第284話 聖女が語る真実
エリンスとランシャは再び大聖堂を横断し、会議室や執務室のある本棟へと向かった。
二人が階段を上れば、慌ただしく階段を駆け下りていく職員とすれ違って、勇者協会もこの非常事態のうねりに呑み込まれているのだと、改めて思わされる。
そうしてエリンスたちは本棟の三階まで上がった。会議室や執務室が並ぶ扉の前を、ランシャは迷うことなく真っすぐと進んでいく。エリンスも何度か足を運んではいるところだが、その階層だけは勇者協会総本部の中でも、普段の空気ともまた違う重苦しい緊張感に包まれていた。
廊下を駆ける職員の姿もなければ、代わりにいるのは剣を携えた近衛兵らしき人らや武装した勇者協会の職員たちだ。いわゆる要人の護衛についているような者。
世界会談――と聞いたことを思い返して、エリンスも思い当たった。世界各国の重鎮たちが集まっているともなれば、警備も厳重になるのだろう。
ファーラス王国の白い鎧を着込んだ兵もいれば、ラーデスア帝国の黒い鎧を着込んだ兵もいる。中にはエリンスの見知ったセレロニア公国の執事らもいたが、何やらあちらも話し込んでいる様子で声をかける暇もなかった。
エリンスは先を歩いたランシャの後をついて歩く。
大きな厚みがありそうな二枚扉の部屋へ近づけば、そこはより一層警備が強化されているような緊張感に包まれている。槍を構え鎧を着込んでいる勇者協会の職員が二人立っていて、近づいたエリンスとランシャのことを怪しむような視線を向けてきた。
「何用だ」
だが、ランシャは怯むこともなくローブのフードをかぶったままに顔を上げた。
「我が名は聖女ランシャ・スターンス。勇者を導き、ここへきた」
薄っすらと白い光を放つアンバー色の瞳を真っすぐと向ければ、職員はその名に怯んだように半歩下がった。
ランシャの全身からは白き炎のオーラが溢れ出ている。
たったひと言の重圧で、職員たちはただならない雰囲気に驚いたのだろう。
冗談を言っているようにも聞こえない。かと言って危害を加えるような気配もなく、嘘偽りを口にしたようにも聞こえない。
ランシャが全身から放つ白き炎の光には、安心するような温かさがある。まさに神々しいと言い表すのが正しいようなオーラがある。
怯んだ職員を制するように腕を前に伸ばしたランシャは、そのまま有無も言わさずに大きな二枚扉へ触れ、開け放つ。口を噤んで見守ることしかできなくなった職員の間を抜けて、エリンスもそんな驚きに見開かれた職員の顔をうかがってから後を追った。
その扉の向こうに待っていたのは、騒然とする世界会談の場だ。
大きな円卓を囲むそれぞれの顔に、大会議室へエリンスとランシャが足を踏み入れれば、膝をつくリィナーサとそれに寄り添うアグルエの姿が視界へ飛び込んできた。
「エリンス!」
事態がどうなっているのかはわからなかったが、心配そうに屈んでいたアグルエと
全身傷だらけとなったリィナーサの姿を見れば、ただ事ではなく、話が進んでいたのだと理解できた。
そこにエリンスたちが乗り込んだ形になったのだろう。二人の登場に驚くような素振りを見せた各国の首脳や父レイナルの顔も見つけて、だけどエリンスは、そう名を呼んで顔を上げたアグルエへ真っ先にこたえた。
「起きるのが遅れた、ごめん、アグルエ。アグルエの想いは、俺の胸にも届いてる」
アグルエはリィナーサに肩を貸しながら立ち上がり、満面の笑みを浮かべて「うん!」と頷いてくれる。リィナーサも困ったように笑っていて、しかし、口元からは血を吐き出してしまう。
アグルエが手元に黒き炎を浮かべて治癒魔法の詠唱をはじめたのを確認して、エリンスはその先、円卓についているそれぞれの顔を見やり、一番奥の席で腕をついていたシスターマリーへと目を向ける。
「起きたのね、エリンス……」
マリーはひと言安心したように息を吐いたが、目を見開くようにしてエリンスの横に並んだランシャへと目を向けた。
円卓の外の席には座っていたマリネッタの姿もあり、彼女はそうして立っているメイルムの姿に驚いたように目を丸くしていた。
「それに、彼女は……」
角を露わにしているマリーの姿に、今、この場で何が話し合われているのかもエリンスは既に察している。そして、マリーもまた、隣にいるメイルムを見てなにかを察したように頷いた。
ランシャはメイルムの身体で、静かな足取りのままに、しかし堂々たる白きオーラを放って円卓へと近づいた。そうして、マリーの横の空席の傍に立ち、集まっている人々の顔を見渡してから口を開く。
「わたしは、ランシャ・スターンス……二百年前、勇者と共に戦った者。そして今は、魔竜として、この世界の巡りを見守る立場にいる者。今は、この子……勇者候補生たる一人メイルム・ミシロウルの身体を借りて、この場に赴きました」
真っすぐと立つランシャに、それぞれは視線を向けたままに、ただでさえおかしな空気に包まれていた大会議室全体がざわざわとどよめき立った。
