第294話 白き英雄は幻英の黒へと染まって ――1――
場面は、ラーデスア帝国の王城――豪華絢爛なシャンデリアに照らされる青白い壁に、金で縁取られた玉座には皇帝が鎮座する。
赤い絨毯が敷かれ、剣と大きな盾を構える兵士たちが立ち並ぶ重苦しい空気の中、二人の若者が玉座に向かって膝をつき、
「そなたたちを、ラーデスア帝国の名において、勇者候補生として選定しよう」
玉座に腰かけるでっぷりと太った皇帝――デンズリアル・ラースア・レンムドルは、手にした書状に目を通しながらそう告げる。
脇から現れたジルニズアが、皇帝の手から書状を受け取って頭を下げて去っていった。しかし、二人の若者は顔を上げようとはしない。
純真さを秘めた清廉な顔つきに、グレーの瞳は真っすぐと地を見つめている。
乱雑であった髪もきちりと切り揃えられ、その身にもしっかりと鎧を纏い、腰には剣を提げていた。名もなくした記憶喪失の剣士――その出自は、ラーデスア帝国の有名な貴族の家だと、
アルファ・オルス・リーブルス。後に、
そんな彼に付き従うように、皇帝に向かい同じように頭を垂れる女性は、きれいな長い金髪を頭の後ろで結っている。
青い瞳に、整った顔立ち。アルファよりは小柄ながらに、しっかりと筋肉がついて引き締まった身体つき。
幼き頃から兵士として帝国に仕える父の背中を見て育った、十七歳の帝国見習い兵士の一人、グレイシャ・ユニバーシ。
彼女もまた、
表向きは、記憶喪失であるアルファの面倒を見るために。
裏向きは、ジルニズアからの特命を受けての旅への同行。
『神の器』として目覚めたアルファは、只人として、勇者の洗礼を受ける必要があった。そのために舞台は用意され、役者も用意されたのだ。
全てはジルニズアと、その裏で暗躍を続けていたネムリナとクラウエルが秘密裏に行ったことだった。
だけど、グレイシャにもその真実は知らされていない。
家族を人質に取られ、半ば強引に成された『選定』だ。
そうして勇者候補生として選定された二人は、エリンスも立った舞台へと送られた。
黒い光の中を漂うエリンスとアグルエの目の前で、再び光景が一変する。
◇◇◇
「アルファ・オルス・リーブルス!」
勇者協会総本部、サークリア大聖堂。
既に他の参列者が旅に出た、がらんとした本堂にシスターの声が響いた。
それは、五年前の
その年選定された最下位の候補生として、彼の名が呼ばれた。
「はい!」
引き締まった表情は、穢れを知らない無垢さをはらむ。
アルファはただ真っすぐと、大聖堂にある勇者を象ったステンドグラスを見上げながらに席を立った。
一歩一歩と壇上へ近づいて、あの日エリンスが問われたように、最高責任者マースレン・ヒーリックより金色の聖杯を受け取った。
覚悟が灯った眼差しをマースレンへ向けて、受け取った聖杯に口をつけたアルファは、ごくりとひと口に注がれていた水を飲み干した。
そんな大聖堂の後ろのほうの席では、彼の旅に同行することを約束づけられたグレイシャが、優しそうに目を細めて頷いていた。
二人は並んで大聖堂を後にする。
それが、アルファ・オルス・リーブルスと、彼を監視するという命の元に、だけど、彼の旅路を優しく見守ったグレイシャ・ユニバーシのはじまりのシーンだった。
彼は、彼なりの志を持って――己に課せられた野望など知らずに、旅立った。
それはどこか――あの日の自分自身に似ているように、エリンスには見えてしまう。
アグルエと手を繋いだままに、やはり身体は半透明で目の前の光景に干渉することはできなかった。だけど、エリンスは旅立つ二人の背中を追いかけるように、引き留めるように、手を伸ばしてしまう。
そんな想いが、横で一緒に見ているアグルエにも伝わったのだろう。
心配そうに眉をひそめた彼女の顔に、エリンスも同じように肩を落として、再び流れはじめた光景へと目を向ける。
グレイシャと白の軌跡へ挑み――港町では、気の合う勇者候補生の仲間と出会った。サロミス王国出身の褐色肌の男、パーニアに、同じく勇者候補生でセレロニア公国出身の赤髪の女性、レンラと意気投合する。グレイシャを含めた三人で
