第301話 霊樹の間、友の想いを越えて

 ひんやりとした空気がすーっと、薄暗い廊下を駆けていく。

 イルミネセントラル城、その地下にある鍛冶工房の部屋の前で、エリンスとアグルエは肩を寄せ合い、床へ座り込んでいた。

 廊下は寒く感じたものの、工房より溢れ出てくるような熱気がぽかぽかと温かく、自然と心が休まるような時間だった。

 立てた膝に腕を乗せてぼーっと天井を見上げたエリンスに、瞳を閉じたアグルエは彼の肩に頭を預けて、しばしの休眠を取っているようだ。


 この城の主は今やいなくなってしまった。この先で待っているのは、エリンスが打ち倒さなければならない相手だ。

 魔王を倒すためにはじまった旅路も、いよいよゴールは目前にある――魔王城と呼ばれる場所で、そうして座って考える。


――まあ、倒すべき相手は……魔王じゃなかったんだけどな。


 横ですーすーと息を立てている『かわいい魔王』の寝顔を見ていると、エリンスは自然と表情が綻んだ。

「ふっ」と息を吐いたところで、ぱちりとその蒼い瞳が開く。


「あ、寝ちゃった」


 慌てたように身体を起こすアグルエに、エリンスは「あはは」と小さく笑いを零した。そうしたところで、二人は近づいてくる足音に気が付く。

 エリンスが気配のほうへと顔を向けると、廊下の薄暗闇の向こうから歩いて来たのはレイナルだった。


「まだ、か」

「うん」


 座り込んでいる二人を見て、レイナルは「ふぅ」と息を吐く。マリーの仕事がまだ終わっていないことも察したのだろう。


「先を見てきた。魔導昇降機エレベーターも問題なく稼働していた」


「ってことは」とこたえたアグルエには、エリンスが「うん」と頷いた。


「残るのは、頂上で待つクラウエルだけってことだ」


 拳を握って立ち上がるエリンスに、アグルエも一緒に立ち上がる。そろそろだろう――そんな気配を、二人ともが感じ取っていた。

 ばたりと開く扉に、顔を見せたマリーはエプロンとバンダナを外していて、汗で乱れた結った髪をほどきながら首を振った。


「おまたせ、二人とも」


 頬には煤がついてやや黒ずんでいて、しかしマリーはとびっきりの笑顔でそう言ってくれる。

 顔を見合わせた二人は頷き合い、そして――新たな剣を手に、上階を目指して、先を急いだ――。



◇◇◇



 空から逆さに垂れるように伸びている魔界を象徴する逆さ大樹、霊樹ユグドラシル。

 世界の根源に繋がっていて、大木より伸びる根は、リューテモアの地を支え、巡る魔素マナを管理する役割をしていると言われている。

 そんな霊樹の幹とイルミネセントラル城が交わる地点にあるのが、霊樹の間と呼ばれるこの世界で一番、大いなる巡りに近い場所。『神の座』へ繋がる道が存在し得る場所だ。


 玉座の間の裏手にある部屋より魔導昇降機エレベーターに乗って、再びその地を訪れたエリンスとアグルエは、そこで待っている宿敵を睨みつけた。


「クラウエル!」

「もう、あなたたちの好きにはさせない!」


 叫ぶエリンスの腰には、アーキスより預かった天剣グランシエルとは別にもう一本、飾りのついた真新しい鞘に収まった剣が提げられていた。

 横に並ぶアグルエの腰にも、エリンスの剣と同じような、鞘に納められた剣が提げられている。

 マリーとレイナルは数歩下がった位置よりそんな二人のことを見守っていた。


「ふーん、ようやく、来たか」


 さらりと流れる金髪に、左眼が黄色、右眼が翠色のオッドアイ。白衣のようなマントを羽織った中性的な雰囲気を感じる小柄な魔族、クラウエル・アンは大きな机に退屈そうに肘をついてそうこたえた。

 霊樹の間の一角は、エリンスたちがはじめて訪れたときと様相が変わっている。

 床を這うパイプに、様々な実験機器。戸棚まで用意されていて、そこには何に使うのか、色さまざまな液体や薬品が並べられている。ガラス製の巨大なケース、それと繋がるメーターが取り付けられた機械。大きな寝台。異様で異常な空気に、薬品の匂いが鼻を衝く。

