第3話 Side-智也 大丈夫、全部僕に任せろ!

 半日かけてようやく辿り着いた。

 ここは数年前までレンタルビデオ屋だった場所だ。

 鉛色の鉄板で囲まれた部屋は地下室。入口を入ってすぐ横に鉄板で作られた牢屋のような部屋がある。その中にあきが拘束されているのだろう。


 僕は背後から腕の中に収めている女の首元に、果物ナイフを突きつけ、ゆっくりとその部屋に近づいた。

 中から三田ともう一人、ヤクザ風のでかい男が出て来た。

「なお!」

 三田は人質の女の名を呼び、顔色をドス黒くした。


「僕を甘く見過ぎたな、三田。あきを返せ!」

 仲間は二人だけとは限らない。背後にも気を使いながら、なおの首にナイフの刃先を向けたまま、遠巻きに部屋の正面に移動する。


 そして、絶句した。


 鉄格子の扉は半分開いていて、その奥に半裸で縛られているあきの姿が――。

 目元は赤く腫れ、一体どんな仕打ちを受けていたのかと胸が苦しくなる。

「んーーーー、んんーーーーーーーー」と必死に抵抗しようとしている。


 隣にヤンキーのようにしゃがんでいる男は、あきの首元に注射器を構えている。


 この状況は一体――。


『職場に着いたよ~』『お昼休憩だよ~』という、あきからの恒例のラインメッセージが来ない事を不審に思った僕は、あきに電話をかけた。何度かけても繋がらず、職場に電話をかけたのだ。

 クリーニング店の店長も、何の連絡もなく出勤しないあきを心配していた。

 押し殺していた曖昧な不安は輪郭を成して僕に襲い掛かった。


 僕はあきのGPSを追いかけた。

 GPSが示した場所は全くの見当違い。持ち物だけが別の場所に運ばれたのだろう。


「なおと交換だ。あきを開放しろ」

「お前みたいなチキン野郎に一体何ができる? なおを放せ」


「この首に真横にナイフを入れる事ぐらい今の僕には容易い事だよ。あきを守るためなら罪だって犯してやるよ。お前の女にも同じ事してやろうか」


 そう言った瞬間、するりとなおは僕の腕をすり抜けた。ほんの一瞬の出来事だった。

 なおは全速力で牢屋に入っていくとしゃがんでいる男の股間を思いっきり蹴り上げた。「ううーーーー」と唸りながら悶絶する男。

 さらに10センチのヒールで丸まった背中を蹴っ飛ばす。

「なお!」

「このアマ―!」

 三田の横にいた男がなおに襲い掛かろうと大股で歩み寄ろうとした所を、僕はその前に立ちはだかった。

 手に持っていたナイフをなおの方に滑らせる。

「あきを頼む」

「わかった」


 三田が絡んでると察し、なおに連絡を取った。なおはGPSでこの場所を突き止めてくれた。そして協力する事を買って出てくれたのだ。


 なおはあきを縛っているロープとさるぐつわをナイフで切り、カーデガン変わりに羽織っている薄いシャツを脱いで、あきにかけてくれた。


 バギッ!!! という音と同時に左頬に激痛が走る。一瞬火花が見え、脳が揺れた。

 すさまじい形相をしたヤクザ風の男が、再び拳を振り上げる。

 グシャ!!! 

 顎先で何かが潰れるような音と共に、僕の体は重力を無視して吹き飛んだ。ゆっくりと天井が半回転して、ドサっと背中から落下した。下からパンチを食らったのだなと理解する。「ううっ、んんーーーーー」落下の衝撃で呼吸ができない。

 頭のすぐ上にはあき。

「智也!! 大丈夫?」

 あきが僕に覆いかぶさり庇おうとする。

「やめろ。大丈夫だから」

 これ以上あきに指一本触れさせない。

「う、う、うううーー」と唸り声を上げながら、股間キック野郎が起き上がる。

 ――まずい。回復したらしい。

 渾身の力を振り絞り、這いながら床に転がっていたナイフを拾いあげ、立ち上がろうとする男の腿にそれを突き刺した。

「うぎゃああーーーーーーーーーーーーーーーーーー 」

 と声を上げ転げまわる。

 男の髪を掴み上げ、そのナイフを男の首にあてがった。

「こっちから先に殺すか」

 おかいまなしと言った様子で、ヤクザ風男がのしのしと迫って来る。


 すかさず、なおが僕の前に両手を広げて仁王立ちした。まずい! 危ない!!

