第288話 残された課題

 エリンスはグラタンを食べ終えて、ようやくひと息吐けた気分だった。

 アグルエが笑ってくれていて、ミレイシアも頬杖をついてそんな二人を見守ってくれている。

 腹ごしらえはできた。ならば、何からするべきなのだろう――と考え俯いたところで、ちょうどレイナルが戻ってきた。


「どうだ、少しは肩の力も抜けたか」

「父さん」


 顔を上げたエリンスに、レイナルと並んでいる男は「ふっ」と不敵に笑った。

 力強い目つきに険しい顔つきながらも、優しさが滲み出るのは昔からだ。腰に差した剣に、引きずるようにした片足、突いた杖。エリンスに剣のことを教えてくれた、シルフィス・エスラインがそこにいた。


「師匠!」


 思わず嬉しくなって立ち上がったエリンスに、シルフィスはうるさそうな顔をしながら「あー」と声を零す。

 レイナルにシーライ村の人が避難していると聞いたときから、シルフィスもどこかにいるのだろうとエリンスは考えていたのだが、こうして目の前にして一層嬉しくなってしまったのだ。


「……もっと、落ち込んだような顔をしているのかと思ったが」


 どこか小馬鹿にするように小さく笑うシルフィスだったが、エリンスの姿を見て安心したようにひと息吐いた。

 心配してくれていたのだろうことがエリンスにも伝わってくる。

 ツキノを失ったと聞いて――シルフィスも五年前のことを重ねていたのだろう。

 エリンスが友であるツキトを失って、悲しみの中にいるときに、剣の道を示してくれたのが師匠であるシルフィスだから。

 五年前、そこに同情の気持ちがあったこともエリンスは知っている。元はエリンスのことを勇者候補生に推薦する気はないと語っていた彼の想いも今となれば、エリンスはわかっている。


「まあ、おまえが元気そうならば、よかったが」


 椅子を持ってきたレイナルに、シルフィスはエリンスの斜め向かいに腰を下ろして杖を置く。

 かつては一線級の剣士として、勇者候補生としても名を馳せた師匠だが、セレロニア公国で騎士となって大怪我を負ってからは剣士の立場は引退している。

 そんなシルフィスだからこそ、エリンスの気持ちをわかってくれるところがあったのだろう。


「落ち込んでばかりもいられないって、そう教えてくれる人が傍にいるから」


 エリンスが横に座るアグルエを見やってそう言えば、彼女も「うん」と頷いてくれる。


「それに、俺の中にはツキノの温もりがまだあるんだ。いつも見守ってくれたそんな感触が……夢の中で、俺にアグルエの決意を見せてくれた」


 エリンスとしても理解できていないところだが、そう話せばレイナルも「そうだな」と頷いてミレイシアの横に座った。


「それには、俺も同感だ」


 レイナルの言葉にエリンスも頷き返す。


「だから、まだツキノのことも、俺は諦めてはいない」


 エリンスが力強くこたえてシルフィスへと向きなおれば、「……そうか」とエリンスの前では見せたことがない安心しきったような表情を見せて、シルフィスは深々と首を縦に振った。


「一人前の顔だ、おまえは。勇者候補生として旅をして、おまえに一番欠けていた事・・・・・・・・を学んだらしい」


 かつての修行の最中でも、決してエリンスが勝つことのできなかったシルフィスが、そう認めてくれたように頷いてくれたことが信じられなかった。

 意識が遠のくような感覚に、だけど、横に座ったアグルエが手を握ってくれる。その温もりがじんわりと胸のうちにまで広がっていくようで、アグルエの顔をちらりと見やれば彼女も喜ぶように笑ってくれた。


