第309話 果たすべき責任、懸ける命と溶けた想い
立ち上がる粉塵に、しかし、それぞれは前を向いたまま『神の器』オメガへと立ち向かった。
剣を振り抜くメルトシスの攻撃は、オメガのコアへ届きはするものの、勢いよく弾かれる。続けざまに、アーキスはオメガの顔部分、瞳のように光る一つ目を狙って黒き刀を振り上げた。
だが、振り上げられた巨大な腕に阻まれて、アーキスの斬撃も、いとも容易くかわされてしまう。
飛び上がるシドゥが、冷気を纏った斬撃でオメガの腕へ攻撃を仕掛ける。その
魔竜に乗るメイルムが魔法を詠唱する。降り注ぐ光に、アーキス、メルトシス、シドゥの身体は軽くなるように、そして、全身に響く衝撃すらも和らげるように、加護の力が身を覆う。
振り抜かれたオメガの腕を蹴ってもう一度飛び上がるアーキスに、地面まで落下したメルトシスはなんとか体勢を維持して着地した。宙で弾き飛ばされたシドゥは、空中を旋回した魔竜が受け止めて――その背を蹴って再び、シドゥが飛び出す。
続けてオメガが振り上げたのは、巨大な足だ。一行を一撃のままに踏み潰そうとするオメガに、エノルとバンドルがそれぞれ剣を、斧を振り上げて応戦する。
マリネッタが魔法の詠唱を終えて、放ったのは空中より無数に発生した水の渦。貫く矢のようにオメガへ衝突するも、魔法攻撃はオメガのコアに弾かれてしまう。
もう一度飛び上がったアーキスは、マリネッタの魔法の隙間を縫うようにオメガのコアへと近づいて――しかし、オメガの赤く光る瞳が、一点へ――アーキスへと絞られる。
途端に見える、
はたから見ていたマリネッタが「まずい」と奥歯を噛み締めれば、メルトシスも何かを察したように飛び出していた。
小さな力の凝縮――最前線を襲ったような、巨大な一撃ではなかったものの、オメガのコアから放たれたのは高濃度に圧縮された
細く伸びて閃光のようにはじけ――しかし、空中で身動き取れなかったアーキスは、横から勢いよく飛び込んできたシドゥに弾き飛ばされるようにして、二人はオメガの攻撃をかわす。
放たれた
下から飛び込んだメルトシスが空中でバランスを崩した二人のことを抱えるように抑え込み、体勢を立て直した三人は着地する。
改めて見上げ、再び感じる巨大な重圧感。
足を止めているオメガは、勇者候補生たちの一斉攻撃を受けようとほとんど無傷のままに、まるで見下ろすように立ち尽くしている。
「やはり、コアを簡単には……狙わせてくれない、か」
一度の攻防で息が上がってしまったアーキスは、肩で呼吸を繰り返す。
「魔法が、効かないわ」
マリネッタの言葉に、それぞれは頷いた。
はるか高い位置、胸部にある
しかし、それにしてもオメガはただボーッとしてくれているわけでもない。
空を翔ける力を持たないアーキスたちがその高さまで飛ぶだけでも、隙を作ることになってしまう。
アーキスは空を翔けている魔竜と、その背に乗っているメイルムと顔を合わせて頷き合う。
「魔竜の力で、上まで行こうってことか」
シドゥの言葉には、アーキスの考えを読むようにその顔を見やったメルトシスが「あぁ、それしかない」と頷いていた。
しかし、オメガはゆっくりとした動作で再び腕を振り上げる。
空を舞うように旋回した魔竜目掛けて、その腕を振り下ろした。
魔竜の首元にしっかりと腕を回したメイルムに、魔竜もくるりと身体を回転させて翼を打って攻撃を避けはする。
続けて振り上げられたのは巨大な足だ。
オメガもアーキスたちの狙いを分かっているように、攻撃を魔竜に集中させている。
――だが。
と、アーキスたちはその隙にも動きはじめた。
エノルとバンドルがオメガの注意を引くように、巨大な足へ攻撃を仕掛ける。
