第282話 目覚めた〝聖女〟

 静かに歩くメイルムの姿をしているランシャの背中を見つめて、エリンスはただ黙ってその後をついていく。

 勇者協会の中は慌ただしく人が行き来していて、そのように医務室を出た二人を気に留めるような余裕はなさそうだ。事態がもう動きはじめていることにも、エリンスは実感が湧いてくる。

 ランシャは勇者協会総本部の様子を気にした様子もなく、大聖堂を抜けて外へと出て、裏手に回っていく。


 赤い空に黒紫色の雲。

 胸がざわざわと騒ぐような落ちてくる不気味さに、エリンスの目が留まり、足も止まった。

 ランシャもそうしたエリンスのことを気にしたようにして足を止め、振り返る。


「この空の色は……」


 エリンスが聞けば、ランシャはこくりと頷いた。


「何が起こっているかは、あなたも考えている通りです」


 既に幻英ファントムが動きはじめているということだろう。

 エリンスはランシャの目を見て頷き返すと、ランシャは再び振り返って歩きはじめた。


 丘の上に建つサークリア大聖堂の裏手は、やや高台となった崖になっている。その先にははじまりの街――ミースクリアの街と、アルケーリア大平原が広がっていて、雄大な大地と大きな街が見渡せる。

 そんな丘の頂上に聳えた大きなごつごつとした白色の岩の横で、銀色の竜が寝そべっていた。翼の傷もすっかり癒えたのか、しかし、二人が近づいたところで魔竜は目を覚まさない。

 ランシャは魔竜の身体を撫でた。


「もう、傷は?」


 エリンスが眠る魔竜の元へ近づいて聞けば、ランシャは「えぇ、すっかり」とこたえてくれた。


「俺らは……あなたに助けられた」


 魔竜の背に乗ってラーデスア帝国へ乗り込んだあの戦いも、つい先日のことだというのに懐かしく感じてしまう。


「いいえ、当然のことをしたまでです」


 ランシャはエリンスに向き合って静かに言葉を続けた。


「わたしも、想いを継いだ者として……こたえなければいけなかったから」


 そうこたえたランシャが右手を前に出せば、その手のひらの上には白き炎が燃えていた。

 エリンスは驚き目を見開き、そして、そのまま手に灯している白き炎を見つめるランシャへ問う。


「……勇者の力か。聖女である、あなたまでもが」


 それはエリンスの胸のうちに灯っている炎と同じもの。

 ただ、エリンスがそう聞いたところで、ランシャは首をそっと横へ振った。


「勇者の力とされた白き破壊の炎は……別に、勇者のものであったわけでもありません」


 それが話したいと言っていたことなのか。ランシャはそのまま説明を続けた。


「黒き創造の炎は、魔界の地で、魔王に引き継がれるものでした。しかし、白き破壊の炎は、人間が神より引き継ぎ、人々の間に流れ続けていたものであったのです」

「……誰もが持っていた、と?」

「えぇ、二百年前までは。人間は、誰しもがこの灯を持っていた」


 二百年前までは――今は、そうではないということだ。

 白き炎の力は、勇者の力として、勇者候補生が継いでいる。


「その通りです。人々の間に流れた白き炎は、二百年前のあの事件を機に、一つになり、本来の機能を取り戻した」

「それが……勇者だったと」

「えぇ、そうしなければアルクラスアを止められなかった。人の間に巡っていた白き炎を一つにしたことで、人界を巡っていた魔素マナの流れが変わってしまった。ゆえに、世界は歪んでしまったのです」

「それが、ロストマナの真実なのか?」

「そうです。アルクラスアが膨大な魔素マナを消費したのは事実ではあります。しかし、それだけでは世界が歪むほどではなかった。魔素マナを消費した大地、一つに集められた力、双方の作用が、今のこの世界を創り出した」


