第8話 女子大生と昔話2
それから数時間後……俺は神社に到着した。
そして、いつもの場所であの部屋に視線を向けると……その日はベランダにあの子の姿はなかった。
その時点で俺は安心したよ。きっと児童相談所の人が来て、保護してくれたんだと思ったんだ。けど、その感情はすぐさま消え去った。
その瞬間、勢いよく開くガラス戸。あっけに取られた俺の目に飛び込んだのは、ベランダへと勢い良く吹っ飛んで来た人影。まるで最初に見た時のような光景に、一気に心臓が早くなる。
すると、ベランダに近付く母親らしき人。その先には必死に起き上がろうとするあの子。遠くからでも、その弱弱しさは分かる。赤の他人の俺に出さえ、十分に理解できる。けど……その母親らしき人は次の瞬間、思いっきりその子の顔面にビンタを食らわせた。
はっ、はぁ?
思いっきり振りかぶったビンタのおかげで、その子は横へと吹っ飛ぶ。けど、母親らしき人は満足していないのか、倒れる子の近くに歩み寄り、今度は足を上げた。
まさか。
嫌な予感しかしない。けど、同時にそこまでは……そんな気もした。けど、あの母親の様な鬼は……俺の考える許容範囲を超える行動をした。
上げた足を真っすぐ落とす。そう、あの子に向かって。
その光景は、この世のモノとは思えなかった。何が憎くて、自分の子どもをそこまで痛み付けるのか意味が分からなかった。それでも、1回、2回と止める様子が見えない鬼の所業。
それを目の前に、俺はいつしか自転車に跨っていた。正直、その道中の記憶は殆どない。けど、気が付けばその住宅の前に居て、自転車を放り投げて……上の階へと駆け上がっていた。
そしてある部屋の前にたどり着くと、何度も何度もインターホンを鳴らした。位置的にはこの角部屋で間違いない。階数だって合ってる。
早くしないと、あの子が……
ガチャ
「うるせ~な! だれ……ちょっ!」
ドアが開かれたと同時に、俺は玄関に出てきた人を押しのけ、一目散に部屋の中へ入った。今思えば、完全に住居不法侵入ってやつだよな? ほんと、勢いってのは恐ろしい。
玄関の先にリビング。その脇にはもう1部屋あるだろうか。ただ、リビングの様子だけで……環境の劣悪さは一瞬で分かった。シンクに溜まった食器。床に散乱するゴミ。テーブルの上には様々なお酒の空き缶。
それだけでも俺は唖然としていた。けど……あの子の姿を目にした途端、そんな感情とは裏腹に、体が勝手に動き出した。
ベランダへ続く窓。そこから四つん這いになって、中へ入ろうとする人物。その服装は、遠目で見たものと同じだった。
『だっ、大丈夫か!』
部屋の中を駆け、しゃがみ込み……そっと肩を抱き抱える。近くで見れば白かっただろうTシャツはヨレヨレで、所々い汚れが目立つ。髪はボサボサ。触れた二の腕は、まるで骨を触っている様に固く。足も腕も骨が浮き出ている。そしてゆっくりと俺の顔を見上げる顔は……かなり瘦せ細っていた。
『てめぇ! なに人んちに入って来てんだよ!』
大きな声で怒鳴り散らす母親。そんな姿を目の前に、俺の中では恐れより怒りが勝っていた。
『ふざけるな。こんな小さい子を虐待しやがって! 全部知ってるぞ!?』
『はぁ? 何が虐待だ! てめぇこそ人様の家に入って、犯罪者じゃねぇか!』
『お前よりはマシだ!』
『こんのクソガキ!』
その時、母親はテーブルに置いてあったコップを手に取ると……あろう事か、全力で振りかぶった。今までの行動を見る限り、フリでは済まない。
その瞬間、俺は後ろにいる子どもに当たらない様に、体を前へと動かす。ただそれは一瞬だった。
パリン
気が付けば、こめかみの部分に鈍痛が走り……瞬く間に熱くなったかと思うと、左目の視界が真っ赤に染まる。
やばい。血か? 切れたかも……
朦朧とする意識の中、必死に状況を整理しようとした。けど、そんなのお構いなしに、母親の狂気は止まらなかった。気が付けば、その手には2個目のグラス。
あぁ……やばい……
パリン
2度目のガラスが割れる音が後ろから響いたかと思うと、
『うっうぅ……』
耳に入ったのは、子どもの呻き声だった。慌てて子どもの方を見ると、左のこめかみ部分を必死に抑えている。しかもその手の中からは赤い液体がしたたり落ちた。
あっ、当たったのか!?