引き絞られる赤い瞳が二人のことを捉えている間に、地上すれすれに滑空した魔竜へと、アーキスとメルトシスが飛び乗った。
踏み下ろされた足に、エノルとバンドルが刃を突き立てる。だが、その攻撃は通用せず、二人が勢いに弾き飛ばされた。
シドゥは剣の柄を口で咥えると、そんな二人のことを支えるように飛び込んで、その間にマリネッタが魔法の詠唱を果たす。
再び振り上げられるのは、オメガの巨大な足。しかし、マリネッタが放った水流がオメガの足元へ青い魔法陣を描き出した。
魔法陣より噴き上げる巨大な水の大渦。シドゥはすかさず二人のことを地上へ下ろすと飛び上がり、全身から
オメガの足元を渦巻いた水の
瞬間、オメガの動きに遅れが見えた。
「今よ!」
額より汗を流しながらも必死に叫んだマリネッタの声を受けて、空を翔ける魔竜の背で、アーキスとメルトシスは頷いた。
魔竜の背で杖を構えるメイルムが、二人に向かって加護魔法を唱える。
「聖光の
光の力で身を守り、身を軽くしてくれる守護の魔法。
一気に魔竜も急上昇するように飛行する。その勢いのままに、彼女の温かさを受け取ったアーキスとメルトシスが、オメガの眼前を通り過ぎるように飛び上がる。
オメガの頭上へと飛び出したアーキスとメルトシスに、オメガは呆然と赤い瞳を向けている。しかし、その胸部、コアの辺りに大きな力が収束しているような気配に、二人はぎりりと奥歯を噛み締めた。
「そんな、また、あれを、撃とうとしているの……」
杖を構えたままに呆然と言葉を零すマリネッタに、オメガの足元、氷を砕いて飛び出したシドゥも冷や汗を垂らしながらオメガと、二人のことを見上げていた。
メルトシスは表情を引き締めると握った魔剣、
「させるかよ!」
周囲を舞う風の
アーキスも――その動きを目で追うことができなかった。
神速剣、その究極の境地――
吹き抜ける風の如く、何者にも捉えられない光の速度で風を切る奥義。
生命力と
オメガが
メルトシスはオメガが集めた
衝突の刹那、反動は周囲へ風となって吹きすさぶ。
大きく後ろへ倒れるようにバランスを崩したオメガに、だけど、メルトシスの攻撃はオメガのコアを砕くには至らず、弾かれて落下してく彼の姿までもが見えた。
アーキスも空中でバランスを崩しそうになる。落ちていく友の姿も見えている。しかし、手にした黒き刀を握り込んで、ただ前だけを向く。
弾かれ落ちていくメルトシスを拾おうと、魔竜が空を翔けている。
だが、オメガはバランスを崩しながらも立ちなおし、振り上げた腕で魔竜のことを弾き飛ばした。
「きゃああああ!」と響くメイルムの悲鳴に、大きくバランスを崩す魔竜は、なんとかメルトシスのことをその口で咥えた。
「頼んだぜ、俺の剣!」
苦しそうにしながらもにやりと笑ったメルトシスに、アーキスは振り上げられているオメガの腕を足場として蹴り、一気に飛びかかった。
オメガは立ちなおしてはいるが、未だ構える猶予も与えない。
集めようとしていた
アーキスは手にしている黒大蛇の刃に、胸のうちより溢れはじめた白き炎を乗せた。
バチバチと反発するようにはじける影の力と勇者の力。
しかし、周囲へ広がった黒い光に照らされて、アーキスの影が大きく伸びた。
「光満る、影を喰え――
伸びる影に、帯びる白き破壊の炎。
貫く針のように尖った黒き閃光に、黒き刃が白く染まって――。
振り抜いた刃が――オメガのコアへと届いた。
激しい衝撃と
刃は届いた。
だが、貫けない。
コアから発せられた黒白の光は、アーキスと同じ、白い破壊の炎――勇者の力だ。
アーキスは身に響く衝撃が痛みとなり思い知らされて――弾き返されてしまった。
黒と白の光が治まっていく。伸びた影がアーキスの元へと戻ってくる。