 だから……『贖罪』なのか――とエリンスは納得した。

 勇者がどうして罪を背負っていたのか。

 人々から、奪ってしまったからだ。

 正しく巡っていた世界のカタチを。人々が宿していたはずの灯を。


「しかし、あのときアルクラスアを止めていなければ、世界が滅んでいたのも事実。勇者と魔王は、だから……この二百年も含めて、共に戦っていたのです」


 二百年前の戦いで勝利した勇者と魔王は約束をし、今の世界を守った。そこまではエリンスも知った真実だ。


「勇者と魔王は、何を約束したんですか」


 エリンスが聞き返せば、しかし、ランシャは首を横に振る。


「それは、わたしの口からは話せないことになっています。しかし、その約束を守るために、わたしも勇者と共に、贖罪を背負った」


 やはりか――とエリンスも納得して頷いた。そして、そんなランシャの覚悟をも受け止める。


「二百年前、勇者と魔王と共に空を翔けた魔竜は、その戦いの中で命を落とした。わたしは、この世界を守るために命を懸けて、魔竜となり生き続けることにした」

「それがあなたの勇者と共に背負った、贖罪だった」

「えぇ、そうです。それは、わたしにしかできなかったことですから」


 人の身を捨てて、世界を巡る概念の一つとなる意志――。

 キリリと瞳を見開きメイルムの姿となって頷いた彼女の影に、かつての聖女ランシャの影が重なるようだ。

 ただ、彼女はそう言い切ったところで、手の上に浮かべていた白き炎を掴むようにかき消した。


「あなたにも……あなたにしかできないことがある」


 そうしてからランシャは、エリンスの胸元を指差して言葉を続ける。


「あなたの中にある二つの白き炎は、世界の歪みを正せる唯一の可能性です」


 そう改めて言われて、エリンスは胸元を右手でぎゅっと握った。

 父であるレイナルからも言われた言葉だ。


「この、二つの白き炎が……」


 勇者が残した力と、ツキノから受け継いだ力。紡がれた想いはここにもある。

 そう俯いて考えたエリンスのことを見つめるようにして、ランシャは白く光る瞳を向けてこたえてくれた。


「黒と白、創造と破壊。相対する二つの力こそが、神がこの世界を創った根源たる力です。神の叡智、星の力なんて呼ばれることもありました」


 しかし、エリンスが持っているツキノから受け継いだ白き炎は、この世界を創ったその二つとは別のものであろう。ツキノもそのことについては話せなかったようだが。


「あなたが持っているそれは、ツキノと名乗った彼女が元いた世界を創った根源たる力なのでしょう」


 白き否定の炎――ツキノは外界の神として、その力を持っていた。


「彼女も言っていたでしょう? この世界に流れ着いた身だと」


 エリンスが肯定する意味で頷けば、ランシャも頷いて説明を続けてくれる。


「アマハラノツキノは、どこか別の、似たような構造をした世界からこのリューテモアに流れ着いた。その世界には……たとえば、『黒き肯定の炎』なんてものもあったのかもしれません」


 どこか別の世界の話だろう。しかし、相対する力こそが世界を創造しえるものであるならば、そうなのかもしれない。


「二つの炎には近しい場所で引かれ合う特性があります。それがちょうど、二百年前……アグルシャリア・イラと彼女の間にあった出会いなのかもしれません」


 ランシャの推測も含まれる話ではあったが、エリンスとしては納得もいく話だ。

 その力が巡り巡って、今は、ここにあるということだ。


「次元を超えてやってきたものではありますが、しかし、それはわたしたちにしても好機なのです。星の力を呑み込んだ『神の器』にも、唯一対抗しうる力です」


 改めてといった調子で、ランシャはエリンスに向けてそう言った。


「どうすればいい……俺は」


 そんなツキノの力と想いを継いで、ここにいるのだ。目覚めた今、エリンスはここで立ち止まるつもりもない。

 覚悟を持ってそう聞き返せば、ランシャは静かに頷いた。


「ここからが、あなたに話したかった本題です」


 言葉を区切ってひと息吐いたランシャは、エリンスが息を呑むのを待つようにしてから言葉を続ける。


「かつて魔王アルバラストと約束をした勇者は、『鍵』と『道導みちしるべ』を手に、『神の座』へと向かいました。『鍵』は、霊樹より創り出されたもの。『神の座』への扉を開くために必要です。二百年前は、霊峰の聖域に封印されていました。『道導みちしるべ』は、神の声を聞く神器。かつて勇者の剣として持っていた彼の剣は、それに値するものでした」


 後を追うのであれば、エリンスにもそれらが必要になるということだ。

『鍵』は、あの場に置いてきてしまったままであろう。だとすれば、クラウエルが握っているかもしれない。

道導みちしるべ』は――どうすればいいか、すぐには思いつかなった。

 幻英ファントムは、神々の時代からこの地に遺されていたであろう星剣デウスアビスをそうだと言っていた。

 こうしてランシャが話してくれるというのならば、何か方法はあるはずだ。


幻英ファントムは……『道導みちしるべ』にデウスアビスを使っていた。そういうものが他にも残されていると?」


 エリンスがそう聞けば、しかし、ランシャは考え込むようにして、まるで理解できていないかのように首を傾げた。


「ふぁんとむ?」


 まるで初めて聞いた名前だと――そこまで全てのことを、エリンスが知らなかった真実ですら話してくれたランシャが、そう聞き返してきた。


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