第276話 託されたものとして

 空いた食器も全て片付けてもらえたところで、アグルエとマリネッタは横に並び席につき、レイナルとミレイシアはその向かいに座った。

 アグルエは改めてそれぞれの顔を見やって、また涙が溢れ出しそうになってしまう。だけど、そっとマリネッタが手を取ってくれて、その温もりにハッと顔を上げた。

 優しく微笑んでくれたミレイシアの顔を見て、アグルエは言った。


「どうして……お母様まで、ここに?」


 そう聞けばレイナルとミレイシアは顔を合わせて頷き合って、ミレイシアが「そうね」と頷いてくれた。


「わたしが説明するより、あなたに全て任せるわ」


 レイナルは少しこたえづらそうに頭を押さえたものの、アグルエとマリネッタが真っすぐとその顔を見つめていれば、「仕方がない」と覚悟を決めたようにして顔を上げる。


「アグルエちゃん、魔界あっちで何があったかは聞いたよ」


 やはり知られてしまっているのだろう。彼女のことは、レイナルにも無関係ではないのだから。

 ツキノの身に起こったことが、何もエリンスとの間にあった契約だけの問題でもないことに、そのときはじめて気がついた。

 アグルエは顎を引いてぐっと息を呑み、「はい……」と頷く。


「ツキノさんが、魔界で本来の力を取り戻したから……」

「あぁ、そうだ。カミハラの森からは、いなくなった」


 彼女にどういった制約が課せられていたのかはアグルエにも詳しいところはわからない。だが、魔界で二人を守るために力を解放した瞬間、セレロニア公国で幻英ファントムに襲われたときにレイナルの横でそうしたときとは少し違う力の流れがあった。それくらいはアグルエにも感じ取れたことだ。

『契約破棄』――すなわち、課せられていた制約も全てなかったことにしたのだろう。

 アグルエが納得して頷けば、レイナルも話を続けた。


「シーライ村は、結界装置に頼らない特別な結界の元に守られていた。それがまあ、カミハラの森の加護だったわけだが」

「それが、ツキノさんが『カミハラを守りし者』と呼ばれていた理由なんですね」

「その通り。ツキノが消えた今、カミハラの森を覆っていた結界も消えたわけだ」


 そうなってしまえばどうなったかは、アグルエにも想像がつく話だ。


「森の中に閉じ込められていた魔物も巡廻地リバーススポットのあの地に影響されて、動きが活発になり、村が襲われた」


 ミレイシアは少し疲れたような顔をして「そうなってしまったわね」とため息を零す。

 アグルエが「そんな……」と口を両手で覆ってこたえれば、マリネッタも心配したように話の続きを待っている。


「幸い、人が死ぬような大きな被害は出なかった。シルフィスやミレイシアが戦ってくれたおかげでな」


 レイナルが横に座るミレイシアへと顔を向ける。するとミレイシアは呆れたように笑った。


「もう、来るのが遅いんだから。わたしとシルフィスが必死に戦っている間に、久々に帰って来るものだから、幽霊でも出たのかと思ったわ」


 酷い言われようだと思ったけれど、レイナルは「言い訳もしようがない」といったように目を伏せて笑った。

 にしても、レイナル自身がシーライ村へと向かったというのならば、転移魔法を用いたのだろう。勇者協会が協力したということだ。

 アグルエが考え込んだ顔をしたことにも気づいたようで、レイナルは顔を上げた。


「マーキナスに協力してもらってな。村の人全員をここに連れて来たってわけだ」


 勇者協会総本部であるサークリア大聖堂であれば、大勢の人が寝泊まりするにも困らないだけの場所を用意できる。それは妙案だとアグルエも思った。


「エリンスの師匠さんも?」

「あぁ、どこかにいるだろう」


 シルフィスもいるのならば、エリンスが目を覚ませば喜ぶかもしれない。

 ただレイナルがそうこたえてくれたところで、アグルエはそう軽くも考えていられずに肩を落とした。


「でも、村は……」


 レイナルは首を横に振ってこたえてくれる。


「何も、きみらのせいではない」


 アグルエがツキノのことを気にかけていることは、レイナルにも十分に伝わっていたのだろう。


「ツキノも、ずっと覚悟は決めていたみたいだったしな。エリンスが、きみを追って魔界へ向かうと言い出したとき、あいつは真っ先にエリンスについていくと宣言した。そのときに俺は思ったよ。あぁ、ツキノもけじめをつけようとしているんだろうな、ってさ」


