第2話 Side-智也 敵を欺くには・・・

 ――あいつは犯罪者だ。

 という僕の言葉に呆然としているなおの横を通り過ぎた。

 このまま素通りして、あきの待つ車まで戻ろうと思っていたが足を止めた。

 どこか別の世界へと、意識を飛ばしているような、なおの様子が気になったからだ。


「大丈夫?」

 なおは返事をしない。

 こんな所で言うべきじゃなかった、と反省した。

 さすがにショッキングだったか。


「後で部屋に行くよ。だから僕の部屋で待ってて。あいつの所へは戻っちゃダメだ」

 棒立ちのまま動かない背中にそう告げて、店を出た。

 なおもあいつの犠牲者だ。帰らせるわけにはいかない。



「ごめんね。お待たせ」

 できるだけなんでもないふりを装って、運転席に乗り込んだ。

「大丈夫だった? 彼女」

 助手席で、あきがシートベルトを締めながらそう訊ねる。

「うん。大丈夫だと思う」

 薄暗くなった車内で、ちらっと視界をかすめたあきの顔は安心しきっていて、完全にニュートラルだ。

 こちらもほっと胸を撫で、ギアをDに入れて車を発進させた。


 空はオレンジと濃紺が混ざり合い、不穏な色を映している。

「嵐の前の空みたい」


 あきはそう言ったきり何もしゃべらないから、どんな表情をすればいいのかわからなくなる。

 やましい事などないとはいえ、隠し事は得意じゃない。

 僕の部屋になおがいる事を、言うべきかどうか迷う。大体、三田の自宅からここまでは、電車で5駅ほどだ。

 こんな所でトイレットペーパーを買っていたなおを不審に思ったりしないだろうか。


 あきのマンションに辿り着いたが、駐車場には入らず路肩に車を停めた。

「ちょっと、取りに行きたい荷物があるんだ。先に帰ってて。すぐ戻るから」

 そう告げると「うん、わかった」と、素直に買い物してきた荷物を後部座席から取り、あきは車を降りた。

 こういう所が、僕を居心地よくさせる。何も聞かない。何も勘繰らない。心の中全てをダダ洩れにさせるなおとは大違い。

 エントランスに入る後ろ姿を見送って、僕は車をUターンさせた。


 三田を犯罪者と言ったが、正確にはまだ犯罪者ではない。

 告訴して、裁判所で罪状が認められなければ、犯罪者として罪を償わせる事はできない。あきが、果たして告訴に踏み切ってくれるかどうかが問題だ。

 証拠ならある!


 月曜日に出社したら、木戸さんが調べてくれた資料がデスクの上に揃っていた。

 その資料によると、アダルト動画制作のジュール制作は、やはり僕がにらんだ通り、反社との繋がりがあった。暴力団のフロント企業である警備会社がスポンサーになっていて、そこに三田の会社は、社員を何人か派遣していた。

 その情報をメインバンクの融資担当にリークすれば、三田の会社は銀行からの融資を受ける事ができなくなる。

 企業としてはおしまいだ。


 だが、一番の目的は、あきの動画を全てを削除させる事。

 制作会社もろとも潰したとしても、三田がプライベートの端末に保存していては意味がない。全て削除させなくては。


 そんな事を考えているうちに、アパートの駐車場に到着した。と同時に、アップルウォッチが不在着信の通知を知らせた。

 吉井からだ。

 既にネット検索で見れてしまう動画を、削除するにはどうしたらいいか、相談したのは昨日の事。

 ポケットからスマホを取り出し、着信履歴をタップしてすぐにかけ直した。


「ごめん。運転中だった」

 すぐに繋がった吉井にそう話しかけた。

『うん。昨日の件だけど……。弁護士は任せとけ。適任を紹介してやる。20万ほどかかると思うけど、1か月もあれば差し止めできるみたいだから』


「そっか。ありがとう」


『ただし、あきちゃん本人が依頼しないとダメだよ』


「ああ、もちろん。それは大丈夫」


『それと、一個耳に入れときたい事がある』

 吉井は少し神妙そうにそういった。


「なに?」


『お前は知らなかった事かも知れないと思って。三田の事なんだけど』


「うん」


『3年前、お前となおちゃんが出会った合コンあるだろう。俺が主催した』


「ああ」


『あの時、三田の狙いは、なおちゃんだったんだよ』


「はぁ? マジか」

 思わぬ事実が、僕の胸をさらにざわつかせ、波立てる。


『ああ、あいつは最初からなおちゃん目当てだったのに、なおちゃんは、三田には一切興味を持たず、お前にべったりだったろ』


「ああ、確かに」


『三田が、お前を目の仇にするのは、それが原因なんじゃないかと思って』


「なるほど」


『三田があきちゃんに対してやった事は許される事じゃないけど、あいつは元々あんなやつじゃなかったんだ』


 そうか――。僕は部署が違ったが、吉井と三田は確か同じ営業部で、合コンに誘うほどの仲だった。吉井は三田の事も『親友』と呼んでいたのかもしれない。


『実はさっき三田から電話があって。なおちゃんが金曜日の夜から行方不明らしい。連絡もつかないって。あいつ相当精神的に参ってたよ』


「そうか」

 なおが僕の部屋にいる事は、吉井には言ってない。

 金曜日にあきの身に起きた事だけを伝えていた。


『俺の所には何の連絡もないが、お前は? 知らない?』

 敵を欺くにはまず味方から――。


「知らないけど」


『そうか。お前から聞いた事は三田には何も言ってないから、心配するな。まぁ、また何かあったら相談してくれよな、親友』


 吉井はそう言ってあっさりと電話を切った。


 つまりは、三田にとっても僕は因縁の相手ってわけか――。

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