第5話 大丈夫! なんて嘘だよ
「そうそう! こんな事もあったよ。彼女の誕生日に奮発してさ、セレブエンペラーに泊まったのね。サプライズで――」
セレブエンペラーホテルは全女子の憧れとも言える、恋人たちの聖地だ。特別な日のデートやプロポーズに最適。外観もロビーもおしゃれな部屋もインスタ映え間違いなし!
今この時も、SNS上ではセレブエンペラーデートなんて言葉が行ったり来たりしている。
「ホテルの人にケーキを頼んでてさー」
手振りまで入れて楽しそうに話す。
智也。もういいよ。私はそんなに大人じゃなかった。もう聞きたくない。心はそう悲鳴をあげているのに、心とは裏腹に笑顔を作ってうなづく私。
「うんうん。それで?」
「お待たせしました。シャンパンと、初回の生ガキになります」
クラッシュアイスを敷き詰めた銀のボウルに、8ピースの生ガキが殻付きで乗っていて、それぞれ産地が書かれたプレートが添えられている。
ちょうどいいタイミングで料理を運んで来た店員さんに最優秀賞をあげたい!
これで話題を牡蠣に変えよう。元カノへのサプライズの話なんて、聞きたくない。
「すごーい! 大きいね。もう見た目でぷりぷり感伝わる。おいしそう!」
大げさに目を見開いて、話題を変える。
「本当だ。広島産はやっぱり身が大きいよね」
智也の反応は割とクール。感情をあまり表に出さないタイプなんだと思う。
「レモンかポン酢でお召し上がりください」
にこやかにそう言って、店員さんは去った。
「乾杯」
弾ける泡が照明に反射してキラキラ輝いてるみたい。シャンパングラスをそっと合わせて、口へ運ぶ。
牡蠣本来の風味を邪魔しないための配慮なのか。甘さや香りを抑えた大人の味が、口の中ではじけて広がる。
「飲みやすい! グイグイいってしまいそう」
智也はパチパチと瞬きした目を、控えめに見開いた。
私も賛同してうなづく。
カキフライに、オーブン焼き。ガーリック香草焼きにワイン蒸し。次々に運ばれる上質な牡蠣は色んな味が楽しめて、飽きる事なく一通り食べつくした。
半生の牡蠣のパスタや、焼き立てのパンも他にはない味で、おいしいと一言で評するのは申し訳ないほどだ。
これが大人のデートか、と思った。
二十歳で風俗の世界に足を踏み入れた。
優しくしてくれる客もいたけれど、当然の事ながら恋愛には至らなかった。
どれもこれも判をおしたように、優しくするのは射精するまでの間のこと。大切にされてるなんて、これっぽちも思えなかった。
仕事だと割り切るほどの度胸も据わっていなくて、昼夜問わずスマホに入って来る呼び出しの電話にいつも怯えていた。
それなのに、口では言えてしまうのだ。「すっごく楽しかったです。またよろしくお願いしまーす」とか。
顔ではヘラヘラと笑えてしまうのだ。
吐き気をもよおす程の嫌悪を、笑顔に変える術ばかりが身についてしまった。
三田と出会ったのは22歳。大学を卒業してすぐの事だった。
風俗店と姉妹店になっているキャバクラにヘルプで行かされた時の事だ。
テーブルに着いていた私を、指名した客がいた。
それが、三田だった。
隣に座った私に『今日からお前は俺の女だ』。そう言って人目もはばからず胸元に手を入れた。
『何もかも最高だなー』
暫くはそう言って、可愛がってくれていた三田。私もそれなりに幸せだったような気がする。
恋愛映画や少女漫画の世界は所詮作り物。これがリアルな大人の恋愛なんだと思っていた。
いつからだったのだろう? 三田がおもちゃを私から宮田なおに変えたのは――。
そう。智也の元恋人。一度しか見た事はなかったが、まるで作り物のようにきれいな人だった。
「あきの過去イチ面白かった話してよ」
ほろ酔い顔で智也が言った。
過去イチ面白かったのは、智也たちと合コンした時。年上の癖にシャイな智也をからかうのが面白かったな。
けど、そんな話はできない。
だから――。
「さっきの面白かった」
そう答えた。
「さっきの?」
「うん。車の中で……」
智也はワインのお陰でほんのり赤くなっている目の縁を、さらに赤くして恥ずかしそうに笑った。
「ごめんね。なんか、あんな形で……」
私は大げさに首を横に振って否定する。
「楽しかったよ。三田の事ももう怖くなくなった。ざまぁだった」
智也は「うん」と力強くうなづいて、にっこり笑った。
テーブルの上の料理はすっかり片付いて、既に祭りの後。
ワインレッドの革製の伝票クリップが、伏せて置かれている。
智也は腕時計に目を落とし、レジの方に視線を遣る。
まだ帰りたくない。もっと一緒にいたい。
テーブルの上に乗っかっている智也の指先に触れた。
智也は返事をするかのように、私の指先を握った。
「おいしかったね。そろそろ帰ろうか」
そう言うと、するりと私の指先を放して立ち上がり、レジに向かった。
私も足元のカゴから慌ててバッグを取り、智也に続く。
レジカウンターにいる智也の隣に並ぶと「外に出てていいよ」と入口を指した。
お会計の金額に気を遣わせないためだろう。
言われた通り、一人で外に出ると、途端に怖くなった。
街ゆく恋人たちは、日暮れ時よりも距離が近くなっていて、境界線はもはや曖昧。
絡みつくようにじゃれあいながら帳へと消えてゆく。
あの波に乗らなければ、置いて行かれる。
男たちは、私を上から下まで視線で舐めまわし通り過ぎる。
ふつふつと嫌悪感が蘇る。そんな目で見ないで!
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