第303話 先へ進む者、見送る者
――からーん。
乾いたような音を上げて、宙を舞ったクラウエルの腰元から木製の杖が転がり落ちた。『霊樹の枝』と呼ばれたセレロニア公国の秘宝――『神の座』への道を開く『鍵』だ。
どさりと倒れるクラウエルは、全身から白い光を立ち昇らせて薄っすらと消えていく。
「この、ぼくが……」
振り返るエリンスはかける言葉も見つけられずに、駆け寄ったアグルエが落ちた『鍵』を拾い上げた。
次第に、白い粒子となったクラウエルは光となって消えてしまった。
エリンスはようやくそこで「はぁ」と息を吐くことができて、途端に全身から力が抜けて膝をつく。
「エリンス!」
駆け寄ってきてくれたのは、戦いを見守ってくれていたレイナルだった。
一瞬、力が抜けてしまっただけのことだ。エリンスが顔を上げて笑えば、アグルエが手を差し伸べてくれた。エリンスは「大丈夫」と首を振って、彼女の手を取らずにゆっくりと立ち上がる。
腰に提げた鞘の中では
「ちょっと、張り切りすぎた。それよりも、ツキノは」
机のほうへと振り向けば、マリーが小さな籠を開いているところだ。
白い狐は、マリーの腕の中で丸くなって抱えられている。ぐったりとしていた様子だったが、ぴんっと大きな耳を立てて首を振った。
「きゅい?」
かわいらしい鳴き声を上げて、白い狐は尻尾を振るう。
「ツキノ……」
寄ってきたマリーへエリンスも駆け寄り声をかけるが、白い狐はその腕の中で赤銅色の丸い瞳をぱちりと輝かせると、きょとんと首を傾げた。
寄ってきたレイナルも神妙な顔つきで、顎に手を当てて頷く。
「ツキノの温もりは、たしかに戻っている」
エリンスも「うん」と頷いた。
バラバラになっていた白き光と白い狐は、アグルエの願いを受けて元のカタチへと戻ったのだろう。
だが、白い狐を抱えるマリーが落ち込むように肩を落とした。
「わずかな光、小さな灯よ……」
マリーはどこか寂しそうに、丸めた腕の中に抱える白い狐の背中を撫でていて、アグルエもしょんぼりと眉を落としながらそんな様子を見つめていた。
「きゅい!」
ふいに白いふわりとした尻尾を振って飛び上がる狐は、マリーの腕の中から飛び出すとアグルエの肩の上に飛び乗った。そのまま彼女のさらりとした金髪の内側へ入り込むように首の周りを回って、アグルエの肩の上で尻尾を振るう。
「あはは、くすぐったい」
目に涙を浮かべながら笑うアグルエに、白い狐は「きゅい?」と首を傾げている。
今までのように――喋ることはない。優しく、からかってくれるようなこともない。
鳴き声を上げるだけの白い狐を見つめてエリンスが肩を落とせば、レイナルがそんなエリンスの肩を優しく叩いてくれた。
「あいつは、大きな力を使った時、度々眠りにつくことがあった。今は、その時、なのだろう……」
クラウエルも、『再び目覚めさせる』などと言っていた。ツキノにも休む時間が必要なのだ。
「……うん」とエリンスは、ありのままを呑み込んで頷いた。
だけど、彼女がいなくなってしまったわけではないことに、安心する気持ちもたしかにあったのだ。
「いいんだ。なくなってしまったわけじゃない。まだ、生きているってわかった」
エリンスが首を振ってから顔を上げれば、レイナルはなんとこたえればいいのかわからないような困った顔をして「……あぁ」と頷いてくれた。
マリーも思いつめたような顔をしていたけれど、「ふっ」と、そんなエリンスの言葉を受けて息を吐いて微笑んだ。
「救えたってことで、いいんだよな」
エリンスが確認するように口にすれば、アグルエが「うん、きっと」と頷いてくれる。
やはりそういうときに、シスターマリーはエリンスの背中を押すように笑顔を向けてくれていた。
