第272話 そして終末へ

 三月十九日さんのつきじゅうきゅうのひ明朝、ところは、サークリア大聖堂。

 並ぶ空席ばかりの参拝席、豪華な祭壇も明かりが消えた静けさの中では不気味さを演出するだけ。

 そんな薄暗い本堂の一角の空間がぐにゃりと歪み、転移の門が現れた。

 どさりどさりと、重い何かが落ち続ける大きな音が上がって、その後、響いたのはすすり泣く嗚咽交じりの声だった。


「くそ……くそっ」


 涙で滲む視界が映すばかりの石床は見慣れたものだ。エリンスは足に力も入らず、這いつくばるように膝と腕をつく。

 どすんどすんと床を叩く血まみれの拳に感じる痛みも気にはせず、行き場のない衝動をぶつけ続けた。

 傍らには剣身が半ばより折れ、剣としての役目を終えてしまった願星ネガイボシが転がっている。


 エリンスたちは無事、大いなる巡りの流れを取り戻し、魔界からの帰還を果たした。しかし、胸に抱えた無力さと失った代償は大きかった。


「もう、やめて、エリンス」


 そう心配したよう背中からエリンスへ抱きついてくるアグルエに、だけど、エリンスは腕を振り上げたまま動きを止める。流れた涙はぽたりぽたりと大聖堂の床石に染みを作った。


「俺が……俺が、弱いから……勇者の軌跡を、五つちゃんと、巡っていれば……」


 言葉にならない気持ちのほうが大きい。

 身を震わせるエリンスに、アグルエも同じように身を震わせて、首を横に振った。

 そんな感覚を背中に覚えて、だけど、エリンスは溢れる気持ちにもう一度拳を振り下ろして床に叩きつけた。


 力が及ばなかった。幻英ファントムも、クラウエルも、止めることができなかった。

 その結果、失ったのはかけがえのない友と世界を守り続けてくれていた魔王。

 それに多くの人が犠牲になった。

 魔界の都市を襲った無機質な殺戮兵器の被害、守るために一緒に戦ってくれた人たちも。


 勇者協会の床へ投げ出されていたニルビーアの亡骸へ、シスターベールを被りなおしたシスターマリーがそっと手を振れる。

 ニルビーアは、白い光の粒子となって天へと昇って行く。

 エリンスはアグルエに抱き締められながら顔を上げ、呆然とそんな光を目で追った。振り下ろした拳からは自然と力が抜けて、アグルエの肩へとそっと腕を回す。


「エリンスは、弱くなんかない。ちゃんと、わたしのことを、救ってくれたから」


 向かい合えば涙に揺れる蒼い瞳が目の前にある。

 エリンスは咄嗟にそれを抱き締めた。視界がより滲んでいく。

 そう言ってくれた彼女の前で涙を流したくはなかった。だが今だけは――そう思って胸を締めつける、受け止めきれない悔しさに、アグルエをぎゅっと抱き締めた。

 アグルエも瞳から大粒の涙を流して、エリンスの背中に回した腕にぎゅっと力を込めてくれた。


 二人が上げる嗚咽に、次第に起きはじめた協会職員や、勇者候補生たちが大聖堂に集まりはじめた。

 シスターマリーは疲れた表情を見せながらも、しっかりシスターベールをかぶったまま床に腰を下ろしている。「何があったのか、事情を話すにしても少し休ませてほしい」、そんな顔で疲れた笑いを残しながら、集まりはじめた職員たちへ目配せしていた――。



 大切な彼女を追って、世界の真なる脅威と対峙して。

 出会い、別れを繰り返し、そして、エリンスもまた、かけがえのないモノを取り戻し、かけがえのないモノを失った。


 世界は大きく動きはじめている。

 それぞれの思惑を呑み込んで、全ては一つの結末へと集束をはじめた。


――『二人であれば……我ら・・が辿りつけなかった、その先の未来を、創ることが、でき――』

――『わらわは、希望を託す。二人に未来を紡ぎ、この世界に訪れる真の救済を信じている』


 紡がれた未来、託された想いを胸に。

 大いなる失意の中にいたとしても、エリンスとアグルエの旅路は、まだ、終わってはいない。

 だけど、『神の叡智』――『星の力』――二つの力が束ねられたことによって訪れる破滅は、すぐに現実のモノとなって人々の前に現れる。

 世界の脅威となって現れた。



◇◇◇



 同日、昼頃。ファーラス王国北部にある、赤の軌跡。

 崩壊した歴史を感じさせる石造りの祭殿の裏には崖があって、その先には黒紫色の雲が空を覆う終わった大地・・・・・・が続いている。

 亡都と呼ばれたかつての大国アルクラスアの大地だ。

 二百年前の騒動の際に、大地の魔素マナは死に絶え、二度と緑も生えない死の地が広がった。繁栄を極めていた国も二度と人が足を踏み入れられぬ場所となった。

 今や不死の魔物アンデッドのみが住まう場所になっている。人々はそう噂を立てるほどだ。


 世界を襲った異常事態に、世界各国で結界装置をものともせずに魔物が暴れ出したという情報が駆け巡り、赤の軌跡もその被害を受けるに値する場所には違いない。

 亡都にいるという不死の魔物アンデッドが溢れ出してしまえば世界はさらに混乱する、とのことで、ファーラス王国から兵士が一隊、遠征に駆り出され、亡都の見張りをするために駐在していた。


