第291話 『道導』~託された天剣~

 いよいよ決戦の日が訪れた。

 翌日、三月二十日さんのつきにじゅうのひ、早朝。

 空は相変わらずの赤い空で、朝も夜も関係がない。目覚めたエリンスとアグルエは顔を合わせるなり、朝食を済ませて、集合場所となった大聖堂を訪れた。

 既に他の勇者候補生たちは出発した後なのだろう。大聖堂の中はがらんとしていて、しかし、身を縮こまらせるように屈めた銀色の魔竜の横で、見慣れた顔触れが、二人のことを待ってくれていた。

 シスターベールまで頭から被ったシスターマリーに、魔竜の足に腰を掛けるのはマリネッタ。そんな魔竜の足を撫でるメイルムは何か大きな荷物を両腕の中に抱えていて、爽やかに笑いかけるのはアーキスだ。


「お待たせ!」


 エリンスとアグルエが駆けよれば、二人に気づいたそれぞれも顔を上げて手を振った。

「いよいよね」とマリネッタは魔竜の足より飛び降り頷いて、エリンスが「あぁ」と頷き返せば、アーキスも真剣な顔つきで頷いてくれた。


「よく眠れた?」


 マリーがそれぞれの顔を見やって聞く。

 エリンスは困って笑ってしまった。正直なところを言えば「眠れた」ともこたえづらい。

 それは、皆同じ想いだったのだろう。だけど、眠たそうな顔をしているものは一人もいなくて、アグルエが「うん」と頷けば、それぞれもまた頷いてマリーにこたえる。

 マリーにもそんなことはわかっていただろう。ただ、「そう」とだけ優しく頷いてくれた。


「てっきり、もう出発したものかと思っていたけど」


 エリンスが周囲を見渡してそう言えば、メイルムが首を横に振ってこたえた。


「他の候補生たちは、マーキナスちゃんと一緒にもう、ファーラスへ向かったよ」


 それにマリネッタが付け加えるようにして説明を続ける。


「わたしたちは、最後の出発組というわけ」


 マリネッタが魔竜のことを見上げれば、彼女ランシャもまた頷いてこたえてくれているようだった。


「きみたちに、渡すものもあったからな」


 アーキスがふいに一歩近寄ってきて、エリンスの前に躍り出る。「ん?」と首を傾げたエリンスとアグルエに、アーキスは腰に差していた二本の剣のうちの一本を外して、前に出した。

 大層な飾りのついた鞘。刃は納められているというのに、白い輝きが溢れ出るばかりの白き剣。それは、アーキスが勇者候補生ランク第一位、天剣のアーキスと呼ばれるゆえんでもある輝きだ。


「これを、きみに託そうと思って」

「でも、これは……」


 思わず半歩下がって反論しかけるエリンスに、アーキスは首を横に振ってこたえた。


「いいんだ。別に、誰かに言われたわけでもない。これは俺が……天剣グランシエルの持ち主として感じ取った、彼女の意志でもある」


 差し出された天剣に、アーキスは笑ってエリンスのほうへと顔を向ける。

 エリンスもアグルエも、彼が手にしている剣とその顔を見比べて、どうこたえればいいものかと迷ってしまった。

 アーキスの、剣への想いも知っている。その天剣グランシエルが、彼の旅路を――ここまでの戦いを支えてきたことも目の前にして見てきていることだ。


「彼女も、必要とされる時を待っていた」


 ファーラス王国が幻惑に堕ちたとき、アーキスは天剣を手放す決意をしていた。

 そして、エリンスが触れることになった天剣グランシエルは――エリンスにも語り掛けてくれていた。


――『覚悟を示して』


 あの声の正体が――今のエリンスにはわかる気がした。

 ランシャが語った言葉を思い出す。

道導みちしるべ』とは――神の声を聞く神器。

 幻英ファントムは、天剣グランシエルと対を成すと謳われた星剣デウスアビスを手にして、『神の座』へと辿りついた。

 ならばあの声は――神の声。女神ティルタニアの意志が、天剣の中には残っている。


「でも、アーキスは……天剣なしでは……」


 アグルエは心配したように声を零した。

 これから先、アーキスたちにも戦いが待っている。天剣なくしては、その力を存分に振るうことはできないだろう。だけど、エリンスとアグルエが心配したようにアーキスの顔へと目を向ければ、彼は爽やかに笑っていた。


「飛べなくたって、俺には『これ』がある」


 そう言いながらアーキスが左手で持ち上げたのは、腰に差していたもう一本の刀――黒き刀。

 エリンスもその刀には見覚えがあった。七元刀剣しちげんとうけん黒大蛇こくおろち。エリンスとアーキス、二人と対峙した魔族の剣豪が手にしていた刀だ。


「どうやら、こいつを受け継いだのは……そういう運命だったらしい。俺は、また、選ばれたのかもしれない」


 右手に天剣、左手に黒き刀。二本の刃を手にしているアーキスの中で、白き炎の灯が燃え上がったのをエリンスとアグルエは見た。

 目を見開いた二人に、アーキスは目を細めて優しい表情をしながらもゆっくりと口を開く。


「俺は、天剣に選ばれたとき……その声を聞いた。神は、俺を勇者に選んだらしい。だけど、俺はそれが認められなくて、結局、認められない俺にはその資格はなかった……俺がそのことに気が付いたのは、俺の剣に本気でこたえてくれたやつがいたからだ。選ばれたのは、この剣そのものが、『道導みちしるべ』であったからに過ぎないんだ」