地上まで叩き戻されたアーキスは、なんとか受け身を取ることには成功した。
「そんな」と声を漏らしたメイルムに、「くっ」と奥歯を噛み締めるシドゥ。
「効いていないって言うの……」と肩を落とすマリネッタに、メルトシスも「そんなの、ありかよ……」と膝をつき苦しそうに顔を上げた。
着地したアーキスの前で、魔竜は傷つき地に伏せて、エノルとバンドルはうつ伏せに倒れたままに起き上がることもできない様子だ。
オメガは――再び、真っすぐと立ち上がった。
「くそっ……」
肩で荒く息を繰り返しながら、アーキスは手にしている黒大蛇の刃を見つめた。
たしかに、届く一撃だったはずだ。ここに揃った勇者候補生が、全力を出して打ち込んだ決定的な一撃だったはずだ。
だが――白き破壊の炎、『勇者の力』をもってしても、黒き炎と白き炎、二つの力で象られる『神の器』へはあと一歩届かない。
どすん、と一歩、オメガがファーラス王国のほうへと歩みを進めた。
勇者候補生としての力も通じない――満身創痍で、そんな絶望感すら覚えた一行に、だけど、静かにシドゥだけが立ち上がって、もう一度オメガのことを見上げていた。
「……アーキス、もう一度、剣を振るえるか」
静かに、何か覚悟を決めたような横顔に、アーキスはそっと顔を上げて「……あぁ」と頷いた。
「やつに、あの一撃が効いてなかったわけじゃないように、俺には見えた。コアに綻びが生まれた。だから……もう一度、だ。もう一度だけ、俺にチャンスをくれ」
シドゥは真っすぐとオメガのことを見上げていて、その顔を覆っていた包帯は既に解けてなくなっていた。
黒いマフラーが風に靡く。
どすん、ともう一歩、オメガは侵攻を再開しはじめた。
「……何を、しようって、言うんだ」
アーキスが息を整えて聞き返せば、しかし、シドゥは振り向きもせずこたえない。
二人の会話を聞いていたのだろう、よろよろと杖を支えに歩み寄ってきたマリネッタが口を開いた。
「……どっちみち、チャンスはもう、一度くらいしかないでしょう」
マリネッタの言葉に、メイルムとメルトシスもよろよろと立ち上がって――ようやく振り返ったシドゥに、五人は傷だらけのままに顔を合わせる。
どすん――と鳴る地響きに、シドゥは口を開いた。
「――――。――、――。――――、――――――」
響く足音に阻まれたせいだったのか――シドゥが何を口にしたのか、アーキスは理解するのに、一瞬の間を要した。
彼の言葉を受け入れられなくて――しかし、前を向きなおしたシドゥは、もう何かを吹っ切ったようにしてオメガのことを見上げている。
「いいな、それで終わりにする」
そう言い切って飛び出したシドゥに、アーキスはすぐに動くこともできなかった。
全身が重たいということもあったが、
メルトシスが「あぁ、もう、勝手だなぁ!」と苛立ったようにして、だけど、シドゥを追いかけて飛び出した。
そんな背中を見送ってどこか寂しそうな顔をしていたメイルムは、彼の覚悟を受け止めたかのように杖を突いて魔法の詠唱をはじめる。
――『メイルム、みなに魔法をかけた後は、
真剣な表情のメイルムの身体の輪郭が、白い粒子に溶けはじめた。
全身に力を込めるように杖を握る彼女は、シドゥがそう言い残した通りに――彼に向かって魔法を唱え続ける。
そんなメイルムの横顔を見て、マリネッタも魔法の詠唱をはじめた。
彼女もアーキス同様、どこか迷ったような表情を見せてはいたけれど、メイルムの覚悟を目の当たりにして、踏ん切りをつけたようだった。
――『水聖、おまえの魔法と、俺の冷渦の力で、足場を造る』
飛ぶことができなくなってしまった魔竜の代わりに――ということだろう。
流れはじめる水流が再び青い魔法陣を描きはじめた。
