第29話  君島丈助と雛森香

 



 雛森との思い出は、良くも悪くも結構ある。

 笑美ちゃんにも言った通り、大学2年から社会人になっても関係は続いていた。その付き合いは長い部類だと思う。


 大人しく、優しく、気配りが出来る。

 そんな一面と、整った顔立ちに好意を抱いて告白した。


 けど付き合い始めて、今までよりも過ごす時間が長くなるにつれて……少しずつ異変を感じ始めた。

 自分の意見を言わないという事。そして親の存在。


 最初は娘が大事なんだと思っていたけど、次第に露わになる束縛にも似たモノ。


 そしてそれに対して、結局従う彼女。

 その光景と、感じてきた違和感……結びつくのは1つだった。


 彼女は今まで親の決めた事に従って来たのか? だから自分の意見がないのか。


 デートもご飯も旅行も、キッカケは俺だった。計画も俺で、彼女に意見を聞くと必ず答えはこうだ。


『丈助君に合わせるよ?』


 最初は優しいと思った事も、徐々にそう感じられなくなった。

 そして決定的だったあの時の出来事。


 まぁあの時は結構心に堪えたけど、今はもうどうでも良い。


「ひっ、久しぶりだね。この辺で働いてるの?」

「そうですね。おかげ様で。そちらもお元気そうで」


「そっ、そうかな」

「えぇ。それじゃあ、俺はこれで。さようなら」


 適当に挨拶して帰ろう。

 俺はそう言うと、体の向きを変えようとした。ただ、次の瞬間……想定外の事が起きる。


「まっ、待って!」


 ん?


「あっ、せせせっかくまた出会えたし、話したいなって。もっ、もし良かったらお茶とか……しない?」

「お茶?」


 その言葉と行動に、俺は少なからず驚いた。

 デートの時も、帰るタイミングは俺が合図。何処かでお茶する時も俺が誘導してきた。


 俺の知る限り、自分からお茶したいなんて言った事がない。俺が帰ると言った時、引き留められた記憶もない。そんな奴が?


 少しは変わったのか?

 薄っすらと、頭の中に浮かぶ考え。だとしたら……


「この後、丈助君に予定がなかったら……」

「良いよ」


「えっ?」

「お茶。どこ行く?」


「えっ、あっ……じゃあそこのファミレスは?」

「じゃあ行こうか」


 久しぶりに話をするのも良いか。




 ★




 こうして訪れたファミレス。時間も時間だけに人は多く、それ相応の賑わいを見せている。そんな中、目の前の雛森は、席に座ってからなかなか俺と視線を合わせない。いや、正確には何かを言おうとしてチラッとは見るけど、結局言わずにまた俯くの繰り返しだ。


 ……久しぶりとはいえ、挙動不審過ぎないか?


「失礼しまーす。御注文お決まりでしょうか?」

「あぁ、コーヒーと…………紅茶で」

「かしこまりました」


 店員さんに変に思われるのも嫌だったから、ついつい注文してしまった。とはいえ、案外覚えてるもんだな。


「紅茶で良かったか?」

「うん」


 …………しかしながら、この間は嫌だな。そもそもそっちから誘ったんだろ? 話したかったんだろ? けど、結局こんな感じか。


「お待たせしましたー。コーヒーと紅茶です」


 結局、コーヒーが届くまで無言。なんか変わったのかと思ったけど、勘違いだったか。だったら、別に付き合う道理もないか。


「なぁ、話がないなら帰るわ。伝票は持って……」

「まっ、待って!」


 また待って? そこまで言えるんだったら、早く言えば良いのにな。


「ごめん。ごめん……話したい事あるのに……いっぱいあるのに言葉が出なくて……」

「……そうか。ただ、そんなに時間はない。話をするなら早い方が良い」

「わっ、分かった」


 ふぅ。ようやく会話の始まりか……まぁ俺的にはこれと言って聞きたい事もないし、あちらの気が済むまで付き合ってはやるか。


「じょ、丈助君。この辺りで働いてるんだね」


 それはさっき言わなかったか? まぁいいか。


「あぁ。一応そこのビルに入ってるサンセットプロダクションで働いてるよ」

「えっ? すっ、凄いな。有名事務所だよ」


「運が良かっただけだ」

「えっと、児童相談所は結局……」


「あぁ、雛森さんに話をしたあと、直ぐ辞めた。その後別のとこに入ったけど……色々あって、今の会社のお世話になったのは最近だな」

「そっ、そっか……あっ、あのね丈助君」


「なんだ」

「あっ、あの時はごめんなさい! 自分勝手な事言って!」


 そう言いながら、頭を下げる雛森。

 ただどうしてだろう、脳裏にはあの時の言葉が蘇る。


『えっ? 公務員だよ? 何で辞めちゃうの? お父さんだって公務員なら安心だって言ってくれてるのに』


 だからこそ、この謝罪にも何か裏がありそうな気がしてならない。

 ……なんだろ。ここまで疑い深くなっちまったんだな俺。にしても、その謝罪をされた所で……何をどう返せば分からない。

 今の俺は仕事もプライベートも充実してる。逆にあの時の事を蒸し返されても困る。


「それは本心か? だったらなんであの時、第一声に親の話が出て来た」

「そっ、それは……」


「その様子じゃ、まだ親の言いなりって感じだな」

「うっ……でっ、でも。あの時は本当にごめんなさい。自分でもダメだと思って、次の日すぐ電話したんだよ? でも繋がらなくて、ストメだって拒否されてて……」


「でも、家には来なかったんだよな?」

「行ったら怒られると思って……でも、少し経ってから行った! でも、もう丈助君居なくて……」


「まぁ同棲を許してもらえたタイミングで、もっと広い所へ引っ越し考えてたからな。その相手が居なくなったんじゃ、狭いワンルームに住んでる必要もない。早々に快適な広めのトコ引っ越したよ」

