第34話 女子大生の気持ち

 



 どんなにどんくさい奴でも、2度の同じ言葉を聞き間違えるなんて事はない。

 目の前に居る笑美ちゃんの口から放たれた言葉。正直信じられないし、意味も分からない。


 ただ、そんな俺の考えはこの際どうでもいいのかもしれない。

 事実として、笑美ちゃんは確かに口にした。恥ずかしがりながら……2度も。


 俺と視線が合った瞬間、すぐさま目を逸らした笑美ちゃん。今までそんな姿を見せた事なんて滅多にない。それだけ言葉に出すのも必死だったはずだ。


 けど……


「キス……?」


 いきなりそう言われると、反応に困るんですけど!?


 コクリ


 顔を伏せながらも、ゆっくりと頷く笑美ちゃん。

 やはり世間一般的なキスの事で間違いはないようだ。いや、だからといってハイOKとはいかないだろう。そもそも、ハッキリとした疑問点がいくつかある。


 まずなぜ今?

 そして、お願いする相手を間違っていないか。

 笑美ちゃんにとってのファーストキスだぞ?

 どうせなら人気アイドルの軽部黎の方がいいのでは?


 女の子の必死のお願いに、ああだこうだと質問をするなんて空気の読めないやつだと思われるかもしれない。ただ、どうしても確認しておきたいところだった。

 何を思っているかは分からないけど……一時の感情に任せて、後で後悔はさせたくないんだ。


「えっと、笑美ちゃん。それは俺とって事?」

「……うん」


「笑美ちゃんはキスした事無いんだよな? それでいて、さっきの言葉。意味分かってて言ってる……んだよな?」

「もっ、もちろん」


 マジかよ。けど、何で今? 撮影始まる前だってのに……って、もしかして前に社長と俺が居た時も思う所があったんじゃないか? けど、俺達の事を考えて自分のお気持ちを隠してドラマの出演を承諾したんじゃっ!


「なぁ笑美ちゃん。やっぱりドラマ出るの嫌だったんじゃないか? だから、撮影が始まりそうな今、こんな変な事、思わず言葉に出たんじゃ……」

「ちっ、違うよ! 私は純粋に嬉しかったし、自分の意思で出演を承諾したのっ!」


「だったら……」

「えっと、その……そう! これは練習です!」


 ……えっ?


「練習?」

「そうです! 君島さんもご存知の通り、私キスとかした事無いんですよ。でもラストにはそういうシーンがあるじゃないですか? 最初はノリで行けるかなぁなんて思ってたんですけど、ある日突然ふと思ったんです。キスってどうするの? って!」


「えっと、嬉しさのテンションでOKしたものの……撮影が始まる寸前の今、冷静になると一抹の不安が過ったと?」

「その通りです! かといって、社長に頼む訳にはいかないじゃないですか? それに本番は男性だし……でもいくら私でも知らない人としたくはないんですよ? なんて四苦八苦してる時、そこに居たのが君島さんなのですよっ!」


 そう言いながらなぜかドヤ顔を披露する笑美ちゃん。

 確かにその話を聞く限り……色々と合点がいく。ファーストキスうんぬんというより、いざいきなりそういうシーンになった時、経験が無いゆえに何かしらが起こってしまうかもしれないという心配。その為には事前に練習し、雰囲気を掴む事が大事。そしてその恰好の練習相手が俺と言う訳か。


「おっ、俺?」

「はいっ! 見知った仲で一緒に住んでますし、なんたってマネージャーさんじゃないですか? 担当の子の演技練習に付き合うのは当然の責務だと思います」


 はっ!

 笑美ちゃんの口から出た当然の責務という言葉。それが耳に届いた瞬間、心がなぜか熱くなる。それと同時に、自分が何処かで抱いていた感情が情けなく思えて仕方がない。


 何やってんだよ俺。初めてのドラマでヒロイン役。キャストも有名どころで、しかも最後はキスシーン。俺はいつもの笑美ちゃんの明るさと強さを知っているから、あの凛々しい発言で安心しきっていた。でも、初めて尽くしで不安にならない人は居ない。

 笑美ちゃんは不安を感じていた。でも優しいからそれを隠していたんだ。そんな笑美ちゃんが、勇気を出して言ってくれた不安。そしてそれを無くす為の練習相手に選んでくれたのが俺なんだ。

 信頼してくれてる証拠じゃないか。その信頼に応えないで……何がマネージャーだ。


 その瞬間……俺の心は決まった。


「分かった。俺で良いなら、いつでも練習相手になる。そしてそのタイミングが……今なんだよね?」

「うん……」


 その返事を聞き届けると、俺はソファーから立ち上がり、ゆっくりと笑美ちゃんの前へと歩みを進める。

 ここまで近付いたのは……あの日、俺が過去の話をして時以来だ。お風呂上がりの良い香りがこれでもかと俺を包み込む。


「じゃあ、ラストのシーンをイメージした方が良いよな。台本を見る限り、アニメでの情景に似ていたかから……そんな雰囲気で間違いないと思う」

「わっ、分かった」


 その言葉を最後に、沈黙が流れる部屋の中。

 どちらとも分からない鼓動の音だけが……徐々に大きく波打っていた。


 練習とはいえ、その場のイメージは大事。つまり俺は、今の俺は……主人公のあおい日向ひなただっ!


「じゃあ行くよ?」

「はっ、はい」


「愛してる……笑美……」

「えっ……」



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