第305話 世界を巡るふたつの約束

 勇者アレイルと幻英ファントムの言葉に、エリンスは緊張を呑み込むようにごくりと喉を鳴らした。

 もし――彼らが語る通りだというのならば、幻英ファントムがこの場所に辿りついた時点で、『選定』は終わっていたはずだ。


「何故……俺たちのことまで、導いた」


 エリンスとアグルエは頷き合ってから、そのこたえを求めるように勇者アレイルの顔を見上げる。


俺たち・・・は――と言っただろう」


 そうこたえてくれた彼の横では、女神ティルタニアが微笑んでいた。


「女神、ティルタニア……」


 アグルエもごくりと喉を鳴らし声を零して――そうしたところで、白い光が象るだけの彼女は、やはり優しい微笑みだけを向けている。

 代わりに、とばかりに勇者アレイルが口を開いた。


「不思議そうな顔をしているな」

「だって、彼女は……女神ですらない」


 アグルエの言葉に、勇者アレイルは目を伏せるよう頷いてからこたえてくれる。


「女神ティルタニアの残滓。光の粒子となって失われた女神の欠片だ。二百年前、崩壊する世界を前に、『神の座』へ腰かけていた彼女は己を犠牲に、この席を俺に譲ってその存在を消したんだ」


 語られる勇者アレイルの言葉を受け止めて、エリンスの額を冷や汗が流れた。


「崩壊する、世界……」

「ロストマナ、『神の器』を造ったアルクラスアとの戦いがあったことは知っているだろう」


 そう聞かれ二人は深く一度頷いた。


「その際に造られたもう一つの『神の器』オメガは、世界を流れる魔素マナにすら干渉し、それを急激に消耗させる兵器だった。アルファなんかより、女神にとってはよほど大きな脅威だったわけだ」


 ちらりと幻英ファントムのほうを一瞥した勇者アレイルに、幻英ファントムはつまらなさそうに頬杖をついたまま視線をそらす。


「俺と魔王は、女神とその眷属であった魔竜の協力を得て、『神の器』オメガをアルクラスアの地に封印することに成功した。しかし、その際、魔竜はその魂を失い、女神は存在そのモノを失いかけた」


 勇者アレイルの語る真実に、アグルエは「そんな……」と言葉を漏らした。


「女神が、消えてしまえば……」

「そうだ。『神の座』の支配者が消えれば、世界も消える。すなわち、世界の破滅だ」

「それを止めるために……勇者は……」


 エリンスが眼差しを向ければ、勇者アレイルは頷く。


「俺は、魔王とある約束を交わした」


 昔のことを思い出すように目を細め、そして確かな覚悟をしたような灯を宿して、エリンスへこたえてくれる。


「力を失った女神の代わりに、俺がこの座へ就くことにした。俺は女神の残った力の加護を受け、『神の器』となった」


 すかさずアグルエが聞き返した。


「それが、あなたと……お父様の、約束なの?」


 だが、勇者アレイルは首を横に振る。


「それだけではない。『神の器』……そうしたモノが再び造り出されてしまえば、世界は再び破滅する。人がそこへ辿りつくことは、二度とあってはならなかったんだ。だから、そのために俺と魔王はある約束を取り決めた。人と魔族が対立する世界――そうした世界に止めておくことで、人が『禁忌』に触れない状況を作り出す必要があったのだ」


 勇者アレイルの語る『約束』に、幻英ファントムが横から口を出した。


「人と人の争いが、魔導兵器なんてものを生み出した。だからより巨大な敵を作って、人々の想いを一つにしようとしたってのか」


 勇者アレイルは、幻英ファントムの言葉を肯定するように頷く。


「俺と魔王が果たした約束は二つ。勇者と魔王の対立を作ることで、人々の想いを一つにした。その約束は、魔王が背負ってくれることになっていた。そして、もう一つ、『神の座』を守ることが、俺に託された約束だ。『神の座』を維持するためにはある種、人々の想いからなるエネルギーが必要だった。神への信仰心――かつての世界で、それはそう呼ばれていた。祈り、讃え、崇め祀る。神が力を維持するためには、そういった人々の想いが必要なのだ。だが、女神としての力を失った彼女の存在は、世界の上でも消えゆくものだった。だから俺は、祀り上げられた神の名を、『勇者』に置き換えた」