「そっ、そっか。会おうにも会えなくて……児童相談所にも行こうと思ったんだけど、最後の一歩が出なくて……それで……」


 行った? 行こうとした? その行動はどうであれ、これまで雛森は嘘をついた事はない気がする。親の事も言うくらいだしな。ただ、だからといって今の話が本当かどうかは分からない。過去の事は……口ではなんとでも言える。


「それで?」

「結局何も出来なかった。1人になって……1人の時間を過ごす内に……丈助君が自分にとってどれだけ大きな存在だったのか分かった。でも、それをどうにも出来ずに、ずっとずっと……生きて来た」


 存在? 俺の事より親からの評価を気にしていた癖に、何を今更。胸糞悪い。


「そうか」

「私、見ての通り自分では何にも出来ない。小さい頃から習い事も学校も、容姿も門限なんかも親が決めてそれに従ってきた。それが両親の求めてる事で、いつからかそういう親の理想である娘にならなきゃいけない、そういう娘で居なくちゃいけないって思う様になった」


 それは……薄々感じてた。けど、あの時は確かにお前のこと好きだったから、考えない様にしてた。でもやっぱりおかしいよ。


「そうなる事で、自分の存在意義があるんだって思ってた。丈助君と付き合ってた時も、自分じゃ何も決められなくて……全部任せてた。どうやって決めたらいいか分からなかったから。それで戸惑って、変な奴だって思われたくなかったから」


 それに、今俺にそんな事言ってどうするんだ? 


「本当は一人暮らししたかった。門限に縛られたくなかった……ハァ……」


「でも、それを許してくれなくて。あの表情が目の前に現れて……ハァ……ハァ」


「別れた時も、お父さんに丈助君はバカな奴だって言われて……悔しくて……でも言い返せなくて……ハァ……」


「ハァ……おかしいって分かっても、あと一歩動けなくて……丈助君を探せなくて……ハァ……」


「その後だって、どうやって恋人作ればいいか分からなくて……全然分からなくて……ハァ……ハァ……」


 何で今更。そんな心境を、せめてあの時言ってくれたらな。でももう遅い……今更遅い。

 そんな心境の中、俺はただただ雛森の言葉を聞いていた……はずだった。目の前の雛森の様子に異変を感じるまでは。


 さっきまで視線を外しながら話をしていたのに、自然とそれが無くなり……いつしか真っすぐ俺を見ている。

 更に不自然な程の息切れ。

 挙句の果てに見開いた目。

 光の無い眼差し。

 ……その状態は、ホーリョーソフトウェアの営業部で何度も目にしたモノだった。


 間もなく辞表を出す……壊れる寸前の人の姿。


「自分で色々言ってきた癖にさ? 結婚は……ハァ……まだか? なんて言うんだよ?」


「ハァ……ハァ……彼氏の1人でも作れ。ハァ……早く結婚しろ……ハァ……だって?」


「挙句の果てに、勝手に……ハァ……お見合い話まで持って来てさ?」


 なんでこんなになる前に、言ってくれなかったんだ。

 それを分かっていながら、どうして行動できない……香!!


「知り合いの会社の上役だって……ハァ……それも50過ぎのおっさんだよ? バツ1だよ……ハァ……ハァ……」


「ねぇ……丈助君。だからお願い……ハァ……ハァ……」


 その瞬間、その目がより一層大きくなる。そして狂気に似た何かがに充ちた瞳の奥に、雛森が次に何を言おうとしているのか……想像がついた。ただそれは余りにも身勝手で……耐えがたい言葉。過去に何があったとしても、そんな最低な言葉だけは聞きたくはなかった。


「少しで良いから……一瞬で良いから……ハァ……ハァ……ねぇ私と……」


 こっ、こいつ! 自分がおっさんと結婚したくないからって! 


「おま……」


 色んな感情が混ざり合った俺は、今まで雛森の目の前では言わなかった言葉を口に出そうとした。

 ただ、それは……


「やぁ、こんにちは。いや、こんばんはかな?」


 不意に聞こえて来た声で、未遂で終わる。

 そして反射的に顔を向けると、そこには……サングラスと帽子をかぶった女の人が立っていた。


「だっ、誰ですか?」

「いやぁ、めんごめんご。偶然後ろの席にいたんですけどね? あぁ失礼。私、サンセットプロダクションで君島さんと一緒に働いている……」


「同僚です」



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