第310話 明日を掴む、戦いの果てに


「動きが、止まった……」


 まるで、時間までもが凍り付いたように訪れた静けさの中、マリネッタの声が響く。

 青白い魔素マナに包まれた『神の器』オメガは、胸の辺りから大輪の花を咲かせるように氷の結晶を広げて、すっかりと凍り付いていた。

 刹那――マリネッタは耳にはめている端末へ手を当てて、魔竜が何かを悟ったように首を上げる。メイルムも背後から近づいた巨大な気配に思わずと言った調子で振り返って、大声を上げた。


「来る!」


 マリネッタも慌てて、上空へ飛び上がっていたアーキスたちに向かって声を張り上げる。


「早く! 退避を!」


 端末を通して聞こえているマーキナスの声に、身体を襲ってくる重たい疲労感も忘れて、鼓動は跳ね上がった。


――『ファーラス側からもオメガの動きが止まったことが確認できたって! こちらから魔素マナの砲撃を照射した! 数分の後、そちらにも到達する! ボクの転移魔法でも間に合わない。一刻も早い、避難をしてくれって!』


「二人も、シドゥも、逃げて!」


 マリネッタは叫び続けたが――。

 しかし、上空でアーキスとメルトシスは未だ動き出すこともできず、オメガの肩へと着地していた。



◇◇◇



 ファーラス王国を覆っている青い魔素マナの流れが止まった。

 街を覆っている結界が消えて――それだけの力が、ファーラス城、玉座の間へと集中する。

 作業を続けたリィナーサ率いる勇者協会の魔導士たちと、ウィンダンハ率いた王国の魔導士たちの力を合わせて、玉座の間の上、屋上に描き出した巨大な魔法陣を取り囲む。

 大きな魔素マナの力の流れに、玉座の間を覆いつくしていた魔導機械からは爆発音や煙が上がりはじめた。しかし、一行は一点に意識を集中させたままに――ファーラス王国北部へ、ファーラス大平原で凍り付いた『神の器』オメガへと、集めた魔素マナを一気に凝縮させて照射した。

 凄まじい閃光の後、王城が吹き飛ぶ。

 ガラガラと崩れる崩れる瓦礫の中、だが、一点へと集中させ続けたそれぞれの想いが弾道を描いて――ファーラス王国の頂点より、集められた魔素マナは光線となって放たれた。


 風を裂き、音を断つ。

 夜空へ落ちた恒星のように――光の速さで照射される凝縮された高濃度な魔素マナ

 王国にいた人々も一斉に空を見上げ、戦場で戦っていた者たちも一斉に手を止めては空を見上げた。

 爆風と衝撃が駆け抜ける――。

 既に避難は成されているが、ファーラス王国も無傷というわけにはいかず。街並みを吹き飛ばしながら、光は一直線に突き抜ける。

 王国の城壁すらも吹き飛ばし、弾道にあった要塞の壁をも突き破り――そして、勇者候補生たちが足止めに成功した、『神の器』オメガのコア目掛けて、その光は到達する――。



◇◇◇



 近づく大きな気配には、アーキスも気づいていた。

 地上ではなんとか立ち上がる魔竜が、倒れるエノルとバンドルを背負って、メイルムとマリネッタのことを背中に乗せて、避難をはじめている。

 凍り付いたオメガの肩の上で息を吐いたアーキスに、メルトシスが「ふっ」と息を吐いて小さく笑った。


「なあ、アーキス」

「あぁ、メルトシス」


 アーキスはメルトシスの言いたいことも理解して、互いに頷き合った。

 ファーラス王国のほうから近づく激しい閃光、それはまるで、『神の器』オメガが最前線を壊滅させた光線と同じものだ。

 あの力を『神の器』オメガにぶつけることができれば、いくら『神の器』と言えど、無事では済まないだろう。

 だが――。


「これじゃあ、シドゥもろともだ」


 メルトシスが、オメガの胸部の部分に広がっている氷の結晶の花を見下ろして言う。


「あぁ……シドゥは、それをわかって」


 己の命を顧みない、捨て身の特攻だった。

 でも、彼がそういう力の使い方をしてくれなければ、その決断をしてくれなければ、こうしてチャンスは生まれなかったはずだ。

 メルトシスはもう一度軽く笑った。


「こういうとき……あいつ・・・なら、どうすると思う」

「迷いなく、助けに突っ込んでいくだろうな」


 名前を思い出すことができない、お人好しの勇者候補生の背中を思い返して――息を落ち着かせた二人は、オメガの肩から飛び降りた。

 光の速さで接近する照射された魔素マナに、もう時間も残されていない。

 アーキスは手にした刀で、オメガのコアの部分に広がる氷の結晶を叩き砕いた。メルトシスがもう一撃、アーキスがもう一撃、そうして氷の結晶の底へ埋もれるようにして意識を失っているシドゥの元まで、想いを届かせる。


――きみならば、こうしただろう!


