もうひとつのエピローグ ~百年後のわたしから~

 そうして――勇者候補生と魔王候補生の物語は幕を閉じる。

 路地裏の出会いからはじまった物語も、想い紡いで巡った果てに、一つの結末に辿りついて――。


 屋内から溢れ出る明かりに照らされ、眩しいほどに降り注いだ月の光の下に、一人の女性と二人の子供の姿が映し出される。


「勇者と魔王は共に手を取り合い、真の救済を果たしたのです。そして二人は、そんな世界に訪れた平和を、見守り続けたのでした。めでたし、めでたし」


 ぱたりと閉じられる革張りの大きな本は、そっと、白く丸い机の上に乗せられた。

 かつて、勇者協会総本部と呼ばれていたサークリア大聖堂の屋上テラス。

 星空と広がる街が見下ろせる場所に小綺麗な机と椅子を並べ、女性と子供たちは向き合って座っていた。

 赤いシルクのドレスにきれいな長い金色の髪をアップに結っていて、聡明な蒼い瞳はゆっくりと細められる。頭の上には銀色に輝くティアラを乗せ、耳元からは黒い宝石が揺れるイヤリングがのぞいていた。

 角も、翼も、尾もないが――彼女は、人々を束ね、世界を見守り続ける『魔王』、アグルエ・イラ。

 リップを引いた口元を上品に上げて微笑むと、「えー」「続きはー?」と子供たちがそれぞれに、駄々をこねはじめた。


 彼女と同じ色をした蒼い瞳を輝かせる金髪の女の子は、その身体にはまだ大きいえんじ色のコートを羽織っていて。そんな女の子の横では、ヘーゼル色の瞳を輝かせて黒い髪を揺らした男の子が、「それから二人はどうなったって言うんだよー」と文句を言っている。

