第304話 『神の座』

 眩しい光の中を歩いていると、ふいに視界が黒く染まった。

 思わず目を閉じたエリンスとアグルエは、しかし次の瞬間、全身が見えない力に上から引っ張られたように、不思議な浮遊感に包まれる。

「きゃっ」と悲鳴を上げたアグルエに、エリンスも「うわっ」と声を上げながらも、しっかりと二人は互いに握った手へ力を込めた。

 どこまでも昇っていくような急上昇に、つむった目をぎゅっともう一度閉じようとして――しかし、浮かび上がった二人の身体はすとんと真っすぐ着地する。

 かたん、と鳴り響いた足音に、顔を上げて目を見開く二人は辺りを見渡した。


 金属製の床に黒鉄色の壁、異質な一室に二人はいた。

 湾曲する一面がガラス張りとなっていて、その先には黒い世界が広がっている。散りばめられた小粒の光がキラキラと輝いていて――思わず「わぁ」と感動したように声を漏らすアグルエが、ガラス張りとなった窓に近づいた。

 目の前に広がっていたのは、見下ろすよう無数に輝く小さな光、まるで星空のような黒い世界だった。ガラスにへばりつくアグルエに、横へ駆け寄ったエリンスも見渡す景色に息を呑んだ。

 小さな光の中に、大きな青い丸い球体が浮かんでいる。

 ぼんやりと光を放ちながらどこか安心感を覚えるそれに、エリンスは思い当たることがあった。


「本で読んだことがある。俺らが暮らしているリューテモア……世界は、丸く青い球体をしている説があるって」

「うん、わたしも読んだことがある。それを、『星』と呼ぶんだって……」


 目の前で輝きを放つ青い星がリューテモア――二人は互いに目を合わせて、感動を噛み締めるように頷き合った。


「じゃあ、あれらも……」


 散りばめられている小さな光の一つ一つから、リューテモアと同じような温もりを感じることができる。それら全て、『星』なのだろう。

 黒い空に浮かぶ星々、無限に広がる暗い世界に瞬く無数の光――。


「うん、全部、『星』なんだ……」


 アグルエは目をキラキラと輝かせたままに呟いた。

 そんな感動を覚えながらも、辿りついたここが『神の座』ということだ。

 エリンスは慌てて振り返り、辺りをもう一度見渡した。

 手にしていたはずの天剣グランシエルが落ちていて、駆け寄って拾い上げて鞘へ納める。

 床は金属でできているようだが、エリンスが見たことも触れたこともないような感触をしている。壁も黒銀に鈍い光を放っていて、どうやら金属でできているらしい。薄っすらと光の筋が走っていて、そこから魔素マナの気配を感じ取ることができた。

 壁際には白い植木鉢に見たこともない植物が植えられている。緑の葉を茂らせたそれは、観葉植物――なのだろう。

 無機質な空間に、人の気配も感じないというのに、不思議なものだ。不安そうに、だけど不思議そうに、アグルエも辺りを見渡していた。


「鉄の城?」


 首を傾げるアグルエに、エリンスも周囲を見ながら「あぁ……」と声を零す。

 一面黒銀の壁に覆われているように見えたのだが、エリンスが目を向けるとその一角が、ウィーンと音を立てながら横へスライドし、まるで扉のように開いた。

 導かれるようにしてエリンスが一歩を踏み出せば、アグルエもついてきてくれる。


『星』を見渡せる部屋を後にすれば、長い廊下が続いていた。

 半透明の床の下にはパイプや機器が埋め込まれていて、そこからは魔素マナではない、他の何かが蠢いているような気配も感じ取れる。

 この城は、魔法で動いているわけでもないらしい。

 エリンスたちの理解の範疇を超えたモノ――エリンスたちの世界のモノではないような、そんな気配が『神の座』と呼ばれたそこには溢れている。

 手を繋ぎながら慎重に歩みを進める二人に、廊下には扉と思わしきものが並んでいて、だけどエリンスは呼ばれるようにして、ただ真っすぐと前へ進んだ。

 半透明になっているパネルのような螺旋階段を上って、二人が大きな扉の前へ辿りつけば、ウィーンと電子音を上げながら、扉は開いた。

 まるで二人のことを歓迎するかのような空気がある。黙ったままに、肩に入った力に強張ったまま、二人は部屋へと足を踏み入れた。


 大きな一室は、そこも一面がガラス張りの部屋だった。

 見下ろす星空、浮かぶ青い星。窓の横にはさまざまな、エリンスたちが見たこともないような機械が立ち並び、赤いランプやオレンジ色のランプに緑色のランプが点灯している。時折響く電子音に、しかし、清純な空気が流れているようで、自然と呼吸が落ち着いた。

 部屋の真ん中には、少し高くなった台座の上に巨大な銀色の椅子が設置されていた。そこから伸びる管が壁の機械へ繋がっており、頭上から垂れ下がる半透明の板には何やらエリンスたちが読むことのできない文字が浮かび上がっている。

 背を向けている大きな椅子の上に、人の気配があった。

 それが、『神の座』――。

 目を見張って顔を上げるエリンスとアグルエに、だけど、部屋の隅にはもう一つ、人の気配があった。

 黒銀色の台に腰かけて、つまらなさそうに視線を落としていた白いマスカレードマスクをした男だ。首元に黒いファーがついたローブを羽織り、膝を組んで「ふっ」と、エリンスたちへ冷たい視線を向けて乾いた笑みを零した。


