第30話 君島さんと君島くん

 



 同僚?

 確かに、横に立つ女の人はそう言い放った。普通ならこんな突然の登場されたら戸惑うところだろう。ただ、俺は……別の意味で驚きを隠せない。


 ……えっ、何してるの? 笑美ちゃん!


 帽子を被り、サングラス。しかも髪を上げている……とはいえ、その声は聞き間違える訳がない。更に言うならその格好自体、外行きの姿として結構目にした事がある。


 なぜここに?

 なぜ同僚?


 そんな疑問が駆け巡る俺の心境を知ってか知らずか、


「じゃあ隣失礼するね。君島さん?」


 笑美ちゃんは堂々と俺の隣に座り込んだ。

 いやいや、なんで? てか、もしかして話全部聞いてた?


 突拍子もない行動に、ますます理解が追い付かず……俺は笑美ちゃんの顔を見ていた。すると、その気配に気付いたのか、笑美ちゃんがこちらに顔を向け視線が合う。そして少し笑みを浮かべると……


「乱入しちゃってすいません~」


 真っすぐに雛森へと話し掛けた。


「なっ、なんなんですか? 丈助君の同僚って……」

「そのまんまです。えっと……しまといいます」


 しっ、島? 


「そっ、その島さんが何の用ですか。いきなり入って来て、今大事な……」

「知ってます。けど、あなたがあんまりなんで……割って入らせてもらいました」


 ……笑美ちゃん、やっぱ話全部聞いてたんじゃ? って事は、俺達が来る前からここ居たのか。それにしても、どうするつもりなんだ。雛森の件については、名前を言ってないにしろ笑美ちゃんも知ってる。いきなり臨戦態勢なんて事はないと思うけど……


「わっ、私が? ふざけないでください。今会ったばかりのあなたに何が分かるって言うんですか!」

「分かりますよ」


「えっ?」

「今さっき話を聞いてても分かります。それは……あなたのご両親がしてる事は、立派なモラルハラスメントですよ」


 その言葉は俺が見てきた事、雛森が話した事を考えると……かなり高い確率で当てはまっている事実だった。

 あの時、俺は彼女が大事だった。俺のせいで両親との仲が悪くなるのを恐れてた。だから面と向かって言う事が出来なかった言葉。それを平然と、雛森に向けて話す笑美ちゃん。その眼差しは厳しくもあり……どこか優しくも感じる。


「なっ、何を……何を根拠に……」

「あなたも分かってるはずですよ? でも口にするのが怖いだけ。ですよね? だからさっき君島さんに……息を荒げて辛そうにしながらやっと話した」


「でっ、でもお父さん達がモラハラなんて、全部私の事を思ってじゃないの? 知らないくせに……」

「だから知ってますって。私……親に虐待されてましたから」

「えっ……」


 笑美ちゃん? なんでそんな事を……


「私は小さい頃、親に虐待されてました。だから分かるんですよ? 雛森さんの気持ち」

「ぎゃ、虐待って……」


「口答えしたら怒られて、話し掛けたら叩かれて、何もしなければ何もされないと思っていても、存在を否定されて蹴られる。だから静かに存在感を消すように過ごす。そして親には絶対に逆らわない。あなたもそれに似た感情なんじゃないですか?」

「ちっ、違……違う……」


「そうですね。あなたの口からは過剰な束縛やプレッシャーの話は出てきましたけど、虐待に関係する事は出てこない。容姿も綺麗ですしね? ただ、それは立派なモラハラです」

「そっ、そんな……」


「ただ、そうなってしまった経緯があるはずです。あなたが、ご両親……いえ、お父さんに従わざるを得なくなった原因……」

「従わざるを得ない……原因……」


「私は、幼い頃に運良く救われました。強くて優しくて……素敵な人に。母親とも離れられて、運動や勉強……うぅん。普通の人のが普通だって思う事、その全てが嬉しくて喜びを感じました。そして今こうして、沢山の人に囲まれて、充実した毎日を送れて……自分の人生が幸せなんです」

