エピローグ ~巡る世界で、きみと共に~

 十二月三十一日じゅうにのつきさんじゅういちのひ

 平穏を取り戻した世界に二人が帰還を果たして、既に数日が経っていた。

 復興に賑わう世界に、新たな勇者と魔王が誕生する喜びを分かち合うように――はじまりの街と呼ばれたミースクリアの街は、祭り騒ぎで賑わっていた。

 広がる星空に麓の大きな街では夜通し明かりが灯っていて、見渡す限り眩しい光に包まれる。山頂にまで、その賑やかな声が届いてくるようだ。

 サークリア大聖堂、その裏手にある小高い丘の上、そんな夜空を見渡して、エリンスは返事をする。


「――ってことが、向こう・・・ではあったんだ」


 エリンスが見上げるようにこたえれば、巨大な銀色の竜は深い色をした目を細め――彼女もまた遠く、世界を見渡すように「そうですか」と頷いた。


「そうやって、あなたたちは帰ってきたというわけなんですね」


 魔竜の中にいるランシャがしみじみと頷いた。

 大いなる巡りの中からの帰還を果たして、エリンスにも彼女の声が聞こえるようになっていたのだ。


「想い続ければ、想いは紡がれる。みんなが忘れないでいてくれたから、俺とアグルエはその想いを辿って、帰ってくることができた」


 それはあの決戦の前日、ランシャが決意を話してくれたからこそ、思いついたことでもある。女神ティルタニアにこたえた時点では何の根拠もなかったことだけれど、なんとかできそうな自信はあったのだ。


――まあ、アグルエがいてくれたからってのは、やっぱり大きいよな。


 遠くを見つめながらエリンスがそう考えれば、ランシャもどこか遠くを想うようにして頷いた。

 しばしの沈黙に、麓から上がる歓声が耳を掠めて。

 ランシャは何か決心したようにし、そろりと視線を動かした。


「彼は……アレイルは……」


 ランシャが気にしていることもエリンスは知っていた。だから、何も包み隠すことはせずに、正直にこたえる。


「彼も、二百年……歪ませてしまった世界と向き合い続けた。その想いを考えれば……それをただ贖罪だと呼ぶには、虚しいよ。だから、彼が紡いでくれた二百年を忘れないためにも、俺たちはその先へと進むんだ。ランシャさんがそんな世界で前を向いていてくれることを、彼もきっと、願っていたはずだ」


 エリンスが勇者アレイルの意志を汲んだようにそう言えば、ランシャは少し考えるように瞳を閉じて、だけど「はい」と、納得したように頷いてくれた。


「けれど、これからが大変でしょうね」


 ランシャの言う通りだ。


「あぁ……女神にも見守っていてほしいって言ってしまったし。けれど、アグルエと一緒なら、どこへでも行ける気はしているんだ」


 エリンスは自然と笑ってそうこたえる。

 そんな笑顔を見下ろすようにして、ランシャもまた笑ってくれた。


 噂をしたからなのだろうか――。


「あ! こんなところにいた!」


 と、ふいを突かれるようにして、背後から彼女の声が響いた。

 エリンスが慌てて振り返れば、三日ぶりに見る彼女は少し見違えたように大人びて見える。

 化粧を施しているからか、頭に銀色のティアラを乗せ、赤いドレスを着ているからか――だけど、その上からはいつものえんじ色のコートを羽織っていて。


「アグルエも、こっちに戻ってきてたんだな」


 エリンスが笑顔を向ければ、アグルエも「えへへ」と、いつもと変わらない笑顔を見せてくれた。


 あれから――人界と魔界は繋がりを戻した。

 サークリア大聖堂の地下にある大いなる門グランド・ゲートも役割を取り戻し、人と魔族は共存の道を歩みはじめることを決めたのだ。

 それに伴って、新たな魔王となったアグルエは魔界へ一度帰ることになった。

 人界が復興に賑わっているように、魔界もまた復興するべく人々は想いを一つにしている。

 そのような中、新たな魔王として選ばれたアグルエは、まるで希望の象徴として――世界各地、あちこちから引っ張りダコな人気を獲得している、とエリンスも風の噂で耳にした。