 アグルエが人界にいなかった間の話だ。

 エリンスがそう想ってくれたことは嬉しい。ツキノがそれに寄り添ってくれていたことも頼もしい。だけど、頼ってはいけなかった。

 アグルエが机の下でぎゅっと拳を握れば、横に座るマリネッタは心配そうに顔をのぞいてくれていて、アグルエは困った笑いを返して顔を上げた。


「ただ、迷い続けていたのも事実なんだろうな」


 レイナルはどこか遠い日のことを思い出すように、上を向いて呟くように言葉を続ける。


「エリンスに、アグルエちゃんに、きっと背中を押されたんだろう、あいつも」


 最期に見せた横顔――アグルエの脳裏にはっきりと刻まれているツキノの想い。

 頼ってはいけなかったことだけれど、ツキノが戦う覚悟を二人が支えたのかもしれない。全てをその背中に託してしまった側のアグルエたちがそう言ってしまえば、綺麗事のように聞こえてしまう。

 ただ、アグルエはそうだったのだと信じたかった。

 誰よりもツキノのことを理解してくれているだろうレイナルがそう言ってくれることが、救いでもあった。


「はい……エリンスと一緒に……彼女の想いを受け取りました」


 アグルエが下唇を噛み締めながらそう言えば、レイナルは「ふっ」と目を細めて優しく笑ってくれた。

 そして、「それに」と言葉を続けてくれる。


「まだ、あいつが死んだと決めつけるのは早い。なんて言ったって、外界に逃げてくるほどの力を持つ元神だ。ひょっこり戻ってくるんじゃないかってさ……俺は……そんな気がするんだよ」


 気休め程度の言葉ではあったけれど、レイナルがそう笑ってくれてアグルエも「……はい」と頷いた。それも、綺麗事のような淡い希望ではあるけれど、そうだったらいいなと信じたかった。

 そう考えれいれば、自然と力がこもっていた口元からも力が抜けていく。


「エリンスは……」


 続けざまにアグルエが聞けば、レイナルは「あぁ、顔は見てきたけどな」と頷いて、横に座るミレイシアへと目配せした。

 ここからの話は頼んだよ、とでも言いたげな二人の間にあったアイコンタクトに、アグルエは呆気にとられる。


「まだ寝ていたわ。疲れ切った顔をしていたけれど、あの子、どこか成し遂げたような涼しい顔だった」


 ミレイシアが慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべていて、アグルエは目を見開いたままに固まってしまう。

 何か気持ちを見透かされたような想いで、アグルエはそんな母の優しさに包まれるように、呆然としたままにこくりと頷いた。


「契約破棄は、ツキノが一方的にしたんだろう?」


 レイナルが補足するように口を出してきた。

 あのときに見たことをそのままに思い返し、アグルエが「はい」と頷けば、レイナルも納得したように頷いて言葉を続ける。


「ならばエリンスの身体にも負荷がかかっていたのだろう。契約自体はエリンスに引き継いだ後だったしな。ただ、心配はいらない。時機に目覚めるさ」


 アグルエがもう一度「はい」と頷くと、四人が腰かけていた席へ、パタパタと駆け寄ってくる協会職員の女性が現れる。


「レイナルさん、準備が整ったようです」


 勇者協会職員を示す白地に赤い刺繍が刻まれるローブを着込んだ女性がそれだけ言うと、レイナルは顔を上げて「わかった」と頷き席を立った。


「悪いけど話はここまでだ。後は……ミレイシア、頼む」


 レイナルが彷徨わせた視線をミレイシアへと向けると、彼女は「はぁ」とわざとらしいため息を吐いて「わかったわよ」と頷いた。

 女性職員とレイナルが席から離れて廊下のほうへと向かって行く。その背中を見つめて、ミレイシアは言葉を発した。


「あの人はいつも、ああなんだから」


 呆れたように笑うけれど、信頼もしているのだろう。

 そのような二人の絆がアグルエにも垣間見えて、少し羨ましかった。


「でも、やることやってくれるし、しっかりしてるんですよね」


 マリネッタが笑えば、ミレイシアも「そうなんだよねぇ」と優しく笑う。

 アグルエがどうしようかと困って顔を上げれば、ミレイシアはそのままアグルエにも笑いかけてくれた。


「ねぇ、アグルエちゃん」

「は、はい。なんでしょう」


 アグルエが戸惑って返事をすれば、ミレイシアは優しい表情をしたままに言葉を続ける。


「ちょっと、やりたいことがあるんだ。手伝ってくれない?」


 断るという選択肢もなく、アグルエはこくりと頷いた――。


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