第306話 最終防衛戦線、勇者候補生たちの戦い

 鉄壁と称された城壁に囲まれる王国、ファーラス。

 その城壁の内側では、迫る危機に人々の間に混乱が広がってはいたが、未だ魔導歩兵オートマタの侵攻を許してはいなかった。全て、騎士団や傭兵団、勇者協会や勇者候補生たちの活躍によって食い止められている。

 ファーラス王国北部、城壁を抜けた先のファーラス大平原に展開されるのは、もう一重、王国を外敵から守るように広がった城壁を模した要塞だ。

 数十メートルに及ぶ高さの要塞は、中で人が暮らせるほどに部屋まで造られており、人類の最終防衛線として機能している。人の力と魔法を組み合わせて、一晩で建設されたものではあったが、魔導歩兵オートマタや魔物たちの侵攻を食い止め続けて、堅牢な守りで固められていた。

 要塞の外では人と迫る魔導歩兵オートマタたちの戦いが繰り広げられていて、騎士や兵たちは交代で要塞から飛び出し、無数に飛来する魔導歩兵オートマタの進行を食い止めている。


 戦場に響き渡るは、鉄のぶつかり合う音や、騒がしい声、不気味な駆動音に、魔物の遠吠え。しかし、ひと度離れてしまえば、響いてくる音に耳を傾けている暇などなく。

 要塞の中に建設された執務室の一角に、最終防衛線の作戦の指揮を執っているうちの一人、リィナーサ・シャレンの声が響いた。


「後、どれくらい時間があるって言うの?」


 執務室と言えど決して広くはなく、大きな机と椅子が搬入されていて、数人の人が入れる程度。土壁に天井からぶら下がるランタンが明かりの役割を果たしていてる質素な部屋だ。

 ぼんやりとした明かりの下、リィナーサが苛立つように震わせる足は包帯に包まれて、椅子に腰かける彼女は先の戦いの影響もあって、全身に傷を負っていた。赤い羽根帽子の下、頭に巻いた包帯には血が滲み、しかし、力強い眼差しで報告に飛び込んできた職員へ言葉を投げている。

 緊張したような面持ちに、額から汗を流した男性の職員は慌てたようにこたえた。


「『神の器』オメガの進行速度から計算すれば、数刻のうちに、ここへ……ファーラスへ接近する見込みであります」


 職員の男も言いづらそうに目を伏せて、リィナーサは「くっ」と苦しそうに奥歯を噛み締める。


「それなのに、こっちは魔導歩兵オートマタの対処にも追われてるっていうのに」


 困ったように机へ肘をついたリィナーサは言葉を続ける。


「とにかく、今は、戦線を持ちこたえることだけに集中して」


 指示を聞いた職員は頭を下げて部屋から出ていった。

 そんなやり取りを横で聞いていたマリネッタは、迫る緊張感に呑まれないよう意識を改める。

「ぐっ」と傷を押さえるように頭に手をやるリィナーサに、メイルムが「傷に響きます」と慌てて駆け寄っていく。

 他に報告のために部屋へ集まっていたのは、マリネッタと共に最前線より撤退をしてきたディートルヒと、ファーラス王国騎士学校の顧問を務め、かつては魔導剣士として名を馳せた、今はファーラス王国騎士団の名誉指導者に任命されているウィンダンハ・ダブスンだ。