 エリンスにも話が見えてきたことだ。


「そのために、勇者協会が必要だった……」


 エリンスが呟けば、勇者アレイルは「そうだ」とそれも肯定する。


「それが、俺がここに座するにしても都合がよかった。それは、俺と魔王が創った世界のカタチを保つためにも必要なモノだったのだ。『勇者を信じる世界』が必要だった。勇者候補生たちが世界を巡ることで、ロストマナによって失われた大いなる巡りの魔素マナのバランスを保つことができる。また、魔王へ対抗するための『勇者』という存在が、人々の『希望』となって、人々を『禁忌』から遠ざけた。『魔王に対抗できるのは、魔導兵器なんかではない』。そう上書きされて、眠り続けた『禁忌』もまた、人々の中から忘れ去られるはずだった」


 しかし、現実は違ったのだろう。


「そうならないことも、あったんだ」


 アグルエがこたえれば、幻英ファントムが「ふっ」と笑う。勇者アレイルも肯定したように頷いた。


「それは、俺たち勇者同盟ブレイブパーティーの失態でもある。全ての元凶であったダミナ・カイラスを仕留めた後に、彼女のことを取り逃してしまった」


 その彼女のことはエリンスも知っている。


「ネムリナ・エルシャルズ……」

「それに、クラウエル・アンという魔族だ。あれは本来、この座に抑え込まれている人々の邪念の集合体、瘴気の魔素マナから生まれた魔族だ」


 アグルエは「クラウエルが……」と、信じられないように言葉を零す。


「『神の座』には人々の想いが蓄えられている。『星』はその力を元に巡っている。世界を象る大いなる巡りは、循環することで浄化されるものではあるが、灰汁あくのようなものはどうしても湧き出てしまうのだ。それを自浄する作用もまた、『神の座』に備わるシステムの一つではあったが……しかし、不完全な『神の器』が座することで、欠陥が生まれたようだ」


 そのように生まれた彼と、時代に逃がされた彼女の出会いこそが――全てのはじまりだったのだろう。幻英ファントム――『禁忌』とされた『神の器』アルファの目覚めたきっかけとなった。

 エリンスが幻英ファントムのほうへと目を向ければ、幻英ファントムは実につまらなさそうに勇者アレイルの話を聞いている。


「俺が、神の代わりにここへ座していられる時間も、もう長くはない」


 勇者アレイルの言葉に、エリンスはその目を見つめながら頷き返す。


「さっき、幻英ファントムも言ったように」


――勇者アレイルは『神の器』として、もう、限界を迎えている。


「そうだ。だから、女神ティルタニアは、次の『器』を選んだ。『禁忌』とされながらも、『神の器』として完成された、彼を」


 それが、幻英ファントムだと言うのならば――。


「でもじゃあ、どうして……」


 アグルエが問う想いも、エリンスにはわかる。幻英ファントムはまだ、その座に成り代わってはいない。

 勇者アレイルは静かにこたえた。


「言っただろう。『俺たち』は代わりとなる者を待っていた」


 エリンスとアグルエが顔を見合わせれば、勇者アレイルが頷く。


「そうだ。女神が幻英ファントムを選んだように、俺が選んだのは、エリンス、アグルエ、きみたちだ」


 勇者の軌跡で問われた覚悟、試され続けた想い。

 巡ってきた旅路が紡いで見せた、真実の果てで――。


「……五つの軌跡は、それを試す場所だったのか」


 エリンスが問えば、勇者アレイルが静かに口を開く。


「本来は大いなる巡りの流れを補佐し、巡る魔素マナを『星』へ還す役割しかない場所だった。しかし、きみたちは、『世界の根源たる力』をもってして、全ての軌跡を巡った」


 聖刻の谷で聞いた声もまた――。


――『ナガレ ヲ タダセ』


「そうだ、それは、大いなる巡りの中を巡った俺や、女神ティルタニアの残滓の一つ、想いの欠片だ」


 エリンスとアグルエは、声に導かれるままに世界を巡った。そして『勇者』に選ばれて、その資格をもってして、この場所へ辿りついた。『真の救済』――この場所へ辿りつけたのならば、その方法もあるはずだと信じていた。

