最終話 落ちこぼれと呼ばれた彼と、最強と謳われた彼女
冷たい空気が冬の訪れを伝えるようだ。
ふぅっと、口元から昇った白い吐息に、並ぶ参列席の一つへ腰を下ろした
大聖堂には他に人の姿もなくて、静けさに包まれる。
こうして静かに一人の時間を過ごすなんて、もういつぶりだろうか――と考えて、上がる自分の白い吐息の行方を目で追った。
復興に続く復興に賑わう世界では、勇者候補生としての役割が終わったのだとしても、落ち着く時間などありはしなかった。
空が赤く染まって世界から昼夜が消えて、『神の器』オメガのファーラス王国への侵攻に、最終戦線での防衛戦の果てに、人類は勝利を掴んだ。
世界が平穏を取り戻して、しかし、それでも世界各地、残された傷は大きなものとなった。勇者協会も、勇者候補生たちも――それに魔王候補生たちも、復興をはじめた世界の巡りの中で、慌ただしい時間を過ごすことになったのだ。
あれから――早くも九ヶ月の時が過ぎていた。
勇者候補生が選定されてから一年。その身に宿した勇者の力の灯も、その日を境に勇者候補生たちの身体の中から消えていく。
勇者候補生の旅に定められた一年という期限、その旅路の終わりの日だ。
「まだ、誰も来てないか」
聞きなれた友の声に、アーキスは声がしたほうへ顔を向けた。
そう言って大聖堂へやってきたのはメルトシスだ。
「あぁ、さすがに、早かったらしい」
三日前に港町ルスプンテルに着いて、そこから朝一での移動を繰り返した結果、一番乗りを果たしたらしい。
「へっ」と笑うメルトシスがアーキスの横に腰を下ろして、アーキスもまた「ふっ」と笑い返す。
「マリーさんに一応声をかけてきた。示し合わせたわけでもないけどさ、『まあ、みんな考えることは一緒でしょうね』だってさ。後から来るって」
「彼女も彼女で大忙しだろうに……魔族と人、勇者協会の橋渡しを続けているんだろ?」
アーキスが聞けば、メルトシスも「そうだろうなぁ」と笑った。
そんなところで、大聖堂にはもう二人、人影が増える。
「あら、早いじゃない。さすがに一番乗りかと思ったのに」
青い髪をきっちり結って、凛と引き締まる表情は相変わらずだ。
アーキスが声のほうへと目を向ければ、マリネッタはそんな表情を崩してやわらかく微笑んだ。
彼女の横には、メイルムも一緒にいる。
目深にかぶっていた白いローブのフードを外して、寒さに赤くなる頬を露わにしながら軽く会釈した。
「なーんだ、結局、いつもの顔触れじゃん」
退屈そうに腕を組むメルトシスに、メイルムが「あはは」と困ったように笑う。
「二人は一緒に来たのか?」
アーキスが聞けば、マリネッタが「えぇ」と頷く。
「メイルムが魔竜に乗ってセレロニアに寄ってくれてね。それで、速攻で飛んできたからさすがに一番乗りかと思ったのに」
マリネッタはそのまま腕を組んでアーキスたちのそばの席へと腰かけて、メイルムもちょこりとその横へ座った。
「いつもの顔触れって言うけど、もう久々な気がする……」
メイルムの言う通りだ。
あの戦いを共に生き抜いて、しかし、その後アーキスとメルトシスがファーラス王国へ帰ったように、マリネッタはセレロニア公国へ、メイルムは魔竜と世界各地を救って巡る旅をしている、と聞いていた。
「二人も久々だったのか?」
「えぇ、まあ、メイルムはたまにセレロニアへ寄ってくれたけどね」
マリネッタが頷けば、メイルムも「えへへ」と笑う。
彼女が魔竜に乗って世界各地を翔ける様子は、まさに『聖女』だと呼ばれていて、復興に賑わうファーラス王国でも噂話はよく耳にする。
「わたしは、彼らが教えてくれたことを……彼女たちのためにも、世界を見続けておきたかったから」
少し寂しそうにそう言ったメイルムに、アーキスもまた天井を見上げて、メルトシスも「はぁ」と息を吐いた。マリネッタはどこか遠くを見るように、その瞳に涙を浮かべている。
静けさが再び大聖堂を包む。
次第に、少しずつ人影が集まりはじめた。
勇者協会でその後の復興に追われていて忙しいだろうに、律儀にもディートルヒと、シスターマリーが姿を見せた。金色の鎧は勇者協会を背負うモノの一人の証だ。対してマリーは、いつも被っていたシスターベールをすっかり外しており、その角を露わにしている。
続いて姿を見せたのは、かつては赤の管理者と呼ばれていたファーラス勇者協会を統括しているリィナーサ。彼女と親しげに話すのは、黒い鎧を身に纏い、薙刀を背負い腕を組んで笑顔を浮かべる、傭兵団を率いたディムル。
どこか肩身を狭そうにして黒いマフラーの内側へ顔を半分隠す元勇者候補生シドゥは、ディムルに引っ張られるようにして大聖堂へやってきた。
大きな剣を背負う元勇者候補生ジャカスに、彼と共に腕を組んで大聖堂に姿を見せたのは、サロミス王国の王女ミルティ。
人よりは大きな体躯を小さく屈めるようにして、しかし、つぶらな眼をきょろきょろと向けるのは巨人の魔族ウルボ。そんな彼の横には、三つ目を光らせ優雅に微笑む魔族のセレナがついている。
