第17話 女子大生に見合う男3
「ごちそうさまでしたー」
お店の人にお礼を言うと、俺は日差しが照りつく外へと一歩踏み出す。たった数日来なかっただけで、何年か振りに食べたかのような美味しさを感じる辺り……この立ち食いソバ屋でどれだけお昼を食べたのか思い出す。
ほぼほぼお昼はこの店だったな。提供時間も早くて、値段も庶民的。しかも量が多いとなると、必然的に選択肢の1番上だよ。
さてと、腹ごしらえも済んだし……行きますか? あの会社に。
右手に紙袋を掲げながら、俺は1つ息を吐いた。そしてゆっくりと……歩みを進める。
さて、俺がクビになった背景に居た3人の主要人物達。その内2人は、一応区切りと言うか落とし前は付けた。となると、残るはあと1人。そうだ……
上に媚へつらい、下に厳しい典型的なパワハラ上司。使える奴には甘く、その他の人には言動は元より、その態度もキツく……特に新人には容赦がない。年中人手が足りないって部署、その部長でありながら責任を問われないってのも専務らの腰巾着で気に入られているってのが大きい。その立場を利用し、密告さえ出来ないような環境を作り上げる最悪な野郎だ。
役職的にも、まがいなりにも今まで社会にもまれた経験がある相手だ。あの2人の様に上手くいく可能性は低いかもしれない。ただ、俺も冷静になって、切り札は見つけて来たつもりだ。それを手札に……目にものを見せてやる。
さて、来たぞ。ホーリョーソフトウェアカンパニー。このビルにまた来るとは思わなかったよ。じゃあ行こうか? 最後の1人……落とし前付けてもらうぞ?
「こんにちは」
「はい、こん……君島さんっ!」
受付嬢の
「よっ、井上さん」
「君島さん! 心配したんですよ? いきなり会社辞めたって聞いて……」
会社を辞めた? なんか違和感があるな。
「辞めた?」
「はいっ! 受付嬢達の間では、その……ミスをして辞表を出したって」
「ミスして辞表ね……」
「あれ? その反応……やっぱり違うみたいですね?」
「いやぁ……ある意味半分正解で半分間違いかな? ところで、今の井上さんの反応は?」
「どんだけ毎日色んな人見てると思ってるんですか? 君島さんは自主退職するような凡ミスを犯す人じゃないと思ってますよ。それに、辞めるにしても引き継ぎをちゃんとすると思いますし、即日居なくなるっておかしいなって思ったんですよ?」
井上さん。その言葉をこの会社内で聞けて嬉しいよ。
「それにですねぇ。私も女ですし、会社の男の方相手だと情報の1つや2つ聞きだすのも結構簡単なんですよね。世間話交えながらで……イチコロでしたよ」
「やるなぁ井上さん。受付の華はバラだったかな?」
「ふふっ。それって美しいって事ですか? そう言ってもらえると嬉しいです。それで? 本当にクビになったんですか? 話だと打ち合わせすっぽかしたとか、発注の数字間違えたとか……にわかには信じられないんですけど」
「奴らの話だとそうらしいね。けど、残念ながら俺には思い当たる節が見当たらないんだ」
「やっぱりそうでしたか……今更ですけど、受付嬢達からは君島さんの評判ってすこぶる良いですから。何か手伝える事があれば言って下さい。と言うより、何かする為に来たんじゃないですか?」
いやはや……読み合いでは井上さんに勝てる気がしないな。
「正解。今日はその元上司に会いに来たんだ」
「己ヶ為部長ですか?」
「今居るかな?」
「外出された様子はないですし、今の時間会議等々もないはずです」
「会議の情報まで頭に入ってるの?」
「知らされてる限りですよ? 所在確認をして、いざ居ないとなった場合、待たせたお客様に無駄な時間を取らせてしまいますから」
……マジでこの会社にもったいないくらい出来る人だ。どっかの秘書やった方が良いのでは? けど、井上さんの情報なら問題ない。早速呼んでもらおうか。
「さすが敏腕受付嬢。ちなみにさ? 社長って居る?」
「社長ですか? 今日は会議も外出の予定もないと聞いてます」