「幸せ……沢山の人……充実……」


「だから、私はあなたの力になりたい。けどその為には……向き合って? 辛くても思い出して……」

「わっ、私……あっ、あぁ……あぁ……」


 諭す様な笑美ちゃんの言葉に、雛森の様子が変わる。さっきまでの表情とは違い、必死に何かを思い出す様な……そんな姿に見えた。そして数秒の沈黙の後、ゆっくりとその口が開いた。


「しょっ、小学校の頃ピアノを習っていた。でもキツくて辛くて……お父さんに辞めたいって言ったら表情が変わって怖かった。でもすぐに笑顔になって、俺の娘なら大丈夫って言ってくれて……結局続けた」

「……それが始まりなんですね?」


「そっ、それからテストの点数が下がった時、また同じ表情になって……次は100点取れるよな? 俺の娘ならって言われて……お母さんも同じ事言って、頑張らなきゃって必死だった」

「精神的に辛くなったんですね?」


「ちゅっ、中学校の時部活に入りたいって言ったら物凄く怒られた。塾に行けって……それでも友達と一緒にバドミントン部に入りたくて、何度もお願いしたら……顔を打たれた。痛くて何が何だか分からなくて……部活なんか入らなくていいよな? そんなお父さんの言葉に返事が出来なかったら、また打たれた。頬が痛くて頭が痛くて……恐怖でいっぱいで……必死に考え付いたのが、逆らわないって答えだった」

「それが原因ですね。今のあなたを作り出した……自分を守る為に選んだ出来事」


 マジか……

 雛森の話した事は全て初耳だった。

 自分が親との関係を深く聞かなかったのもあるだろうし、俺が怒って追求したとしても全部を話したかは分からない。


 心のどこかで、親離れ出来ていないと思っていた。その背景に……そんな出来事があったなんて、元々の根源が想像以上の恐怖だったなんて……


「怖くて……逆らえなくて……自分でも分かっているのに、あの表情に襲われるかも。また叩かれるかも。大きな声を浴びせられるかも。そう思うと体が震えて……動けなくて……」

「誰にも言えなかったんですよね? でも、私に話してくれてありがとうございます」


「だって、初めてなの……同じ様な事を経験してる人に会うの。そう言ってくれる人だって、今まで誰も……居なかった」

「そうですよね。誰だってこんな事、言える勇気無いですもん」


「だから……だから……」

「でも、雛森さん?」


「はい……」

「今の雛森さんって、二十歳越えてますよね?」


「うっ、うん」

「成人してるんですよ? 大人ですよ? それに、おかしいって思えてる時点で、もうそんな呪縛から抜け出そうって準備は出来てるじゃないですか」


「じゅっ、準備?」

「私も自分の経験上……色んな体験談とか見たり聞いたりしました。中には洗脳状態で、今の自分が正しいって思いこんでる人だっているんです。でも雛森さん言ったじゃないですか? 親がおかしい事言ってる。親は変だ。それを分かっていても、なぜか自分は従ってしまってるって。親の事も自分の事も理解してる。それって、何とか変わろうとしてる証拠じゃないですか」


「でっ、でも……なかなか踏み出せなくって。丈助君の時だって……」

「その点については……今更どうにもならないです。ねっ? 君島さん」


 って、いきなり俺? まっ、まぁ今更だしな。


「そうだな」

「ほら。というより、大事なのは今とこれからです。さっきも言った通り、雛森さんはもう大人です。やろうと思えば何でも出来るんですよ? 準備だって出来てる。あとは……一歩踏み出すだけ」


「一歩……」

「親で苦しんだ仲間同士、私が少しその背中を押してあげます」


「えっ……」

「良いですか? 雛森さん……あなたの人生は、あなたの為にあるんですよ? 親の為じゃない、自分自身の為です。親だろうと誰だろうと、一生に一度の自分の人生にいちゃもん付けられて悔しくないですか? もっと自分のやりたい事やって……」


「幸せな人生、送りたくないですか?」


 幸せな人生……それを笑美ちゃんが言う事にどれほど説得力があるだろう。過去にあった事を知ってる俺からすると、心をガツンと打たれる思いだ。

 そして雛森はどうだ? 初めて会った同じ経験者。そんな人からの話しは……お前の心にどう響く?