 そんな二人の様子に、アグルエは微笑ましいと笑みを零しながら、「もうちょっと大人になってからね」とこたえた。


「ほら、そろそろお母様・・・たちが探しているんじゃない?」


 アグルエが諭すように言うと、二人は顔を見合わせて「そうだ!」と何か思い出したかのように頷き合う。

「今日はポテトグラタン作ってくれるって、言ってた!」とそう言った男の子に、「わぁ」と花開かせたように表情を明るくした女の子が「行こ!」と、彼の手を引いていく。


 駆けていく二人の背中を見送って――アグルエは机の上に置いた本に手を乗せ、そっと星空を見上げた。

 そんなアグルエの元に、子供たちと入れ替わるように小さな影が近づいてくる。

 ふわりと白い尻尾が揺れた。


「大変なもんじゃな。多感な時期の子の相手と言うのも」


 そう言いながら机の上にぴょんと飛び乗ってきた白き狐に、アグルエはそっと視線を落として微笑み返す。


「かわいいものですよ、ツキノさん」


 アグルエの顔を見上げるツキノはぴんっと張った耳を震わせて「それもそうじゃな」と微笑んだ。


「もう、大丈夫ですか? 体調は」


 尋ねるアグルエに、ツキノは大きな耳と尻尾を揺らしてこたえてくれる。


「大丈夫じゃ。よく寝たからのう」


 ふぁーあ、と大きな欠伸を零すツキノに、「そう、よかった」と目を伏せて頷いた。

 そんな風にしたアグルエの顔を、ツキノは不思議そうに眺めてくる。

 きょとんとしてしまえば、ツキノは赤銅色の瞳を丸々と輝かせて「くふふ」と笑みを零した。


「アグルエも、随分と大人っぽくなったものじゃな。口を開けば、『今日は何が食べられるの?』っと、言っていた頃が懐かしい」

「わたし、そんなんでしたっけ?」


 からかうように言うツキノに、アグルエは思わず笑い返してしまう。


「すっかり、魔王が様になっておる」


 そうも言ってはくれるけれど、アグルエは困ってしまい頬を押さえた。


「どうなんだろうなぁ……マリーさんには、まだまだ子供扱いされるから」


 マリーがそのようにしている姿まで想像したように、ツキノは「くふふ」ともう一度笑った。そして、アグルエが手を乗せている本へと視線を移して「ふぅ」と息を吐く。


「あれから……もう、百年は経つのじゃな」


 そっとツキノも白い小さな手を、アグルエが手にしている本へと乗せた。


「えぇ……あの戦いから、世界が正しいカタチを取り戻して、新しい道を進みはじめてから、百年――」


 百年という年月を思い返せば――長いようで短かったようにも感じられる。

 人と魔族の共存。新しいカタチへと歩みはじめた世界は、最初こそは訪れた真の救済に祝福ムードで包まれていたが、そう、うまくまとまったわけでもない。

 衝突に混乱は絶えず――決して、平坦で真っすぐとした道を進んで来たわけでもない。

 だけどそれでも、世界は変わることができた。歪むことのない平和は今も続いている。


 思い返すアグルエの顔を見上げて、ツキノが口を開いた。


「アグルエは……辛い選択を、したのではないのか」


 そう言われて「辛い?」と、なんの話をされているのか、アグルエは話の芯を掴めなかった。

 だけど、すぐに彼女が言いたいこともわかる。


「あ、あぁ……わたしはそんな風に考えたこともないんです。って言うと、ちょっとは嘘になるのかな。でも、わたしは後悔したことはありませんよ」


 凛とこたえたアグルエに、ツキノは肩を落として「そうかのう」と頷いた。


「……あの子は、最期まで、お主の救いだったんじゃな」


 ツキノが何かを察したように頷く。

 だけど、アグルエは「ううん」と首を横に振ってこたえた。


「今でも……わたしの胸の中では、彼の想いが生きているから。彼が救った世界を、わたしは守りたいんです」


 そっと閉じた瞳に、彼と歩いた道が想い描ける。

 胸元で合わせた手のうちには、彼と取り合った手の温もりが、今だって残っている。


――『わたしも、忘れないから。エリンスの想いは、消えはしない!』


 戦いの中叫んだ言葉であったけれど――。

 想い続ける限り、想いは紡げると彼が教えてくれた。


 アグルエが顔を上げれば、ツキノは黙ったままでいて何もこたえられないようだった。

 机の上に置いてある本を手に取って抱え込むアグルエに、最後のページに挟まっていたモノがひとひら、ぱらりと机の上へ滑って落ちた。

 それは――映写機で取った一枚の写真だ。

 そっと視線を落として懐かしさに目を細めたアグルエに、ツキノもまじまじと写真を見つめていた。


 写真は――百年前のサークリア大聖堂で撮られたもの。

 写真の中心にいるエリンスは、着慣れない白いスーツに少し恥ずかしそうで、頬を赤らめて笑っている。

 その横で彼の腕を取るアグルエは、純白のドレスとベールに身を包み、花束を抱えながら満面の笑みを浮かべていた。

 エリンスの横には、鎧を脱いで、スーツを着こなすアーキスとメルトシスが。

 アグルエの横には、ローブを脱いで、ドレスで着飾るマリネッタとメイルムが。

 そして、周囲には――あの日、サークリア大聖堂に集まってくれていたみながそれぞれに着飾って、二人の門出を祝ってくれるように笑顔を咲かせている。

 みなが並んだ列の一番端で、スーツを着るレイナルが腕の中に白い狐を抱えていた。


「みな、いい笑顔をしておるのう」


 瞳を潤ませながらそう言ったツキノは、少し寂しさを覚えているようだった。その場にいられなかったことを憂いているのだろう、とアグルエは悟る。


「わたしの、大切な思い出です。ツキノさんが、紡いでくれた未来です」


 そっと写真を挟みなおして本を置いたアグルエは、今度は机の上で丸まったツキノのことを腕の中に抱えて立ち上がった。

 テラスの先まで歩いて寄って、広がる星空を見上げる。

 満天の空を彩る星々は――百年前に見たあの空と変わらない。


「今宵も、いい星と月が出ておる……」


 今日は、満月だ。

 丸い大きな『星』の光が、まるで世界を見渡してくれているように輝きを放っている。


「えぇ……静かな夜空……」


 星空を見ていると、そこに彼の想いが映し出されているかのように感じられた。


「歪まない平和がいつまでも続くように。それが、わたしたちの想いで……彼の願い、だから」


 星が一筋流れ、光の軌道を描く。

 祈るように瞳を閉じるアグルエに、ツキノもまた何かを願うようにして、二人は亡き彼へ想いを向けた。


 巡る世界の彼方――遥か星空の、さらに先へ広がったそらから二人で見た『世界』の姿を思い描いて――。


 アグルエが微笑んで夜空を見上げ続ければ、ツキノもまた微笑んで夜空を見上げている。


 もう一筋、流れ星が煌めいた。

 寄り添うように流れるもう一つの軌跡を想って――アグルエはそっと細めた蒼い瞳の奥に、手を引いてくれた彼の笑顔を思い出す。



――ねぇ、エリンス。あなたと一緒に歩いた道が、わたしの進む道になったよ。ふたりで紡いだ世界は、これからもわたしが守るから。







                    勇者と魔王の歪んだ世界――fin.




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