第7話 女子大生と昔話

 



 考える素振りもなく、口から零れた答え。

 それが耳に入った瞬間、俺は思わず顔を伏せた。頭の中が整理出来ず理解も出来ない。ただ、現に目の前のえみちゃんがそう口にしている。


 だとしたら、聞きたい事は沢山ある。そうだ……


「なっ、なぁえみちゃん!」

「う~ん。むにゃむにゃ」

「えっ?」


 1つ間を取り、思い切って顔を上げると……なんとえみちゃんは、いつのまにか気持ち良さそうにソファで寝ていた。


 あっ、あれ? 寝た?

 一瞬あっけに取られてしまったけど、不思議とその寝顔が目に入ると……心が休まる自分が居る。その理由はなんとなく分かる。純粋に、ここまで立派に大きくなってくれた事への安堵感だった。


 っと、このままここで寝てたら風邪引くよな。とりあえず、ベッドに連れて行かないと。ベッドがある部屋はあそこだな? 勝手に入るのは気が引くけど……ベッドに運ぶだけだから勘弁してくれえみちゃん。

 俺は立ち上がると、えみちゃんの背中と足の下に手を通す。その見た目通り体は軽くて、あっという間に持ち上がった。


 本当に軽い。けど、その見た目は健康的で、腕には体温の温かさを感じる。あの頃の、やせ細り骨しかなかった姿と比べると……嬉しさが込み上げて来る。


 そんな事を感じながら、俺はえみちゃんを寝室へと運ぶと、そっと寝かせた。そしてシーツを掛け、もう1度その寝顔に目を向ける。


「本当に……大きくなったよな」


 思わず言葉を漏らすと、静かに部屋を後にし……1人ソファへと腰掛けた。

 あぁ、本当に懐かしいな。あれは忘れもしない、俺が高校2年生の時だった。暑さ感じる夏の日に……俺は初めて君を見たんだ。




 ★




 高校2年の夏休み。

 地方に住んでいた俺は、別に何を考える事もなくダラダラと夏を過ごしていた。

 けど、そんな姿を見た母さんに、


『あんた……ちょっとは卒業後の進路考えたら?』


 今思えば、母さんの言う事はごもっとも。あの時の俺は本当に何にも考えてなくて、適当にどこか就職するんだろうって漠然としていた。

 けど俺は、そんなのを毎日聞いてる内に、家に居るのが嫌になったんだよね。


 だから、朝起きて自転車に乗って……ある場所で1日を過ごすのが日課になっていた。

 それが、自転車で約1時間。山間部にある町を抜けた先、山道を登った場所にある小さな神社。


 ある日、当てもなく自転車を漕ぎ続け……偶然見つけた場所で、片側の岸壁からの景色が最高だった。大きな川に木々の中に町が存在する。言うなれば、古き良き田舎の景色が一望でき、安らぎを感じる場所だったんだ。


 人なんて来ないし貸し切り状態。屋根の付いた休憩場所で、携帯をいじりながら1日過ごすのが最高だったよ。

 そんなある日……君を初めて見た。


 いつものように、辺りの風景を見ていた時……川沿いにある団地のような住宅が目に入った。ちょうどこっちからはベランダが見える位置だけど……別に今までも目にしてたし、むしろここへ来るまでに目の前を通っていた場所。その日も、何気なく視線を向けたんだ。


『市営住宅……かな。ん?』


 その時だった。ある階の角部屋のガラス戸が勢いよく開いたかと思うと、すごい勢いで中から人影が飛び出してきた。そしてその後に現れたのが、母親らしき人物。何かを言いながら指をさす先に居たのは……髪の長い子どもだった。


 単純に体の大きさから決めつけてんんだけどさ? 結果としては合っていた。

 その日はさ? なんかして怒られたのかな? 程度で……気にも留めなかったんだ。


 けど、次の日……少し気になって、またその部屋を見た。すると、格子の間から見えるベランダに、その子は座って居た。体育座りで顔を埋めてさ? 俺も少しは気にはなったよ? でも、まだ許してもらえないんだろうな……的な感覚だったと思う。


