第298話 願いの星よ、煌めいて

 ひんやりとした空気が一層濃くなるような黒石の壁が、薄暗闇の向こうまで続いている。人の気配もなかった長い廊下には、少し埃の積もった赤い絨毯が敷かれていた。

 そこは上階とは打って変わって、荒れている様子も見えない。


 あの後――シャルノーゼが死を選んだ後、エリンスたちは城の地下にあるというマリーの工房を目指して進んだ。涙で目を腫らしたアグルエはずっと俯いていて、こうして工房までたどり着いたところで、顔を上げることはなかった。

 中の安全を確認すると先に入っていったレイナルとマリーを見送って、エリンスは立ち尽くしてしまう。廊下の壁に背をつけてすっかり座り込んでしまったアグルエを前にして、どうしたものか――と一瞬考えて、エリンスもその横に腰を下ろした。

 膝を抱えるように丸くなっているアグルエの横顔には、もう涙はない。しっかりと前を向くように一点を向いて、何か考えているようだった。


「エリンス」


 ふいに呼ばれて、エリンスがその横顔へ顔を向ければ、アグルエはまだ地面の一点を見つめている。


「なんだ?」

「……シャルのことも、救えるかな。世界を、真に救済すれば」


 アグルエは、彼女の想いに苛まれているのだろう。


――『さようなら、アグルエ。わたしを救えなかったこと、永遠に後悔し続ければいいわ』


 最期の瞬間、まるで闇を晴らしたかのように笑ったシャルノーゼの顔が、エリンスの脳裏にも焼き付いている。


「俺たちは……もう振り返らない。これから進む道も、ここまで進んだ道も、後悔なんて、しないし、させない」


 エリンスがこたえれば、アグルエは顔を上げて「うん」と小さく頷いた。


幻英ファントムの言葉が、今になって思い出されるの」


 アグルエの言いたいこともわかった。

 エリンスも同じことを考えたのだから。


「勇者も、魔王も……勇者候補生も、魔王候補生も、全て、犠牲の上に成り立った、今の世界だ」


 アグルエも「うん」と頷いてくれる。


「変えるしか、ない。歪みを正して、流れを正して」

「そのためには……落ち込んでも……いられないか」


 アグルエはそう言って「ふぅ」と息を吐くと、肩の荷が下りたようにすくりと立ち上がった。

 エリンスはそんな彼女の顔を見上げて、「もう大丈夫なのか?」と聞く。

 こたえはわかっていた。「もう大丈夫」とこたえてくれはするけれど――心の奥に傷を抱えていようと、アグルエは笑った。

 アグルエが手を差し出してくれて、エリンスがそっと掴むと引っ張ってエリンスのことも立たせてくれる。


「シャルの分も、わたしが……背負うよ」


 ほんのりと顔に影を落としてそう言いながらも笑ったアグルエに、エリンスは「そっか」と優しく笑い返した。

 そうしたところで、ふいに工房の大きなドアが開く。


「工房、どうやら使えそうだってさ」


 顔を出したレイナルに、エリンスとアグルエは「よかった」と顔を見合わせて頷いた。


「マリーはもう準備をはじめてくれている。後はおまえたちの、覚悟がいるんだとさ」


「覚悟?」と首を傾げたアグルエに、エリンスはその手を引いて工房へ足を踏み入れた。


 部屋へ入ってまず目についたのは、二階ほどの高さまである天井に届くような大きな炉だ。湧水が出ているのか、水のせせらぎまで聞こえてきて、部屋を包んでいた鉄臭さが鼻についた。

 部屋のわきに並ぶ机の上には、本や様々な鉱石が転がるように並んでいて、部屋の隅には木箱に詰められた鉱石の山が大量に、長年放置されていたのだろう、埃をかぶって積まれている。部屋のあちこちに蜘蛛の巣が張っていて、マリーがずっと帰ってきていなかったことが垣間見えるようだった。

 部屋へ入るにしても鍵が錆びついていて、マリーが強引に壊したほど。「後で直せばいい」と言ってはいたけれど、エリンスはそんなことで工房は大丈夫なのかと心配していた。

 しかし、その心配も無用のものだったらしい。

 設備や流水の確認をしているマリーは、いつものシスター服の上からエプロンを羽織っていて、長い髪を結ってまとめ、頭にはバンダナを巻いていた。

 そうするだけで随分と様変わりする。きりりと開く鋭い赤い目は、鍛冶に使うのだろう道具に目を向けて細められていて、職人の顔をしていた。

 ちょうど重そうな金槌を持ち上げたマリーが、部屋へ入ったエリンスとアグルエに気が付いたようだった。


「もう大丈夫? いい?」


 大きな金槌をくるりと回して担いだマリーに、二人は「はい!」と返事をする。

 マリーは空間収納魔法を唱えると、魔竜から預かった角を取り出した。そして続けて、何個か鉱石を選ぶように選定し、「ふん」と鼻の先で金床を差す。


「そこに、願星ねがいぼしを置いてくれるかい」


 エリンスは言われるがまま、腰に差している二本の剣のうちから一本、折れて軽くなった願星ねがいぼしをそこへ置いた。


「エリンス、アグルエ。わたしはこれから、二本の剣を打つ」


 そう言いながら何やら魔法の詠唱をはじめるマリーの顔は、職人リアリス・マリーのもの。

 彼女が打った剣は、人界ではリアリス・オリジンと名が打たれて、広まっているほどだ。アグルエも、そんな彼女の剣を長い旅のお供として扱っていた。残念ながら、それも――アグルエの強すぎる想いによって折れてしまったが。

