第9話 女子大生に言い付けられる

 



 窓から差し込む日の光。

 それらが照らすリビングを一望しながら、俺はキッチンを借りて朝ごはんの支度をしている。


 体に染みついた早起きの習慣が、まさかこんなところで役に立つとは……なんて事を考えながら、せっせと卵を焼いている。


 ……昨日の件について、話すなら夜だな。なんにせよ、えみちゃんには大学があるんだ。朝のバタバタした時間に邪魔する訳にはいかない。

 あとあの様子じゃ、もしかすると二日酔いって可能性もあり得る。冷蔵庫にあったヨーグルトとハチミツを頂戴してドリンクは作ったし……胃に優しい和食にしよう。それに……


 ガチャ!


「ねっ、寝坊したぁ! うぅ、頭痛いぃ」


 その時だった。勢いよくドアの音が聞こえたかと思うと、パジャマ姿のえみちゃんが、髪をボサボサにしながら部屋から飛び出してきた。

 昨日までの雰囲気とは違う様子に、正直目が点状態だ。


「うぅ……ズキズキする。君島さんおはようぅぅ」

「おっ、おはよう」


 いや……顔が死んでるぞ?


「ベッドまで連れて行ってくれたの君島さん? ありがとう……」

「全然だよ。それより大丈夫か?」

「…………キャー! 見ちゃダメだって! 髪とかボサボサだったぁぁ」


 って、行っちまった。まぁ寝起きなんて誰にも見られたくないわな。

 それにしても遅刻とかって言ってなかったか? そういえば、大学生とは知ってたけどどこの大学かは聞いてなかったな。とりあえずご飯作っては見たけど……この時間だと遅刻するくらい遠いところだったり?


 パタン


 えみちゃんが洗面台に向かってから、1分も経っただろうか。俺がそんな事を考えている間に、またしてもドアの音が聞こえた。そして、その先に居たのは……


「おっ、おはよう……ございます」


 何処か見慣れたえみちゃんの姿だった。

 うおっ、数分だぞ? それで髪の毛バッチリになるもんなのか? いや、女の子のそこについては深く追うべきじゃないな。


「おはよう。昨日はありがとうね? 付き合ってくれて」

「そっ、そんなことありません。私が飲みたい気分だったんで、付き合って貰ったんです」


「えっ? 無理してたんじゃ……」

「むっ、無理なんてしてませ……うぅ」


 やっぱ二日酔いか。2本でこの様子じゃ、まじで弱いんだろう。それなのに俺の為に……優しい子だな。


「おいおいマジで大丈夫かよ。それに遅刻だとか言ってなかった?」

「あぁ!! そうだった! 大学行く前に、社長のとこ寄る予定だったんですよ」


「社長って、モデル事務所の? それは遅れる訳にはいかないだろ」

「そうなんです! けど、せっかく君島さんがご飯用意してくれたのに……」


「大丈夫。俺が勝手に作っただけだし、そこまで完成もしてないよ。もちろん、勝手に使った材料費はあとで払うからさ?」

「お金要りませんから、作り途中の料理はタッパーで冷蔵庫に入れて下さい! 帰ったら必ず食べるのでっ!」


「ははっ、了解。それにしても、いくら急いでるとは言え何も食べないのもあれじゃない? さっぱりしたヨーグルトとハチミツのドリンクなら作ったけど」

「ご心配ありがとうございます。行く前に一気飲みしますね! あと……」


「あと?」

「もし可能なら……おっ、おにぎり握ってくれませんか?」


 おっ、おにぎり!?


