第6話 女子大生に明かされる
「ふぅ……」
程良い温かさのお湯が、体全体に染み渡る。
立ち上がる湯気に額を流れる汗。足が伸びきる広さの浴槽は、疲れという疲れを消し去ってくれる。
朝にシャワーを借りた時にも思ったけど、お風呂場も結構広いな。しかもこの浴槽のデカさは、最高としか言いようがない。流石お高そうなマンションのお風呂場だ。
「けど、やっぱこのまま甘えている訳にもいかないよな」
えみちゃんの優しさで、ここの部屋へ入れさせてもらった。
やけくそだったけど、あの出来事を吐き出して楽になった。
だからこそ今日、部屋にも行けたし……転出の話も出来た。
昨日出会ったばかりだけど本当に良い子だよ。お風呂だって、最初は先に俺に入るように言ってくれてさ? それは流石にダメだと思って、先に入ってもらったけど。
君は今、人気を博しているモデルさんなんだ。俺といる事でマイナスな事が起きないとも言い切れない。メリットなんかよりデメリットの方が遥かに大きいんだ。
だからこそ……
★
「えみちゃん。俺、住む場所決めたらお暇するよ」
「えっ?」
風呂上り。さっぱりしたはずなのに、俺を襲うのは冷たい視線。
ぐっ! なんとなく予想はしていたけど……さっきの柔らかい表情も見ているだけに、より一層恐ろしく感じる。けど、ここで引けない。
「正直えみちゃんには感謝してる。昨日の今日でやるべき事をやれたのは、えみちゃんに色々話して色々お世話になったからだ。でも、君は今飛ぶ鳥を落とす勢いのモデルさんだよ? やっぱり、俺の存在は負担にしかならない。だから……」
「あの君島さん?」
「えっ? あっ、はい」
「気持ちは分かりますけど、住む所と同じくらい大事な事あるんじゃないですか?」
「住む所と同じくらい?」
「そうですよ? ずばり仕事です」
うっ! なんだ? ごく当たり前の事を言ってるはずなのに、妙に胸に突き刺さる言葉! けど、言われてみれば……確かにそうだ。働かなければお金がもらえない。お金が無ければ、家賃も払えないし生活もできない。
「それはそうだけど、ほら! 一応貯金もあるし。当面の生活は……」
「ホテルに泊まるとしてもお金掛かりますし、住む場所決めても大体の所は契約時に敷金礼金ありますよね? どっちにしろ、減る一方なのが分かっている。収入の見込はない。なのに出て行く……とんでもない選択だと思いますけど?」
ぐっ! まっ、まさに正論だ。正論過ぎて反論が出来ない。どうする俺? そもそも、諸事情を抜きにしても年下の女子大生に甘えて良いのか? こういうのは逆だろ? 年上が甘えさせるもんだ。
あぁ、そうだ。俺にだってプライドが……
「もしかして男のプライド、年上の面目、大人の意地とか……色々考えてます?」
がはっ! なっ、なぜだ……なぜ俺の考えている事が!?
「その表情……図星ですか?」
「そっ、そんな訳無いだろ」
はぁ、なんだろう。えみちゃんには全て見透かされてる気がする。
「そうですか? なら良かったです。まぁ夜は長いですし……」
ん?
そう言うと、えみちゃんは徐に立ち上がりキッチンの方へと歩いて行った。そして冷蔵庫から何かを取り出したかと思うと、こちらに戻って来たその両手にあったのは……
「これでも飲みながら話しましょうか」
キンキンに冷えてるであろう缶ビールだった。
なっ、ビール? えみちゃん飲めるの? てか、そもそも名前は知ってても、何歳か分からない。仮に未成年だとしたら、色々とやばくない?
「ちょっ、えみちゃん? それビールだよ?」
「はい? そうですけど」
「そうですけどって、えみちゃん飲めるの? そもそも大丈夫な年齢なのか?」
「失礼ですね。これでも20歳、今年で21歳ですよ。全然OKな年齢です」
そっ、それなら大丈夫か……って、良いのか? このタイミングでビールなんて飲んで!
