第18話 女子大生の大好物
振るうフライパンがこんなに軽く感じるのはいつ振りだろう。
料理をしながら、自然と笑みが零れるのはいつ振りだろう。
『オムライス、楽しみにしてますね?』
その一言のおかげか。
それとも、あの3人に対して一区切り付ける事ができたからか。
いやその両方だ。
あれから当たり前だけど、奴らからの連絡はない。別の社用携帯で掛けて来る可能性のあった、黒滑からの着信がない所を見ると、奇跡的に上手くいったか、盛大にしくじって己ヶ為に怒鳴られてるかのどっちだろう。まぁ圧倒的に後者の可能性が高い。
今日は鋸鉄鋼さんか……社長さん良い意味で職人気質で頑固だからな。あの雰囲気じゃ、機嫌を損ねるのは目に見えてる。まっ、俺にはもう関係ないけど。
それにしても笑美ちゃんも笑美ちゃんだよ。全く信用してないのか電話まで掛けて来て。嘘は付かないって言ったじゃんか。それに口に合うかは分からないけど、ちゃんとおかわりも用意してるぞ? だから、安心して帰ってこーい。
★
「うわぁ~! めちゃくちゃ美味しそうです~」
目をキラキラさせる姿はまるで子どもの様だ。けど、純粋にその反応が嬉しくて……自然と口角は上がりっぱなし。
いちいち反応がその……可愛いんだよな。電話で話した予定時間よりも早く到着して、開口一番が、
『君島さん! ちゃんと居ま……のはっ! この匂い、本当にオムライス作ってくれたんですかぁ!』
だったり、
『おぉ~! 昔ながらのオムライスパターンですね!? じゅるり……はっ! すいません』
漫画でしか見た事のない事を普通にしたり、
『はっ、早く食べましょう! えっ? 手洗いうがいに着替え……いや、それは一旦置いといて……えぇ!? そんなぁ……わーかーりーまーしーたー』
それこそ子どもかって反応してくれたり。
ただ、なんだろう……その反応は、最初の姿とのギャップも相俟ってなのかしらないけど、妙に心に染みてしまう。
「君島さーん?」
っと、おっさんが呆けてたら気持ち悪い他ないな。とりあえず、堪能してもらいたいよ。
「んあ? あぁ、どうぞ召し上がれ」
「ふふん。ケチャップをつけてー」
「さて、笑美ちゃんは何を描くのかな?」
「とりあえずは無難に~こうですよ!」
えみ ハートだと? 年相応だな。
「君島さんのにも書いていいですか?」
「あぁ、お願いするよ」
「にっししぃ。じゃあ~こうです!」
「きっ君島 ハート!?」
「あれ? ダメでした?」
ダメじゃないけど、それは男心を弄ぶ行為だぞ? 無意識ゆえの無慈悲さを感じる。笑美ちゃん、こんな感じでその男達を泣かせてきたんじゃないか? まぁ嬉しいけどさ。
「ぜっ、全然だよ。ありがとう。それじゃあ」
「いっただきまーす」
それからは、俺にとって幸せな時間だった。
「ん~おいひぃ~」
オムライスを頬張りながら、浮かばせる満面の笑顔。
「君島さん? 半熟タイプのオムライスも作れます?」
「あぁ。出来ないくはないかも。ケチャップライスの上に乗せて、切れ目入れてパカって割るタイプとか」
「おっ、おぉ~! じゃあ次それでお願いします! じゃあバラみたいな形で上に乗っかってるタイプとか……」
「作り方見れば出来ると思うよ?」
「マジですかっ! じゃあ次の次はそれでお願いします!」
料理の腕に対する褒め言葉。
「それだと毎日オムライスだぞ?」
「私は全然OKですよぉ? 大好きなんですオムライス!」
「そうなのか?」
「はいっ! 本当にありがとうございますね? 君島さん」
心からのお礼。
忘れかけていたモノが、戻って来るような感覚は……純粋に嬉しかった。
「君島さん! おかわりありますか?」
「おっ、あるよ~。ちょっと待ってね?」
さてさて、ケチャップライスは余分に作ったし、卵包むだけ。それにしても、おかわりだなんて嬉しい事言ってくれるよ。なんかやる気出るって感じ。
今までとなんか違う。体が軽くて、心が清々しく感じる。あいつらに言いたい事言えたからかな? まぁある意味、昔の俺に戻れたって事なのかもしれない。これで少しは、笑美ちゃんに見合う男に戻れたかな?
見合う男に……戻れた?