「俺に教えられることは、もうないな」


 そう言い切ったシルフィスに、エリンスは向きなおってから首を横に振ってこたえる。


「師匠の剣の教えがあったから……あのとき、しっかり俺にも向き合ってくれたから、ここまで来ることができたんだ」


 エリンスは腰に差していた剣、願星ねがいぼしを抜いて、半ばより折れてしまった剣身を露わにした。机の上に持ってきた剣は、鈍く輝く。

 剣の名前に込めた想いと同時に思い起こされるのは、『神の器』イプシロンとなったクラウエルに敵わなかった悔しい想いだ。


「折れてしまったのか」


 シルフィスは腕を組みながら、エリンスが持ち上げた剣を見つめていた。

「うん……」とエリンスが頷けば、ミレイシアも心配したような顔をしている。


「……剣の本質を引き出せるのは、剣士として磨き上げた己の腕あってこそだ。それが伴わなければ、剣もこたえてくれはしない」


 エリンスはあのとき――クラウエルを前にして、己の力を見誤った。

 敵わないことはどこかわかっていた。力が及ばないことにも気づいていたのに、それでも無理矢理に想いを乗せて、願星ねがいぼしを振り抜いた結果が、これだ。

 剣身を鷲掴みにされ、折られてしまう衝撃。

 手に残った重さと無力さを、こうして今、折れてしまった剣を手にしていても忘れられそうにない。


「剣に、背負わせすぎてしまった」


 エリンスが反省するように零せば、シルフィスも頷いた。


「それがわかっているならば大丈夫だ。おまえの剣士としての心までもが、折られてしまったわけではない」


 顔を上げたエリンスに、シルフィスが力強く鋭い瞳を向けて頷く。

 横に座ったアグルエも眉をひそめて願星ねがいぼしのことを見つめてくれていて、エリンスはもう一度剣を握った手に力を込めた。

 震える蒼い剣身が、薄っすらと白い光を帯びている。

 半ばから折れてしまってはいるものの、剣としての輝きが失われたわけでもない。


「その剣のことも含めて、だ」


 そう話を区切ったのはレイナルだった。


「マリーからの伝言だ。覚悟が決まったら最高責任者執務室まで二人揃って来いと、勇者協会最高責任者代理様がお呼びだよ」


 エリンスとアグルエは顔を合わせてから頷いて返事をする。

 ミレイシアが「後の片付けはやっておくから」と言ってくれて、エリンスとアグルエはレイナルとシルフィスと共に食堂を後にして、再び本棟の階段を上った。



◇◇◇



 サークリア大聖堂、最高責任者執務室。

 かつてマースレンのための部屋であったそこにはまだ彼の名残があって、戸棚に飾られた金銀のトロフィーや勲章が照明を反射してきらりと輝いた。

 真新しい革張りの椅子に腰かけたシスターマリ―は、そんな部屋の空気には慣れない様子で大きなデスクに向かっていて、部屋へ訪れた四人の顔を見やるなりに「はぁー」と大きな息を吐く。

 時刻は既に十四時じゅうよんのときを回っている。エリンスたちが世界会談に顔を出してからおよそ一時間が過ぎていた。


「世界会談はどうなりましたか?」


 エリンスが聞けば、マリーは「うん」と柔らかく笑ってこたえてくれた。


「話も一段落してまとまった。勇者協会も、黒の軌跡の復興とファーラスの防衛に全力を向けて、準備を整えているところよ」


 魔界から帰ってきてから働き詰めなのだろう、マリーは疲れた顔をしていたが、それでもこれから先の戦いのことを見据えたようにして、決意を灯した瞳を輝かせている。


「きみたちが心配しなくてもいい。こちらのことはこちらでやると、そう、あの席に就いた彼らも決めてくれた」


 エリンスも円卓に座っていた各国の重鎮たちの顔を思い出す。

「とは言っても……」とアグルエは不安そうな顔をしていたが、顔を上げたマリーは「さて」と話を切り替えたようにして、真剣な顔をしていた。


「エリンス、アグルエ、きみたちに託すほうの問題が残っているって話よ」


 そうこたえたマリーに、二人についてきてくれたレイナルとシルフィスも真剣な顔で頷く。


「俺らとマリーは、おまえたちのサポートに回ることにした」


 レイナルの言葉にシルフィスも同意するように「そうすることにした」と言葉を続けた。

 エリンスとアグルエが顔を見合わせれば、マリーが話を戻すように進める。


「考えなければいけないことはたくさんあるでしょう。黒の軌跡のこと、あなたの折れてしまった剣のこと、それに……『神の座』」


 クラウエルを前にして、シスターマリーもまたツキノに託されてしまった側の人間だ。

 エリンスが「はい」と返事をすれば、レイナルが補足を加える。


「黒の軌跡については、今全力で事に当たっている。現場の様子から、夜通しで作業を続けて明日までにはどうにかするとのことだ」


 ラーデスア帝国の兵と、勇者協会の職員が崩落してしまったあの場をどうにかしているのだろう。

 勇者の軌跡の周辺では魔物の動きが活発になっているとも聞く。エリンスとアグルエとしても心配にはなったのだが、マリーが力強く頷く様子は、そんな心配を寄せ付けないようなものだった。