 アグルエはずっとそのことを気にしていたのだろう。「二本?」と聞いて首を傾げながら、しょんぼりとしたように肩を落とした。


「そう、二人分。つがいとなる二本の剣」


 得意気にこたえたマリーは落ち込んだアグルエのことを見て、慌てたように手を振った。


「あぁ、いいの。落ち込まなくて、いい。あの子はしっかりと役目を終えたから、折れてしまったまで。それは、エリンス、きみの願星ねがいぼしにしても同じだよ」


 マリーは置かれていた願星ねがいぼしを拾い上げる。その刃へ鋭い視線を向けると、まるで剣に語り掛けるように目を閉じた。


「きみたちの想いにこたえられなかったことを、この子たちも悲しんでいる。わたしには、その声が聞こえるんだよね」


 魔王を支えた魔王五刃将が一人、剣刃けんじんのルマリアとしての言葉だろう。

 その名の通り、彼女は剣と刃と語り合い、分かち合い、共鳴するように剣を操り戦場を駆けていた。エリンスもアグルエも、そのようにするマリーの背中を幾度となく見てきた。

 だから、疑うようなこともなく「はい」と、二人は頷いた。


「至高の一本と、究極の一本へ……辿りついて見せるさ」


 にやりと笑うマリーは手にしていた願星ねがいぼしを再び置いて、エリンスとアグルエに向かって微笑んだ。


「そのためにも、二人の力を借りたいんだよね」


 エリンスに鍛冶の知識はない。「俺たちの?」と二人して首を傾げれば、マリーは「そう」と言いながら巨大な炉を指した。


「いつもはわたしが魔法で火を起こしてしまうところなんだけどね。ここに、二人の想いのありったけを注ぎ込んでほしい」


 そのように話すマリーのことを、レイナルは腕を組んで見守っていて、エリンスはアグルエと顔を見合わせてから頷いた。


「想いの、ありったけ……」


 呟いたアグルエに、マリーは「頼むよ」と頷く。


「たしかに、今の二人の中にある力を炎に変えれば……それこそ願いを叶えるかもしれない」


 レイナルが何か思いついたように口を開いた。


「俺たちの想いが」

「剣になる」


 エリンスとアグルエは再び顔を見合わせてから、力強く頷き合う。自然と取り合う手を、力を込めるように繋ぎ合わせ――想いを、願いを、炎に込める。

 二人の間で煌めいた黒白の光に、溢れはじめる魔素マナが炎と成り、炉へ注がれた。


「未来を切り開く、剣を……願星ねがいぼし!」

「想いを紡ぐ、剣となって……!」


 湧き上がる光が、部屋の中に溢れ返った。

 周囲に風を巻き起こし、レイナルとマリーも目を細めて顔を腕で抑える。

 エリンスとアグルエは繋いだ手をそのままに、巻き上がる力に呑まれないように炉へと意識を集中させた。


――願星ねがいぼし……!


 初めて手にしたとき、そう名付けたとき――道を切り開いて、いつも支えてくれた、その剣の名。

 あの日見た星空に込めた願いを忘れないために――流れ落ちた星々に込めた想い。


――俺は、辿りつくから。


 それが――親友の信じてくれた、未来を紡ぐ力となる。今もまだ――この王城の最上階に、あいつはいる。

 願星ねがいぼしは折られてしまったけれど、師匠も認めてくれた想いは折れてはいない。


――だから、もう一度、こたえてくれ!


 エリンスが想いを込めれば炉には熱く、黒白に煌めく炎が灯った。

 アグルエも同じだけの想いでこたえてくれたのだろう。

 次第に収まっていく光と風の中、互いに見合わせた目で確認するように瞬きをして――そうすれば、部屋の中は熱気で溢れていた。


「よーし!」と満足そうに頷いたマリーが手にしていた金槌を床へ下ろして、炉を確かめるように目を配らせる。


「ありがとう、辿りつけそうな気がするよ」


 そう笑ったマリーに、汗を流しながら荒くなった息を落ち着けた二人は「はい」と返事をする――。



 それから、マリーが剣を打ってくれるまでには小一時間ほど必要になるという。

「少し時間を頂戴」と言って工房へ閉じこもってしまったマリーに、レイナルは「先の様子を見てくる」と上階へとひと足先に偵察へ出てくれた。

 部屋の外で待たされることになったエリンスとアグルエは、再び壁に背をつけて横に並んで、肩を寄せ座り込んだ。


 こうしている間にも戦況は、世界を襲う危機は、どんどん悪くなる一方だろう。だが、ここから先は、進めばもう休む暇もないはずだ。

 最上階で待つ宿敵のことを思えばうずうずもしてくるが、それを横にいるアグルエがなだめるように笑ってくれた。


――焦ることはない。俺たちは辿りつけるのだから。


 エリンスの肩に預けるようにアグルエが首を傾げていて、そんな彼女の温もりにエリンスは天井を見上げた。


――今も、みんなは、戦っているのかな。


 そうした束の間の休息に、二人は想いを共にした仲間たちの顔を思い出し――。

 そして、『神の器』オメガを止めるために最前線へと出た勇者候補生たちは、今――。


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