第5話 女子大生に褒められる
「じゃあ、先に君島さん出て下さい。別にそこまでしなくても良いと思うんですけど」
「いやいやダメだろ。それじゃあ野暮用が終わったら連絡するから」
「絶対ですよ?」
「分かったって」
ふぅ。
何やら鋭い視線を感じながら、俺はえみちゃんのマンションを後にする。降り注ぐ太陽が、今日は一段と眩しく感じた。
っと、昨日は気にも留めなかったけど……オーディナリリイって名前なのかここ? ……直訳すれば平凡? 何処がだと言いたいな。
心からそう思いながら……俺は不思議と笑っていた。
「じゃあ……行こうかな」
★
住み慣れたはずの、見慣れたはずのアパートにここまで嫌悪感を抱いたのは初めてだ。
俺は扉の前に立ちながら、そんな感覚に襲われる。
昨日家にいたとしても、この時間なら出勤してる。道中も、幸い行き会う事は無かった。部屋には誰も居ないはず。
鍵穴に鍵を差し込むと、それは何とも簡単に音を立てた。流石に昨日の今日で鍵穴を変えるという狂気的な行動には至らなかったんだろう。
とはいえ、この先は……もはや俺の家じゃない。大きく息を吐くと、、俺はそのドアを開ける。
1LDKの部屋は、驚くほどに真っ暗だった。
ったく、部屋のカーテンくらい開けて行けよ。
そんな事を考えながら、中に足を踏み入れると……そこには見るも無残な光景が広がっていた。
カーテンを開けずとも、そのシルエットで分かるゴミの山。
差し詰め、昨晩は大盛り上がりだったんだろう。徐にカーテンを開けると、日差しに照らされたそれらが現れる。
「……ピザに惣菜の山? ビールの空き缶にウイスキー? いやいや……片付けぐらいしろよ」
正直、元々俺の城だった場所がここまで汚いのは見ていられないな。さっさと準備して……出よう。まずは服だな。
服は隣の部屋のクローゼットに置いてあった。今は寝室として使っている場所。そして、奴らが致した場所でもある。
早めに…………ぐおっ!
勢い良く扉を開けると、その光景も悲惨なものだった。
片付けもされておらず、乱雑なままの布団。散乱するコンドームに、脇のゴミ箱に積まれたティッシュの山。
「うえっ」
寝室は、吐き気を催す程の悪魔のねぐらと化していた。
いやいや、何回ヤッてんだよ。まぁあいつ胸だけはでかかったからな。まぁ、通りで最近拒否られてた訳だ。今となっては有り難いけどさ。
っと、そうと分かれば、こんな場所に1秒でも居たくはない。えっと、大きめの鞄は……あった。ここにスーツと私服に……最低限これだけあればいいだろう。
早々に支度を終えた俺は、一目散にその部屋を後にする。
「はぁ……なんかめちゃ生臭かった……」
とはいえ、リビングの匂いも相当なものだ。本当に昨日までの自分の家だとは思えない。逆に1日で良くここまで汚せるものだと感心さえ覚える。
これで完全にこことはおさらばだな。
少し寂しげな気持ちにお触れながらも、俺は黙々と準備を進める。
携帯の充電器。携帯用のゲームとゲームステーション5。俺の私物なんだ、文句言われる筋合いはない。後は……通帳と印鑑だな。
リビングに備え付けられた、小さな収納スペース。予備の水やら何やらがあるけど……
「よっと……流石にこの荷物はどかせなかったか」
下敷かれたマットの下には、ある入口が隠されている。俗に言う床下収納。この存在は、美浜には教えていない。そしてここにこそ……
「あったあった」
俺の大事なモノが隠されている。
よしっ。開けられた形跡もないし、ちゃんとあった。これも回収して、元に戻して……っと。
ふぅ。必要なものは、全部揃ったな。とはいえ、まさかキャリーバックに収まるとはな。
部屋の大きさに対して、必要なものは出張用の小さめなキャリーバック1つ。
その事実に、少しだけ寂しさを覚えたけど……それ以上に、美浜との時間がこれ程無駄だった事に愕然とした。
こうしてみると、大半は美浜の所有物か……強請られて買った物か。しかも見れば見るほど、全然使っていないものが多数。
どうしてあんな料理も下手でお金も出さない奴と同棲してたんだ? 年下だし、頼られてた部分が嬉しかったのかもな。今思えば、良い様に使われてただけだけど。
まっ、とにかく……大事なものは回収出来た事だし、長居は無用だ。
「今までありがとうな? 201号室」
俺はそう言うと、静かに部屋を後にした。
★
ふぅ。
辺りがオレンジ色に色付く中、俺は1人……あの公園の前を歩いている。
とりあえず、早急にやるべき事は終わったな。
通帳・印鑑といった大事な物の回収はOK。
あと、不動産屋に行って転出の話もしてきた。1ヵ月後に部屋の契約は切れる手はず。次の部屋の話になった時は焦ったなぁ……あそこの不動産屋に罪はないけど、同じ所から契約するのは危険だ。個人情報がうるさい世の中でも、何かあったらあいつが追いかけてきそうだ。
別の不動産屋で良い場所見つけたって言ったら、少し悲しそうだったな。大学の部屋から今までお世話になって来た所だけに……心が痛む。
あとは、水道・ガス・電気も連絡OK。
転出の際に部屋に何か残ってたら、追加料金はかかるけど処分してもらえる事になったし……大体は良いんじゃないか?