ズキッ
その瞬間、少しだけ胸に痛みが走る。それはまるで昨日の痛みと同じ、胸に突き刺さるような痛みだった。そしてその痛みが起こった事に……俺は少しだけれど動揺を隠せなかった。
あれ? なんで……笑美ちゃん助けた時の、高校生の時の俺に戻れただろ? あの時の俺だったら、同じ様にしてただろ? なのになんで……まだ胸が痛い。
「君島さーん! 待ちきれませ~ん」
「あっ、今持って行くよ!」
ダメだ。だとしても、こんな姿は見せられない。せっかく俺の料理を美味しく食べてくれてるんだ。その楽しみを奪うような雰囲気にだけはしたくない。
「はい。どうぞ?」
「うわぁ。いただきまーす」
とにかく、何か話して紛らわせよう。
「ところで、どうしてオムライスが好きなの?」
「えっ? そうですね……えっと……」
その言葉を言った瞬間だった。笑美ちゃんの表情が少し曇った。途端に、マズい地雷を踏んでしまったんじゃないかと、焦ってしまう。
あっ、これ……ヤバいかも。
「君島さんの前では言いにくいんですけど、嘘を言いたくないんで言いますね?」
「あっ、あぁ」
「その……小さい頃、本当に小さい頃あの人が作ってくれたんです」
「あの人?」
「はい。あの……お母さんです。それで……思い出の料理と言うか…」
ズキッ
あれ? なんで……また胸が? お母さんって、笑美ちゃんのだよな? そりゃ、俺が知ってるのは最悪な姿だけど、それ以前の2人の生活とかは知らない。その中で、確かに思い出として残ってるんなら、それは大切なものだ。別に俺は何とも思わない……はずなのに……
「そういう事か。何で言いにくいんだよ? それは笑美ちゃんにとって、大事な思い出だろ?」
「あっはは。すいません。せっかく助けてもらったのに、あの人の話しするのはあれかと思って」
なんでまた胸が痛いんだ? 別に、今あの人の事は何とも思っちゃいない。なのに何で……
「気にするなって。気にしないから」
「すいません。そういえば君島さん? 話し全然変わっちゃうんですけど、聞きたい事あるんです」
「なにかな?」
「いえ、大した事じゃないんですけど、あの……私を助けた時って、君島さん高校生だったじゃないですか? その後ってどうしたのかなって。大学とか……」
ズキッ
なん……だよ……なんで? 昔の話を聞きたがってるだけだろ? なんで……
―――行って来い丈助―――
はっ?
―――丈助君は優しいね―――
まて……なんで……
―――こっち帰って来ないか? 丈助―――
なんであの時の記憶が……
―――おっ? 期待の新人か? よろしくな―――
なんで……あいつらには落とし前付けて、それで俺はあの時の自分に戻れて……
―――君島。理想を追い求めるなっ!―――
―――ごめんね、丈助君―――
……あぁそうか。
「君島さん? どうかしたんですか?」
気が付くと、笑美ちゃんが心配そうに俺を見ていた。気が付くと、お皿とスプーンを持ったまんまの状態で俺はボーっとしていた。
やべっ。いきなりこんな状態で固まってたら、そりゃ心配するよな。
「いっ、いや何でもないよ」
頭の中では、どこか分かっていた気がする。あの3人をどうにかすれば、俺はあの時の自分に戻れる。そう思っていた心の奥底に……別の考えもあった。
胸の痛みが治まらない。それがそんな考えを確証に変える。
「何でもない訳無いじゃないですか。これでも、ここ数日君島さんのそばにいたんですよ? あの時の……会社をクビになった話をしてくれた時の顔に似ています……」
ははっ。流石、笑美ちゃんは一発で分かるか。
俺も、思い出した。あの3人にをどうにかしても、あの時の自分に戻れた事にはならないって。
笑美ちゃんを助けた俺は、その後に夢が出来たんだ。そしてその夢に向かって走り出した。
けど、気付けば畑違いの営業職に再就職して……こんな事になった。
「何もかもお見通しか。笑美ちゃんは」
「まだ何か悩んでいるなら……話して下さい。君島さんっ! 私はもうあの時の私じゃないんです。君島さんの力にだってなれます。だから……」
あの時の私じゃない。その言葉は、頼もしいと同時に……今の俺にはキツイ言葉だった。
笑美ちゃんは文字通り変わった。強くなった。
けど俺は変わった。そもそも、どうしてホーリョーソフトウェアに再就職したのか。いや、そうならざるを得なかった時点で……俺は既に、あの時の自分ではなくなっていた。
「ははっ。そうだな。笑美ちゃん……今の俺にあのTシャツは着れないよ」
「えっ……」
「俺はあの時の俺じゃない。あの3人に言いたい事言ってさ? 少しでもあの高校生の俺に戻れたかと思ったけど……全然だった。それより大切なものを……俺はあの会社に入る前に既になくしていた」
「どっ、どう言う事ですか?」
簡単な話だ。
俺は笑美ちゃんを助けた後、目標が出来た。漠然と就職するだろうって思っていた俺にだ。
―――世の中には、こういう立場の子がたくさん居る。そんな子ども達を助けたい―――
その夢を俺は捨てたんだよ。自ら。
その時点で俺は……あの時の俺じゃない。あの3人なんて、愚行の延長線上にいた腫れ物に過ぎなかったんだ。
「俺は夢を捨てた。そしてその事実から逃げたくて、慌ててあの会社に再就職した」
「夢って……」
「笑美ちゃんの様な子ども達を……救いたいって夢だよ」
「君島さん……」
俺はまだ、君に見合った男に戻れてない。戻れるかどうかすら……分からない。
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