第4話 色づく街

「これから、僕は君をあきって呼ぶ! 君も僕の事をトモヤって呼ぶ! っての、どう?」という彼からの提案で、ここに来るまでの道中、車内で何度も名前を呼ぶ練習をした。


 あき――。


 智也――。


 その呼び方に、まだ慣れないうちに、カーナビが目的地への到着を知らせた。


 目的地であるコインパーキングに車を停めて、彼が予約しておいてくれたオイスターバーまで手を繋いで歩いた。街は露出度の高い開放的な男女であふれかえっていて、誰もが楽しそうで、幸せそうだ。まるで明日の事など何も考えていないかのように――。


 そんなカップルたちに同化している事が嬉しくて、私は何度も隣を歩く智也の顔を見上げた。

 そして思う。私の彼氏なんだーって。

 5つ年上で、痛い失恋して、初めて会った時はカサカサ肌で、髪ボサのひげもじゃだった。

 でもね、今はちゃんとした調査会社に勤める営業マンなの。ビシっとスーツを着て毎日すっきりひげを剃り、髪を整えて、ちゃんと社会参加している大人なんだ、と大きな声で世間に言って回りたい。

 生まれて初めて、『僕が守る』って男の人に言われた。

 普通の女の子になれた気がして嬉しすぎた。


「ここだよ」

 スタイリッシュなビルの一階を指さす智也に連動して足を止める。


 黒とシルバーの外装は、シャープで大人っぽい雰囲気。

 入り口横の大きなイーゼルもメタリックな黒で統一感があった。

 見るだけでも唾液が沸いて来るほどおいしそうな写真付きのメニューが立ててあり、思わず見入っていた。

 一言で牡蠣と言っても色々なお料理があるのかと、芸術的な画像に思わず感嘆する。


「入ろうか?」


 メタリックな銀色のドアを押すと、店内はさほど広くなく、敷居の高さは感じない。カウンタ―に座っているカップル達も服装はラフで、ネクタイをしている智也の方が逆に浮いて見える。


 店員に予約の名前を告げると、窓際のテーブルを案内された。

 既に、ナプキンとナイフやフォーク。真っ白い取り皿が向かい合わせに置かれていて、私たちを迎えているようだった。

 ゆったりとしたピアノのBGMが非日常を演出している。

 うっすらとモザイクがかかった窓からは、ライトアップされた街が見える。

 見慣れた景色のはずなのに、なんだかまぶし過ぎて、思わず目を細めた。


「もっとちゃんとおしゃれして来たかったな」

 そう言うと彼は、私の服装に初めて気づいた様子でこう言った。


「おしゃれじゃん! 似合ってるよ」

「そう?」


 ブルーやバイオレット、寒色系が似合うと、自分では思っていた。

 オレンジベースのこの服装は、私には似合っていないと思っていたのに、智也にそう言われて、この服がちょっとだけ好きになった。


「かわいいと思うよ。ひまわりみたいだよ」


 そう言ってほほ笑む。

 智也は男のくせに、やたら花が好きだ。特に私が勤めるクリーニング店の花壇に咲く朝顔が好きらしく、店長に種をもらったりしている。

 智也が朝顔を育てる絵を想像したら、なんだか笑える。


「お飲み物をお伺いします」

 店員がテーブルの脇に立つ。


「智也、飲んでいいよ。私、運転するよ」

 ペーパードライバーだけど、一応免許は持っている。


 彼は首を横に振る。


「いいよ。あき、飲みなよ」


 予定では、公共の交通機関を使って来るはずだった。私のせいで、智也は車を出したのだ。


「そんなの悪いよ」


 店員が早くしろよという空気を醸し出す。


「じゃあ、飲もうかな。一緒に飲もうよ。車はコインパーキングに置いて帰ればいい。どうせ明日は休みだし、明日、取りに来るよ。帰りはタクシーか電車で帰ろう」


 いい事を思いついた顔で、智也は店員の顔に視線を移す。


「おすすめのシャンパンをお願いします」


「かしこまりました」と、店員。


 こういう所が好きだな、と思った。

 さりげなく、な気遣い。場の空気を悪くしない所?

 日を重ねるごとに好きな所が増えて行く。


「ねぇ。今までで一番面白かった話して」


 注文の品が届くまでの場繋ぎで話題を振る。同じ質問をされても私はそんなネタ持っていないけれど、智也の話を聞きたいと思った。


 いたずらを思いついた子供のような顔をした後、智也は話始める。


「前の彼女と付き合ってる時、お化け屋敷に行ったんだよ。僕、そういうの苦手で、本当行きたくなかったんだけど……」


「うんうん」


 智也が我に返ったような顔で、ふと私の顔に視線を止めた。


「あ、ごめん。いやだよね。元カノの話なんて」


 つまらない嫉妬はしないと決めていた。私の知らない智也の過去。私は全部知りたいと思う。例え、あの女との楽しいエピソードだったとしても。


「ううん。全然平気。続けて」


 ナチュラルに笑える大人な自分が好きだ。


 何かを思い出したようにクスッと笑って、彼は話を続ける。


「本物が出るっていう噂のお化け屋敷でさぁ、心底びびってたんだよ。序盤からぎゃーぎゃー騒ぎながら進んだり後ずさりしながらね」


「うんうん」


「急にぞわーって生ぬるい風が吹いて、同時に血なまぐさい匂いがしたの。何があったのかわからなかったんだけど、僕の後ろからついて来てた彼女が、ぎゃーーーーって言ったの」


「うん!」


「慌てて彼女の腕を掴んで、出口まで猛ダッシュ 」


「うんうん」


「外に出て、めっちゃ怖かったね、って彼女の顔みたら、お化けだったの」


「ええ? 何それ?? どういう事?」


「お化けって言うか、お化け役の人ね。白塗りに長い髪のかつらをかぶったおじさんだよ。その人と彼女を間違えて、僕は手をひいて外に出たみたい」


「ええーー、何それ。で、その後どうしたの?」


「お化けに、彼女を連れてきてもらった」


「きゃははははーーーー。何それ。めっちゃうける」


 大笑いした後、虚しさに似た感情が澱のように沈んで、処理できない。

 やっぱり、元カノの話なんて聞くもんじゃないなと思った。

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