「なお! やめろ!」

 不意な出来事にヤクザ男は立ち止まった。


「なお。こっちに来い。なんでそいつを庇う?」

 血相を変えた三田が声を上げた。


「これ以上、罪を重ねないで! もう警察には連絡している。もうすぐ警察がくるわ」

悲鳴にも似た声でなおは三田にそう告げた。


「なにー」


 警察と聞いて、ヤクザ男は弾かれたように出て行った。もう一人の股間野郎も追いかけるように足を引きずりながら逃げた。

 残るは三田ー!

 お前は逃がさないからな!


「ようやく、タイマンできるね。三田ー」

 痛みに軋む体を持ち上げ、立ち上がり、なおを退けて三田に歩み寄る。


「なんだとー。池平のくせにぃ~」

 ヴァァキ!!!!! と顔面が鈍い音を立て、ツーーンと鼻の奥が痺れる。

 口の中はとっくに鉄の味が広がっていて、もはや傷みというよりも熱しか感じない。

 アドレナリンがふつふつ沸いて来て、不思議と痛いと思わない。


「そんなへなちょこパンチで僕を地獄に落とせるか?」

 最早まっすぐに立っている事も難しい。腰を曲げ、口から血を垂らし、下から三田の顔を睨みつける。


 腹に、腰に、背中に……。次々に熱した鉄球をぶち込まれる感覚が襲う。

 しかし――。

 僕は倒れない。

「まだまだだーーー! 三田ーーーー!!」

 ドス、ぐちゃっ、ヴァキ!!


「う、ううーーー。まだまだまだまだーーーーー!!!」

 三田は恐ろしいものでも目の当たりにしたかのように、一歩後ずさった。


 チャンスだ。


 はぁはっぁはぁ。呼吸を整え三田の顎先を目掛けて頭から前のめりに突進した。

 ガツン!! という衝撃とともに「うっっ!!」 と声を上げた三田は後方に倒れ尻もちをついた。僕の頭頂部が三田の顎にクリーンヒットしたのだ。

 起き上がろうとしたところで再び顎先を蹴り上げる。

 ヴァキっと音を立て、三田は床の上を転げまわる。

 中高サッカー部だったという経験が、社会に出てから初めて役に立った瞬間だ。

「うーーーうーーーーーーー。貴様ーーー。刑務所から出てきたら真っ先にお前らぶっ殺しに行くからなー」


 僕はナイフを拾い、あきに握らせた。

 一瞬、驚いた顔をしたが、じわっと涙を浮かべてナイフを胸の前でぎゅっと握った。

 意図が通じたようで、しっかりと意思を持った目で、僕の目を見つめてゆっくりと立ち上がる。

「んわぁぁぁぁ―――――--------」

 長い髪が背中で大きく揺れる。

 床で転げる三田に向かって、ナイフを大きく振りかぶり、股間に振り下ろした。


「ぐわーーーーーーーーー!!!! うぎゃあぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!」

 悶絶し、股間からドロドロと血を流しながら床を這いずりまわる。

 なんの打ち合わせもしていなかったが、あきがまさか股間を襲撃するとは思わなかった。

 ざまぁみろ。一生使い物にならないな。


 しかし――。

 こんなたったの一撃で、あきの気持ちが晴れるわけでも、こいつの罪が軽くなるわけでもない。この場でぐっちゃぐっちゃに切り刻んでやったって、あきが受けた傷は癒える事はないのだ。


 遠くにパトカーのサイレンが響いている。

 僕は、あきの手からナイフを取り、抱きしめた。


「これは僕の犯行だ。あきは何もしていない。いいね」

 あきは体ごと首を横にふり、イヤイヤをする。


「大丈夫だから。全部僕に任せて」

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