 だから、落ち着いて顔を合わせるのもこうやって言葉を交わすのも、本当にこちらへ帰ってきたぶりくらいのことだった。


「うん、用事があってね。ほら、明日の」


 そう言って駆け寄ってきたアグルエに、エリンスは「あ、あぁ!」と返事をする。

 帰ってきてからというものの、エリンスもまた世界の復興に、人と魔族の繋がりに貢献するべく、勇者協会の中で大忙しな日々を過ごしている。

 エリンスはエリンスで、勇者として崇められそうにもなって、それをなんとかかわし続けているところだった。

 勇者協会は役目を終えた。勇者候補生も、もう世界には必要ない。ならば、『勇者』もまた――役目を終えたのだろう。

 勇者協会は、人界と魔界二つの世界復興の象徴として、人と魔族の架け橋となるべく、ディートルヒやシスターマリーたちを中心に動きはじめたところだ。

 だから、そんな新しい世界の誕生の邪魔をしたくないというのが、本音のところだった。


――それに、象徴となる『魔王』はもう彼女がいるしな。


 と、エリンスはアグルエの顔を見て笑う。


「そっか、もう明日か。明日、ここでやるんだっけ?」

「うん、魔王戴冠まおうたいかんの儀。大々的にやったほうが、効果があるって……マリーさんが言うから」


 照れたように笑うアグルエに、エリンスも「まぁ、そっか」と笑ってしまう。

 サークリア大聖堂を大々的に彩って、祭りで賑わうミースクリアの街をも巻き込んで、さらにはマーキナスが開発したという映像送影機でライブ配信まで行って、人界にも魔界にもその光景を届けるのだとエリンスは聞いている。

 世界を巡る大きな話になってしまったとも思うが、アグルエはそれを受け入れて、その座に就くことを呑み込んでいるようだった。


 だから、エリンスは決めているのだ。

 これからも、そんな彼女の力になり続けられるように在ろう、と。

 それに明日は――二人が出会って一年、そういった日でもある。

 真っすぐとアグルエの顔を見つめたエリンスに、彼女はもう一度少し照れたようにしながらも顔を上げた。


「忘れちゃダメだよ、エリンス。ちゃんと見ていてくれなきゃ、わたし、しっかりやれないから」


 彼女は彼女なりに不安を抱えている。

 でもそれすらも呑み込んで、頬を赤らめてアグルエは笑う。


「当然だろ。一緒に進むって決めたんだから」


 そうこたえたエリンスに、アグルエは「うん」と素直に頷いてくれた。

 二人のやり取りをまじまじと見つめているランシャに、しかし、二人は気にせずに話を続ける。


「だったら、忙しいんじゃないのか?」


 いよいよ明日ともなれば、前日の夜から準備だってあるのだろう。

 そのためにアグルエは魔界からこちらへ戻ってきたわけだし――とエリンスが考えたところで。


「うん、けど、ちょっとね。抜け出してこられそうなタイミングは見計らったから」


 悪戯そうな笑みを浮かべるアグルエに、エリンスは「あー」と少し気が抜けた。

 マリーに怒られるアグルエの姿までもが見えて――だけど、ボーッとしたエリンスの手を、アグルエが軽く取って引っ張ってくれる。


「エリンス、ちょっと来て! 街は、お祭り騒ぎで大賑わいだから、ね!」


 引っ張られるがまま、魔法で創り出した大きな炎の翼を羽ばたかせたアグルエに、エリンスは夜空へ飛び出した。

 優しく微笑んだランシャに見送られて――エリンスは「おわぁ」と情けない声を上げて連れられるがまま、ミースクリアの街へ向かう羽目になった。



◇◇◇



 煌々と魔素マナの光を灯した街灯、立ち並ぶさまざまな露店に、立ち上る香しい煙。

 酒場は道にまで席を広げて、酒を片手に肩を酌み交わす人々は、歌い、踊り、喜び、世界に訪れた真の平和を謳歌した。

 路地裏を駆けていく子供たちの中には、尾の生えた魔族の子も混ざって。

 酒場の席には竜の鱗に身を包んだ魔族の姿もある。

 角が生えた魔族と髭を生やしたおじさんは腕を組みながら力勝負をしては酒を飲み交わし、街の至る所で魔族たちもまた、世界に訪れた平和の味を噛み締める。


 人は、段々と新たな世界の形を受け入れていた。

 かつて勇者旅立ちの地、『はじまりの街』と呼ばれたミースクリアの街は、人と魔族の共存という新たな『はじまりの街』の象徴として、魔族の移民も受け入れはじめているところだ。