 己のことを顧みずに、飛び込んでいく勇者候補生。

 落ちこぼれと呼ばれようと、その使命を全うするために歩き続けた彼ならば――。


 近づく閃光に、二人は目を開けていられなくもなる。

 だが、凍り付いたその奥底に、剣を突き立てながら眠るようにすっかり冷たくなっているシドゥを見つけた。

 メルトシスが剣を振って最後の氷を砕く。アーキスは、シドゥの腕を掴んで引っ張り上げようとする。

 だが、彼は余程強い力で剣を握り込んでいたのだろう。簡単には引っ張り出すことができず、手こずるアーキスにはメルトシスも手を差し伸べてくれた。

 二人は渾身の力を振り絞って、氷の中に埋もれていたシドゥを引っ張り上げる。すかさず彼のことを背負うメルトシスに、アーキスも「早く!」と退避を急ごうとオメガから飛び降りた。

 だが、既に激しい閃光は目前で――目を見張ったメルトシスに、アーキスはその手を引っ張って願いを込めた。


――「力を、貸してくれ! 勇者の力!」


 全身から溢れ出す懐かしい感覚。

 熱くも感じた光の中で――アーキスは光り輝く、己が憧れた剣の影を見た。

 不思議と全身が軽くなる。

 襲い来る爆風の衝撃に目も開けられずに、ただ落ちていくだけ、巻き込まれたかのように思えたのに――。

 アーキスはメルトシスのことを抱えたままに、空を翔けた――。



◇◇◇



 動かなくなった『神の器』オメガへ、ファーラス王国より一直線に照射された魔素マナの光が、凄まじい爆音と爆風を振りまきながら衝突する。

 光の中で巨大な影が瓦解していく。

 氷の結晶もろとも、粉々になった破片は光に呑み込まれて全て焼かれていた。

 耳をつんざくような爆音に、凄まじい閃光に、戦場にいた誰もが目を開けていることができなく、耳を塞いだ。


 しばらくして――閃光が治まって。

 ファーラス大平原の大地には、巨大な穴が開いている。

 何もかもを吹き飛ばし、結果的に大地を抉りとってしまったのだろう。

 そこで足を止めていた巨神の影は、すっかりなくなっていた。

 戦場では激しい閃光の後に、戦いの音が止み、騎士団も傭兵団も、勇者候補生も魔王候補生も、崩れ行くオメガの影を目で追っていた。

 魔導歩兵オートマタたちは全て動きを止めている。

 それはすなわち、それらの動力源となっていた『神の器』オメガの消滅を意味していたのだから。



◇◇◇



 マリネッタたちは少し高台となった離れた位置までなんとか退避を済ませた。

 地に伏せて倒れ込んだ魔竜の背から飛び降りるマリネッタは、呆然と広がる光景を見つめていた。


「やったの……」


 マリネッタの口から零れ落ちた言葉に、その横でエノルとバンドルのことを地に寝かせなおしたメイルムも顔を上げる。


『神の器』オメガは――ファーラス王国へ迫っていた強大で巨大な脅威は、消え去ったのだ。しかし、失った代償も大きい。一緒に戦っていた彼らは――共に避難することが叶わなかった。