 まるで、神聖だと謳われたこの場で人体実験でもしはじめるかのような雰囲気に、二人は顔をしかめた。

 そんな彼が向かっている机の上には、書類や機器が散乱していたが、小さな籠が目についた。

 鉄格子の中、弱り切ったように手足を開いて横たわっているのは――小さな白い狐だ。


「ツキノ!」

「ツキノさん!」


 目を見開き、一歩踏み出したエリンスとアグルエに、クラウエルは「遅かったじゃないか」とにやりと笑った。

 白い狐が横たわる籠の横には、フラスコが備え付けられていて、その中では白き光がぼんやりと輝きを放って瞬いている。

 エリンスは、そこに大事なモノの気配を感じ取った。

 アグルエも瞠目したようにして、ぐったりと倒れた白い狐とぽやぽやと瞬く白き光を見比べている。


――あれが、ツキノ自身。


 エリンスにはどうしようもなくわかってしまったのだ。グッと怒りを噛み締めるように拳を握り、目尻に力が入った。

 クラウエルはそうしたエリンスの顔を見てにやりと笑う。


「ちょうどいいところで、邪魔ってのは入るものだよね」

「クラウエル! ツキノに……何をした!」


 冷静であろうと思っても、目の前にしてしまえば冷静さを保っていられない。

 じりじりともう一歩を踏み出したエリンスに、だけど、クラウエルは余裕そうな表情のままにこたえる。


「ぼくに勝てないこともわかっていただろうに……けれど、ぼくの目的は、センセイを倒すことでも、殺すことでもない」


 腕を広げるクラウエルには、アグルエも怒ったように一歩前に出る。


「何をしたのかって、聞いてるの!」


 だがクラウエルは「ふっ」と表情を緩め、小馬鹿にしたように笑った。


「別に、何もしていないさ。この光は、センセイの中にある白き灯だ。長い年月の中で摩耗し弱る一方で……だけど、眠らせることができれば再び光は戻る。センセイには、再び目覚めてもらう必要があるからね。だからそのために、時間を進めているのさ……センセイも、それを望んでいたはずだ」


 エリンスは震える拳を押さえようともう片方の手で腕を握るが、しかし、それでも抑えきれないようにして感情が爆発しそうだった。


――ツキノの望み。


 ツキトへと生まれ変わったツキノとの出会いが――エリンスの憧れが、現実のものへと変わったきっかけだった。一度は絶望的な別れをすることになってしまった。だけど、『真の救済』、二百年前の世界に残した悔いを追っていた彼女とは――旅路の中で再会し、いつもエリンスのことを支えてくれて、前に進む勇気と力を貸してくれていた。

 笑い合って、からかい合って、喧嘩もして――いつもそっと小さな温もりで、二人の旅路を見守ってくれていた。守ってくれた。無茶もしてくれた。

 無理もわかっていた。頼っていたけれど、頼ってはいけなかった。

 セレロニア公国で――魔界のこの地で――背中を見せて白き刀を振るうその背中に、エリンスも彼女の想いと覚悟を見ていた。


――『わらわは、希望を託す。二人に未来を紡ぎ、この世界に訪れる真の救済を信じている』


 信じてくれた。


――『二人ならば、やれる。ここまでずっと、ついて見てきた……わらわが言うのだから、絶対じゃ!』


 未来を紡ぐため、想いを託された――。


「おまえに、ツキノの望みは、わからない……」


 震える拳を押さえるように俯けば、涙が頬を流れ落ちる。

 溢れ出す『想い』を抑え込める気がしない。


「あぁ?」

「ツキノは、そんなことを、望んでいたんじゃない」


 俯いたままにこたえたエリンスに、クラウエルは不機嫌そうに表情を歪める。


「センセイは待っていたはずだ。世界に訪れる、真の救済・・・・を。世界は、生まれ変わる。新しいカタチへと、新しい世界へと、真に救済される」


 クラウエルが幻英ファントムを起こした理由は、そこにあるのだろう。人界でも、魔界でも、別の世界からやってきたツキノは制約に縛られていた。その制約すらも、世界を変えることで破ろうとしたのだ。


「ぼくもセンセイも、新しい世界で、生き続けるんだ」

「勝手なことばかり、言わないで」


 アグルエがエリンスの怒りすら呑み込んだように、代わりにこたえてくれる。

 だが、クラウエルは「ふっ」と息を吐いて笑った。


「きみたちは、新しい世界の前では無に等しい。邪魔なんだよ、ぼくと、センセイが、創る世界では!」


 勝手なことばかりを並べ立てるクラウエルに、エリンスの我慢ももう限界を迎える。だが、もう一度代わりにこたえてくれたのは、そこまでの話を後方で黙って聞いてくれていたマリーだった。


