第292話 黒の軌跡
エリンスとアグルエはシスターマリーの転移魔法により、サークリア大聖堂から黒の軌跡へと一瞬のうちに移動した。ぐにゃりと視界が歪む感覚は何回体験したところで慣れそうにもない。
ふいに開けた視界に、エリンスは白い光で目が眩んだ。
咄嗟に抑えた腕の下からのぞけば、白い光に見えたのは辺りに降り積もった雪だ。空は相変わらずの赤い不気味な暗さを落とすばかりで、空気はどんよりと重たい。
横に並んだアグルエと目が合って、互いに気を引き締めたように口を結び頷き合った。そのまま周囲を見渡した二人は、先へ進んだレイナルとシルフィス、シスターマリーの背中を追う。
どこか森の中だろう。木々は葉をつけておらず、おまけに立ち並ぶ石柱も目立つ。
白石を積み重ねられた壁に、時代を感じさせる古びた様相――歩き進んだ先で並ぶのは、今の時代の技術では到底再現できない過去の遺物たち。
エリンスは、つい十日ほど前にもこの地を訪れたことを思い出した。
――
そう呼ばれていると、案内してくれた勇者協会に所属するベテラン剣士は教えてくれた。
「黒の軌跡は……」
エリンスが呟けば、先を歩いたマリーが振り返って先を指した。
森を抜け遺跡群の中にあるのは、すっかり雪かきもなされ舗装された石畳の道。
十日ほど前にはそこに瓦礫の山が積み重なっていて――その上では、そうして訪れたエリンスたちのことを待ち構えていた魔族が「クカカ」と笑って胡坐をかいていた。
しかし、その瓦礫の山もすっかり片付けられている。まだ残った瓦礫の中、舗装された道の先にあるのは、地面にぽっかりと穴を開けたように地下へと続く下り階段だ。
簡易的なテントが立ち並ぶ参道、腰をつく勇者協会職員やラーデスア兵たち。武器剝き出しのままなことが気にかかり、エリンスが周囲を見渡せば、カンッキンッと得物を振るう音まで聞こえることに気が付いた。
襲い来るは、鋭い牙に硬い毛並みを持つ狼型の魔物たち。
大きめの簡易テントの中では、傷ついた兵らを治療するために医療魔法を使える治癒師たちがせわしなく働いている。
勇者の軌跡周辺では、
「そんな……」
周囲の魔物へ目を向けたアグルエは口元を両手で覆って、その目に戦う意思を宿していた。
しかし、先を進んでいたレイナルとシルフィスは振り返って、それを止めるように首を横に振る。
「これが、今の世界だ」
シルフィスの重い言葉がエリンスにものしかかる。
昼も夜もなくなった空の下、魔物たちの襲撃をかわしながらの復旧作業。
黒の軌跡の復旧が、どれだけの被害を生み出したのか。
並ぶテントの数々には、傷つき動けなくなった人も寝ているのだろう。数十人規模の勇者協会職員部隊が動き回って対処に回り、ラーデスア兵たちも魔物への対処に全力を向けてくれている。
「みんな、わたしたちのために」
アグルエが呟いた言葉に、エリンスも頷いた。
シスターマリーも険しい顔をしながら、現地の指揮を執っていたのだろう髭を生やした老兵と会話を交わしている。
エリンスとアグルエは目配せをし合って頷き合い、しかし、そのように落ち着いていられたのも束の間のこと――「大群がきた!」と兵士の声が辺りに響いた。
どすんどすんと響く地鳴りが遠くのほうから響いてくる。周囲に集まっていた狼型の魔物へ対応していた兵士たちも、疲弊した様子は見えるものの緊張感に表情が引き締まった。
エリンスとアグルエが振り返れば、後方に迫るのは魔物の群れだ。雪を蹴り駆け、一目散に簡易テントが並ぶ黒の軌跡を目指して走ってくる。狼型の影、そして、それよりはひと回りほど大きい巨大な二本の牙を持つ全身を茶色の体毛で追おう寒地に適応したイノシシ型の魔物たち。目の色が、空の色のように赤く、エリンスたちのことなど眼前に内容に突進してくる。
どうしようかと戸惑った二人に、しかし、まずは勇者協会の魔導士部隊が先陣を切って前に出た。
地面に手をつき唱えたのは、大地をめくりあげて大きな壁をつくる魔法。
城壁のように聳え立った壁に魔物たちは進路を防がれる。しかし、それでも構わず突進し、壁がところどころ破壊されてしまう。
ただ、そうして進路を絞ったところで、ラーデスア兵たちが剣や槍、巨大な斧といった得物を構えて、一体一体壁から漏れ出てくる魔物を狩りはじめた。
呆然とそんな様子を見やってしまったエリンスとアグルエに、二人の肩をマリーがぽんっと叩いてくれた。
「黒の軌跡は、ひとまず掘り出せたとさ。中まで安全は確認できていないけれどって言ってた」