 白い長い眉毛の下から神妙な眼差しをのぞかせて、長く白い顎鬚を撫でて、ウィンダンハは何か考えるようにしている。

 そんな一行へ、顔を上げるリィナーサは口を開いた。


「あなたたちが、無事で、すぐに戻ってきてくれたのは……救いだったけど――」


 マリネッタたちは最前線でのオメガとの攻防の後、すぐさま撤退し、最終防衛線の戦闘へ参加した。

 ディムルたちはすぐさま医療班の治癒を受けることになったし、アーキスやメルトシスは、今も戦場を駆けていることだろう。

 だが、そうして迫る魔導歩兵オートマタの侵攻を食い止め続けていたところで、強大な脅威は迫りつつあることは周知の事実だ。


「でも、これじゃあ……打つ手がない」


 悔しそうな顔をして、リィナーサは頭を押さえながら机に肘をつく。

 ファーラス王国へ近づく『神の器』オメガに秘められた真の脅威。

 最前線の壊滅――何が起こったかは、全てリィナーサの耳にも報告した後だ。

 高濃度の魔素マナを凝縮させて放つ破壊光線。あのような力をファーラス王国の近くで使われてしまえば――それこそ、踏み潰されるまでもなくひとたまりもない話だろう。

 それに――とマリネッタは思ったのだ。

 あのように魔素マナを大量に消費するような力を連発されてしまえば、ただでさえ不安定なこの世界にも影響は大きい。

 同じようなことを考えていたのだろう。マリネッタとメイルムは目を合わせて頷き合う。


「一つ、対抗できるだけの力が、あるかもしれぬのう」


 手詰まりかと思われた空気感の中、ウィンダンハが顔を上げて口を開いた。


「対抗できる、力?」


 リィナーサはウィンダンハの言い様が信じられないらしく、隠すことなく表情に出して顔を上げる。


「リィナーサ、あなたにも思い当たることがあるでしょう。ファーラス城、玉座の間に放置されたままにされている、あれですよ」


 話が読めないマリネッタとメイルムに、そんな二人の表情を確認したディートルヒが続けて説明をしてくれた。


「ふた月ほど前、ファーラス内乱の際に設置されたという、魔導機械か」


 どうやら話に聞く限り、事件の後も手を付けられるようなものではなくて、それは今もファーラス城に放置されたままにされているらしい。

 ウィンダンハが頷き、言葉を続けた。


「えぇ、あれには、魔法を拒絶する力がある。当事者が目を覚まさず、魔族たちが残していったものではありますがね。ある程度は、解析が済んでいます」


 本当にそのような力があるのならば、『神の器』オメガにも通用するかもしれない。

 マリネッタは話を聞きながら考えを巡らせるも、しかし、リィナーサは残念そうに肩を落としてこたえた。


「しかし、それを動かすにしたって……膨大な魔素マナが必要になるわ」


 人の手には余るものなのだろう。

 戦場には魔導士たちも集まってくれている。その人たちの協力を得られれば――とマリネッタは考えたものの、しかし、現状を見るに、もう今を持ちこたえるだけで限界なのだ。


「圧倒的に、膨大な、魔素マナが……」


 足らないだろう――と呟きながら考えたマリネッタに、しかし、メイルムは何か思いついたように小さく口を開いた。


「ファーラスの、結界装置……」


 メイルムの言葉に、それぞれがハッとするように顔を上げる。

 たしかに結界装置というものは、膨大な魔素マナの流れの集まりではある。

 それをファーラス城に残されている魔導機械へ注げば、強大なエネルギー源になり得るだろう。だが、そんなことをしてしまえば――。


「たしかに強大な魔素マナではあるけれど……街を守るモノよ」


 苦言を呈したマリネッタに、しかし、リィナーサとディートルヒは顔を合わせて何やら考えているようだった。

 ウィンダンハが「えぇ、そうですね」とこたえてくれる。

 だが、この場にいるみんなも、マリネッタ自身も、もう気づいていたのだ。ただ守るだけの戦いを繰り返していても、未来がないことを。


「本当の最終防衛線は、失われるわ」


 前を向いてこたえたマリネッタに、メイルムも「うん」と頷く。


「だけど、『神の器』オメガを止めなきゃ……元よりファーラス王国を守れない」


 あのような強大な力が近づけば、守り切れないことを誰もが理解していた。

 決意を宿したように顔を合わせる大人たちに、マリネッタとメイルムも頷き合う。


「なんとか、できるって言うの?」


 リィナーサへ訪ねれば、リィナーサは少し悩んだように表情を曇らせたが「えぇ」と頷いてくれた。


「なんとかするしかないでしょ。前線で戦ってくれている兵のためにも、これ以上、犠牲を出さないためにも」


 そう力強く宣言しながらも、力を込めたところから傷が開いたのか、腕に巻かれていた包帯には血が滲む。

 メイルムがすぐさま手の上に白い光を浮かべ、治癒魔法を唱えてくれた。

 そんな風にする二人を見て「彼女の協力を、得られれば……」と口を開いたのはディートルヒだ。


「ディートルヒさん、何か、案があるの?」


 リィナーサは考えを巡らせたようにしながらも聞く。


「ある。だが、彼女が今どこにいるかは、わからないのだ。こんなことであれば、レイナル殿から端末を預かっておくべきだった」


 悔しそうにしながらも、だが――希望はあるらしい。

 マリネッタはそう受け止めて、大人たちの顔を見やった。


「なんとか、してくれるんですね」


 マリネッタが力強く聞けば、しかし、ウィンダンハ怯んだように眉をひそめてこたえる。


「この事態です。正直に申すところ、確証できるものではないですが」

「それでも、絶対になんとかするわ」


 リィナーサがすかさずこたえてくれた。

 ディートルヒも頷いてくれていて、それを返事としてマリネッタとメイルムは横に並んだ。


「じゃあ、わたしたちは……」

「えぇ、もう一度、オメガの足を止めてやる」


 メイルムにこたえるように、マリネッタも決意を口にする。

 少しでも時間がほしいところだろう。なんとかできるという、その想いを信じるならば。

 二人が前を向きなおしたところで、リィナーサが最後にこたえてくれた。


「あなたたちも、無茶はしないで。だけど、チャンスが来たときのために、アーキスやメルトシスと一緒に行動しなさい」


 当然そのつもりだ、とばかりに、マリネッタは頷く。

 リィナーサは続けてディートルヒにも指示を出した。


「ディートルヒさんは前線との連絡を頼みたい」


 ディートルヒも「承知だ」と返事をする。

 そんなそれぞれの言葉を受けて、ウィンダンハは目を開けた。


「後は、わしらであれを使えるように、どうにかしないとですね」


 その言葉にそれぞれが頷いて――作戦目標は決まった。



◇◇◇



 部屋を飛び出たマリネッタとメイルムは、前線で未だ戦っているアーキスたちを探すために要塞内を駆けていた。狭い廊下は横たわる人や傷ついた人で溢れていて、どこの部屋も休息をとる兵たちで埋まって、がやがやと騒がしい。