 語るアーキスの言葉を、二人は真っすぐと受け止める。


彼女グランシエルは、帰りたがっている。元の場所へ」


 真っすぐと見つめてくるアーキスに、エリンスも真っすぐと見つめ返してこたえた。

 ゆっくりと手を伸ばしてその柄を掴めば、アーキスは柔らかく微笑む。


「いいのか、アーキス」

「いいんだ、エリンス」

「大丈夫なのか」


 エリンスがもう一度問えば、アーキスは「ふっ」と空気を吐いて宙を見上げた。


「あぁ、俺には天剣がなくたって戦えるだけの力があるよ。それに、今ならば彼の想いが、力を貸してくれそうだ」


 エリンスが天剣を受け取れば、アーキスは左手にしていた黒き刀を右手に取った。

 鞘から抜いた刀の刃は、黒く光を放ちながらもアーキスの中にある白き光までをも纏って輝いている。

 魔族の剣豪、覇道五刃が一人だった――ザージアズの想いまでをも、刀が背負っているようだ。そこには魔族の光であったアグルシャリアの想いも、それに付き従った者たちの覚悟まで残っているように、二人の目には映って見えた。


「そっか……」とエリンスが頷けば、アグルエも「うん!」と力強く頷いた。

 エリンスとアーキスのやり取りを横で眺めてくれていたマリネッタとメイルムやマリーも、安心したように笑ってくれている。


「この決戦……絶対に、勝とう」


 アーキスが力強く言えば、エリンスも「あぁ!」と受け取った天剣を腰に差しながら返事をした。

 腰に提げる重みが一つ増えたところで、一歩前に出てきたのはメイルムだった。


「それと、これを預かってるの」


 魔竜の顔を見上げながら口を開いたメイルムに、エリンスとアグルエは顔を見合わせてから彼女が抱えていたモノへと目を向けた。

 高級そうな生地に包まれた何かをメイルムが前に出せば、マリネッタも手伝って包まれた布を取り払い、見せてくれた。


「それは……」


 神聖な癒しの力を感じ取ることができるのは、白い光をやんわりと放つ大きな角だった。

 アグルエが不思議そうに魔竜の顔を見やる。

 エリンスも「もしかして」と思って魔竜の顔を見やれば、魔竜は深い眼差しを閉じて頷いてくれる。

 魔竜の角が一本、半ばより折れていた。

 メイルムがすかさず口を挟む。


「そう……魔竜様の角。ランシャ様が、これをエリンスとアグルエにって」


 どういうことだろうと顔を見合わせた二人に、マリネッタもすかさず説明を付け加えてくれた。


「エリンス、あなたの折れてしまった剣のことを聞いたの」


 エリンスが天剣と加えてもう一本差している願星ねがいぼし

 マリーが打ち直してくれると約束はしてくれたものではあるが、その話はこれから決戦を備えたそれぞれもまた、知ることになっていたのだろう。


「その話を聞いて、ランシャ様がこれを使ってくれって言ってくれて」


 メイルムが二人に向かって魔竜の角を差し出してくる。

 アグルエが受け取れば、魔竜は優しく微笑んだように頷いて、マリネッタとメイルムもまたグッと頷いた。


「魔竜の、角……」


 何か考えるようにやり取りを見つめていたマリーは、アグルエが受け取った角へと手を伸ばして触れた。

 材質を確かめるような手つきに、何か秘められている力までをも感知するようにして、マリーは瞳を閉じる。


「一級品……長く生きてきても、こんなもの見たことない」


 目を見開くマリーに、アグルエは手にしている重さを支えるように両手で抱え込んだ。


「たしかに、これを剣にすることができれば……」


 何か一人の世界へ入り込むように考えて俯いたマリーは、ぶつぶつと言葉を発していたがエリンスたちには何を言っているのかがわからなかった。


「いいんですか?」


 エリンスが魔竜を見上げて問えば、魔竜は「えぇ、使ってください」とでもこたえるように頷いた。

 エリンスとアグルエが顔を見合わせて、「ありがとうございます!」とこたえるとメイルムも柔らかく笑ってくれている。

 それぞれの想いは、一緒だ。決戦へ向けて――想いは一つだ。


「準備はできたか」


 顔を見合わせて頷いた勇者候補生たちに、タイミングを計っていたように顔を見せたのはレイナルとシルフィスだった。

 レイナルはエリンスが腰に提げている天剣を見やってから口を開く。


「話は聞いたか」


「うん」とエリンスが頷けば、察したようにしてレイナルも頷いた。

 シルフィスはそれぞれ勇者候補生の顔を見やってから口を開く。


「作戦がはじまったと聞く。俺らもそろそろ動きはじめよう」


 その言葉に頷いたのは、アグルエから魔竜の角を預かったマリーだった。


「えぇ、そうね……ゆっくりもしていられない」


 彼女の言葉に、それぞれが頷いた。

 エリンスとアグルエに、アーキス、マリネッタ、メイルム。

 ここまでの戦いを共にしてきた候補生たちの進む道も、ここから先は違う。

 決意を眼差しに灯したそれぞれが、それぞれの想いを確かめ合うように頷き合った。


――『この決戦……絶対に、勝とう』


 魔竜の背に乗る三人の候補生を見送って、マリーが展開した転移魔法のゲートの渦の中へと、まずレイナルとシルフィスが足を踏み入れる。

 分かたれた候補生たちの道も、勝利の先で巡り合うことを信じて――エリンスとアグルエも手を取り合い頷き合って、一歩を踏み出した。


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