「なるほどね。ありがとう。じゃあ……」
「何やら考えがありそうですが……了解です。己ヶ為部長、そこのロビーの奥で良いですよね?」
「バッチリ。お願い」
「分かりました」
ウインクをする井上さんにお礼を言うと、俺はロビーの奥にある椅子へと向かう。そして徐に座ると……奴の到着を待った。
そして数分後……
「おうおう! 誰かと思えば君島じゃねぇか」
奴は現れた。
なんか機嫌悪いって顔だな。なんかあったのかぁ? まぁ、それはさておき……最後の勝負と行きますか。
「すいません。突然お邪魔して」
「マジでよぉ。アポ取りは最低限のマナーだろうが。大体、なに座ってんだよ。上司が来てやったら立って挨拶だろうよ」
一般的な会社ならそうだろうな。ただ、その言い方はやはり腹が立つ。今まではそれこそ上司だったからこそ、忘れずにやって来たけどさ。
「これはこれは。ただ、今は上司ではないので。どうぞ座って下さい」
「なっ……お前随分良い態度じゃねえか」
「まぁまぁ。これ、
「その辺は弁えてるみてぇだな。ありがたくもらうわ」
……お前持って帰る気だな? なんか直感でそう感じるわ。
こうして、ぶっきら棒に椅子に腰かける己ヶ為。その態度・雰囲気はやはり何も変わっていない。マジで最悪な上司像だな。でもまぁ、今は赤の他人だ。
「さて己ヶ為さん。ここに来てもらった訳ですが、単刀直入に言いますね? 今日は社長に会いに来ました」
「はぁ? 社長?」
「えぇ。いきなりあんな事になって、肝心の上席……ひいては社長への挨拶が出来ませんでしたので、今日は挨拶に」
「んっ、んな事いらない! 社長だってお前の解雇処分には賛成だ」
「賛成とはいえ、雇って頂いた人へ最後に挨拶するのは礼儀だと思いますが?」
「それすら時間の無駄だって事なんだよっ!」
「今日はいらっしゃいますよね? 時間は取らせませんし……」
「要らないと言ってるだろっ!」
……なんだ? ちょっと焦りを感じるぞ? 己ヶ為さんよ、俺をあんまり舐めるなよ? 営業で大事なのは相手方の些細な変化だ。社長の名前出した瞬間、顔が引きつったな?
突然クビと言われ、上席も賛成だと言われた時は気が動転していたよ。でも、冷静に考えてみると……俺は社長に色々とお世話になった。それに社員と会えば世間話もする人だったし、優しいって印象が強い。
お前と専務らでどこまで誤魔化しているかは分からない。それに気付かない社長が良い社長かと言われたら、会社のトップとしてはダメかもしれない。ただ、それでも俺にとっては社長だ。1人の人として……本当に俺の解雇に賛成だったか、まずはそれを聞きたかったんだ。
そして顔が引きつった……これはもしかして、俺が自主退職したとか話してないか? そうすれば、
『君島さん! 心配したんですよ? いきなり会社辞めたって聞いて……』
さっき井上さんが言っていた話とも辻褄が合う。これは、綻びが出た証拠かもしれない。なら次の手札が役に立つ。
「そうですか分かりました」
「ったく、しつこい奴だ」
「では己ヶ為さん。次ですが……解雇に際して、解雇理由証明書をいただいてないのですが。いただけます?」
「かっ、解雇理由証明書?」
すいませんね? これもインターネットの力を使って調べました。あんたをぎゃふんと言わせる材料がないか探してた時に……見つけたんだ。
解雇理由証明書は、その名の通り解雇理由が記載されたモノで、請求されれば交付する義務がある。
つまり、今現在の俺が請求すれば必ず交付しなければいけないシロモノ。そしてここで大事なのが、その交付に関しての決裁欄だ。伊達に8年間勤めて来た訳じゃない。不満もあって、会社の規約を読み漁った事もある。まさかそれが今役に立つとは……いや、読んでなきゃ分からなかった。採用・退職・解雇に関する書類は社長まで決裁が必要だという事に。
「なっ、何言ってんだよ。んなモノ……」
ん? さっきより焦ってる? もしかしてそういう事が必要って事が分からないのか?