「お安い御用だけど、おっさんの握ったおにぎり……」

「お願いしますね? それじゃあ、着替えて鞄とか持ってきます!」


 えっ、中身とか……はって、早っ! もう部屋に行ってる。でも、ドア空きっぱなしだし……


「お~い、えみちゃん? 中身は何が良いの?」

「何でも良いでーす! 好き嫌いないので!」


 おぉ、好き嫌い無しとは良い子だ。好き嫌いクソ女とは偉い違いだよ。


「何個握ればいい?」

「え~と、2……3……いやよよっ、4個でお願いします!」


 4個? 結構食べるんだな。いや? 年頃の女の子なら当たり前か。


「了解!」


 こうして、えみちゃんのご希望通り、俺はなんて事ないおにぎりをパパっと握る。4個の内、2個は二日酔いに効くだろう梅干し。あとは無難に昆布とツナといったラインナップ。最後はラップに包んで完成だ。


「準備完了です~」


 おっ、来たな?


「とりあえず、これおにぎりね? 梅干しと昆布とツナ。ハンカチとかに包まなくて大丈夫?」

「鞄に直インで大丈夫です」


「マジか。あと、これヨーグルト+ハチミツドリンク」

「なんてオシャレな。いただきます………うぅ~美味いっ!」


 いやいや、一気飲み? なんかその見た目とのギャップが激しいな。


「ご馳走様でしたっ」

「はいよ。じゃあ気を付けてね?」


「はーい。あっ、君島さん?」

「ん?」


「今日はどこにも出かけないでください? 部屋から出ないでください」

「……えっ?」


 その瞬間、えみちゃんの表情はどこか見慣れたものへと変わっていた。少し冷たい視線。つまり彼女が本気で話している証拠だ。


「いいから絶対に出ないでくださいね? 今日は仕事もありますけど、5時には戻ってきます。その時居なかったら……」

「いっ、居なかったら……?」

「警察呼びますので。なんか昨日の雰囲気だと、どっか行きそうな気がしたんで、一応念押ししときますね?」


 きっ、昨日の雰囲気ってもしかして記憶があるのか? にしても、この表情……安易に逆らえないな。


「わっ、分かったって」

「絶対ですよ? それじゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 こうして見事に釘を打たれた俺は、とりあえず作り途中の朝ごはんを完成させ……1人で黙々と食べた。




 ★




 それからというと、俺は律儀にえみちゃんの言う事を守り、部屋に引きこもっていた。

 いや、だってマジで通報だけは勘弁だからね。


 ただ、黙って居るのも数分で飽きた俺は……住ませてもらっているお礼として、とりあえず掃除を始めた。


 キッチンからリビング。廊下にお風呂。そしてトイレ。

 掃除機を掛け、雑巾で磨きに磨き……それこそ埃1つ残っていない自信がある程、ピカピカに磨き上げた。とはいっても、元から綺麗だったってのが大きい。


 自炊も掃除もキチンとこなす。えみちゃんは、本当に良い子に育ったんだとしみじみ嬉しく思った。


 そして時間もお昼。

 1人なら手軽なもので良いと、昨日買っておいたカップラーメンにお湯を注ぎ待つこと3分。

 蓋を開け、さぁ食べようかと思った時……スマホが鳴った。


 ん? 誰……ゲッ!


 テーブルに置いておいたスマホ。そのバイブ音に視線を向けると、そこに表示されたのは憎き浮気女の名前だった。


 なんだ? 追い打ちの自慢話か? 正直話したくもないけど……一応転出の話だけはしとくか。


 ピッ


「もしも……」

「ちょっとあんた! スマートゲーマーとゲームステーション5盗んだわねっ!」


 は?


「盗んだって何が?」

「シラ切らないで! ウチから持ってたでしょ! この泥棒!」


「泥棒って、俺が買った物だろ? 泥棒呼ばわりされる理由が見当たらないんだけど」

「うるさいわよっ! はやてさん、続きが出来ないって怒ってたわよっ! ふざけんじゃないわ!」


 ……えっと、この電話口に居るのは本当に蘭子か? それにしては随分とレベルの低い話だな。しかも颯って、先輩か? いやいや、ゲーム出来ないからってご機嫌斜めって子どもかよ。


