第26話 おっさんの立ち眩み
「初めまして。本日からお世話になります、君島丈助です。至らない点があるかと思いますが、ご指導ご鞭撻の程お願いします」
パチパチパチ
人前に出たのは何ヶ月ぶりだろうか。
そもそも、社交辞令とはいえ拍手を浴びるのは何年ぶりだろうか。
そんな何とも言えない感覚を覚えながら……君島丈助34歳は、見事新天地へと降り立った。
それにしても、なんという雰囲気の良いところなんだろうか。先輩方1人1人の顔は穏やかで、以前の鬼気迫る人物の巣窟とはまるで違う。あの社長の職場だ。いい意味で想像通りなのかもしれない。
「いやぁ。これで正式に一員だね? よろしく丈助」
「はい! こちらこそ宜しくお願いします。み……烏真社長」
……まさか全員酒豪ってことは無いよな? 昨夜というより深夜まで飲んでたけど、当の社長は潰れる気配もなく、俺がいつの間にか眠っていた。見覚えのない目覚ましのアラームで目を覚ますと、社長の姿は無くて……置き書きだけが残されていたっけ。
まぁ、次の日に早速出勤だってのに、限界まで飲ませるのはどうかと思うけど……そこは自己責任だ。おそらく気を利かせておいてくれた目覚ましのおかげで、遅刻を免れたんだしさ。
とにかく……頑張ろうっ!」
「みんな宜しくね? じゃあ、とりあえず事務所の案内でもするよ。じゃあ佐藤ちゃん、ちょっと行ってくるね?」
「はーい。三月さん」
「えっ? 烏真社長自ら案内ですか?」
「ん~? ダメ? あとさ、なんでいきなり名字呼び~? 昨日とか名前だったじゃん?」
「いやいや、昨日はその……笑美ちゃんに釣られてというか。新人が名前呼びなんてダメでしょう」
「何言ってんの。むしろ事務所で名字呼びの人なんて居ないよ? 第一、私が名字呼び止めてって言ってるんだし。そもそも社長ってつけるのも止めて欲しいんだけどね?」
……流石にそれはダメでしょうよ? にしても、やっぱり親しみやすさは社長と社員って感じがしないぞ。
「親しき仲にも礼儀ありと言いますよ? 烏真社長。今は新人らしく呼ばせて下さい」
「はぁー。なんか変な所がお固いよねぇ。まぁ、逆に言うとしっかりしてるんだろうけどさ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「ふふっ。その意気や良し。それじゃあ付いて来なさい丈助!」
そこは名前呼び変わらずですかっ!?
こうして一通りの挨拶を終えた俺は、これからお世話になるサンセットプロダクション内を、社長直々の案内の元見て回った。
「えっと、さっきの場所がスタッフルームね? マネジメント部と総務部って一応区切りはあるけど、一般企業みたいにガッツリと区切ってはないからね?」
まずはスタッフルーム。社長の話だと、サンセットプロダクションは大まかに2つの部署で構築されて居ている。
俺が所属されたマネジメント部。その多くはタレントさんやモデルさんのマネージャーさんだ。言わば営業職に当てはめても良いかな。
次に総務部。福利厚生や会計関係、あと受付の人達といった内部関係の仕事が主だそうだ。その名の通り、一般企業の総務部そのもの。
ちなみに、さっきいのスタッフルームには一応個人の席はあるらしい。ただ、特にマネジメント部の人達は席に居ない方が多いらしい。なぜなら……
「そんで、ここがフリースペースだよ? テーブル、椅子、あっちには畳もあるし、リラックス出来る場所で仕事をして構わないからね?」
そう、ここにはフリースペースなる場所が存在する。ノートパソコンさえあればどこでも仕事が出来るらしく、マネジメント部の人達は担当のタレントさんと通話やテレビ電話なんてしながら、予定の確認なんかをしている。
まぁここ以外にも結構な会議室もあって、そこで仕事も出来るらしい。さっきは俺の挨拶の為に、一旦集まってもらって……なんかすいませんね?
「そんでここが、カフェテリア。休憩するならここで間違いはないよ」
オシャレな雰囲気は、マジで何処かのカフェかと勘違いするカフェテリア。コーヒー、紅茶、ジュース等々飲み放題という出血大サービスだ。個人的には、窓際にある人間の天敵の様なソファが気になりますけどね。
「そんでここが食堂~! 時間は基本的に10時から14時までかな? もちろん持ち込んで食べても大丈夫だからね」
なんともまぁ、品揃えの多い社食だこと。これなら昼ご飯で困る事はないだろうな……偏りには気を付けないとな。
「とまぁ大体はこんな感じかな?」
「あの、タイムカードとかは……」
「あぁ、ないない」
……はい?
