第2話 Side-あき 殺される!!

 思いがけない彼からのプレゼントが、クローゼットを開けるたびに私を幸せで満たす。

 真新しい匂いに心が弾んで、勢いよく一日がスタートする。

 カレンダーに目をやり、今日が赤いマジックで丸を付けた日である事を確認した。

 今日、三田から連絡があるはずだ。全て完了する。そんな晴れ晴れしい日に相応しく、窓の外は太陽がくっきりと輪郭を成している。


 先に仕事に出かけた彼の服を洗濯してベランダに干したら出勤の時間だ。

 ミルクでふやかしたフードをハルに食べさせ家を出る。

「行ってきます」と言うと「みゃおーん」と意味ありげに声をあげた。行ってらっしゃいとでも言っているかのように。


 三田との約束が成立する前は、智也が心配して車で送り迎えをしてくれていたけど、もう大丈夫。

 勤務先のクリーニング店まではバスで通勤している。

 細い路地を大通りに向けて歩いていると、背後から近づいた車が私の横で止まった。

 左ハンドルの黒いベンツだ。

 シューっと音もなく半分窓が開き、スーツ姿の男が顔を出した。

 優しそうな笑顔でこう言った。


「池平さんに頼まれて、お迎えに来ました。職場まで送りますよ。乗ってください」

 と後部座席を指さす。

 後部座席は真っ黒いスモークが貼られていて、中身は見えない。

 こんな事は初めてだった。

 今朝はいつもと変わりなく「仕事頑張って。道中気を付けて、変な男に着いて行っちゃダメだよ」とまるで子供に注意喚起するような事まで言っていた。

 それに、わざわざ車で送ってもらうほどの事もない。

 徒歩で5分ほどのバス停に、目的のバスが到着する時刻は10分後。


「いえ。大丈夫です。すぐにバスが来るので」

 丁寧にお辞儀をすると勢いよく後部座席が開き、中から同じようなスーツを着た男が出て来た。

「まぁそう言わずに」

 抵抗する間もなく、あっという間に後部座席に押し込まれてしまった。後部座席にはもう一人男がいる。

 ニタァと笑いを浮かべる男たちを前に、恐怖が全身を支配する。

「いや! 何? なんなんですか?」

 両側から男に挟みこまれては、もう身動きは取れない。

 

「やめてください。何するの?」

 奥に座っている男が私の口をハンカチでふさいだと同時に、甘い匂いがした。ジタバタと抵抗する手足はもう一人の男に制圧されていて、どこにどう力を入れて動かせばいいのかもわからない。闇雲に本能のまま力いっぱい可動している部分を動かし抵抗を試みる。恐怖で呼吸は早くなる。

 ハンカチで押さえつけられている口からは、言葉にならない声だけが途切れ途切れ出て来るだけだ。

 車はどこかへ目的を持って走っているという事だけは理解できる。

 だんだんと体から力が抜けて、視界が歪み、意識が遠のく。

 だらんと力が抜けて自由がきかない。指先は痺れを訴える。

 途切れそうな意識の中で男たちの低い声が聞こえるが、なんと言っているのかわからない。ただ『クロロホルム』というワードだけが耳に残り、ああ、眠らされるんだなと理解した。


 ★


 体中に覚えのない痛みと、割れるような頭痛で意識を取り戻した。

 体はどうにか動く。ひんやりとした硬い感触で、石のような床の上に横向きに転がされてるんだと言う事が認識できる。視界が真っ暗で何も見えないのは、目隠しをされているからだろう。

 寝返りは打てるが背中で結ばれている両手のせいで自由はきかない。

 そのわずかに動く手で、衣服を身に付けている事だけはかろうじて確認できた。


 恐怖に支配されるほど、まだ脳は冴えてなく、状況を把握するのに忙しい。


 ここはどこだろう?

 視覚を失っているせいか、他の器官はやたら冴えるようで、その場所に漂う独特の匂いに集中する。これは嗅いだ事がある匂いだ。


 密閉されているかのように動かない空気。

 湿気をおびた埃っぽい匂い。

 吐き気をもよおしそうな甘ったるいアロマ。


 記憶が蘇る。

 ここは、アダルト動画を撮影した場所だ。

 鉄格子の中で、監禁されているというシチュエーションで撮った鉛の壁に囲まれた部屋。

 

 コツコツと足音が響く。一人じゃない。数人がこちらに近づいてくる。

 ――誰?


 ようやく危険を察知した体からは、滝のような汗が流れ始め、震え出す。

 怖い。一体何をされるのだろう?


 必死で体を転がしながら声を上げようと試みた。

 そこでようやく口を塞がれている事に気が付いた。

 叫ぼうにも、喉の奥に何かが詰まっていて、あーーーうーーーーというくぐもった声しか出てこない。


 足音はすぐ近く。鼻先に感じる革の匂いで、そこに誰かの足がある事を認識する。

 恐怖でもう声すら出せない。


「あき。久しぶりだな」

 耳元に息がかかる。


 ――三田だ。

 何するつもり? こんなの約束が違う! と言う言葉は

「うーーー、うーーーーーーーーーーー、んーーーーーーーー」

 という声にしかならない。


 突如、頭頂部の髪を鷲掴みにされ、激しい痛みを感じた。痛みにつられるように上体が浮き、寝ている状態から座っている状態に態勢が変えられた。


 ゆっくりと目隠しが外される。

 証明は薄暗いが、状況は見えた。

 目の前には三田。その背後には二人の男。車の中にいた男とはまた別だ。


「悪いな。池平のやつがさぁ、お前が出てた動画全部削除しろって言うからさぁ、削除してもらったんだよ。約束だからな。けどさぁ、ジュールとしてはそれじゃあ納得できないっつってさ、代わりの動画今から撮影する事になったから。顔は出さないようにするから」


「んんーーーーーーーーー。んんんんーーーーーーーーー」

 体全体を左右に振って拒絶するが伝わらない。いや、聞き入れてもらえないのだ。


「じゃあ、早速準備するか」


 三田はそう言って、ゆっくりと私の服を脱がせ始める。


 もう一人の男は、私の目の前に透明な液体の入った注射器をちらつかせた。

 銀色の注射針が照明に反射して、ギラリと不穏に光った。


 薬物? 殺される!!!!


「そうだそうだ。池平にもビデオ通話でライブ配信してやろうか」

 下卑た笑いで、三田はスマホを操作した。


 リーーーン、リーーーーンと、聞き覚えのある着信音が遠くで響く。


 ――え? どういう事?


 ギギギギーーーーっと入口の重いドアが開く音が聞こえ、続いて

「三田ぁぁぁーーーーーーー!! そこまでだー!」

 という声が響いた。


 ――智也!

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