「知らないよ。さっきも言った通り、俺の所有物は全部持って行った。それに関してお前にあれこれ言われる筋合いはないよ」

「はっ、はぁ? あんたの物は私の物でしょ! 私の物は颯さんの物でもあるんだから! さっさと返しに来なさいよっ!」


 うおっ! なにその理屈! リアルでそんなの口にしてる人初めて遭遇した。


「鍵はあるんでしょ? 今日中に返したら許してあげる。どうせ仕事クビになって暇でしょ? だから、絶対に部屋に戻しておきなさいよ! 絶対だからねっ!」


 プツッ


 言いたい事だけ言い終わると、蘭子は一方的に通話を終え、辺りは静寂に包まれる。そんな中、俺の頭の中はある事でいっぱいになってた。


 どうしてこんなお子様のような、我儘女と同棲なんてしていたのだろう。

 そしてどうして5年という月日を無駄遣いしてしまったんだろう。


 その瞬間、不意に笑みがこぼれてしまった。もちろん、相手の愚かさはもちろん。大部分が、自分の見る目のなさに対してだった。


「……俺って見る目までもなかったのか? いや、思えば大学……」


 ヴーヴー


 なんて口にしていると、またもやスマホのバイブ音が耳を通る。いやな予感を感じつつも視線を向けると、そこには蘭子の文字ではなく、電話番号が表示されていた。


 ん? 誰だ? 

 とりあえず、蘭子からの催促電話ではない事に少し安堵感を覚えた俺は、とりあえずその正体不明な電話に出る事にした。


 ピッ


「もしも……」

「てめぇ! どんな情報で相手方揺さぶって契約取ってたんだぁ?」


 まるでデジャブの様な光景とその声。俺は瞬時に嫌な予感を感じ取った。そう、その聞き覚えのある声は、まさしく渦中の1人である……クソ先輩で間違いなかったから。


 えぇ? 先輩? けど、この番号……まさか社用の携帯か? なんでわざわざ……


「聞いてんのかぁ? 教えろ! さっさと教えろ!」

「あの、一体何のお話しですか?」

「とぼけるんじゃねぇよ! なんで俺が挨拶に行くと、みんな溜息なんだ? 開口一番お前の話しやがって、ウンザリなんだよっ!」


 ……あぁ、もしかして営業回り行ったのかな? 今日は……凹凸印刷さんと、ピースグローバルさんと、レディレディさんか。個人的に担当の人達に癖のある人は居ないと思うけど……


「何の事か分からないですけど、皆さん良い人ですよ?」

「嘘つくんじゃねぇ! 俺が直々に行ってやったのにお前が良いだとか、やっと担当の方が来たの? だとか! レディレディのくそ女は話がつまらねぇとか抜かしやがった! こっちがニコニコしてりゃいい気になりやがって! 俺がここまで言われる訳ねぇんだよ! お前なんかネタ持ってんだろ? それで揺すってうまく契約取ったんだろ? さっさと教えろ!」


 えぇ……ネタも何もないんですが? 健全な企業だし。まじであの3人は優しいぞ? どんな雰囲気と言葉遣いで行ったんだこの人。


「だから無いですよ。それに、表面上は先輩の担当だったでしょう?」

「それだぁ……お前厄介なところを俺の取り分にしてたんだろっ! クソみたいな奴だな!」


 ……契約件数の譲渡という点については、確かにクソだったな。


「3社の担当の方は皆さん良い人ばかりですよ? それより、契約上先輩担当の企業は一杯ありますけど、大丈夫ですか?」

「うっ、うるせぇ! ちっ! くそ……また掛けるからなっ! 絶対教えろよ? てかその場に来いっ! 分かったな? クソがっ!」


 ピッ


 うお……こっちもこっちでヤバいぞ? こうなれば、被害を最小限に留めよう。


 俺は早速、蘭子・先輩・さっきの社用携帯の番号を着信拒否。メッセージアプリであるストロベリーメッセージもブロックした。


 頭の中お花畑で、俺なんて眼中にないと思ってたけど……思わぬ連絡だわ。

 むしろここまで低レベルな奴らだとはな? それにありがたみを感じてた俺って……


 自分の見る目のなさに悲しさを覚えながら、俺はすっかり伸び切ったカップラーメンを啜った。



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