第5話 目には目を、猫には猫を

 再び車に乗り込んだ。

 放置していた時間はほんの30分ほどだったが、エンジンを切っていた車内はサウナ状態で、数秒で死ねる、とか本気で思ってしまうぐらいには熱い。

 冷風を求めてエンジンをかけ、合計4つある窓を全て全開にした。

 サンシェードを下ろし、顔を半分隠してサングラスをかける。

 三田とは元同僚だが、もう3年ほどまともに顔を合わせていない。車だって当時は持っておらず、この状態の僕に三田は気付かないはずだ。

 飛んで火に入る夏の虫とはこの事。

 しばらく様子を見よう。

 三田は黒塗りのレクサスの運転席に乗り込み、しきりにスマホを操作している。

 電話をかけているらしく、耳に当てて数秒で操作するという動作を繰り返している。

 GPSが機能しなくなり焦っているのだろう。いらだちがこちらまで伝わってくるようだ。


 ふと、いいアイデアが閃いた僕は、もう一度部屋に戻った。


「ごめん、なお。何度も」自分の部屋に入るのに謝るのも変な話だが、くつろぎ過ぎているなおの姿が僕に遠慮を強いる。

 若干迷惑そうにベッドの上で上体を起こすなお。


「ちょっとスマホ貸しくれない?」

 ちょっと100円貸してくれない、ぐらいのノリで上に向けた手のひらをなおに差し出してみる。

 いぶかし気に僕を見るなお。

「なんで?」

 想定内の返事だが、理由を教えるわけにはいかない。

「いい考えがあるの」

 なおは恐る恐るスマホを差し出す。

「暗証番号教えて」

「教えるわけないじゃん」

 ですよねー、と心の中で呟きながら脳をフル回転させ、次の手を検索する。


「別に何も見ないし、見たところで何も思わないから。30分後に返すから」


「ダメに決まってるじゃん」

 そうなると、一か八かの最終手段だ。


「じゃあ、今すぐ出てけよ」


「やだ」


「じゃあ、言う事聞いて」

 なおは唇を尖らせ顔をしかめる。


「本当に何も見ないでよ」

 仕方なくスマホを差し出したなおは、しぶしぶ6桁の暗証番号を教えた。


「後で返す」

 そう言い残し、玄関に向かう。


「ちょっとちょっと!」

 ペラペラのキャミソール一枚で、なおが僕を追いかけて来た。

 二の腕までずれた肩紐を直す事もせず、靴を履く僕の服を引っ張る。

「持ち出すとか聞いてない。何するの?」


「すぐ返すよ。絶対悪いようにはしないから。大人しく待ってて。クレープ買って来てあげるから」


 3年も一緒に暮らしてきたのだ。なおのトリセツなら概ね頭に入っている。


「イチゴね。ジャムじゃなくてちゃんとイチゴが乗ったやつ」


「オッケー」


 再び車に戻り、目指すは隣町のホームセンターだ。

 もちろん、ハルのための餌やトイレ、その他もろもろを購入するために他ならない。

 ついでに、ハルを痛い目を遭わせた三田に罰を与えよう。


 車で約20分ほど。

 近所にもホームセンターはあるが、僕が目指したのは道路に面した広い駐車場を有した少し古い店舗だ。

 なおのスマホには、ここへ来るまで約5回ほど着信があった。全て三田からだ。


 駐車場に車を停め、なおのスマホのロックを解除した。

 GPSを立ち上げ、オンにする。

 そのスマホをポケットに入れて店内に向かう。

 この店には、保護猫を譲渡しているコーナーがあって、僕は先ずそこへ向かった。

 積み上げられたケージには二匹ずつ猫が入れられていて、中にはまだハルと変わらないぐらいの子猫もいる。人が来ると、警戒してにゃーにゃーと声を上げる。

 ふーーっと威嚇してくる猫もいる。

 僕は、ひっきりなしに点滅し着信を伝えるなおのスマホの通話を繋げた。

『もしもし? なお? どこにいるんだよ~。心配してんだよ~。大丈夫?』

 意外にも優しい。甘えた声に吹き出しそうになる。

 その三田に、『みゃーみゃー』『ふーー』『ぎゃん』という猫の泣き声を10秒ほど聴かせ、思いっきり高い声で「きゃあ―――助けて」と言って通話を切った。

 店内の客や店員がキョロキョロと辺りを見回したが、僕だとはバレていない。


 そしてゆっくりと買い物だ。必要な猫用品を買いそろえ、会計を済ませ、駐車場に出ると、ちょうど黒塗りのレクサスが急ハンドルを切りながら突撃してくるところだった。


 来たな!


 三田はスマホの画面を見ながら一方通行の【入口】から、店内に入って行く。

 そこで、GPSをオフ。

 僕は反対側の【出口】から外に出て、迷路のような店内を三田がうろついている間にハルのご飯を確認するため、またたび入りのキャットフードの封を切った。

 三田の車がすぐ横にあったのは偶然だ。

「おっと!」

 うっかり手が滑り、開封したての袋を地面に落としてしまい、三田の車の下にフードが散らばってしまった。


「おっと、いけない。成猫用。ハルにはまだちょっとこのご飯は早かったか」

 なんて独り言を言いながら、駐車場の一番奥に停めておいた自分の車に乗り込んだ。


「にゃあ」「にゃあーーーー」

 人相の悪い、貫禄のある野良猫たちがどこからともなく集まり出す。餌の匂いを嗅ぎつけて5匹ほどが三田の車の周りをうろついては、餌に群がる。


 あまりの計画通りな出来事に、僕は思わず車の中でお腹をおさえた。

 またたびの匂いを嗅ぎつけて、さらに猫たちが集まって来る。

 慣れない人間にとってはちょっとぎょっとする光景だ。


 この場所は、捨て猫や野良猫が多く、捕獲できた子はこのホームセンターで里親募集されている。

 捕まる猫はほんの一部で、すっかり野生生活が身に着いた猫たちは、自力で餌を獲り逞しく生きている。

 中には顔に酷い傷跡のある猫もいて、近所ではボスと呼ばれている。いくつもの修羅場を乗り越えて来たのだろう。きっと名前がイッパイあるに違いない。

「三田君、猫すきだったらいいけどなー」


 そう呟きながら、三田が車に戻るのを待つ。


 15分ほど経っただろうか。猫は10匹ほど集まっており、タイヤの隅に入り込んだ餌を獲ろうとタイヤに爪を立てている。


 三田は駐車場を見回し、この光景が目に止まったのか、金縛りにあったように立ち止まった。

 おもむろに、いかついサングラスを外し、目をぱちくりとさせている。

 ゆっくりと車に近づき、「しっし」と手で払おうとするが、ボスが「ふーーーー」っと威嚇して逆毛を立てた。

 飢えた野良猫たちは、そう簡単に引き下がらない。


 すっかり猫の巣になったレクサスの下。当分、猫と格闘する事になるだろう。

 周囲は動物愛護団体が目を光らせている。この場で猫に危害を加える事なんて、さすがの三田にも無理だろう。

 ワンチャン、大事な彼女が化け猫にさらわれたとか思ってくれたら面白い。


 僕は堪えきれない笑いを漏らしながら、その場を後にし、クレープを買いに行った。


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