耳に端末を当てたマーキナスに、白い狐を腕に抱え込み、聡明な眼差しを静かに向ける勇者協会顧問レイナル。彼の家族であるミレイシアと、友人であるシルフィスも大聖堂へ顔を見せた。
ラーデスア帝国女帝シルメリナと護衛についているエノルが顔を見せれば、セレロニア公国からは公務の合間を縫って抜け出してきたのだろう、風姫ルインとその執事であるシャフカまでいて。
アーキスは知らない人物たちであったが――ターバンを頭に巻きながらも寒さに慣れないように顔をしかめるハシムとヨーラ、ベンラール兄妹に、地図にない村からやってきた老人バレスロンやその孫であるレミィの姿までもがある。
それだけの人が集まれば、先ほどまでは静かで冷たい空気だけが漂った大聖堂もがやがやと騒ぎ立ちはじめた。
久々の再会を喜んでいたり、あの日から続いた復興の話に花を咲かせたり。
それぞれがそれぞれに、明日を掴んだ今を生きていることを確かめるように、笑顔を見せる。
アーキスは立ち上がって振り返ると、そんな彼らの顔を見つめて「ふっ」と笑った。
メルトシスもどこか満足そうに笑うと、「まあ、こんなもんか」と頷く。
「今日が、
毎年この日は旅を終えた勇者候補生たちが、旅立ちの地であるサークリア大聖堂へ戻ってくる日だ。だけど、勇者候補生も勇者協会も、世界に真の救済がもたらされたことによって、その役割を終えた。
今年は勇者候補生たちもここへ帰ってくることはない。
「そうだな、みんな忙しいって言うのに」
メルトシスは白い歯を見せて笑う。
「でも」と声を上げたのは、そんな風に集まった人たちの顔を改めて見渡したマリネッタだ。
「彼と彼女のために……みんな、集まったのよね」
メイルムも「うん」と頷く。
「二人が……紡いでくれた絆だから」
涙を流すマリネッタに、メイルムもまたもらい泣きしたように涙を流しながら笑った。
アーキスは三人の顔を見て頷いて、そうしてから、大聖堂に掲げられている白いステンドグラスを見上げた。
「あぁ……そうだ。俺たちは、忘れない」
アーキスが言えば、それぞれが頷く。
「彼と彼女が……落ちこぼれと呼ばれようとその道を進んで勇者になった彼と、最強と謳われた未来の魔王が紡いでくれた、今を……そんな二人が守ってくれた世界が、ここにあるってことを……」
アーキスもまた涙を浮かべながら、拳を強く握り込んだ。
――その名を語ることはできない。
それが制約か――旅立つ背中を見送ったはずなのに、手を取り合う二人の朧げな姿しか思い出すことができないのだ。
それぞれの中に、生きているはずなのに。
名前も、その顔の輪郭すらも定かではない。
けれど、二人が世界を救ってくれたのだということだけは、それぞれが自然と知っていることだった。
四人は並んで、かつての勇者を象ったのだというステンドグラスを見つめていた。
そのような背中を集まった人々は、口を噤んで静かに見守る。
「なぁ、きみたちは、今も……元気で二人、一緒にいるのか」
誰に問うたわけでもなかったけれど、アーキスが呟いた。
「ねぇ、あなたは……どこかで、お腹いっぱい美味しいものを食べられている? わたしは忘れたくないよ……大切な、友達のことを……」
マリネッタの涙交じりの声色には、さすがのメルトシスも涙を我慢したように腕で顔を拭った。
静かに、名前もわからなくなってしまった二人の姿を思い出そうと、サークリア大聖堂に集まった一堂は想いを一つに、ステンドグラスを見上げ続けていた。
何かを想うように瞳を細めたシドゥに、マリーは何かを信じたように微笑んで。
静かにそっと手を合わせるレイナルとミレイシアに、その腕の中では白い狐が「きゅい」と鳴く。
――みなの願いが一つに、忘れた何かを思い出そうと、想いを紡ぐ。
「あっ」と言葉を零すメイルムに、白いステンドグラスがわずかに輝きを発したように見えた。
それぞれは期待に目を見開く。
すると次第に――消えかかっていた色褪せた思い出に、色が戻るようにして華やいだ。
並んだ二人の姿に、手を取り合って前を向いた顔が。
あの決戦の前日、二人で覚悟を示し合っていたその表情が。
はっきりと――アーキスの脳内に蘇った。
「……エリンス」
「アグルエ!」
アーキスがその名を呼べば、マリネッタがそれにこたえるように彼女の名を呼ぶ。
忘れてしまっていた何かが――抜け落ちてしまったパズルの最後のピースがかちりと合わさるようにして、一堂は、彼と彼女のことを思い出した。
白い光が瞬いている。
次第に形を作るそれが、二人の人影へと姿を変えた。
耳にかかるほどの茶色かかった黒い髪に、キリリとのぞくヘーゼル色の瞳。
金色の長い髪に、優しく細められた蒼い瞳。
二人は離さないようにとしっかりと手を握り合っていて――七色の光を纏った長剣を背負っている彼は、横の彼女と顔を合わせて頷き合ってから、集まっている一堂に向かって笑顔を向けた。
――「ただいま、みんな」
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