 それこそが、世界に真の救済をもたらす方法であるのならば――。

 エリンスとアグルエは顔を合わせ頷き合う。

 だが、よろりと立ち上がる幻英ファントムが二人のほうへと寄ってくる。


 勇者に選ばれた、エリンスとアグルエ。

 女神に選ばれた、幻英ファントム

 並び立つそれぞれに、しかし、辿りつくべきはずだった『神の座』は一つしかない。


「……どう決めるって、言うんだ」


 エリンスが幻英ファントムの顔を一瞥すれば、幻英ファントムもまたエリンスのことを細めた目で一瞥した。

 二人が『神の座』を見上げれば、そこに座している勇者アレイルはただ静かに、二人のことを見下ろしている。


「焦ることはない。ここは、時間の流れから切り離された場所でもある」


 静かにそうは語るけれど、アグルエは「でも」と焦ったように言葉を返す。


「あなたはもう、限界なんですよね……」


 だが、勇者アレイルはその言葉を一蹴するように首を横へ振った。


「きみたちにはもう一つ、見届けるべき結末がある」


 何やら念じるように瞳を閉じた勇者アレイルに、彼の額で存在感を放つサークレットが強い光を発した。

 周囲が薄暗くなったかと思えば、光景が浮かび上がるようにして、一同の目の前に現れた。



 上空から見下ろしているような視点だ。

 降り注ぐ不安に、赤い空。人々の焦燥感を映し出したように空気が震えていて、場所は――開けた平原、ファーラス平原だ。

 城壁に囲まれた街、その中央に聳え立つファーラス城。ファーラス王国北部には、急ごしらえであろうとも堅牢な要塞が、平原から襲い来る魔導歩兵オートマタや魔物たちを食い止めるように広がっている。

 立ち起こる砂煙、漂う血の匂いまで伝わってくるような激しい戦いの中、倒れる人や魔物に、崩れる魔導歩兵オートマタ

 未だ飛来し続ける魔導歩兵オートマタに、鎧を着こんだ兵や、勇者候補生、協会職員たちが立ち向かう。

 黒銀の鎧に、白銀の鎧。

 かつては険悪な関係だったラーデスア帝国の残兵たちも協力して、一丸となって迫る脅威へ立ち向かい、ファーラス王国を守っている、防衛戦の最終戦線だ。


 そのように映された光景の人々の中に、エリンスは見知った顔を見つけた。

 紺色のマントをはためかせ手にする黒き刀を振るうのは、勇者候補生アーキス。

 そんな彼の傍で杖を振るい、水を操る魔法を唱えるのは、勇者候補生マリネッタ。

 迫る魔導歩兵オートマタを薙ぎ倒し、傷つく兵に肩を貸し、戦場を駆ける。

 メルトシスも、メイルムも。ジャカスやミルティ、ディムルやディートルヒ、彼らを指揮する立場にいるリィナーサたちも――エリンスとアグルエが巡った旅で出会った仲間たちは、戦場の中で明日を掴むために戦い続けていた。


 思わず手を握るエリンスとアグルエに、しかし、そんなファーラス王国へ、巨大な影が近づいていた。

『神の器』オメガ――人類を掃討することを目的とした、最大最悪の魔導兵器。

 のしりのしりと、どしんどしんと地響きを上げながら、その巨大な影はファーラス王国へ、皆が駆ける戦場へ近づいている。



「これは!」

「みんな!」


 エリンスとアグルエは握った手に力を込めながら、目の前に突如現れた光景へ、祈るよう応援するように、想いを重ねた。

 幻英ファントムはつまらなさそうに目を細めてから、近くにあった台の上へ腰を下ろす。


「……こっちのことは、全てが終わってから決めようってことか」


 文句を零した幻英ファントムに、そんな三人のことを見下ろして、女神ティルタニアを象った光の女性は微笑んだ。


「彼らの戦いの果てに、世界の命運は握られているも同然。そもそも世界が滅びてしまえば、この場へ座する意味も無に等しい、だろう」


 勇者アレイルの言葉に、エリンスとアグルエは息を呑んで目の前に広がった戦場を見守った。


「きみたちにも、俺たちにも、この戦いを見守り見届ける義務があるのだ」


 もはや彼の言葉など耳には入らず――二人の前で、それぞれの戦いが繰り広げられることとなる。


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