エリンスはそう笑ったマリーのほうへと顔を向けてから、目の前で繰り広げられている戦いから目が離せず、ただ頷いた。
黒の軌跡に入ることができるならば、それで道は続く。中の安全の確認も、きっと資格を持っているモノにしか行えない特殊な事情があるということだろう。
エリンスたちの目の前では、兵が一人、剣を振るって応戦してくれている。魔物が倒れたのと同時に、飛びかかってきたもう一体の狼型の魔物に腕を噛まれた。「ぐああああ」と悲痛な声が響いて、アグルエが咄嗟に駆け寄ろうとしたが、しかし、そんな二人の前にはレイナルとシルフィスが背中を向けて立った。
「ここは、俺たちに任せておけ」
「息子の手前……かっこつけるつもりもないけどな、二人は、早く、試練へ!」
既に一歩を踏み出していたアグルエもそこで足を止めた。
腕を押さえて倒れた兵をかばうように、協会職員と兵の一人が飛び込んでくる。支え合うように、助け合うように――目の前で今も繰り返される戦いに、二人は思わず顔を見合わせた。
そんな様子を見て、シルフィスは杖を突きながらも腰に差していた剣を抜く。
「腕はなまってないか」
からかうように言ったレイナルも構えの体勢を取っていて、いつでも魔術で戦えるといったような意志を見せている。
「馬鹿が、誰に、言ってるんだ」
シルフィスもにやりと口角を吊り上げて、杖を突きながらも剣を構えた。
呆然としてしまった二人に、二人の肩の上に手を乗せていたシスターマリーも前へと出た。
「そのために、わたしたちがいる。勇者と魔王を、導くために!」
右手を、左手を――宙を掴むように振ったマリーは、その手にどこから取り出したのか、それぞれ剣を握っていた。
「行け、エリンス!」
背中を向けたままに叫んだレイナルに、既に飛び出したシルフィスは剣を振り抜いて魔物を一体斬り裂いた。
エリンスとアグルエは再び手を取り合って、そんな大人たちに「あぁ!」「うん!」と返事を向けて駆け出す。
安心して背中を任せられる。託された想いにこたえられる。
駆ける二人を見守るようにした、周囲にいる人たちの想いまでをも受け取って――二人は黒の軌跡へと続く階段を下った。
◇◇◇
長い階段を下っていくと、次第に光がなくなっていく。段差を踏み外しそうになって、だけど、不思議と転ぶこともない。下っているという感覚はあるのに、踏み出す足が段差を作っているようだ。
エリンスはその妙な感覚に覚えがあった。あれは、白の軌跡と呼ばれた最初の勇者の軌跡を巡ったときのこと。あのときも、長い階段を下って白い空間へと投げ出された。
エリンスはアグルエと手を取り合いながらそんなことを思い返して――ふいに導かれるままに踏み出した足が、周囲の空間を切り裂いた。真っ暗闇を抜け、白い空間へと投げ出される。
転びそうになったアグルエに、エリンスは彼女を受け止めるように腕を出して二人して足を止めた。
勇者の軌跡は、勇者候補生のための場所だと認識していたが――こうしてアグルエも導かれたということは、世界の意志に、その資格があると認められたということだろう。
不思議そうに周囲を見渡したアグルエに、エリンスはたしかな感覚をもってして先を真っすぐと見据えていた。
この場所は――夢の中のあの場所に似ている。
白き炎、黒き炎――世界を創造した意識が混ざり合う場所なのかもしれない。
――「汝らに、黒の試練を与える」
エリンスが考え事をしていたら、空間に声が響いた。
聞いたことがあるようで、だけど誰の声かはわからない、そんな不思議な印象を覚える声だ。それはやはり、白の軌跡で聞いた声に似ている。
アグルエは宙を見上げて周囲を見渡していたが、辺りに人の気配はない。
エリンスは真っすぐと先を見据えたままに、声へこたえた。
「まるで、アグルエと一緒に来ることまで見越していたような言い方だな」
謎の声は、エリンスの言葉にはこたえようとしない。
「まあ、いい……どうせ、俺たちは乗り越えて、その先へ進むだけだ」
ぎゅっと握った拳に、取り合った手にも自然と力がこもった。
アグルエも真っすぐと向きなおして、「うん!」と頷いてくれる。
――「そうか。ならば、こたえてみせよ」
偉そうに語る声に、二人は頷いて――周囲の白い光が収縮するように一点に集まって辺りは真っ暗闇に覆われた。
――「黒の軌跡が見せるは、真実の試練。向き合うべき真実が、汝らへの覚悟を問おう」
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