「何言ってるんですか。失業手当とかもらうのに必要なんですよ? それに、ネットで調べればすぐ出てきますって。請求されたら交付が義務付けられてるんですよ?」
「なっ!!!」
その瞬間、一目散にスマホを取り出すと黙々と何かを打ち込む己ヶ為。その光景に、ガチでその存在を知らなかったんだと唖然とする。
そして俺の言っている事が本当だと分かったんだろう。スマホをテーブルに置くと、
「きみしまぁぁ」
幾度となく見て来た表情がお目見えする。
働いていた時は、その顔が嫌で嫌で仕方がなかったけど……今こうして見るとなかなか不細工だな。てか、この顔で確信した。お前社長まで話し通してないだろ。それか、社長には自主退職って事にしてるな。
「なんですか?」
「お前、何が望みだ」
社長決裁なら社長も目を通す。けど、その言葉はそれが出来ないって証拠じゃねぇか。やっぱお前……バカだな。己の出世の為に優秀な働きをしていた黒滑の事、信用し過ぎなんだよ。そんでいつもギリギリだった俺を排除出来て万々歳だとでも思ったんだろうな。
「望みって何言ってるんですか? 早く交付して下さいよ」
「それは…………そうだ! もう1度戻って来ないか。言い過ぎたのは悪い。この通りだ」
あぁこれって、このまま社長にパワハラ等々の事柄をばバラされるかもって、瞬時に判断したんだろうな。危険察知は流石に早くね? まぁそうでもなきゃ、部長までなれないか。
「これで綺麗に水に流そう。どうだ? 戻って来てくれれば、手違いでこういう事になった謝罪も込めて、ヒラから係長にしてやる。なに、上席に俺が言っておくから。なっ?」
それにしても……ムカつく野郎だ。
「あぁ、ありがたいです」
「そっ、それじゃあ……」
「けど、結構です。ここに戻るつもりはありません。大体あなたの下に戻るなんて死んでも嫌ですよ」
「なっ……なにぃ」
「何となく全貌も分かりましたし、上席が役立たずな泥船だって気付けましたもん。そんな船にわざわざ戻る人なんていると思います?」
「てっ、てめぇ! 人が下手に出りゃ!」
「安心して下さい。とりあえずは何もしませんよ? あんたの反応で色々と分かりましたし。精々このまま頑張って下さいよ。己ヶ為さん」
「ふざけんな! 元はといえば自分のミスのせいだろっ!」
「あぁ、発注ミスなら美浜が怪しいですよね? その点に関しては筆跡鑑定でもすれば分かりますか」
「なっ……なにぃ」
「あと、先……いえ、黒滑の件ですが……己ヶ為さん? 本当に彼があれだけの契約取って来たと思ったます?」
「あっ、当たり前だろ。あいつはエースだぞ? お前とは違うっ!」
本当か? ここに来る時の不機嫌な顔。いつも不機嫌そうだけど、眉毛がつり上がってる時は、明らかになんかあった時の顔なんだよ。もしかして、あいつが昨日行った会社から苦情でも来たんじゃないのか?
「なるほど。それはそうですね……まぁ1日で契約社の方々から苦情の電話なんて来る訳ないですもんね」
「お前何でっ……はっ!」
「あれ? どうしました?」
「ぐっ……来る訳なーいーだーろー!」
ははっ、ビンゴか。じゃあこの辺で、黒滑との信頼関係にもひび入れときましょうか。
「そうですよね? レディレディさんや凹凸印刷さん。ピースグローバルさんは付き合いも長いですし、担当の方も良い人ばっかりですもんね。そういえば、今日は……あっ、一癖ありそうな会社さんですけど、エースさんなら大丈夫でしょう」
「なっ、なに……」
「あれ? ご存知ない? エースさんは全ての会社さん頭に入ってるそうですよ? まぁその全てってのが……」
「何件なのかは分かりませんけどね?」
「おっ、お前……何か知ってるな? なんだなんだ!」
……来た。亀裂が入った。あとは下手に正解を言わない方が良い。戸惑いが焦りに変わり、そして疑心にになる。そうなれば後は崩れるだけ。嘘を付けば矛盾が生じる。それを隠す為に嘘をつき……一気に崩れ去るだろう。
2人には、その不安と恐怖に苛まれる過程も楽しんでもらおう。それが俺のやり方だ。
「俺はこれで失礼しますね?」
「まっ、待て! 待て!」
「色々とありがとうございます。色々と頑張って下さいね……己ヶ為さん」
こうして席を立つと、俺は何やらぶつぶつ言っている己ヶ為を背に歩き出す。これでとりあえずは一区切り……あっ、1つ忘れてた。
「あぁ、そうだ。言い忘れてました」
「なっ……なんだ……」
「エース君に言って下さい。社用の携帯使って、赤の他人に営業の同行を強要するの止めてくれってね。あと、己ヶ為さんからも強く言ってやって下さいよ? たった1日で助け求めないでくれってね。それじゃ、さようなら」
……ふぅ。スッキリした。
どことなく心が洗われた様な感覚の中、受付の井上さんに会釈をすると、またしても可愛らしいウインクが帰って来た。
そのウインクも最後なんだと噛み締めつつ、俺は8年間勤めたホーリョーソフトウェアカンパニーを後にする。
あの時とは違う……清々とした表情で。
見たか美浜、黒滑、己ヶ為。
……ざまぁみろ!
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