初めて乗る魔導船に興奮し――病で倒れたレンラをかばって町医者を訪ねて――訪れた王国に、四人で見上げた城壁を笑い合って確かめた。
魔物との戦いで傷ついたグレイシャをかばったアルファに――パーニアもレンラも剣を振って支え合う。
そんな仲間たちとキャンプをしては、笑い合った夜もある。ついに辿りついた赤の軌跡、試練を受けられず、挫折するパーニアの背中を支え、涙を流した夜もあった。
だけど、アルファはただ真っすぐと、勇者候補生として認められることを目指して――そんな彼の背中を、自然と支えるように
手を取り合い、立ち向かい、仲間と道を切り開いて、魔物と戦い、時には襲い来る夜盗や犯罪者を成敗する。
最下位候補生として旅立った彼の旅路は、決して恵まれたものではなかったのだろう。だけど、ただひたむきに――己に課せられた使命を信じて、彼は旅路を進んでいた。
彼は――本当に何も知らなかったのだろう。
真っ新な状態で起こされて、記憶喪失だということにされていて、己が生まれた意味も、起こされた理由も――その裏で糸を引いていた者たちのことすらも、知らなかったのだろう。
彼の旅路に付き添って良き仲間を演じていたグレイシャは、時折姿を隠してネムリナやクラウエルと連絡を取り、事細かに彼の状況を伝えていた。
彼女に課せられた使命もまた――アルファは知る由がなかった。
それがまた、グレイシャにとっても、受け入れがたく辛い使命だったのだろうことすら知らずに。
エリンスとアグルエは、漂うままに流されたままに、目の前で繰り広げられた彼らの旅路を追っていた。
二人が辿った旅と同じように、アルファもまた、勇者候補生として世界を巡った。
そうしているうちに、彼もまた――気づいてしまったのだろう。それが、宿命か。世界を巡る、歪んだ真実に。
三つの軌跡を巡ったアルファたちは青の軌跡へ挑むため、セレロニア公国を訪れる。
時は、
街は七色の光に包まれて、並んだ露店や彩られた光に、公国の住民や観光目的で訪れた人々は夜通し騒ぎ続けている。
賑やかな祭りの空気の中、パーニアとレンラが街へ繰り出したのを見送って、アルファとグレイシャは二人、宿屋の屋上にあったベンチに腰かけて、街を見下ろしていた。
はたから見ていても感じるいい雰囲気に、エリンスとアグルエは少し罪悪感を覚えながらも、そんな並ぶ二人のことを見つめることになる。
どうせ干渉できない過去の光景だ。どうして、こんなことを見せられているのか――疑問に思いながらも、エリンスは流れ続ける光景を受け入れた。
「ねぇ、アルファ」
頭の上で結った金髪を揺らして立ち上がるグレイシャは、にこりと笑いかけながらベンチに腰掛けるアルファに向かって振り返った。
彼女は、手にしていた白いマスカレードマスクを顔に合わせて、優しく細めた目は仮面の奥からのぞいている。
そんな風にしたグレイシャの顔を見て、アルファは呆れたように息を零した。
「なんだ、グレイシャも……結局、浮かれてそんなものを買ったのか」
元は祭りで賑わった露店で売られていたモノなのだろう。
小馬鹿にするよう笑うアルファだが、グレイシャは気にした様子も見せず得意げに「ふふん」と鼻を鳴らした。
「今日くらいは、いいじゃない。
含みを見せて笑うグレイシャに、だけど、アルファはよくわかっていないような表情をしながら笑い返して、首を傾げた。
「
「だからこそ、だよ。人々は希望も、夢も、忘れない。世界を救ってくれる勇者を信じて、明るい明日を待っているんだよ」
グレイシャの言葉を受け止めて、アルファは瞠目していた。
「あなたも、今日くらいは、楽しんでもいいんじゃない?」
賑やかな街並みから上がる歓声が、屋上にまで届いている。
歌い、踊り、人々の願いを込めた七色の光が天へと昇っていく。
アルファは、そんな街並みと空を見上げながら立ち上がった。
「俺には……記憶がない。どこの誰だか、実際のところわからない。俺を育ててくれたっていう、リーブルスの家はいいところだったとは思ってる。だけど、それにしたって、本当の家族じゃないことくらいは、記憶がなくたってわかってるさ」