「魔王の次は、聖女か」
円卓へ手をついて呆然と立っていたファーラス国王、ドラトシスが呟く。
その間にもリィナーサへ簡単な治癒魔法をかけていたアグルエは、彼女を近くの椅子に座らせるとエリンスの横に並んだ。
ちらりと合わせた視線に、アグルエは嬉しそうに目を細くして頷いてくれて、エリンスも改めて、グッと力を込めるように頷き返す。
二人も共に、マリーの横の空席の位置まで歩いて寄った。
ランシャの魂を宿したメイルムに、エリンスとアグルエも横に並んで、そうして並んだ三人のことをマリーも神妙な面持ちで見守ってくれている。
呆然としたようにしたドラトシスも、ふらりと椅子に座って、ランシャの言葉を待っているようだった。
――やはり、夢じゃないのか。
エリンスは眠っている間に見た光景と、目の前の光景が一致したことに気がつく。
アグルエは決意を示すために、頭を下げてこの場に魔王として立っていた。あれは、夢じゃなかったのだ。
「わたしが知っていることを、全てこの場で話しましょう。かつての勇者が、何を想って戦ったのか。その意志を継いで、わたしたちが何を残したのか。その真実を――」
そうしてランシャは、その口で人々へ向かって語りはじめた。
「勇者と呼ばれた彼が持っていた力は、人が誰しも持っていた可能性の力であった」
それは先ほどエリンスにも話してくれた白き破壊の炎のことだろう。
「二百年前、アルクラスアは神を造る研究をしていた。この世界を巡っている力に近づけば、無限の
人々はただ黙って、聖女が語る言葉に耳を傾ける。
「白き破壊の炎と呼ばれる力は、生を受けた人間全てが持っている小さな灯だった。黒き創造の炎と呼ばれた力は、魔界にて魔王と呼ばれる一族が守る大きな灯だった。そうした命の循環の中にだけあるものだった。二つの相対する力は、世界を創った神が、人界と魔界、リューテモアとリューテラウを繋げるために……この世界を守るため、巡らせるために残しただけのモノ……それを一つに戻してしまえば、
世界は破壊され、世界は創造される。
この世界は、そうやってできている。
「魔王は、そんなアルクラスアの研究を止めるために魔界からやってきた者。勇者は、その魔王の想いと共に戦った人間。わたしとデイン……デイン・カイラスは、そんな勇者に寄り添って共に歩いた者。激しい戦いの末、アルクラスアの野望を止め、二つになりかけた力を元に戻すことには成功したのです。しかし、その際、人々の中に流れていたはずの白き破壊の炎の力は、勇者の中で一つになってしまった。勇者はそれ以上、過ちが繰り返されることを恐れ、魔王との約束の果てに、姿を消しました。そして、残された白き破壊の炎の力は、勇者の力として、語り継がれることになった」
勇者と魔王の約束が、どのように交わされたのか――それはまだ、エリンスも知らない。
「わたしは、世界の流れを守るため、魔竜となり生き続けた。デインは、勇者と魔王の約束を引き継ぐために勇者協会を設立し、この大陸の玄関口となる港町を興した。勇者一人を犠牲にして守ったこの世界を守るため、その想いを継いだのが勇者協会だった。『勇者と魔王の約束』は、二人の間に交わされたもの……どうして、勇者が魔王を討つべきだと決められたのかは、わたしにもわかりません。しかし、同じ過ちを繰り返さないためにも、二百年前にあった真実を『禁忌』とし、隠す必要があった。決して、二つの力を一つに戻してはならない――だから、勇者と魔王が、相対し続ける世界が必要だったのかもしれません」
それが、真実が隠された理由だ。
「そして、勇者協会にはもう一つ、役目があった。人々から奪われ、『勇者の力』として一つにまとまってしまった白き破壊の炎を、元の巡りに戻す必要があった。だから、その力を継ぐ者を『勇者候補生』と選定し旅をさせ、勇者の軌跡と呼ばれる
勇者協会が創設された理由でもあったのだろう。
勇者候補生は、勇者の贖罪を背負って旅をする。
この二百年、そうして人々は巡って、繰り返した。
「本来であれば、あと数百年……巡りを繰り返すことで、勇者協会も役割を終えるはずだった」
ランシャの言葉を――真実を、大会議室に集まったそれぞれはただ受け止めている。
だが、そう語り続けたランシャは苦しそうな表情を浮かべた。
「うっ」
胸元を押さえたランシャが、机に肘をつく。
アグルエが慌てたようにランシャの肩を支えて、エリンスも心配になり声をかけようかと手を伸ばそうとして。
「だ、大丈夫」
しかし、ランシャは顔を上げなおして首を横に振る。
「もう一つ、話しておかなければ……わたしにも、もう、こうして話ができる時間は残されていない」
真剣な顔つきで、彼女は話しを続けた――。
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