とりあえず、今すべきことは終わった。昨日の今日で、意外とやれば出来るもんだな。
……いや、俺1人だったら無理だったよ。えみちゃんと話せたからこそ、俺は落ち着けたし……こうして冷静に行動が出来た。
今思うと、めちゃくちゃ助けられた。けど、その優しさにいつまでも甘えてはいられないよな?
でもまぁ、今日はいいだろ。それに、お礼も兼ねて食材も買ってきた。思いのほか時間が掛かったから、もうえみちゃんは部屋にいるみたいだし……早く行って、晩ご飯作らないと!
★
よし。出来た。
綺麗に掃除されているキッチン。その場を借りて、俺は渾身の晩ご飯を作り上げた。
炒飯、スープ、チンジャオロースに餃子。まさに中華三昧。流石に餃子は時間が無かったから市販の物を買ったけど……味には自信がある。まぁえみちゃんに苦手な物が無いって言うのが、有り難かったけど。
えっと、スープ置いて……終わり。その前に洗うもの洗っちゃうか。
「洗い物先にするから、食べてて?」
テーブルに置かれた数々の料理を目の前に、えみちゃんは気を遣ってくれている様だ。
「えっ、先に食べるのは気が引けますよ」
俺としては冷めない内に食べて欲しいんだよな。
「じゃあ、俺見てるから炒飯食べてみて? 感想聞けるだけで嬉しいからさ?」
「でっ、でも……」
「熱い内にどうぞ?」
「あっ……じゃあ、お先にいただきます」
「どうかな?」
「おっ、美味しいです」
おっ、なんか驚いてる? その表情は初めて見たよ。
という事は……とりあえず口には合ったのかな?
「本当? 良かった」
★
それから俺達は、テーブルに置かれた晩ご飯を堪能した。
バイトの経験から、料理の腕は悪くはないと思っていたし、実際家では殆ど俺が料理を作っていた。 ……今思えば本当に、あの女にはムカつくばかりだ。ただ、おかげで腕が腐る事無く、えみちゃんにお礼として晩ご飯を振舞う事が出来た訳だ。
えみちゃんと2人。テレビを見ながら晩ご飯。
俺の料理の話やら、えみちゃんの料理の話。過去のバイトの話なんかして……なんか久しぶりに穏やかな時間を過ごしている様に感じた。
「ふぅ~ご馳走様でした!」
「お粗末様でした」
そして全料理を平らげ、満足そうなえみちゃん。そんな姿を目にして、俺にもまだ人の役に立てるんだと……少し安心する。
「君島さん。本当に美味しかったです。ありがとうございました」
おっ、おぉ! ちょっと笑ってる? 微笑んだ?
お皿を片付けようとした瞬間、不意に訪れた……初めて見るえみちゃんの表情。それは、自分の心に……めちゃくちゃ染み渡る。
「本当? お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞なんかじゃありません。本当美味しかったです」
「なっ、なんか面と向かって言われると恥ずかしいな」
「何度でも言いますよ? 君島さん。料理本当に美味しかったです。ありがとうございました」
料理を作って、こんな表情をされたのはいつ振りだろう。
美味しいと言われたのはいつ振りだろう。
お礼なんて言われたのは……いつ振りだろう。
あぁ、えみちゃん。最初は色々と疑ったりしてごめん。けど、昨日からの君の行動や……その礼儀正しさを目の当たりにしてさ? 俺は思ったよ。
えみちゃん。君はとんでもなく良い子だよ。
「とんでもない。俺の方こそお礼を言いたいくらいだ。俺の料理を食べてくれてありがとう」
だからこそ……俺なんかと一緒に居ちゃいけないんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます