第300話 幕間 壊滅の予兆

 鋭く突き上げられた薙刀から放たれる一撃は、とぐろを巻いて舞う龍のように空へ駆け抜ける。

 叩きつけられる拳の一撃は、白虎の咆哮の如く、衝撃波となって轟いた。

 黒白の光を放つオメガのコアは、震えるように揺れている――。


「やったか!」


 メルトシスは膝をつきながらも、はるか上空、立ち止まったオメガの胸部を見やって叫んだ。しかし、そんな彼の横でアーキスは、膝をつき未だ言葉を発することができなかった。

 己のうちから解放した勇者の力に右腕ががくがくと震えてしまっている。負担はあるだろうと予測していたが、ただ単に、それだけという話でもないらしい。

 黒き刀――黒大蛇の力が、想像以上の反動として、アーキスの全身を蝕むように襲ったのだ。全身の筋肉が震えるように痛む。この刀を振るうだけで、全身の魔素マナが吸収されて持っていかれそうにもなる。


――あいつは、こんなものを振るっていたのか。


 それが魔族の身体能力から来る所以だったのかもしれないが、アーキスは「ふっ」とそこでようやく表情を緩めることができた。


 コアが震え、膝をつく『神の器』オメガは進行方向を見失ったかのように大きくバランスを崩して斜めに傾いた。

 その侵攻は止まったように見えた――のだが。

 着陸した魔竜に、その背中からディムルとヴァルアードが飛び降りて、尻もちをついた。二人は息を整えるよう荒い呼吸を繰り返して、だけども、確かな手ごたえはあったのだろう。

 しかし、メイルムが不安そうにオメガの顔を見上げていた。


「まだ……」


 アーキスも思わず、メイルムの視線の先を目で追った。

 膝をついて斜めに傾くオメガは、ぐるりと、その瞳のように灯っている赤い眼を一回転させた。

 それに――なんだか様子もおかしい。


「バリアが、再生しない?」


 疑問を口にしたのは、それぞれの元に歩み寄ってきたマリネッタだった。

 彼女が口にした通り、オメガのコアを守る役割をしていたはずのバリアが、ディムルやカシアスの見立てとは変わって、再展開されないのだ。

 はじめはコアの機能を止めることに成功したのかともアーキスは考えた――だけど、次第に、ゴゴゴゴゴと空気を震わせるようにして、『神の器』オメガは再び立ち上がろうとする。


「そんな、効いていないって言うのか?」


 慌てたように腕を振るメルトシスに、マリネッタの横に並んだカシアスは「いや……」とオメガを見上げながら首を横に振った。

 立ち上がる『神の器』オメガの大きさに、一行は再び圧巻させられる。しかし、そんな風に立ち尽くしているオメガからは先ほどまでと違う、何か嫌な予感がした。


「違う。効いてはいる。バリアを、破壊することには成功しているはずだ……」


 カシアスは左手の親指の爪を噛みながら、「ぐっ」と目元に皺を寄せた。

 未だ立ち上がることができないディムルとヴァルアードは、そんなカシアスの表情を見て何か思い至ったらしい。


「じゃあ、あれは……」と呟いたディムルの言葉には、一行へ迫った魔導歩兵オートマタたちを弾き返すディートルヒがこたえた。


「バリアではなかったのだろう」


 立ち上がったオメガのコアの周辺に、赤白い光が集まりはじめた。

 空の色と同じような色をする光に、不気味な――とてつもなく大きな気配を感じ取る。

 だけど、アーキスは足腰に力が入らず立ち上がることができなかった。

 魔竜が慌てたように翼を広げ、メイルムは「はい!」と力強い返事をして、その背中にまたがる。


「高濃度の魔素マナの収縮……あんな反応、見たことない」


 目の前にしている巨大な赤白い光が信じられないといったように、マリネッタは首を横へ振った。

 しかし、そうして意識を取り戻したようにしたマリネッタは、周囲にいる人々へ語り掛けるように声を上げる。


「みんな、逃げる準備を! 一刻も早く、この場を離れたほうがいい!」


 魔竜は既に宙へと飛び上がっていた。

 高濃度の魔素マナの収縮――。

 一点に集められた魔素マナは、オメガがコアに吸収しているようだ。

 凝縮される高濃度の魔素マナ、そんなものを集めて、オメガは一体――何をしようとしているのか。集められた魔素マナがどうなるのか――呆然としたのも一瞬、アーキスは考えついてしまった。


「違う、あれは!」


 叫ぶアーキスに、もう時間がないのだとみなが気づく。

 メイルムは近くにいたマリネッタの手をすかさず握る。カシアスの手はマリネッタが握って、二人は力が入らなさそうなカシアスのことを魔竜の背中に引っ張り上げた。みながみな、先ほどの一撃に全力をぶつけていて、ずっと前線で戦い続けてくれていた彼らは限界だったのだろう。立ち上がろうとするアーキスには、メルトシスが手を差し伸べてくれていて――しかし、ディムルとヴァルアードは座り込んだままに動けないようだった。


「今すぐ、戦うことを止めてー! みんな、逃げて―!」


 飛び上がる魔竜に、メイルムは後方へ向かって大声を上げて叫ぶ。

 しかし、後方で魔導歩兵オートマタたちと戦いを繰り広げていた者たちにも動揺は広がるばかり。

 ディートルヒが、アーキスの首根っこを掴んで、メルトシスを脇に抱えた。


「みんなを、助けて!」


 何が起こるのかもうわかってしまったのだろう。メイルムは魔竜の首元に掴まって叫んでいたが、そんな彼女の言葉に、魔竜は悲しそうに目を伏せて首を横へ振っていた。

 旋回した魔竜に、アーキスも目を見開く。


――間に合わない。


 アーキスも全てを理解したその瞬間――『神の器』オメガの黒白のコアが赤白く光を上げた。

 周囲を包んだ赤い眩しい光に、まるで本当に空が落ちてきたかのように錯覚をした。

 手を伸ばしたアーキスは、ディートルヒに抱えられるままにその場を離れる。メルトシスも身体に力が入らないようで成す術はない。


「あのバリアは……自身を守るためのモノじゃなかったのか」


 未だ膝をついているディムルの言葉に、アーキスはどうしようもなく納得させられてしまった。


――俺たちは、開けてはいけない箱のふたを……開けてしまったらしい。


 離れていく影、赤い光の中に二人の傭兵の姿が見えた。


「……ディムルさん!」


 ようやく振り絞った声で叫ぶアーキスに、ディートルヒはそれでも前を向いて首を横に振った。


――キュイィィーーーン!


 甲高く響いた不気味な音に、アーキスの声もかき消される。

 収縮した赤い光の中、ようやく立ち上がる二人の影。

 ヴァルアードがディムルの腕を握って、彼女のことを立たせている。

 だが――次の瞬間、辺りはさらに激しい閃光に包まれて、誰もが目を開けていることができなかった。


――「団長は、生きてください。戦い抜いて」


 ヴァルアードはそんな激しい閃光の中でもディムルのことを真っすぐと見つめ、光に目が潰れようと――彼女の腕を引っ張るように掴んでいる。

 薄く目を閉じているディムルは必死に首を振って、彼の腕をほどこうと暴れたが――しかし、彼の最期の力には敵わなかった。

 ヴァルアードは渾身の力を振り絞ったように構えて腕を引くと、逃げるアーキスたちのほうへと向かってディムルを投げ飛ばした。

 アーキスは薄く開いた視界の中で、目の前に飛んでくるディムルの姿に気が付いて――メルトシスと二人して、ディートルヒに抱えられるがまま彼女の腕を握った。


――「ヴァルアーーード!」


 叫ぶディムルの声だけが――赤い閃光に包まれたそれぞれの耳元まで届いていた。



◇◇◇



 オメガのコアより放たれたのは、高濃度に凝縮された魔素マナの塊が光線となって照射されたようなものだった。

 ただの炎なんかよりもすさまじい火力をもってして、オメガが向いていた進行方向を一直線に、大地も、周囲にいた人々や魔物、魔導歩兵オートマタですらも、果ては――遠くに見えていた山ですらも焼き尽くした。

 アーキスたちの攻撃があったおかげで、オメガが斜め前を向いていてくれたことが救いだろう。それはかろうじて、ファーラス王国の方角からは逸れてくれていた。

 しかし、人類の最前線として構えられていた砦はその一撃で半崩壊。溢れ出した魔物や魔導歩兵オートマタたちが、ファーラス王国に向かって進軍をはじめている。

 最前線はたったの一撃で、崩壊したのだ。


「これが……オメガの力だって、言うの……」


 上空、魔竜の背中よりその全てを見届けてしまったマリネッタは、目にした光景を信じることができずに、思わず口元を手で押さえた。

 戦場を両断するように刻まれた大きな傷――。

 オメガのコアより放たれた魔素マナが走った方角へ一直線に、谷でも現れたように地は裂けた。

 そこで戦っていた人々も、魔導歩兵オートマタですらも、焼かれたのだ。


「そんな、酷い……」


 まざまざと見せつけられる現実に、メイルムは涙を流しながら必死に首を横へ振っていた。

 しかし『神の器』オメガは、己の所業を知る由もないといった調子で、再び一歩を踏み出している。


 オメガの進行方向より大きく横にずれた場所へ、魔竜は着地した。ディートルヒたちもそこまで飛び退いてくる。

 膝をついたディートルヒに、崩れるように膝をついたディムルはオメガのほうへと顔を向けていた。その瞳には涙が浮かんでいる。

 ディムルに寄り添うように近づいたカシアスも悔しそうな表情を浮かべていて、メイルムは大声を上げて泣いてしまう。

 マリネッタも「くっ」と涙をこらえるように目を閉じて、しかし、そんなマリネッタの横で立ち上がるアーキスは、未だ侵攻を続けるオメガを見上げていた。


「まずい……」


 そう零した彼の言葉に、一行はオメガが進む方向へ目を向けた。

 一歩一歩、どしんどしんと踏み締められる巨大な足。その速度が、先ほどよりも数倍、速くなっているのだ。


「速く、なりやがった……」


 力なく崩れていたディムルも、たしかな危機感を覚えたように現実を見据えていた。


「急いで本陣へ……最終戦陣へ戻り、伝えなければ……」


 ディートルヒの緊張感をはらんだ声に、一行は志を同じく頷いた。

 大きな喪失感に、どうしようもない絶望感が戦場を襲った。しかし、決戦がはじまってしまった以上、下を向いてばかりは――振り向いていられはしなかった。


 魔導歩兵オートマタたちも焼き払われて、地に響いた巨大な傷跡が刻まれる。しかしそれでも『神の器』オメガに、飛来する魔導歩兵オートマタたちの侵攻は止まらない。

 この決戦は、世界の命運を懸けた最終戦線なのだ。

 人々は戦い、しかし、その最前線は壊滅した。

 残るは最終戦陣――ファーラス王国近辺に構えられた最後の要塞を残すのみ。


 生存者の確認に動きはじめるディートルヒを横目に、アーキスやマリネッタたち託された勇者候補生も、乗り越えなければいけない現実を噛み締める――。


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