第287話 思い出の味

 会談の場を後にしたエリンスとアグルエは、レイナルに連れられるままに階段を下りていた。

 大きく息を吐いたアグルエに、エリンスも肩に入っていた力が抜けるのを感じて、二人して手を繋いだままに笑い合う。世界会談の場にあった緊張感から解放されて、二人して同じ気持ちだったのだろう。

 だけど、ふとアグルエは繋いでいる手を離した。エリンスはふいに離れた温もりに手のひらを見つめて、赤くなった両頬が落ちるのを抑えるようにしたアグルエへと目を向ける。

 うるうるとした蒼い瞳がこちらを見つめていて、エリンスとしても居たたまれなくなって頬が熱くなるのを感じて顔をそらした。

 数段したより振り返ったレイナルはそんな二人のことを見て笑っていた。


「二人とも、見事に覚悟を示してくれたな」


 そう言ったレイナルに、二人は再び顔を合わせて、同じタイミングで頷いた。


「アグルエの想いは、ずっと眠っている間にも伝わっていたから」

「エリンスの気持ちが、ずっとわたしを支えてくれたから」


 二人してそうこたえたところで、レイナルは「ふっ」と息を吐きながら軽く笑う。それから、耳に手を当てて何やら話を聞くように目を細めた。

 よくよく目を凝らしてみれば、レイナルは耳に何か小型の魔導機械をはめていて、どうやらそこから音を拾っているらしい。

「それは?」とエリンスが聞けば、レイナルは「あぁ」とこたえてくれた。


「マーキナスから借りたんだ。決められた範囲内にいれば、彼女の声を拾ってくれるという物らしい」


 いろいろな魔導機械を扱うマーキナスの開発した私物なのだろう。

 アグルエも不思議そうに目をぱちぱちとさせていて、そんな二人の顔を見たレイナルは続けて話をしてくれた。


「マーキナスから連絡が入った。メイルムちゃんは無事だとさ。マリネッタちゃんが介護のために付き添ってくれていて、目も覚ましたようだ」


 エリンスが胸を撫で下ろせば、アグルエも「よかった」と大きく息を吐く。そのまま身体から力が抜けたようにふらりと倒れそうにもなるものだから、エリンスは慌ててそんな彼女の肩を支えた。「えへへ」と恥ずかしそうにしながらも、気の抜けた笑いをこぼしたアグルエに、エリンスは「はぁ」とやや大袈裟に息を吐いた。

 ようやく、いつも通りに戻れた感じがしたのだ。

 その瞬間、「ぐぅー」と腹の音を鳴らしたのは、いつもならばアグルエであろうが、このときばかりはエリンスのほうだった。


「お腹空いてない? エリンス」


 自分の力で立ちなおしたアグルエが笑いながら聞いてくる。

 思えば、セレナの元から旅立ってから飲まず食わずの魔界の旅だった。魔界から帰ってきても、何か食べた記憶もなく眠っていたところだ。腹も減るだろう。


「空いてるかも」


 アグルエにそう聞かれることが妙に恥ずかしくて、エリンスは頭をかいて返事をする。


「とっておきの、準備があるんだよ」


 頬を赤くしてにこりと笑うアグルエに、エリンスとしては何のことだか話が読めない。

 ただ、レイナルが二人の話をまとめるように口を挟んだ。


「まあ、そう焦っても解決してくれることばかりではないだろう。ゆっくり休むのも、今は大事だ。腹ごしらえをするもよし、メイルムちゃんとマリネッタちゃんのところへは後で顔を出すといい」


 元よりレイナルもそのつもりだったのか。会議室を後にした理由を聞くことはできなかったけれど、二人に休む時間が必要なこともわかってくれていたのだろう。

 三人は足並みを揃えて食堂へと向かった。



◇◇◇



 三人が食堂へ顔を出せば、勇者協会の職員や、避難してきたのだろう人々で溢れていた。

 驚いた顔をした二人に、レイナルは食堂の片隅の空いた席まで案内してくれて、今の勇者協会を取り巻いている事情を説明してくれる。

 シーライ村や、各国の一部の人たちは、マーキナスの協力を受けてこの勇者協会総本部サークリア大聖堂まで避難をはじめているのだという。エリンスが考えていたよりも世界を襲っている危機は深刻な事態へと進んでいるようだった。

「じゃあ、母さんとか師匠も?」と聞き返したエリンスに、「そうよ」とこたえたのはレイナルではなく、両手にミトンをはめて熱々のグラタンを盛りつけた皿を運んできたミレイシアだった。


「母さん?」


 振り返ってこたえたエリンスに、ミレイシアはエリンスの横に座っていたアグルエと目を合わせてにこりと笑う。

 二人のアイコンタクトを目で追ったエリンスはその意味を理解できずに、だけど、アグルエが先ほどからずっとウキウキとしていた理由にも気が付いた。ミレイシアと何か準備をしていたのだろう。