幻英ファントム!」


 思わず声を張り上げて腰に提げた剣に手を添えるエリンスに、アグルエも緊張が走ったように構えを取る。だが幻英ファントムは、組んだ足の上で頬杖をつくと「ふん」と笑った。


「選ばれたのは、俺のはずだろうが」


 小言を文句のように零している。

 二人が剣を抜こうとしたところで、幻英ファントムは動こうとしなかった。今まで対峙してきた幻英ファントムとは違う態度に、エリンスとアグルエにも戸惑いが走る。

 そうして動きが止まってしまった一瞬のうちに、そんな緊張感を打ち破るようにして、部屋の真ん中に設置されている巨大な椅子がくるりと回り、エリンスたちのほうへと向いた。

 エリンスとアグルエは呆然と、椅子の上に座っているを見上げる。


 白き人――筋肉質な半裸の上半身に、白い髪。鋭い蒼い瞳に、整った顔立ち。

 顔つきは勇ましく、若気に溢れた清廉なもの。

 椅子から伸びる管が腕に刺さるように繋がっていて、道着のようなものを着ている。はだけた上半身からも白い管が生えていて、その額には『神の座』の壁と同じような光の走る黒銀色のサークレットを装備していた。

 どこか温かくも感じる眼差しに、エリンスとアグルエが目を見開く。

 すると、風が吹くように白い光が彼の周囲をくるりと回った。

 漂う光は薄っすらと形を成していく。

 整った鼻筋にぱちりと開く瞳、ゆるりと笑う口元。女性らしい顔つきに、背丈ほどある長い白い髪を垂らして――光は、ローブを羽織る美しい女性の姿を象った。

 女神ティルタニア――ひと目して理解するエリンスに、彼女はその座に就いている彼の首元へ腕を回すと、頬ずりするように顔を寄せてから、エリンスたちのほうへと目を向ける。


「ようこそ、エリンス・アークイル。アグルエ・イラ」


 椅子についた男が口を開く。

 二人ともその声には聞き覚えがあった。

 白の軌跡でも、黒の軌跡でも、度々語り掛けてきた声の主だ。

 一時呆然としてしまったエリンスは、男の顔を見ながらその名を呟く。


「勇者アレイル……ここが、『神の座』……」


 並ぶエリンスとアグルエの顔を見やって、勇者アレイルは「そうだ」と頷いた。


「その通り。ここが世界そのもの。『神の座』だ」


 勇者アレイルの周りを光の女性が舞うようにくるりと回った。優しく微笑むばかりで、彼女は声を発しようとはしない。

 不思議そうに眺めているアグルエに、エリンスは横目で部屋の隅にいる幻英ファントムのことを捉える。


『神の座』――まだその席には、『勇者』が就いている。

 その席が『世界そのもの』だというのなら、幻英ファントムに支配されてしまったわけでもないということだろう。


「おまえの考えている通りだ。エリンス・アークイル」


 エリンスの視線に気づいたようにして、幻英ファントムは言葉を零した。

 白いマスカレードマスクの奥の瞳はつまらなさそうに細められ、そして宙を舞っている光の女性を目で追っている。


幻英ファントムに、支配されたわけじゃないのか」


 世界を今襲っている事態、赤い空の出所がここだと思っていたのに――。幻英ファントムを止めれば全てが終わると考えていたはずが、その期待を裏切られたような気持ちにもなった。

 何もこたえようとはしない勇者アレイルに、しかし、幻英ファントムがエリンスへこたえた。


「今、世界に訪れている災厄は、約束された破滅なんだよ。この場所へ俺が辿りついたとき、こいつが抑えていた歪みが大きくなった。二百年、積み重なった瘴気が世界へ溢れた結果なのさ」


 約束された破滅――抑えていた歪み、瘴気。

 赤い空の正体が、それだったとでも言うのだろうか。

 顔を合わせたエリンスとアグルエに、しかし、勇者アレイルも女神ティルタニアも何もこたえようとはしなかった。


「どういうことなの……」


 疑問を零すようにアグルエは深い蒼い瞳を勇者アレイルへ向けた。

 しかし、またしてもそれにこたえたのは幻英ファントムだった。


「勇者アレイルは『神の器』として、もう、限界を迎えていたのさ。そいつは、そうなるために造られたわけでもない」


 ただ黙ったままに幻英ファントムの語る言葉を待つように、勇者アレイルはエリンスたちのことを、大きな椅子の上から見下ろしていた。

 彼の周りでは、光の女性がくるりと回る。「ふふふ」とそよ風のような微笑みを零して、女神ティルタニアも何も語ろうとはしない。否――彼女には語る術がないように、エリンスには見えた。


「二百年に及ぶ『神の座』のコントロールは、人の身には余るものだったのだろう。なぁ、『勇者』。だから、『選定』をして、待っていたんだろう?」


 そこでようやくいつもの調子を取り戻したように、幻英ファントムはにやりと笑った。

 白いマスカレードマスクからのぞいた視線の先で、勇者アレイルは幻英ファントムへ一瞥するように視線を送ってから頷く。


「そうだ。俺たち・・・は、待っていたんだ。代わりとなる者を――『神の座』へ座する、資格を持つ者を」


 幻英ファントムの言葉を肯定するように、勇者アレイルは重たそうにしている口を開いた。


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