アルファへと向きなおったグレイシャは、笑顔のままに彼の話を聞いている。
「それでも……俺を勇者候補生として選んでくれた帝国に、そして……そんな俺を支えてくれた家族や……きみに、こたえたいんだ」
アルファの勇者候補生としての想いに――エリンスとアグルエも息を吞んだ。
真剣に言葉を紡ぐアルファに、グレイシャは「うん」とだけ優しく頷いた。
「ときどき、怖くなるんだ。得体も知れない大きな想いがのしかかってくるような……胸苦しさを覚える。何か、してはいけないことをしているような、身に覚えのない罪悪感が押し寄せる。この道を進んだら、取り返しがつかなくなるような、そんな嫌な予感に苛まれる」
グレイシャはどこか寂しそうな顔をしながらも、アルファの言葉を受け止めていた。
その理由を――きっとグレイシャも知りはしない。だけど、アルファには、ジルニズアから監視を命令されるだけの何かがあるということだけは、知っているのだろう。
そんなアルファを支えることが、グレイシャに下された命でもある。彼のことをどれだけ想っていても、その命は絶対のことだったのだろう。
「大丈夫だよ……アルファなら、世界を救える」
だけど、グレイシャはそんな想いを悟られないように、白いマスカレードマスクの奥に本音を隠したように笑っていた。
「俺が……世界を、救う?」
アルファは彼女の言葉を信じられないような顔をして、首を傾げる。
「勇者の旅路を追えば、魔王を倒す力が手に入る。悪い夢だって、全部晴れて終わるんだ、世界は救われるんだよ。アルファも、勇者の軌跡を巡って……その先にある真実を見つけるんでしょ?」
グレイシャが片目をぱちりと閉じて微笑んだ。
その言葉に、エリンスとアグルエは思わず顔を見合わせて――アルファは力強く頷いていた。
「あぁ……そうだ。それが、俺の旅の……目的でもあるんだ。記憶を失くした、俺の……真実と向き合うためにも」
屋上のフェンスに腕をついたアルファは、広がる街並みを見下ろすようにして目を細めた。
グレイシャはそんな彼の横に付き添って、「そうだよ」と優しく言葉を零す。
「それが、わたしたちの旅」
「この世界には、歪んでしまった真実がある……それが、青の軌跡へ近づいてわかったんだ」
「そう……きっと、旅をしたその先に」
「あぁ、きっと、勇者候補生として五つの軌跡を巡って、はじまりのあの地へ帰ったときに、何かわかるはずだ」
アルファは先を見据えたようにしてグレイシャにこたえていた。
グレイシャもまた、彼の言葉を受け止めて「うん」と頷いている。
そんな二人の複雑に絡まるような想いを受け止めて――エリンスとアグルエは手を繋いだままに呆然としてしまった。
仮面を外したグレイシャに、アルファはそっとその頬へ手を伸ばした。
互いに目を細めて向き合って、自然と寄せた唇が重なった。
エリンスとアグルエは思わずもう一度顔を見合わせてしまって――そして、じわりと感じた熱に、繋いだ手には力が入る。
「えへへ」と笑顔を見せたグレイシャに、アルファも少し恥ずかしそうに俯きながらも頷いた。
グレイシャが手にしていた白いマスカレードマスクに紐を通して、腰に提げていた剣の鞘にくくりつける。それを横で満足そうに眺めていたアルファは、グレイシャに優しく笑いかけていた。
「アルファは、英雄になって。なれるよ」
「英雄って……勇者じゃないのか?」
「うん……勇者にも救えなかった、真に世界を救える英雄に」
二人は契りを交わすように言葉を交わし、固く手を結ぶ――。
その白いマスカレードマスクに印象付けられた想いを――エリンスとアグルエは受け止めることができなかった。二人の前に立ち塞がった、そのマスクをした男の邪悪な笑顔が、目の前のそれと重ならない。
一体、彼と彼女に何があったというのだろう。
二人が顔を見合わせてそう考えたとき、再び周囲は黒い光に包まれて、光景が一変する――。
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