「しかし、本当にいるんですかね。不死の魔物アンデッドだなんて」


 銀色の鎧に大きな盾を背負う金髪の兵士が一人、崖際に立つもう一人の茶髪の兵士に向かって声をかけた。

 崖際に立ち望遠鏡を手に、亡都を見つめていた茶髪の兵士は返事をする。


「俺だってそんなことは、わからんさ。でも、世界中で魔物が暴れているってのは本当だろ」


 今やどこもかしこも緊急事態の真っただ中だ。

 世界がおかしい。何かが変わってしまった。

 それが、幻英ファントムに大いなる巡りを断たれたがゆえの事態であることは、一介の兵士である彼らは知らない。


「そりゃ、あの平和なファーラス大平原が魔物で溢れていて驚きはしましたが、不死の魔物アンデッドだなんて」


 笑いながらこたえる金髪の兵士はそんなものの存在を信じていないようだった。

 現に、ファーラスを出たときは魔物討伐にも精が出たものの、赤の軌跡に辿り着いてからは魔物の気配すらないときた。不死の魔物アンデッドがいるなんてことは、所詮人の噂話であって、真実ではない。そう笑っていた。

 だがその横で、頻りに望遠鏡をのぞいていた茶髪の兵士の額からは汗が一滴流れ落ちた。


「……お、おい」

「え? どうしたんです?」


 望遠鏡をのぞきながら血相を変えている茶髪の兵士とは裏腹に、金髪の兵士はぼりぼりと頭を掻いてこたえる。


「な、なぁ、亡都が……動いてる」

「は?」

「ほら、見てみろって」


 慌てたように望遠鏡を手渡す茶髪の兵士に、金髪の兵士は仕方なくそれを目に当てた。


「動くって、そんなはずないでしょう」


 遠くに見える滅びた街並みに肉眼で見たときと変化は見られない。金髪の兵士は欠伸を噛みしめて望遠鏡から目を離すと、それをぽいっと茶髪の兵士へ返す。

「そんなはずは……」と慌てたように望遠鏡をのぞく茶髪の兵士は、「ひっ」と悲鳴を噛み殺した。


「はははっ、おいおい、俺をビビらせようとするのはやめてくださいよ」


 金髪の兵士が亡都アルクラスアの方角へと目を向けなおすと、遠くに見えていた都がかすかに動いた。


「……は?」


 きょとんと、目にしたことが信じられないように、呆然とその先を見続ける金髪の兵士に、望遠鏡を構える茶髪の兵士の手が震え出す。


「何か、大量に飛んでくる」

「え?」

「やべぇって、これはやばいって!」


 慌てたように血相を変え、望遠鏡を投げた茶髪の兵士が本隊のほうへと駆けて戻っていく。

 呆然と黒紫色の空を見上げていた金髪の兵士は、彼が落としていった望遠鏡を拾って、おもむろに亡都のほうをのぞいた。


 羽虫の大群だろうか。

 黒紫色の空の下を埋め尽くすように、こちらに向かって飛んでくる何かが目に飛び込んでくる。

 まさか、そんなはずはない――この距離でただの羽虫が、望遠鏡を通しているからといって、目に映るはずがない。

 次第に影が近くなってきた。

 羽を広げるようにして飛んでくるのは、無機質な魔導機械だ。


――自立して動く魔導機械なんて聞いたこともない。しかも、それが空を覆うほど大量に。


 目にしたものが信じられない男ではあったが、しかし、現実として既に迫ってきている。

 それがなんなのか、一介の兵士たちにはわかりはしない。

 だが、たしかな恐怖を感じ取って、金髪の兵士も本隊のほうへと駆け出した。


 それは――魔導歩兵オートマタ

 二百年前の戦いでアルクラスアによって大量に開発され展開された、無尽蔵の殺戮兵器。

 大きな赤い一つ目のような眼差しを一点に真っすぐと向けて、左手にはゴツゴツとした鈍器のような得物を、右手には鋭く煌いた銀色の刃を携えて、無機質な殺戮が飛来する。

 ファーラス王国へ、新たな脅威が迫っていた。




      ――紡ぐ未来へ、託す想い fin,


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