「アグルエちゃん、ちょうど焼き上がったわ」

「本当ですか!」


 飛び跳ねるように立ち上がったアグルエは、ミレイシアが手にしていた熱々のグラタンを、瞳を輝かせて見つめている。

 いつもならば我慢ならずに飛びつきそうなものなのに、と思ったところで。ただ、このときのアグルエの期待の瞳はそういった意味合いではないように、エリンスからも見えた。

 そうして、ミレイシアは手にしていた皿をエリンスの前に並べた。

 底が少し深くなった楕円形の皿に盛られているのは、ぐつぐつと熱を上げるホワイトソースの海、とろけたチーズが絡まりついて、芋が沈んだポテトグラタン。沸き上がる湯気に香ばしさが乗って、エリンスの鼻へと抜けていく。

 懐かしい香りだ。その匂いだけで、小さい頃より母親が作ってくれたグラタンの味をエリンスは思い出すことができる。


「俺はちょっと、用事を済ませてくる」


 そう言って立ち上がったレイナルを見送って、代わりに二人の前の席にはミレイシアが腰かけた。

 アグルエが「はい!」とフォークとスプーンを手渡してくれて、エリンスはきょとんとしたままにそれを受け取った。

 てっきり自分も食べたいと言い出すものだと思っていたところで、アグルエは「ふふふん」とどこか得意げに笑って、エリンスが食べるのを待っているようだった。


「食べてみて」


 向かいに座ったミレイシアに促されて、エリンスは緊張の面持ちでスプーンをホワイトソースの海に差し入れた。

 掬い上げたごろりとしたほくほくの芋に絡まってとろーりとチーズが糸を引き、広がる香りは一層膨らんだ。

 横で見ているアグルエの視線もよりきらきらと輝いていて、食べたいのを我慢しているのだろうことまでエリンスにはわかってしまう。それがおかしくて、だけどそんな想いまで飲み込むように、ひと口ぱくりとスプーンを口まで運んだ。

 口の中に広がったのは、エリンスも想像していた通りの母親の味、いつも食べるクリーム仕立てのポテトグラタンの味だった。

 芋はさすがにシーライ村産の物を用意できなかったのだろう。だけど、それでも味には申し分などない。上に乗っている小エビは、母親がたまに「今日はお祝いだから大奮発!」と港町まで買い出しにいったときに用意してくれた、誕生日や記念事のときの特別製だ。

 口の中に広がった味わいに、そんな思い出までもが蘇る。


「おいしい」と、ぽつりとこぼしたエリンスに、「よかったー!」と嬉しそうに頷いたのは横に座るアグルエだった。

 エリンスは目を丸くしてアグルエの顔を見やって、にこにこと机に頬杖をついているミレイシアの顔を見やる。

「どういうこと?」と口に出さなくとも、エリンスの言いたいことを理解したかのようにミレイシアは頷いてこたえてくれた。


「今日のそれはね、アグルエちゃんが手伝ってくれたの」

「アグルエが、料理を?」


 エリンスが聞けば、アグルエは「えへへ」ととろけたように笑う。


「そう、寝坊助ねぼすけなエリンスのことを想って、作ってくれたんだよ」


 ミレイシアにそう指摘されて、エリンスとしては返す言葉もなく。ただ、嬉しさと恥ずかしさを誤魔化すようにもうひと口を掬って口へと運んだ。


「うまい」

「よかった!」


 自然と笑みがこぼれてしまう。

 旅の最中では考えてもみなかった彼女の作ってくれた料理の味に、エリンスの横でそれを眺めていたアグルエもにこにこと笑っている。

 エリンスは手にしていたスプーンを置くと、机の上に用意されていたもうひと組のスプーンとフォークを手に取ってアグルエに渡した。


「食べてみてよ、母さんの味だ」


 アグルエは戸惑ったように困った顔をしていたけれど、にこりとミレイシアが笑えばエリンスからスプーンを受け取って、我慢ならないといったようにひと口運んだ。


「おいしいっ!」


 赤くなった頬を落としそうなほどに「んー!」と悶えて足をバタバタとまでさせたアグルエに、エリンスは笑ってしまった。

「そう言ってもらえてよかったわ」と笑ったミレイシアに、アグルエはゆっくりと味わってから、「はい!」と元気に溢れた様子で頷いていた。


 世界会談の場で覚悟を示したアグルエに、エリンスは少し心配もしていた。

 魔王として、あの場に立つことの意味をエリンスもよくわかっている。

 これからの戦いのことを思えば、必要なことだっただろう。だが、アグルエもまた、家族を失ったばかりなのだ。魔界で起こったことを考えれば、アグルエの想いも図れてしまう。父である魔王アルバラストを失い、兄も失った。

 だけど、そう笑っているアグルエを横で見て、エリンスは改めて思いなおす。


――大切な彼女が、そう笑っていられるように。もう、泣かせたりはしない。


 ぱくりとポテトグラタンを口に運べば、思い出の味と共に、強い決意が胸のうちに広がっていく。

 アグルエは「ん?」と、そう見つめていたエリンスのほうへと顔を向けて首を傾げたが、エリンスは笑いながらもうひと口頬張った。


「本当に、おいしい。また、アグルエの料理を食べたい」


 エリンスがそうこたえれば、恥ずかしそうにアグルエが顔を赤くして俯いてしまう。それを見ていたミレイシアは「あららぁ」と楽しそうに笑っていた。

 改めて考えれば、恥ずかしくもなるようなことを言ったのかもしれない。

 だけど、それが当たり前になる未来がくればいいな、とエリンスは思って、彼女と母親が作ってくれたグラタンを平らげた。


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