 血を流しながら傷をいやしてもらっている兵に、魔導士たちも傷の治療に、戦闘へ参加するためにと忙しなく動き回っていた。

 二人は人混みをかき分けるように手を引きながら先を急ぐ。


「時間は、ない」と前を向いて口を開いたマリネッタに、メイルムも「うん」と頷く。

 そうしたところで、二人が探しているうちの一人の声が聞こえてきた。


「ちょうどよかった!」


 二人が足を止めて顔を向ければ、そこにいたのはメルトシスだ。

 全身にオイルや血を浴びて鎧はくすんでいたものの元気そうで、だが彼は脇に怪我をした騎士を抱えている。


「メイルム、治療を頼みたい」


 苦しそうな表情を見せた男性に、言われる前に既に駆け寄っていたメイルムが治癒魔法の詠唱をはじめていた。


「こっちこそ、ちょうどよかった。アーキスは? アーキスも呼んでほしい」


 マリネッタが言えば、メルトシスは少しその勢いに驚いたようにしながら「あ、あぁ」と頷く。


「わかったよ。何か、策が見つかったか?」


 いつもは冷静なマリネッタの慌てた様子に悟ったのか、メルトシスはにこりと口元を吊り上げて言う。

 マリネッタが「えぇ!」と返事をしたところで、「メルトシス様!」と声を上げながら女性が駆け寄ってきた。

 白銀の鎧に剣を携えて、焦げ茶色のセミロングのきれいな女騎士。その胸にかかる徽章きしょうは、ファーラス王国第一騎士団に所属することを表すものだ。


「あぁ、ラージェスか」とメルトシスがこたえれば、彼女もまた脇に傷ついた女性職員を抱えていた。

 再びメイルムが駆け寄って治癒魔法の詠唱をはじめると、ラージェスもまた落ち着いたような表情を見せる。

 治癒師の人でも足りていない。メルトシスとラージェスは、前線で傷ついた兵たちの救助に回っていたようだ。

 先を見据えたようにしたメルトシスに、ラージェスは少し寂しそうな顔を上げた。


「ラージェス、引き続き、そっちを頼むよ」

「メルトシス様はいかがするのですか」


 メルトシスは彼女とは目を合わせずに、マリネッタと目を合わせて頷いた。


「俺には、世界を守るためにやるべきことがある」

「わたしも、お供致します」


 左胸に拳をついて頭を下げたラージェスに、だけど、メルトシスは首を横に振った。


「いや、これは勇者候補生として、俺が背負ったモノだ。ラージェス、きみには引き続き王国騎士として、国を守ってもらいたい」


 メルトシスの言葉に、ラージェスは驚いたように顔を上げる。

 そんな顔を一瞥したメルトシスは、真っすぐ前を向いた。

 ラージェスは一瞬、少し寂しそうな顔をしたけれど、「はい、わかりました」とそんな彼を見送るように頭を下げる。

 マリネッタとメイルムは思わず顔を見合わせてしまって、そんな二人の手を引くようにメルトシスは「行こう」と走り出した。

 傷ついた兵たちをラージェスに預けて、二人もメルトシスの後を追う。

「よかったの?」と追いついてマリネッタが聞けば、メルトシスは迷いを吹っ切ったように朗らかに笑った。


「いいんだ、今は、な!」


 メイルムは少しこたえづらそうな顔をしていたけれど、メルトシスは二人を先導するように要塞を飛び出すと、そこでようやく振り返った。


「彼女には騎士として、国を守ることを託した。俺たちが戦い抜いた先で……その後でまた、彼女のところへ帰ればいい。最前線は、俺たちの仕事だろう」


――勇者候補生として。


 国を背負う立場にいて、それでも勇者候補生となったメルトシスの迷いは――もうなかったのだろう。

 メルトシスの力強い言葉に励まされるようにして前を向きなおしたマリネッタとメイルムも頷いて、それを返事とした。


「アーキスの居場所は?」


 マリネッタが聞けば、メルトシスは戦場のほうへと目を向けながらこたえてくれた。


「あいつはまだ戦場の中だよ。血が騒ぐんだとさ、無茶してなきゃいいけどな」


 そう笑うメルトシスに、マリネッタも少し気持ちが軽くなる。

 マリネッタたちはアーキスを探して、迫る魔導歩兵オートマタたちとの戦いが繰り広げられている戦場を駆け巡ることになった――。

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