 夜空を翔ける二人は祭りで賑わう表通りを見下ろして、いつもならば露店の食べ物につられるだろうアグルエはしかし、一目散にどこかを目指しているようだった。

 ふいにアグルエのコートのフードから「きゅい?」と顔をのぞかせた白い狐に、エリンスは「あっ」と声を返す。


「ツキノは……アグルエが」


「ん?」と振り返ったアグルエが、すっかり懐いている様子の白い狐が肩に乗ったのを見て、「そう」と頷いた。


「レイナルさんから、預かってるの。これから先、長いこと・・・・を考えたら、わたしが世話を見るのがいいって」


 白い尻尾を振りながら頬ずりをする白い狐に、アグルエはくすぐったそうに笑って言う。

「そっか」とこたえたエリンスは少し寂しくなったものの、だけど、笑ってこたえることができた。


「それが、あいつのためにも、いいかもな」


 アグルエはそっと前を向きなおすと、それには聞こえてないふりをしてくれたらしい。

 そのようなやり取りをしている間にもふわりと急上昇を果たして、ようやく目的地に到着したのか、二人は屋根の上に着地し、アグルエは魔法で展開していた翼を閉じた。

 広がる明るい街並みから、その明かりに照らされる薄暗いアルケーリア平原を見通して、遥か彼方、海までをも一望できる。

 そこは、ミースクリアの街の中心地、街で一番の高さを誇る大きな時計塔の屋根の上だった。

 ぴゅーっと鳴く風が頬を突くように冷たくて、顔を上げたエリンスが「寒くないか?」と聞けば、だけど、アグルエは頬を赤くしたまま「平気だよ」と微笑んだ。

 アグルエがそっと腰を下ろしたのにつられて、エリンスも腰を下ろしてその横へ座る。白い狐もちょこんと、二人の間で丸まった。


「どうしてこんなところに――」とエリンスが口にしたところで、ゴーンと、足元から空気をも振るわせる音が鳴り響く。

 時計塔が、ちょうど零時ぜろのときを刻んだのだ。

 続けて、ひゅーっと何かが立ち昇っていく音が響いたかと思えば、パーンと夜空に、色とりどりの七色の光が散った。

 上がっては弾けて、ぱらぱらと七色の光が星空へ溶けるように広がっていく。

 打ち上げ続けられている莫大な数の花火に、二人は目を奪われ、心を奪われる。

 花火越しに見たキラキラと眼差しを輝かせるアグルエの横顔にエリンスは、これを見せたかったのか――と悟って、「ふっ」と小さく笑って、共に空を見上げた。


 ぱらぱらと火花が散っていく音が、空気が澄んでいる上空だとよく聞こえる。

 それに、花火を通して見る星空は――あの日、二人で見た星空のように明るく満天を彩った。


「やっぱり、思った通り特等席だね」


 そう彼女が笑ったような気配を見せて、エリンスは「それは、そうだろう」と笑って頷いた。

 いくら街が祭りで賑わい騒いでいるからと言って、こんなところまで登ってくる人は他にはいない。そんなことを考えるのは――やはりアグルエくらいだろう、と笑ってしまう。


「エリンス、ありがとうね」


 ふいにそう言われて、エリンスは視線を華煌めく星空から下ろし、アグルエの横顔を見つめた。

 アグルエはキラキラとした眼差しのままに星空を見上げていて、その頭の上では銀色のティアラがキララと光った。


「わたしと一緒に歩いてくれて。あのとき、わたしのことを救ってくれて、手を引いてくれたから……それが、わたしの……ううん、わたしたちの道となった」


 エリンスのほうへと顔を向けるアグルエの蒼い瞳は、うるうると煌めき揺れていて――だけど、林檎のように赤く染まった頬に、エリンスの心臓がどきりと跳ねる。


「こちらこそ……手を引っ張ってもらったのは、俺のほうだって」


 あの時アグルエと出会っていなければ――こんな未来は訪れなかったのだろう。

 そうこたえたエリンスに、アグルエは口を噤んで何か一瞬、考えたように目をそらした。

 時が止まったようにも感じる時間だった。

 疑問に思うエリンスは、だけど、バーンと弾けた花火の音につられ、アグルエが視線をそらしたほうへと目を向ける。

 すると、ふわりと甘い花のような香りが鼻腔に広がって、それに気づいて向きなおしたエリンスの目の前に、瞳を閉じたアグルエの顔が近づいた。

 重なる熱に、紡がれた唇。

 驚き目を見開いたエリンスの頬には、身体の芯から熱が上がってくるような感覚がある。

 ほんの数秒であったはずだけれど――その時間が永遠にも感じられて。

 ぎゅっと、自然と力が入った拳にも熱がこもり、受け止めた彼女の想いに、胸のうちが熱くなっていく。


 再び、花火が弾けた。

 ぱらぱらと散った音に、離れてゆく熱。

 甘い香りが遠ざかるようで、だけど、消えはしない。

 顔を綻ばせて笑うアグルエを前に、エリンスは身動き一つ取ることができず、赤くなった顔を向けていた。


「あの時の返事、できてなかったから。約束、だったでしょ?」


 そう言って恥ずかしそうに微笑んだ彼女の想いは、ずっと繋いでいた手のうちで知っていた。

 だけど、いざそうなると、何もこたえることができなかった。

 約束も、あの時に交わした言葉も、一言一句、覚えているのに。


「わたしも好き。わたしだって、もう離さない」


 そう言って――呆然としたエリンスの手を、そっと彼女が取ってくれた。


「二人で歩いた旅路、二人で掴んだ未来。だからこれからも……二人で、新しい世界を紡ごうよ」


 ふわりと広げられ、ぎゅっと向き合い握られた手に、エリンスは同じだけの力で握り返してこたえる。

 その瞬間、ひと際大きな花火がバーンと弾けては、七色の光を散らせていた。

 街中から上がった歓声も合わさって、それはまるで星空までもが弾けるようで――そんな光に照らされて笑うアグルエに、エリンスは「あぁ……」と、ようやく思考が戻って、ただ頷いて――。


「二人で救った世界だ。きっと、大丈夫……二人でなら、紡いでいける。きみと共にならば、どこまでも」


 そうして今度はエリンスのほうから。

 彼女の肩を抱き寄せて、その蒼い瞳をのぞくようにそっと唇を重ねた――。






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