 ただ明くる日、その感覚に違和感を思える事になった。

 神社に着いて、その部屋のベランダに目を向けると。やっぱりその子はベランダに居たんだ。昨日と同じように体育座りで顔を埋めて。

 俺もさ? 流石にやりすぎじゃないかって気持ちになっていたけど……その時ある事に気が付いた。昨日と服が全く一緒だって事に。


 しかも昨日だけじゃない、思い出せば初めて見た時から、着ている服は一緒だった。白のTシャツに、黒い短パン。もしかすれば微妙にデザインが違う服なのかもしれないけど……あの時の俺は、それに気が付いた途端結構焦った気がする。頭には薄っすらと、最悪な二文字が浮かんだ。

 でも、目の前の光景が現実だと受け入れられずに……まだ、気のせいだって自分に言い聞かせたよ。


 そして翌日……俺は認めざるを得ない状況を目撃した。

 何時もより早く神社に到着し、あの部屋に目を向けた。するとやっぱりあの子は居た。その時点で、胸がモヤモヤしたのを覚えている。しかも、この日はいつもとは違って座って居ない。何度も何度も窓を……叩いていた。


 服装は昨日と一緒。

 しかも思えば今は夏。いくら日影が出来るベランダとはいえ、気温の高さは相当だ。そんな中何時間外に居るんだ? ご飯は? 水は? 

 その日俺は……暗くなるまで神社に居た。あの子が見えなくなるまでずっと見ていた。けど結局……その部屋に明かりが灯る事は無かった。


 その後家に帰ると、母さんにこっぴどく叱られたのを覚えている。でも、正直なんて言われたか覚えてない。とにかく、あの子の事が気になって仕方なかった。

 頭の中にはずっと二文字が浮かんでいる。この目で見た事は現実なんだと突きつけられた。


 あの子は……虐待されている。


 そんな俺の様子を察してか、母さんが俺に聞いたんだ。


『ねぇ丈助? 何かあった?』


 その言葉が耳に入ると……俺は無意識に口にしていた。今までの事を……全部。


 リビングのソファに座り、母さんと父さんは俺の話を聞いてくれた。最初は見間違いじゃ……なんて反応だったけど、余程俺が必死だったらしい。建っている場所と、市営住宅っぽい建物という曖昧な情報だけで住所は分かったし、部屋番は分からなくても4階の角部屋だってのは確かだった。

 そんな事をこれでもかと言ったと思う。最後には2人共顔面蒼白になっていた。


 結局、母さんと父さんは顔を見合わせ……時間も時間だし、明日管轄の児童相談所に連絡してもらう事になった。

 ちょっとは安心したよ? これでもしかしたら救われるかもしれない。虐待じゃなくても、そういう連絡があったらあの子の家に注意を払ってくれるかもしれない。


 それでも……様子を見に行かない訳にはいかなかった。

 次の日の朝、母さんが児童相談所へ連絡してくれた。俺はそれを横で聞いてたっけ。


 当たり前だけど、色々聞かれたと思う。俺の事も、あの子が住んでる場所も。どういった経緯で分かったのか、どういう事を見たのか。途中で俺が電話を替わり……見た事を全て話した。そして、


『分かりました。それでは可能性も含めて、職員を向かわせます。ご連絡いただきありがとうございました』


 その言葉で……俺は本当の安堵感を得た。

 もちろん母さんにもお礼を言って、 


『丈助のおかげで、1人の子どもが救われるかもしれない。それって凄い事だよ?』


 そんな事言われて妙に恥ずかしくなったっけ。

 けど、実際に目で見ないと納得できなかった俺は、直ぐに自転車で神社に向かったよ。


 あの子が救われるかどうかを確認する為に。




 

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