「けど、俺ビールでいい思い出が……」
「1本なら大丈夫じゃないですか? はい、どうぞ」
何となく不安が過ぎったものの、えみちゃんに差し出されたビールを断る事ができず、俺は手に取ってしまう。そして勢い良く蓋を開けるえみちゃんは、すかさず俺にさっさと開けろと言わんばかりの視線を向ける。
……こうなると、飲むしかないか。俺としてはシラフな状態で話をしたかったけど、1本なら大丈夫か。
カシュッ
「はい。じゃあ、かんぱーい」
「乾杯」
ゴクッ
悔しいけど、キンキンに冷えてて旨い。
「はぁ~美味しい。ごちそうさまです」
「ん? ごちそうさま?」
「だって、これ昨日君島さんが買ったビールの残りですもん。だから、ごちそうさまです」
そう言いつつ、首を傾げながら俺を見ているえみちゃん。その飲みっぷりは、意外や意外結構豪快だった。
えらいペースだな。もしかして結構イケる口なのか? 美人モデルが酒豪……そのギャップはキャラ付けとしてもインパクトある。
「ふぅ。それで、なんのお話してましたっけ?」
っと、感心してる場合じゃないな。さっきは正論ぶちかまされたけど、やっぱりすぐにでもここは出ないと。
「えっと、やっぱりえみちゃんに悪いから、アパート見つけたらここを出ていこうと思ってる」
「あぁ、そんなこと言ってましたね。答えはノーです」
ですよねぇ。
「いや、感謝はしてるよ? てか、むしろ感謝してるからこそ、俺がいることによるデメリットを回避したいんだ」
「さっきからデメリットって言ってますけど、具体的になんですか?」
「それは、例えば今朝も言ったように同棲疑惑を週刊誌にすっぱ抜かれたり!」
「出入りずらせば問題ないですよね?」
「住民から漏れる可能性も!」
「ここに住んでるのは、みんな同じ事務所関係の人ですよ? 可能性は低いと思いますけど」
「0じゃないなら、危ないでしょ?」
「普通のところに住んでる人のほうがリスクはあると思いますよ?」
ぐぐっ……
俺と居る危険性を説いても、当のえみちゃんは全く動揺しない。それどころか、どんどんと饒舌になってきている気がした。
「大体、私が良いって言ってるんだから良いじゃないですか?」
「いやいや。だからそこまで甘えるわけには……」
「もう、めんどくさいなぁ。そこは潔くハイって言えばいいじゃないですか」
「えぇ……」
なんか口数が多い? しかも心なしか顔が赤いような……
「大体! 女の子が家に呼ぶなんてよっぽどの事ですよ? なのにウジウジして、挙句の果てに世間体を気にして……もうすでに1泊してるんですからね! 事実は変わりませんよ?」
「あの、えみちゃ……」
「1泊したら、あとはどれだけ居たって変わらないじゃないですか。だったら、黙って居れば良いんですよぉ」
あれ? 気のせいじゃないかも。やっぱり顔は赤いし、なんかめっちゃ口数多いし、テンションも高い。酔っぱらってる? けど、ビール飲んで5分くらいしか経ってないぞ? それでここまで酔えるものなのか?
「聞いてますかぁ? 君島さぁん?」
「はっ、はい! 聞いてます!」
「人の話聞く時は、ちゃんと顔見てもらえます? あれですか? 良く見たら不細工だとか思ってます?」
「そっ、そんな事無いって。凄く美人です」
「そこは可愛いって言って欲しいなぁ」
その瞬間、俺は確信する。前の職場では、接待という名の飲み会も多く経験した。そのせいか、アルコールが入る事によって変貌を遂げる人も多く見て来たものだ。その経験上、目の前のえみちゃんは……酒に飲まれるパターンでは?