アーキスも覚悟を決める。マリネッタの横顔を一瞥してから、先を行った二人のことを追いかけるように駆け出した。
オメガの足元で渦を作り出した水流は、その中心で剣を構えるシドゥが全身から放った冷気に当てられて凍っていく。
立ち上がりはじめた水流は、シドゥの力によって氷の足場となった。
その氷の足場に飛び乗るアーキスに、メルトシスも覚悟を決めたように天を見つめていて――シドゥはただ静かに、青白く舞った冷気の中、オメガを見上げていた。
「くぅぅぅぅ、いっけぇぇぇ!」
マリネッタが力を込めたように杖を振り上げる。
その勢いに乗せられるように、アーキスたちの足元に広がっていた水流が天へと突き抜けた。
一気に急上昇を果たして――三人は氷を足場としたままに、オメガの眼前へと躍り出る。
オメガも予測できなかったことなのだろう。一瞬驚いたように足を止めたが、しかし、すかさず巨大な腕が振るわれた。
――『俺は、贖罪を果たすために、地獄から戻ってきたんだ』
振るわれる腕には、アーキスとメルトシスが飛び出して、力いっぱいに振り抜く刃で弾き返す。
そうして作った隙の合間に、シドゥは黒い剣を構えたままに飛び込んだ。
「シドゥ、きみは……ここで、死ぬつもりか」
アーキスとメルトシスはその背中を見送るように落下して――しかし、シドゥは真っすぐと、狙いをオメガのコアへと定めたままに剣を構えている。
その横顔は、痛みに歪もうとただ真っすぐ前を向いていた。
彼が全身から放つ冷渦の力、その冷気は、彼自身、その身体さえ蝕むように広がっている。
剥がれ落ちていく皮膚に、しかし、メイルムが唱え続ける治癒魔法が作用してすぐに傷を癒していく。
だが、その痛みは、アーキスからも想像できるほどに壮絶なものだろう。
治癒魔法は痛みまでをも消してくれるものではない。それがシドゥ自身の力なのだとしても、自身の冷気の痛みを防ぐことはできない。
その金色の眼差しが語る。
薄れゆく意識の中に、ただ己に宿した覚悟だけで意識を保ち、剣を構えているのだろう。それほどまでに、彼の中で、何かが想いを溶かすように掻き立て続けているのだろう。
――『俺が奪った命よりも、多くの命を守れるというのなら、それでいい』
たとえ、その身がどうなろうとも――。
シドゥの熱い想いに溶かされて、アーキスは悔しくも「くっ」と口から出かかる言葉を噛み締める。
アーキスが彼の言葉を思い返した刹那、彼は全身から解き放った冷気と共に、その刃をオメガのコアへと突き立てた。
――「はああああぁぁぁぁぁぁ!」
咆哮が木霊する。
周囲に溢れ出した冷気が、青白く舞っている。
まるで冬の訪れを告げるかのように――ぱらぱらと空気中の水分が凍り付いて、周囲に雪の結晶が舞いはじめた。
オメガはコアを中心として、シドゥの全身から放たれた青白い
次第に――空気中の水分と混ざり合い、再び腕を振り上げるオメガの動きに鈍りが見えた。
パキパキと音を立てて、空気が震えている。
落下するアーキスとメルトシスは、雪花舞う景色の中、オメガのコアの中心で白き炎を身体に灯しているシドゥのことを見つけた。
オメガのコアも、そのシドゥを中心として凍りはじめている。
彼の身体もろとも――オメガの全身が、凍り付いていく。
「届け、これが俺に刻まれた……俺を溶かした、あいつの想い――」
――
それは、己もろとも周囲の何もかもを凍らせるシドゥが持つ冷渦の力の最終境地。
まるで巨大な大輪の花を咲かせるように、氷の結晶が次々に突き立ち、オメガのコアの周囲で開いては連なり、固まっていく。
周囲に散った雪の結晶が一斉に青白く光り
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