第三章 Side-智也・復讐
第1話 元カノ
「
自宅アパートの隣のコンビニをドライバーに告げると、すぐに理解した様子でタクシーは速やかに発進した。
サイドミラーに映ったあきが段々小さくなる。
大通りに出て左折。完全にあきが見えなくなったのを見計らって、ポケットからスマホを取り出した。
スクリーンにはラインの通知。数ヶ月ぶりに見るアイコンが表示されている。
この通知のせいで、僕はあきをなおと呼んでしまったのだ。
ちっと舌打ちして通知をタッチすると、パンドラの箱が開かれた。過去のポエムみたいな僕のメッセージは、我ながら痛々しい。
3月で止まったままだったメッセージのやり取りが、勝手に再開されていた。
『トモ君
深夜にごめん。どうしても話があって部屋まで来てる
留守みたいだから、外で待ってる』
絵文字も何もない素っ気ないメッセージは相変わらずだ。
『何の用?』
お互い様な素っ気ない返信を打ち込むと、すぐに既読が付き返事が来た。
『会ってから話す。どれぐらいで帰り着く?』
『あと5分ぐらいで帰り着く』
そう打ち込んで、既読を見届け、スマホをポケットに仕舞った。
オイスターバーの会計をしている最中に、なおから着信があった。あの状況で出るわけにもいかず無視していた。
この期に及んで一体なんの話があるというのか。
妙な胸騒ぎを感じつつ、軽快に流れていく窓からの景色に視線を向けた。
まさか今更、寄りを戻そうなんて話じゃないよな。
何かを察したような、不安を帯びたあきの顔がチラつく。
ふと、なおもあきと同じ目に遭わされているんじゃないかという懸念が浮かび上がる。
もしそうだとしたら――。
「はい、ファミマ到着~」
ドライバーがメーターのレバーを下ろした。膝に置いたショルダーバッグから財布を取り出す。
「3170円ねー」
きっちり払い、開いたドアから外に出ると湿気を帯び、淀んだ空気が絡みついた。
深夜1時過ぎ。こんな時間でもコンビニは賑やかだ。改造バイクや車高を低く落とした車が、近所迷惑も顧みず爆音を上げている。
街灯に群がる虫たちがかわいくさえ見える。
駐車場を横切ってアパートの方へと数歩進めば、すぐに見慣れた共同住宅が視界に映る。
僕の部屋に続く階段の一番下に、黒いノースリーブのブラウスに、膝上の白いスカートの女が座っている。膝の上にはブランドショップの白い紙袋。
長かった髪はゆるくまとめられていて、S字を描くおくれ毛が揺れていた。
小さな街灯はまるでスポットライト。
かつての僕のヒロインを、ドラマティックに浮かび上がらせている。
「なお?」
そう声をかけると、弾かれたように顔を上げ、こちらに手を振った。
当時より、少しやせたのか? それ以外、外見的な事は何一つ変わらない僕の元恋人。変わったのは僕たちの関係だけ。
「飲んでるの?」
なおはそう訊いて、下から僕の顔を覗き込み立ち上がった。
「うん。飲んでるよ」
ポストから郵便物を取り、階段を上がる僕の後になおが着いて来る。
「誰と飲んでたの?」
深夜のアパートの通路は声にエコーがかかって響く。
「しーー」と人差し指を口元に当てた。
「あ、ごめん」と、思い出したように手で口をふさぐなお。
「誰だっていいだろう。もう、君には関係ない」
近所迷惑にならないよう、抑えた声でそう突き放す。
「そっか。そうだね」
何度もこの道のりを一緒に通った元カノ。
かつて当たり前にそこにあった、なれ合いの日常が再現されている。
部屋の鍵を開けて、『どうぞ』とドアを広げた。
会釈もせず、なおは我が物顔でやすやすと通過した。
僕はキッチンに行き、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出す。
「飲む?」と訊いたら首をよこに振った。
自分だけグラスに注ぎ、喉を潤す。
「で、話ってなに?」
「案外ちゃんと生活してるんだね」
なおは立ったまま部屋を見回す。
「あ! このクッションまだ使ってたんだー!」
揶揄うようにベッドを指さした。
Uの字のヨギボーのクッションは、なおからのプレゼントだ。別に未練があるわけではなく、単にそんなエピソードも忘れていただけなのだが……。
ネクタイを外し、僕は自分の席であるサイドテーブルの脇に落ち着いた。
それに倣うように、彼女はかつて自分の席だった、僕の向かいに座った。
その位置からじっと僕の顔を見つめるから、居心地が悪い。
「今日、泊まっていい?」
「はい??」
「行くとこないの。だから泊まっていい?」
「いいわけないだろう。僕はもう新しい彼女がいるんだよ」
「私だって新しい彼氏いるもん」
「じゃあ、そいつのとこに泊まれよ」
「追い出されちゃったんだもん」
そういって唇を尖らせた。
「なおの彼氏って、三田だろう?」
そう訊ねると、こくっと頷く。
「一緒に暮らしてるの?」
「うん。ここを出て行った後。ずっと彼のマンションに住んでる」
夕刻、三田はあきを呼び出していた。それでなおを追い出したってわけか?
なおの様子からして、酷い目にあっているような感じは伺えないが、三田の身勝手な暴君ぶりは伺えた。
「彼、浮気してると思うんだよね」
浮気どころじゃないよ。なんであいつはことごとく僕の彼女に手を出そうとするんだ。脅してまで!!
逃げた魚は大きかったってやつか?
ふつふつとハラワタが煮える音が聞こえた。
「タクシー代あげるから帰れよ」
「やだ、この辺タクシーつかまりにくいし、治安だって悪いし」
「電話でタクシー呼べばいいだろう」
「だから追い出されたんだって! 今日は戻って来るなって言われてるの! 行くとこないのよ。今日一日でいいから~」
しばしそんな押し問答が続く中、静けさを取り戻させたのは、一本の電話。
スクリーンには【三田】の文字。
なおがここへ来ている事を知っているのか? 僕に一体何のようが――?
「君の彼氏からだ。出るぞ」
さっさと迎えに来いとでも言ってやろうか。
そう思いながら通話を繋げた。
途端――。
『いやぁぁぁーーーーーーーー。やめてぇぇぇ――――電話を切って、聞かないで、お願い』
あき?
「もしもし? もしもし?」
『おら! もっと気持ちいい声を彼氏に聞かせてやれよ。もっと声出せよ』
『やめてぇぇぇぇぇ。お願い……電話を切って。智也ーーー、聞かないで、電話を切って、お願い――』
三田の煽る声と、あきの泣き叫ぶ声が交互に聞こえる。
突然の事で理解が追い付かない。
これは一体――?
一体何が起きてるんだ?
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