「人生……私の……私の……人生……」


 顔を俯きながら、何度も同じ言葉を繰り返す雛森。

 その光景に俺も笑美ちゃんも、どっちが言った訳でもないけど……言葉は掛けない。ただただ、見守っていた。


 それから数分。同じ光景が続いていたけど……


「……島さん」


 その時は突然だった。

 雛森が顔を上げたかと思うと、その目からは涙がこぼれ頬を伝う。ただ、その表情は……何かから解放されたかのような、今まで見た事のない……優しい笑顔だった。


「ありがとう」

「ふふっ。どういたしまして」


「丈……君島くんもありがとう。そして本当にごめんなさい。」

「おっ、おう……」

「自分から引き留めておいてあれだけど、私行くね。やらなきゃいけない事あるから。あと、伝票も持ってく」


「いやいや、そ……」

「またね? 雛森さん」

「うん。それじゃあまたね? 島さん、君島くん」


 雛森はそう言うと、伝票を持って席を立った。そしてゆっくりと……ファミレスを後にした。

 最後に見せた表情に、しなきゃいけない事。具体的な事は分からない。ただ、今の彼女が今までとは違うのは……なんとなく分かった。


 そうさせたのは、間違いなく笑美ちゃんか。

 思わず視線を向けると、笑美ちゃんは雛森の背中をずっと見ていた。笑顔を浮かべながら。


 ……大したもんだな。


「ふぅ……あの人が君島さんの大学時代からの元カノさんね?」


 って、なんでニヤニヤしながらこっち見てるんだよ。雛森に向けてたものとは違うぞ? こっちも色々と聞きたい事はあるんですけど?


「そうそう……って、いつから居たの?」

「いやぁ最初から。結構ここで芝居の台本とか暗記してるんだよ? そしたらなんか聞いた事ある声だなって、後ろチラっと見たら……」


「全部聞かれたか」

「すいませーん」


 全然気が付かなかったよ。でも、俺なんかよりずっと雛森の事分かってたな。しかもこの一瞬で……


「いやいいよ。でも、ありがとう。俺、ちょっと大声出しちゃうとこだったよ」

「こっちこそすいません。同情はしてたけど、流石にあれ以上の言葉は、君島さんに失礼だと思ったから。雛森さん、君島さんを彼氏の振りさせようとしてたでしょ?」


 ……やっぱ気付いてたか。


「話しの流れ的にはそうだろうな」

「それだけは言わせちゃダメだと思って」


「助かったよ」

「これくらいお安い御用です。けど、多分雛森さん……一歩踏み出せた気がします」


「かもな。背中を押してくれる人が居るってのは……想像以上の力になる。それをした……いや、出来たのが笑美ちゃんだ。俺には出来なかったよ」

「そう言って貰えると、自分も人の役に立てたって思えて嬉しいです」


 事実そうなんだよな。笑美ちゃんだからこそ、雛森を動かせたんだ。

 また助けられたな……


「さて、笑美ちゃんはもう女優としての勉強は終わり?」

「そうですね~時間的に終わります。事務所寄って、社長と話してから帰りますね」


「了解。じゃあ俺は一足早く帰って、晩御飯準備しとくよ。オムライスをね?」

「えっ!? でもさっきはダメだって連絡……」


「今日は特別。でも明日は、笑美ちゃんの作る番だけど……ダメだからな?」

「やったぁ。明日の事はまぁ……明日考えるとして、オムライス楽しみだなぁ」


「ったく。じゃあほら、笑美ちゃんのコーヒーの伝票渡して」

「えっ? それは……」

「良いから。早く」


 オムライスとコーヒー代だけじゃお釣りが出るくらいの事、君はしたんだぞ? 


「じゃあ……お願いします! 君島さん!」

「了解。じゃあ、行くか?」

「は~いっ!」


 これくらい安いもんだ。



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