『大丈夫か!?』
その後の事は、全部とっさの行動だったよ。その子が抑える手をどけると、こめかみ辺りから出血しているのを確認してさ……着ているTシャツを脱いで、傷口に当てて……必死に止血しようとしたんだ。
後ろでは、母親がなんか叫んでた。
けど、その声が段々と聞こえなくなって……振り向くとスーツを着た人達が何人も居たっけ。
その子どもは、目を見開いて震えてた。そりゃ色んな大人が来て、こんな怖い思いしてるんだから当然だ。だから俺は、何とも何度も声を掛けた。
『大丈夫。俺達は君の味方だから』
こうして、何度も声を掛けて行くにつれて……少しだけ震えが収まった気がした。だから俺は聞いてみたんだ。
『大丈夫。俺の名前は丈助。君島丈助。君の名前は?』
『……え……み……』
それは今にもかき消されそうなほど、掠れて小さな声だった。それでも、初めて聞いたえみちゃんの声は嬉しい意外の何者でもなかった。
『えみちゃんか。そうか……今度会う時は、君の笑みを見せてくれよ?』
その言葉がその子の耳に届いたかは……分からなかったけど。
その後、俺はいったん駆け付けた人達の車に乗って……その場を後にした。後から分かったのは、駆け付けた人達は児童相談所の人達で、部屋に向かおうとした時にあの母親と俺の言い合いを聞いて急いで部屋に来たらしい。
俺は色々と聞かれ、物の見事にお叱りを受けた。
事情を話し、迎えに来た母さんと父さんにも、もれなく叱られたっけ。
ただ、本来なら俺も色々としでかしていたけど……児童相談所の人達の配慮で、そこまで大事にはならなかった。
『色々と準備すっ飛ばして、こっちの身にもなってくれよ? けど……君はあの子を助けた。君の行動は誇るべきモノだ』
所長さんに言われた言葉は、胸に響いたけどね。
母さんも父さんも呆れてたなぁ。でも、2人共……結果として俺の行動を褒めてくれたっけ。
それから数日間、母さん伝いであの子の話を聞けた。
母子家庭で4歳の女の子。名前は個人情報の関係であれだったけど、直に聞いてたし別に問題は無かったよ。やっぱり日常的に虐待を受けていたらしく、母親が仕事に行く時は基本的に部屋に1人。俺が見た時は、特に仕事でのストレスでえみちゃんに当たっていたそうだ。
ベランダに追い出し、口にできるのは2Lの水だけ。食事もその時の気分で、当の本人は男の所に行って帰ってこない日もあったそうだ。その4歳という年齢とあの小さい姿を並べた時に、感じた違和感に納得がいったよ。
あと、なぜ声を上げて助けを求めなかったのかと思ったけど、それも母親による一種の洗脳があったらしい。
泣いたり大きな声を出したら手を上げる。そうしていく内に、子どもは自分の身を守ろうと騒がなくなる。自発的に声を出す=叩かれるというのがインプットされる。
まさにえみちゃんもその状態だったんだ。だから声を出せず、誰かに助けを求める事も出来ない。
『丈助。やっぱり、偶然とはいえ……あんたはすごいよ。幼い命、救ったんだから』
『そうだぞ? 誰が何と言おうと、お前はすごい奴だ』
そんな母さんや父さんの言葉。所長さんの言葉。職員の皆さんの笑顔。みんなの反応は……もちろん俺にも伝染したんだ。そして、その夏の日……俺にも明確な目標が出来たんだ。
世の中には、こういう立場の子がたくさん居る。そんな子ども達を助けたいって。
★
その後、児童養護施設に預けられると聞いて安心してた。少なくとも、あの地獄の様な状況ではないし、叶うなら元気で幸せに暮らしてほしいと願った。
あの時の子が……君だったのか、えみちゃん。
その事実に、胸が熱くなる。これ程喜びを感じたことは無いかもしれない。
ただ、そんな熱さの中に冷たいひと振りが襲い掛かる。
もちろん嬉しい。
偶然とはいえ、元気なえみちゃんに出会えたんだから。
けど……だからこそ、君と俺は一緒にいちゃいけない。
君は本当に変わった。強く美しくなった。
けど俺は違う。
あの時の……高校生だった俺とはすべてが違う。
あの頃溢れていた、自信も行動力も失った。
確固たる決意も、1度決めて突き進んだ夢さえ諦めた。
そして今の俺は……何もかも失ったクズ人間だ。
なんて顔して面と向かえば分からない。
対峙するに当たらない人間に……なり下がったんだよ。
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