第311話 座する勇者、黙する女神
立ち昇る砂煙に包まれて、戦場が音を失ったのも束の間のこと――。
戦場から少し離れて――肩を並べて座り込む、すっかり力を使い果たしたような五人の勇者候補生たちが、晴れ晴れとした顔を並べて空の彼方を見上げていた。
ズームアウトしていく光景に、エリンスとアグルエは息を呑む。
部屋が再び明るくなると、目の前に広がっていた光景が消えた。
機械音を上げて『神の座』が動いたかと思えば、その席の上では勇者アレイルが腕を組んで感心したように目を見開いている。
「人々の結束、人魔戦線、か。人も魔族も、勇者候補生も魔王候補生も……これが、俺と魔王のした約束が、紡いだ果てなのか……」
目の前にした光景が信じられなかったかというように、勇者アレイルは心底驚いている様子だった。
エリンスとアグルエは顔を合わせて頷き合ってから、『神の座』へと顔を向ける。
「あぁ……そうだ。世界は、歪んでしまっただけでもない」
「うん、今を生きる人々の想いは、ちゃんと前を向いて、紡がれている!」
二人が力強い眼差しを向ければ、アレイルは大きく開いた青い瞳で狼狽えるようにしながらも頷いた。
だが、戦場を見つめた『神の座』でただ一人、
「所詮、きれい事だ」
「
エリンスはそんな彼へと向き合うが、だけど、
「強大な敵を前にして、一時の結束を固めたところで、長い月日の流れの中で、人はまた災いの種を生み、争いを繰り返す。『勇者』、おまえはそれがわかっていたから、魔王とそんな約束を取り決めて、世界を歪ませ止まらせようとしたのだろう」
勇者アレイルはこたえない。
「過去、人の過ちが災いの種を生み出した。
勇者アレイルは、奥歯を噛むように苦しそうな表情を見せた。
そこに隠していた本心を、まるで見抜いたかのように
「なぁ、『女神』、そうなんだろう?」
勇者アレイルの周囲をくるくると飛び回る光が象る女神ティルタニアの姿。
それは、女神の残滓であって、女神ではないとアグルエも言っていた。そこにはもう、女神の想いは残っていない。
そんな女神を見かねたのか、はたまた勇者を見限ったのか――
彼の中に灯っている白き炎の熱に揺らぐようにして、エリンスにも感情が伝わってくる。
だけど、光が象る女神ティルタニアの残滓にはそのような想いもわからないのだろう、子供のように無邪気な微笑みを
「何が、言いたい」
エリンスは口を挟む。
そんなエリンスのことを一瞥する
「女神ティルタニアが、『勇者』にその席を譲った……なるほどな、説得力
何かを確信したように――勝ち誇ったように、にやりと口元を吊り上げる。
「なぁ、エリンス・アークイル。どうして、俺は、ここにいる?」
白いマスカレードマスクの奥で見開かれる暗い瞳の色。
彼が、ここにいる理由――それは、『女神に選ばれたから』だと語っていた。
エリンスもアグルエも、それを黒の軌跡で目にして、ここまで来た。
すぐにこたえることができなかったエリンスを見て、
「女神は、終わらせたがっている。なぁ、そうだよな、『勇者』!」
そう言いながら大手を振ってもう一度『神の座』を見上げた
彼が確信しているように――勇者アレイルもまた、隠し通すことはできないと悟ったのだろう。
エリンスとアグルエが息を呑んで二人のやり取りを見守っていれば、勇者アレイルは「……そうだ」と静かに頷き、言葉を続けた。
「長い歴史の中で、創造した世界の上で、人々の進化を見続け、『星』を見守った女神にも、限界はあった。『神の座』、大いなる巡りの自浄作用にも限度はある。それを支えていた女神の心が摩耗してしまえば、大きな綻びが生まれるのは必然。二百年前、彼女の心はもう限界を迎えていた。長い孤独、『神の座』は世界そのものであると同時に、『神』を孤独にする。その果てに、人が『星の力』に触れた『禁忌』、ロストマナによって、彼女の心は壊れてしまったのだ」
勇者アレイルの語る事実に、
「そうした女神の弱った力に付け込んで、利用して、おまえはその席に就いたのだろう、『勇者』……。おまえは、『神』の器じゃない。俺こそが、女神ティルタニアの意志を継ぎ、その席へ就く『神』だ!」
勢いもつけずに地面を蹴って飛び上がる
「何を!」と叫ぶエリンスに、「ダメ!」と叫ぶアグルエの声も届かずに――
ビーッと響き渡った異常な電子音、「がはっ」と勇者アレイルの口から吐き出される真っ赤な鮮血。
『神の座』へ足をかけ、返り血も気にしないように黒いローブの裾をはためかせた
「そんな!」
「勇者アレイル!」
アグルエの悲痛な叫びに、エリンスも思わずその名を叫ぶ。
だが、彼が何かこたえることはもうなかった。
光を失う黒鉄色のサークレットに、青ざめた顔からは意識が失われていくのが目に見えてわかった。大量の血を流しながら、銀色に光る『神の座』、その席の上で、勇者アレイルは息絶えた。
「俺は、その答えが知りたかったんだ」
神の座の上に立つ
「気づいてしまったんだよ、おまえたちが、ここに来て」
目の前にした
エリンスが「何?」と見やれば、
「俺の中にある、根源たる怒りがどこから来ているのか……俺へ囁いた、女神の言葉、彼女の存在は、どこにあるのか」