「あんたは、何もわかっちゃいない」

「あぁ? ルマリア、ぼくに敵わなかったくせに、説教でも垂れるのか?」

「あんたは、ツキノのことを『センセイ』と呼ぶけれど、彼女の教えを……彼女の想いを、一番に背負っているのは、ここに立っている二人だよ」


 見守ってくれる彼女がいたからこそ、歩み続けられた。ここまで二人で辿りつけた。導いてくれたふわりと揺れる小さな白い尻尾が――にこりと笑った彼女の笑顔が、二人の中にはあるのだから。

 マリーに続くように、レイナルが口を開く。


「あいつの想いを、おまえには歪めることはできないだろう。それが純真なるあいつの想い、白き否定の炎は、おまえの想いを否定するさ」


 クラウエルが苛立ったように足を震わせる。ばんっと腕を机について立ち上がった。

 そうしたところで、ようやく霊樹の真ん中へ――クラウエルは、二人の行く手に立ち塞がるようにして歩いて寄ってくる。


「外野が、ごちゃごちゃとうるさいな。みんな、誰も、ぼくに敵わなかったくせに。この、神の力の前に、ひれ伏すことしかできないくせに!」


 拳を握るクラウエルの身体が白き光に包まれた。

 涙を流しながら顔を上げたエリンスに、アグルエも同じように瞳に涙を浮かべていて――。

 白き勇者の光の中から現れるクラウエルは、その姿を変えた。


 全身の服は燃え尽きて、鎧のような光を纏う。肌は真っ白に染まり、腕は鱗に包まれる。人の形をした右手に、左手は人を握りつぶせるほどに大きく重たげに下がっていた。左頭部には彼の金髪を裂くように白い巨大な角が渦巻いて、黄色をしていた彼の左眼は、金色に光を放つ。

 白い巨大な光の翼に、膨れ上がる白き炎。頭上には光の輪が浮かんでいて、彼自身も宙へ浮かんでいる。


『神の器』イプシロン――魔族を超越したその姿に、エリンスとアグルエは息を呑み、しかし、想いを宿した瞳を力強く向け続ける。


「たとえおまえたちが五つの軌跡を巡っても、完全なる『勇者の力』をモノにしたこのぼくには敵わない」


 エリンスは、腰に差した剣へと手を添えた。

 想いに震え上がってしまうが、しかし、怒りに身を任せて剣を手にすれば、待っている結末は前回と変わらない。


「マリーさん、父さん、手を出さないでくれ」


 だから、冷静さを保つために静かに口を開いて、未だ涙が浮かんでくる瞳でイプシロンを睨みつけた。


「こいつは、俺たちで斬る」


 エリンスの言葉には、横に並んで既に構えの姿勢を取るアグルエが頷いてくれた。


「無様に剣を折られたくせに」


 イプシロンは巨大になった左手を軽々と持ち上げて、開いては閉じて感触を確かめるようにする。

 余裕綽々といった態度を取り続けるクラウエルに、しかし、エリンスは怯むことなく噛みつくように声を上げた。


「もう、折れない。想いは、みんなが紡いでくれた」


 エリンスが腰に提げた鞘から剣を引き抜く。

 それに合わせて、アグルエも腰に差していた剣を抜いて、煌めく刃を二人は交差させて構えた。


 エリンスの手に握られているのは、青白い剣身に黒き光が一筋走る――生まれ変わった願星ねがいぼし

 剣刃のルマリアが魂を込めて、二人の想いの炎に照らされて――煌めく、超新星。

 銘打つは、希星きせい。エリンスの想いを背負って、白き光に剣身が純白に輝いた。


 アグルエの手に握られているのは、透き通るような黒銀の刃へ白き光が一筋走った剣。

 鍛冶師リアリス・マリーとして――そして、魔竜の角を含んだ刃は、二人が紡いだ想いに焦がれて、アグルエの想いの色に染まった。

 純真なる黒き炎――銘打つは、紡月ぼうげつ。アグルエの想いを受けて、刃は透き通る黒き炎のように燃え上がる。


 籠の中に倒れる白い狐の姿を一瞥して――覚悟の瞳を宿した二人は、『神の器』イプシロンと対峙した――。


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