「えぇ、あなたはしっかりと、彼女の想いにこたえたわ」
目元を拭ってエリンスが前を向けば、アグルエも涙をこらえるように天を見上げてから前を向いた。
アグルエが肩の上に乗っている白い狐を腕の中に抱え、そうしてからレイナルのほうへと手渡しする。
「きゅい?」と首を傾げた狐に、レイナルは大切なモノを預かるように白い狐を抱え込んだ。
霊樹の間の最奥、霊樹の前に聳え立つ白い大きな扉は、閉じたままにされている。
エリンスはアグルエから『鍵』を受け取って、階段を上って霊樹へ近づいた。そのまま扉の前の石碑に『鍵』を差し込むと、ゴゴゴと周囲の空気が震えだし、構えられたままの白い大きな扉がその口を開けた。
――いよいよ、辿りついた。
エリンスとアグルエは手を取り合い、そして、白い光で溢れる扉の先へと目を向ける。
その後ろで、レイナルとマリーは見守るようにしてくれていて、二人は一度振り返った。
「行くんだな」
レイナルの言葉にエリンスは「うん」と頷く。
「そこから先に進めば、どうなるかは……わからないわ」
マリーが不安そうに言うけれど、それにはアグルエが「はい」とこたえていた。
「
覚悟を灯した二人の瞳に、残された者たちは少し寂しそうに眉をひそめた。
『神の座』へ近づくことの意味を――エリンスとアグルエは知っている。
世界に、忘れ去られてしまうことを――。
レイナルとマリーはそのことを知らなかったとしても、白く眩しい光が溢れる扉を見つめていれば、何か思わされることがあったのだろう。
だけど、エリンスとアグルエは、再び振り返って扉のほうへと一歩を踏み出した。
エリンスが腰に差した鞘から、天剣グランシエルを引き抜けば――声が導いてくれるように響き渡る。
――「覚悟を示して」
優しい女性の声色に、エリンスとアグルエは頷き合って――エリンスが剣の矛先を白い光の先へと向けた。
「父さん、ツキノのこと、頼んだ」
「いってきます!」
エリンスとアグルエは横顔だけを向けてそう言い残し、扉の先へと進みはじめた。
二人の想いは一緒だ。
光の中微笑むアグルエに、エリンスも力強く頷いて真っすぐ前を向いた。
「導いてくれ、グランシエル!」
周囲の光に負けないほどの白い輝きを放つ天剣グランシエルに、二人の姿は白き光の中へと消えてゆく――。
◇◇◇
二人の姿が白き光の中に呑み込まれ、霊樹の間に聳え立つ白く大きな扉は静かに閉ざされた。
レイナルとマリーは肩を並べ、扉を見上げて――レイナルの腕の中では白い狐が「きゅい」と鳴いては尻尾を振るう。
呆然とした二人に、マリーは「はっ」と何かに気づいたように息を漏らして、周囲を見渡した。
「わたしたち、一体、何を……」
首を傾げたマリーに、レイナルはただ真っすぐと扉を見つめたままに涙を流している。
「何か……とてつもなく、大事なものを失ったような……そんな喪失感が、残っている」
静かに口を開いたレイナルに、マリーはその涙から目をそらすように振り返ると「えぇ……」と小さく頷いた。
「わたしたちは、そんな想いを知っている」
レイナルの腕の中では話がわかっていなさそうなきょとんとした表情で、白い狐が尻尾を振っていた。
レイナルは、そんな白い狐の背中を撫でる。
「なぁ、ツキノ……教えてくれないか。俺は……何を、忘れてしまったんだ」
静かに響いたレイナルの声に、マリーもまた、天井から垂れ下がる七色の葉を見上げて、流れる涙を我慢したように鼻を啜っていた。
レイナルの腕の中で白い狐は、「きゅーん」と寂しそうな声だけを上げて、やはり何もこたえてくれはしなかった。
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