に迷惑が掛かる所だったかもしれない。
それに……もう十分だ。
こんな女と付き合っている時間がもったいない。
「そもそもあなたに渡す義理もありませんし、素直に黒滑さんに妊娠の報告された方が良いですよ? まぁ第一声が何かは分かりませんけど? それでは」
「てっ、てめぇ!」
妊娠が本当かは分からないけど、それをダシにして中絶費用をせしめるとは最悪だ。にも関わらずブランド物を買い漁る……良い意味変わってなくて怒りの矛先が変わらないのは良いのか?
ただ、これで顕著に雛森の凄さが際立つ。
「今に見てろ! ぜってぇ後悔させてやるからなっ! 今に見てろっ!」
何やら良く分からない事を喚き散らかす美浜を背に、俺はひたすら歩き続けた。
じゃあな。美浜蘭子。
俺には一緒に歩いてくれる人達が……沢山居る。
そして、隣には俺を頼ってくれて、だからこそ全力でサポートしたい人が居る。
目の前だけを見ているんだ。だからもう振り返る必要はない。
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