――『この世界はあなたにとって、どう見える?』
「全て、俺の中に、あるんだよ」
勇者アレイルの亡骸から白き光が溢れ出して、何か大きな力が、そこに止められていた何かが、一気に溢れ出して逆流したかのように周囲が白い光に包まれる。
大きな存在が、全て『神の座』の上に立つ
思わず目を閉じたエリンスとアグルエに、一瞬の後、二人が再び目を開けると、そこは先ほどまでいた『神の座』ではなくなっていた。
周囲を流れ続ける白い光に呑まれるように、二人は宙に浮かんでいる。
夢の中で見たような、黒の軌跡で見たような光の中に浮かんでいるような、果てまで続く白い空間ではあるけれど、同じ場所ではない。
たしかな感覚を持って周囲を見渡したエリンスに、アグルエも不安そうな表情で首を振っていた。
巡り続けている光の中に、蠢くような巨大な影が渦巻いていて、こうして立っているだけで呑み込まれてしまうような巨大な不安感に襲われる。
それに、目の前にしていたはずの
「ここは、『神の座』じゃないのか」
呟いたエリンスに、アグルエがそっと手を握ってくれた。
「うん、違うみたい」
二人がひと言交わしたところで、目の前の光が収縮するように凝縮されて、そこから
「くはははは……女神は失われた。だけど、彼女の想いはここにある。そして、そのことに気づかせてくれたのは、おまえたちなんだよ。エリンス・アークイル、アグルエ・イラ」
エリンスは息を呑みながら、再び現れた
「俺たちが……」と言葉を零したところで、
すると、エリンスの腰元から――天剣グランシエルが吸い寄せられるようにして離れていき、その手に握られていた。
「なっ、天剣が……」
すたっと握り込み、その感触を確かめるようにする
「女神は決して、何も語ろうとはしなかったな。だが、その想いを継いで、俺が果たすべき贖罪は、もうはっきりとしているだろう」
もうここは、『神の座』ではない。
「『勇者』が語った通りだろう。あいつは、世界を破滅から守るためにそうするしかなかったのだろうが、別に女神に選ばれたわけでもない」
――勇者と魔王が造った世界に、女神の意志はなかった。
「本当に……」とエリンスが呟けば、続きの言葉はアグルエが口にしてくれた。
「女神ティルタニアは、破滅を望んでいるって言うの……」
世界の創造主たる女神が、己の創造した世界の破滅を望んでいる――。
信じられない。信じたくはない。だが、
「ならば、何故、この俺が選ばれた」
こたえられない二人に、
「だがなぁ、もう今となっては、そんなこともどうでもいいんだよ。この俺こそが、たった今、この世界を再構築する『神』へと至ったのだから」
勇者アレイルに止めを刺して、『神の座』に溢れ出した白き光は全て、
何が起こったかは一目瞭然、何をしようとしたかも、もうエリンスにはわかっている。
『神の座』へ残っていた女神の力と一体化したのだろう。勇者も、
周囲の白い光が巡り続ける空間へ目をやるエリンスとアグルエに、
「神の座は、どうなった」
エリンスが聞けば、
「あるべき形に戻るだけ。いずれまた再生する。今度はそこに俺が座る」
アグルエも不安を口にするように叫んだ。
「ここは、どこなの。わたしたちは、どうなったって言うの」
それにも
「大いなる巡りの中だ。俺も、おまえたちも、もう
止められなかったのか――と、「ぐっ」と奥歯を噛み締めたエリンスに、だけど、繋がるアグルエの手には熱がこもって力が入った。
「――そうじゃない」
真っすぐと
「本来ならば、おまえたちの存在はとっくにこの流れの中に吸収されているモノだろう。だが、おまえたちの中にあるその『星の力』が邪魔をしている」
エリンスとアグルエの繋いだ手のうちで、黒き炎、白き炎、二つの光が燃え上がる。バチバチと光を発して、メラメラと二人を包むように
「新たな世界の再生に、おまえたちの存在は邪魔だ」
白いマスカレードマスクの奥でゆっくりと細められる暗い眼差し。
白き巡る光の中で、宙を舞う二本の剣は光となって混ざり合う。
天剣グランシエル――大空を統べる剣と、星剣デウスアビス――深淵の星たる剣が、一本の長剣となって
黒と白、刃の半分がそれぞれの色へと染まった大振りの剣を手に、
「
剣の
黒き光を伴い迸る光が鋭く尖る刃のようになり、エリンスとアグルエ目掛けて弾けるように迫った。
「ぐっ」
「きゃっ」
二人が繋いでいた手を目掛けて迸った光に、二人は繋いでいた手を離すことで、なんとかかわすことができた。
だが、手を離してしまったことにより、自分自身の存在すらあやふやになっていくような、妙な浮遊感に襲われる。
白き巡りの流れの中、そうしてボーッとしていたら、流されて消えていくようで――エリンスは意識をたしかに持ちなおして、腰に提げた剣の柄へと手を添える。
アグルエも同じように、力を込めた眼差しを真っすぐと向けたまま、二人は互いに頷き合った。
「直々に、消してくれよう」
白いマスカレードマスクの奥から暗い眼光を放ち、白き大きな翼を広げ神々しくも光をばらまいて――。
『神』へと至った
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