第4話 元カノの使い道

 子猫の鳴く声で目が覚めた。

 いつの間にか眠っていた。

 最後の記憶は、すぐ隣で眠るあきの甘やかな寝息。顔にかかった髪を指で梳くと、その手に子猫にような仕草で頬をすり寄せたっけ。

 窓からはカーテンの色を移しとったオレンジジュースみたいな陽が差し込んで、ベッドに短い影を作っている。


 リビングからは、ハルがみゃぁみゃぁと高い声で鳴いている。お腹がすいたのか?

 未だ気持ちよさげに眠るあきをベッドに残して、リビングに向かい、段ボールを覗き込んで驚いた。


「あきーー、あきーーーー。来てごらん! 早く! 早く!!」

 僕は思わずそう声を上げた。

 んーーーっ、と悩ましく伸びをしながらゆっくりと起き上がる気配を感じる。

「早く早く!!」

 段ボールの中で、しっかりと後ろ足で立ち上がり、縁をガリガリと引っかくハルを早く見せてやりたい。

 何事かと寝ぼけ眼をこすりながら僕の背後に立ったあきは歓喜の声を上げた。

「わぁ、すごい! 元気になってる」


 新聞紙を切り裂いて、簡易的に作ったトイレに移動させてやると、元気よく前足で穴を掘るマネをして用を足した。

「やだー、嬉しい!!」

 鼻にかかった寝ぼけ声でテンションを上げたあきは、しゃがんでいる僕の背に抱きついた。急に体重を乗せるから、ハルが用を足した場所に頭から突っ込むところだった。


 時刻は昼前。

 8時間強、ぐっすりと眠った僕たちの体は、昨日の疲れなんてすっかり忘れたように軽やかだ。

 ハルに温めた牛乳を飲ませた後、あきを部屋に置いて、僕はコインパーキングに停めておいた車を取りに行った。あきを一人にするのは少々不安だったが、三田は一応今後は何もしないと約束した。警察まで出動する騒ぎになったのだ。

 何かを仕掛けて来る可能性は低い。



 車を取り、自分のアパートへ戻った。

 僕の部屋にはもちろん元カノのなおがいるのだが――。

 忘れてもいないのだが、玄関にちょこんと並ぶ女物の靴にぎょっとする。

 部屋の電気は点いてない。窓から差し込む太陽だけが部屋を明るく照らしていた。

 僕のベッドには生々しい寝姿のなお。

 とろんのした下着に近い形の黒い部屋着は、かろうじて大事な部分を隠している。


「なお、なお! もうお昼だよ。起きて」

 そう言って体を揺すると、驚いたように飛び起きた。

「うわぁ、今何時?」

 僕は13時ちょうどを指している壁掛け時計を指さして時間を教える。

 なおは、枕元に重なり合うクッションの中からスマホを掘り起こす。


「うわ! めっちゃ着信入ってる」


「三田?」


「うん」


 何度も電話をかけて来ると言いう事は、一応所在を気にしてはいるらしい。

「どうする? 帰るの?」

 なおは首を振って否定する。

「昨日、色々考えたんだよね。やっぱり怪しいと思うの。浮気してると思う。自分の気持ちに向き合う時間が欲しい」


「そっか、僕はどっちでもいいよ。ただ、この場所を三田に教えないでね」


「わかった」

 なおはそう言って、再びベッドに沈んだ。


 僕は当面困らない程度の着替えや自分専用の日用品、読みかけの文庫にノートパソコンなどをバッグに詰め込んで部屋を出た。


 なおを追い出さなかったのも作戦の一つだ。まだなおと三田との関係の詳細はわからないが、何かに使える可能性がある。


 なおは、自分の事は棚に上げて相手を責める癖がある。その上ちょっと迷惑なほどにおしゃべりで口が軽い。

 ちょっとつつけば三田の秘密もしゃべるかもしれない。

 定期的に荷物を取るふりをして、探りを入れようと思う。


 僕は戦略家ではないし策士でもない。

 基本的には平和主義の部類に入る。

 それなのに、こんなにも三田を貶めるための作戦が思いついてしまう自分が少々怖い気もする。


 階段を降り、駐車場に向かおうと、進行方向に視線を向けると、見覚えのある男の横顔が視線をかすめた。


 思わず足を止め、ポストに嵌まっている【池平】と書かれたネームプレートを引き抜いた。

 向こうはこちらの存在にまだ気づいてはいない。

 急いで踵を返し、階段を駆け上がる。

 自分の部屋に貼り付けたネームプレートも引き抜いた。

 通路の腰壁越しにあいつが車を停めているコンビニの方に目を凝らす。


 なぜこの場所がわかった?


 もしかして、GPS?


 なおのスマホのGPSが起動しているのかもしれない。

 だとしたら、三田にとってなおは手放したくない存在なのではないか。

 GPSは大体の位置しか知らせない。正確な位置がわからず、この辺を探しているのか。

 こんなダサいアパートに、まさかなおがいるとは思ってもいないらしい。

 コンビニの駐車場に車を停めて、三田が目を凝らしているのは近隣の高級マンション。


 僕は一度出た部屋に再び戻り、なおにこう告げた。


「外に三田がいるよ。GPSが起動してない? あいつの元に帰る気がないなら、すぐに切った方がいい」


 なおはベッドから再び飛び起き、スマホを操作した。


「忘れてた。GPS付けられてるんだった」


「しばらく、外出は控えた方がいいかも。ウーバーイーツ利用しなよ」


 そう言い残し、部屋を出た。

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