「えぇ、だからそちらも、あなたたちは心配しなくていい」


 黒の軌跡に挑めば、エリンスは勇者の軌跡を五つ巡ったことになる。

 勇者の力が定着する――あるいは、白き破壊の炎の力が何らかの形で、完全なものへとなるはずだ。


「五つ目の軌跡……」


 エリンスが呟けば、レイナルも「あぁ」と頷いた。


「それが、魔竜に言われたことでもあっただろう?」

「うん、五つの軌跡を巡れば……それで道が開けるはずだって、ランシャは言っていた」


 今ならばその意味もわかる。『神の座』へ近づく資格を得られるということだろう。

 クラウエルに対抗するためにも必要で、幻英ファントムへ追いつくためにも必要になるということだ。


「残りは、きみの折れてしまったその剣」


 マリーはエリンスが腰に提げている剣を指して話を続ける。


「これからの戦い、想いを宿す力となる剣が必要でしょう」


 クラウエルと戦うにしても、幻英ファントムと戦うにしても、丸腰というわけにはいかないだろう。

 エリンスが頷けば、マリーはグッと瞳に力を込めたようにして頷いた。


「わたしが、『至高の一本』を完成させる」


 鍛冶師リアリスとしての本気の表情を見せて、マリーは言葉を続ける。


「最高の素材に、至高の環境。わたしが折れてしまったきみの願星ねがいぼしを打ち直す」


 角を露わに、赤い瞳を力強く細めたマリーの顔を見て、エリンスは心を射抜かれる思いだった。

 それだけの想いで――彼女もまた、エリンスたちに希望を見てくれていると伝わってくるからだ。


「だけどね、それにも課題があるの」


 ただマリーは、たった一つだけ懸念点があるといったようにして言葉を続ける。


「わたしが剣を打つには、わたしの工房へ辿りつかなければいけない」


「マリーさんの工房?」とアグルエは心配そうに聞き返せば、「えぇ、そう」とこたえたマリーもまた、不安そうだった。


「それってつまり……」


 エリンスにも二人の不安点がわかった。


「魔王城の中、敵陣のど真ん中ってわけだろう」


 レイナルがこたえを口にする。

 マリーは頷いて、デスクに手をついて立ち上がった。


「それに、至高の一本を打つには、エリンス、アグルエ、あなたたち二人の力を借りたい」


「俺たちの力?」とエリンスが聞き返せば、マリーは「えぇ」と頷いた。


「後のことは工房についてから説明するわ。だから、わたしの役目は、あなたたちを黒の軌跡に送り、工房まで同行するところにある」


 サークリア大聖堂からラーデスア帝国領内にある黒の軌跡まで移動するにしても、転移魔法は必要になるだろう。それを含めて『サポートに回る』というレイナルの言葉だったことに、エリンスとアグルエはそのとき気が付いた。

 マリーの目的もはっきりしたところで、アグルエは考え込むようにして口を開く。


「残る課題は……道導みちしるべ


 幻英ファントムが星剣デウスアビスをそうだと呼んでいた。

 ランシャの話にしても、神の声に通ずるような代物でなければならないのだと語っていた。


「あぁ、それについてはこちらで調べてみよう」


 レイナルが頷けば、マリーも「えぇ、今職員に探らせているところよ」と言ってくれる。


「どうにか、なるかな」


 アグルエが心配そうに呟いて、エリンスも「うん……」と頷きながら考えた。

 幻英ファントムが何をしようとしているのか。あまり残された時間もないのだろう。


「時間は、ないですよね」


 アグルエも同じ気持ちだったのか。眉をひそめたままにマリーへそう聞いていた。

 マリーも「えぇ……」と困ったように頷くが、それにはシルフィスが首を振ってこたえる。


「だからといって慌てても最良の選択ができるものでもない。黒の軌跡のことを思えば、動くにしても明日からということになるだろう」


 シルフィスの言葉には、エリンスも同意して頷いた。

 そんな二人のやり取りを見て、マリーもまた取り決めたことを話してくれる。


「えぇ、だから明日、すぐに動けるように準備しているわ。今、マーキナスとディートルヒに各国を飛んで回ってもらって、協力してくれる勇者候補生を募っているところ。一度総本部に集めた勇者候補生たちも、ディートルヒとマーキナスの力で明日には皆ファーラスへ送り届ける」


 世界会談の場でまとまった話なのだろう。

 ファーラス王国を防衛するための戦いはもうはじまっているが、明日一気に戦力を送って、そちらのこともどうにかするつもりらしい。


「勇者候補生たちが、一堂に……」


 アグルエは期待と不安を織り交ぜたような表情で頷いて、そんな彼女の顔を見たマリーがもう一度「えぇ」と頷いた。


「皆、戦ってくれる……」


 アグルエが呆然と呟いた言葉が、それぞれの胸のうちに広がっていく。

 そうしてまとまった話に、二人の胸のうちでも熱い炎が燃えていた。


――決戦は明日。


 エリンスはアグルエの手をそっと取って、二人は力強く頷き合った。

 皆が想いを一つにしてくれているのであれば、二人もただ黙っているわけにはいかない。

 あちらのことを任せたのだ。こちらのことを託されたのだ。

 黒の軌跡に、鍛冶師リアリスの工房。

 クラウエルを止めるためにも、魔界へ再び飛ぶことは必要事項だ。『鍵』を取り返して、『神の座』へ向かうためにも、霊樹の間を訪れる必要がある。


 決意を胸に頷き合った二人の間には、再び黒白の炎が燃えていた。

 そんな温もりを受けて、大人たちもまた、明日の決戦に気持ちを向けていた――。


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