となれば、非常に厄介だ。いつもの性格とは真逆になる人が多く、更に記憶がない人も多い。だからこそ次の日になんて事無い表情で、そのギャップにある意味一目置かれる。えみちゃんはどのレベルなんだ? けど、下手に刺激したら昨日以上のとんでもない事になりそうだ。
「ほらぁ。なにボサっとしてるんですか? 可愛いって言う所でしょ」
慎重に行かないと……
「かっ、可愛いです」
「本当~? ふふっ。もう1本行っちゃお」
「えっ? もう1本?」
「何ですか~? ダメなんですか~? 君島さんは昨日10本以上飲んでたじゃないですか!」
「そっ、そうですね。どうぞ……」
そう言いつつ、冷蔵庫に向かうえみちゃん。けど、その足取りは少しおぼつかない。しかしながら両手にしっかりビールを持ってくる辺り……まだ大丈夫な気はする。
「あぁ……そうだ! こうしましょう君島さん!」
「はい?」
「せめて、次の仕事決まったらここを離れるってのはどうですか~? 職があれば、私も一安心ですから」
一安心って……大学生に心配されるとは、俺昨日どんだけ酷い感じだったんだよ。けど、仕事か……次は慎重に選びたいと思ってるんだよ。前の職場決めたみたいに、求人票の情報で即決は勘弁。けど、それだと時間が掛かる。時間が掛かれば、この条件を承諾すると必然的にここに居る期間が長くなる。それがえみちゃんにとってプラスなのか? 住む場所を助けられるという甘えに、そこまで乗って良いんだろうか。
「君島さ~ん? また考えてたでしょ?」
「いっ、いやそんな事は」
「嘘ばっかり。昨日からその顔見飽きたんですけど? だから、私が良いって言ってるんだから良いじゃないですか? てか、良いって言え」
「いっ、言えって……」
「言わなきゃ警察連絡します。襲われたって言います」
「なっ、そんな物騒な……」
「どうするんですかぁ?」
まずいな。酔っぱらっているからか、いつも以上に考えが過激だ。しかも断ったらマジで警察に連絡されかねない。
ここは明日この記憶がない事を祈って、とりあえず承諾するか? そのパターンが1番安定なのかも。
「そっ、それじゃあ。お願いします」
「まっかせなさーい」
……ふぅ。とりあえずご機嫌は損ねなかったか。優しさが尖り過ぎだよえみちゃん。
「なぁ。えみちゃん?」
「はーい?」
「昨日も聞いたけどさ? なんで俺なんかの為にここまでしてくれるんだ? こんなおっさん……初対面のおっさんだぞ?」
「おっさん? 初対面?」
その瞬間、えみちゃんの眼つきが少し鋭くなった。かと思うと、突然ソファから立ち上がり、声高らかに言葉を放つ。
「はぁ……やっぱり忘れてるんですね?」
その言葉に疑問が浮かぶ。
忘れてる? なんだ、何処かで会った事があるって言うのか? けど、だとしたら覚えていないはずがない。人の顔と名前を覚えるのは、営業の仕事上必須だったから自信がある。
「忘れてる? それって……」
「まぁ仕方ないですよね。でも、君島さん? これ見ても思い出せませんか?」
えみちゃんはそう言うと、顔を右側に向けた。そして、サイドの髪の毛を掻き上げると、右手でこめかみ辺りに指をさした。
ん? こめかみ? 一体なにが……っ!!
俺が目を向けると、そこには……2センチ程髪が無い部分があった。それも不自然に、まるで傷の様な形。一見すれば、ただの傷で終わるんだろう。けど、俺にとってそれは、ある意味衝撃的である意味信じられない衝動を掻き立てた。なぜなら……
自分にも全く同じ場所に、傷があるのだから。
そしてその傷が出来た時の事は、今でも鮮明に覚えている。
10年以上前の事だけど、ハッキリと覚えている。季節や場所、そして一緒に居た人の事さえ。
一気に心臓が波打つ。驚きで息が上手く出来ない。ただ、えみちゃんの見せたその傷は……見覚えがある。むしろその傷が出来た瞬間を、この目で見ていた。
「えみちゃん……その傷」
「思い出してくれましたかぁ? 君島さんにも左のこめかみ辺りに、同じ傷ありますよね?」
同じ場所に傷がある……ただの偶然かも知れない。けど、目の前のえみちゃんと、俺の記憶にある女の子の名前は一致している。それは代え難き事実だった。
「あっ、あぁ」
「ふふっ」
嘘だろ? けど、どうしてここに居るんだ? なんで君が東京に? いや……そんな事はどうでもいい。まずは、ちゃんと君の口から聞きたい。
「あの時の……女の子かい?」
「そうですよ? あの時の女の子です」
その言葉は、胸に響く。
それと同時に、何とも言えない感情に襲われる。
ただ1つ、確かな事があった。それは紛れもない事実で、目の前のえみちゃんがその証拠だった。
間違いない。確かに初めましてじゃないよ。16年前、俺が高校生の時……
俺とえみちゃんは、出会っているんだから。
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