 膝から崩れ落ちるマリネッタに、だけどメイルムは、「あっ」と驚いたように声を上げる。

 マリネッタも即座に顔を上げて――そんな風にメイルムが指したほうへと顔を向けた。

 そこには、白き翼を背中に携えて、意識を失う二人のことを抱えて空を翔ける勇者候補生第一位の姿があった。

 天剣のアーキス――そう呼ばれていたこともあった、勇者の姿がそこにはあった。


「よかった」とぺたりと座り込むメイルムに、マリネッタの表情もぱぁと花が開くように明るくなった。

 互いに顔を合わせた二人に、その顔と髪は土埃や傷跡やついた血によってボロボロで、思わずと言った調子で共に吹き出してしまう。

 マリネッタたちのそばへと着地するアーキスが、抱えたメルトシスとシドゥのことを丘に寝かせた。

 マリネッタが立ち上がって顔を上げれば、アーキスも顔を上げて笑ってくれる。


「勝ったのよね……わたしたち」

「あぁ……俺たちは勝ったんだ。二百年前、勇者と魔王たちも倒せなかった、巨神に」


 アーキスの姿もボロボロだった。

 マントは裂け、鎧は砕け、手にしていた刀だけが黒き光を放っていて、アーキスはどこか満足したように、その刃を鞘の中へと納めた。

 その横ではメイルムが横たわったそれぞれに治癒魔法の詠唱をはじめている。

 メイルムもまた戦いの中で力を使い果たしているだろうに――それもまた彼女らしい、とマリネッタは表情を柔らかく「やれやれ」と息を吐く。

「うっ」と目を覚ましたメルトシスが身体を起こし、その横ではシドゥが「む……」と瞼を揺らして薄っすらと目を開けた。


「生きていてくれたか……」


 どかりと腰を下ろして胡坐をかくアーキスに、シドゥはゆっくりと顔だけを向けて眉をひそめた。

 むず痒そうに、何か言いたそうに口を動かすが、言葉にならないようでシドゥは気まずそうに顔をそらす。

 一行はそんなシドゥが喋るのを待つようにそれぞれに腰を下ろした。

 もう立っていることもできないほどに、体力が限界を向かている。そんな疲れ切った表情を落として、だけど、それぞれの顔は晴れ晴れとしていて――シドゥは、ようやく口を開いた。


「どうして……俺のことを、救った……」


 ようやく吐き出した言葉がそれか、とマリネッタは思ったけれど、アーキスとメルトシスは顔を合わせるなり笑ってからこたえた。


「……あいつ・・・なら、そうしただろうから」


 シドゥは目を見開いて、そうこたえたアーキスの顔を見やる。


――『死んで許されると思うなよ、シドゥ』


 それぞれの胸のうちに、白き光を通して――の声が響いたような気がした。

 マリネッタも、メイルムも、アーキスも、メルトシスも、シドゥも、何かに驚いたように目を見開いて、それぞれに顔を合わせる。


 それが――誰の声だったのか。

 やはり名前を思い出すことができはしない。


 だけど、忘れてはいけない彼と彼女のことが、ずっと戦いの中でも胸のうちを巡るように引っかかっていたのだ。

 マリネッタは思いだそうと頭を捻る。メイルムは涙を流しながら何かを考えている。しかし、どうしても思い出すことはできなかった。


――名前を忘れてしまった。けれど、大切な仲間がいたことを。


「彼と彼女が、紡いでくれたから今がある。だから、俺たちは……こうして手を取り合って、勝利を掴むことができたんだ」


 アーキスの言葉を否定できる者などいなかった。

 シドゥは寝そべったままに――どこか言葉を呑み込んだように目を伏せる。


「シドゥ、きみにも待ってくれている人がいる。だから、その贖罪は、生きて背負え」


 シドゥは伏せた目の内側から涙を溢れさせて、顔を腕で覆い隠した。

 アーキスは彼の分まで言い切ったようにして、空を見上げている。

 未だ、赤いままの空を。


「空の色が……」


 マリネッタもアーキスの視線を目で追うように空へと目を向けた。

『神の器』オメガは打ち倒した。世界へ迫っていた真の脅威は、退けたはずなのに。

 しかし、世界を襲った変調は――その空の色が表す通り、まだ何も解決していないのだと言っている。


「うん、まだ、終わっていないんだ」


 メイルムは涙を拭いながら頷いていた。

 地に伏せる魔竜も、どこか空の彼方へ目を向けるように天を見つめていて――。

「こっちのことは、終わらせたんだ」とこたえたメルトシスに、アーキスも「あぁ」と頷いていた。


「後のことは、あの二人に、託そう」


 人々は人魔戦線を戦い抜いて、世界を守り抜いた。

 勇者候補生たちはそんな想いを込めて、共に空の向こうを見上げ続ける――。



 空の果て――遥か上空から『星』を見下ろす『神の座』にて。

 エリンスとアグルエは、その戦いの一部始終を見守ることになったのだった。


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