「いや、それだと出勤してるかどうか分からないんじゃ……」
「職員には専用のパソコンとスマホ用意してるし、そこに自分の予定……何時に番組のスタッフさんと打ち合わせとか打ちこんでもらう様にしてる。それで会社側も把握は出来るのよ」
「えぇ、予定ない日とかありますよね?」
「そういう日は一応会社に来てもらうかな?」
「嘘の予定とか書き込んでズル休みとか……」
「まぁ関係者に聞いたら、すぐ分かるけどねぇ? まぁ今のところ、そんな姑息な手段使った人は居ないよ? 普通に有給使えば良いんだし」
ゆっ、有給だと……そんなの幻の存在かと思ってた。
「ゆっ、有給って存在してるんですね」
「おいおい、認められた権利だぞ? 幻の生物みたいな言い方はよしてくれ」
「すいません。長らくお目に掛かった事がなくて」
「いやはや、トンデモ発言だぞ? ちなみに打ち合わせの日に体調不良だったとしても、手の空いてるマネジメント部の人に行ってもらうし、なんなら私が動けるから大丈夫だ」
「そっ、それじゃあ他の人達の迷惑になるんじゃ……」
「迷惑? あのさぁ、会社って1人じゃ成り立たないのよぉ? 1人が体調崩したら皆でカバー。カバーしてもらったら、今度は自分が……そういう気持ちにならない? 甘いって言われるかもしれないけど……私にとっては、社員は家族みたいなもんだしね?」
……正直理解は出来ない。
一人が休めば、誰かにしわ寄せが来る。そして雰囲気が悪くなる。
そういう悪循環を目の前で見て来た俺にとって、休み=悪だという認識が染み込んでいた。
そんな俺にとって、烏真社長の言葉は……青天の霹靂だった。
マジかよ……誰かが休んだら皆でカバー? そんなホワイト企業みたいな考えの企業が、マジで現実にあるのか? 空想上の物じゃないのか? えっと、じゃあ……
「ちなみに烏真社長? 俺の場合、有給は何日あるんです?」
「試用期間扱いが3ヶ月で、その間は10日かな? それ明けたら10日プラスの20日」
なっ、何だと……!? 初年度で20日? 嘘だろ……
「ちなみに必ず5日間は有給使ってもらうからな? 怒られるのはこっちなんだし」
はっ、はぁ? 有給消化命令だと……正気か!?
「それと、夏季休暇が5日。リフレッシュ休暇3日。正月休み5日……くらいかな? 基本的に休日は予定を見てこっちで決定するけど、特に正月休みなんかは仕事柄大晦日や元旦に休めるとも限らないからね。端末で打ちこんでもらえれば、こっちで処理するからさ」
やばっ……頭がクラクラする。聞いた事のない休暇名がズラズラと。大体休みを自分で選べるだって? 夏季休暇? 正月休み? リフレッシュ休暇? リフレッシュし過ぎてダメになりそうなんですけどっ!!
「うおっ……」
「どした丈助! フラフラして! もしかして昨日の酒が残ってるのか? すまないなぁ付き合わせちゃって……」
「いえ。色々と眩しいモノが飛び込んで来て、目眩がしただけです」
「やっぱり二日酔いじゃないかっ!」
あぁ……なんとも前職との違いに理解が追い付かないよ。これは現実か? もしかして、酔い潰れた挙句に見ている夢なんじゃないか? くっ、それを確かめるには……
「だっ、大丈夫です。ちなみに烏真社長? 気をしっかり保つ為に聞きたいのですが、昇給は歩合制ですよね?」
「基本的には定額昇給だよ? 大体6,000円だったかな。あとその他にベースアップもあるよ?」
ぶっ、歩合制じゃない? しかも定額昇給にベースアップ!? うっ、嘘だ……
「ちなみに賞与なんかは……」
「年2回の4.5ヶ月分だよ?」
4.5ヵ月!?
「あと、業績に応じて決算賞与もあったはず~」
けけっ、決算賞与!?
「うぅ……」
「ちょいちょい、マジで無理するなって。医務室もあるよ?」
……これは夢か、幻か……
「お~い! 丈助~!」
「ははっ。大丈夫ですよ社長……」
「どこがだよっ!」
あぁ……烏真社長が何時になく輝いて見える……
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