第269話 『神の器』イプシロン

 霊樹に開いた大きな扉が、幻英ファントムを呑み込んで閉じていく。エリンスたちは、それをただ見ていることしかできなかった。

 取り囲むように集まってくる魔導歩兵オートマタは、まるで号令を待っているかのように静止して、四人は無機質な赤い視線に晒される。そんな魔導歩兵オートマタたちを従えるのは、段差の上からそれぞれの顔を見下ろしたクラウエルだ。


「クラウエル!」


 シスターマリーが両手に剣を構えたままに声を荒げた。

 だが、彼の視線は一点へ、警戒したように尻尾を立て続けている白い狐姿のツキノへと向けられている。


「センセイ、ぼくは……ずっと、あなたの帰りを待っていた」


 ギリッと牙を剥いた歯を噛み合わせて、ツキノが苦しそうな表情をしたことをエリンスは見逃さない。

 その視線の交差からも二人の間にある確執が、エリンスにもひしひしと伝わって来た。


――『アグルエ、あのとき・・・・にも言ったじゃろう。あの子はわらわにとって弟子でもある。じゃが、もう、何を考えているのか、わらわにもわからない。幻英ファントムを起こして、このような事態に、わらわの研究を利用して……許せぬ。だから、この先立ち塞がるというのなら、全力で止めなければいけない相手じゃ』


 ここへ乗り込む前にツキノが口にした言葉に、想いは込められている。

 クラウエルはエリンスたちの前に立ち塞がった。ツキノはこういったことを予感していたはずだ。だが、現にこう目の前にして、その瞳に迷いが生まれているのだろうことにもエリンスは気がついてしまう。

 潤んだ赤銅色の瞳は揺れている。我が子のように、弟子として育てた相手と対峙して。


「……クラウエル、わらわのことは忘れろと、そう言ったじゃろう」


 勇者の存在のように、だろうか。

 だが、二人の間に合った関係性は、そう簡単に片付くことでもなかったのだろう。その想いが、彼の顔を見るだけでも垣間見える。

 クラウエルは悲しそうな顔をしてツキノのことを見やっていた。寂しそうに、迷子になって親を追い求めた子供のように、縋るような瞳を潤ませて。


「忘れる? 馬鹿なことは、言わないでよ、センセイ。ぼくは、あなたがいたからこそ生を受けた意味を知った。忘れられるはずがない。だから、ぼくはあなたのために――」

わらわのために、全てをはじめた・・・・・・・と言うのなら、わらわはお主を、絶対に許さぬ」


 姿は小さいのに、力強い物言いだった。ツキノのギッと鋭く尖らせた眼差しが突き刺さるようにして、クラウエルは怯んだように「くっ」と半歩下がった。


わらわは望んでおらぬ。わらわは、今の生で満足しておった」


 シスターマリーも、そう語ったツキノの小さな背中をどこか寂しそうに見つめていた。

 エリンスとアグルエは、何も口を挟むことができない。

 ツキノの想いが、ただ横にいるだけでも伝わってくるから。

 後悔も迷いも残っていた。だけど、それ以上に、後のことを魔王に託し、残された者に託し、二百年前に全てを終わらせた。決して本人が語ろうともしないことだったが、今のこの世界のカタチがあるのは、ツキノの貢献があったからこそでもあるはずだ。

 勇者と魔王の約束の上に、ツキノの想いが残したモノがあったからこそ。


「役目はうに終えた。それで十分じゃ。余生くらい、ゆっくり過ごさせてくれ」


 だが、ツキノがそう想いを吐き出したところで、彼に伝わることはなかった。


「違うだろ、センセイ」


 クラウエルは俯いたままそう言い返す。表情が影に落ちた。


「だったら、なんで、人の姿を取ってまで、此の世に執着した」


 今から十二年前、エリンスはツキトと名乗る男の子と出会った。

 彼のおかげでエリンスは勇者候補生になることを目指し、そして、世界が待つ真の救済・・・・を知るきっかけになった。

 ツキトへと、人間の姿へ転生したツキノは、姿を変えてまでも世界に残った歪みを取り除こうとしていた。

 役目を終えたと彼女がそう口にすれど、その想いは忘れられなかった。

 ツキノの言葉には嘘が含まれる。エリンスも気がついてしまったが、クラウエルにもそれはわかってしまったようだ。


「後の世のことを託した、聞こえがいいだけの言葉だよ、センセイ。ぼくに諦めろ忘れろと言うくせに、センセイは諦めも忘れもしなかった」


 ぐっと、拳を握ったクラウエルが顔を上げる。

 その表情は酷く冷たく、鋭い眼差しで白い狐の姿と成り果てたかつての師を見下ろしている。


「ぼくに嘘を吐くな。今やぼくは、センセイにだって、負けはしない」

「クラウエル……」


 ぷるぷると拳を震わせるクラウエルを見上げて、ツキノは悲し気な表情をしていた。

 言葉は届かない。想いは伝わらない。

 エリンスは自然と願星ネガイボシを握る手に力が入った。


「エリンス・アークイル」


 ふいに名を呼ばれ――クラウエルの冷たい眼差しはエリンスへと向けられている。

 ギリリッと、震える空気の最中、返事はできなかったけれど、エリンスは奥歯を噛み締める。横にいるアグルエも既に臨戦態勢だ。

 だが、エリンスたちのことを取り囲んでいる無機質な赤い視線は、まだ、動かない。


「センセイは返してもらう。センセイは、ぼくのモノだ」


 クラウエルの瞳は冷めてはいても、その中に深く暗い感情が渦巻いている。

 憎しみに燃えるクラウエルの瞳は、エリンスのことを見下ろしていた。


「ツキノは、物じゃない。おまえの凶行が全てを狂わせたというのなら、俺はツキノの想いも乗せて、おまえを斬る!」


 その冷めた二色の瞳にこたえるようエリンスが言い返せば、だけど、クラウエルは言い返そうとはせず、口を噤む。

 ツキノは「エリンス……」と、そんな風に言い放ったエリンスの横顔を、潤んだ瞳で見上げていた。エリンスはツキノの顔を一瞥し、そして横に並ぶアグルエの顔も一瞥する。

 アグルエも強く頷いてくれる。両手に黒白の炎を浮かべて、エリンスの想いに同調してくれているようだ。キリッと眼差しを段差の上へ向けなおせば、クラウエルはつまさなさそうに冷めた瞳で頷いた。


「おまえが、ぼくを、斬る? じゃあ……死ねよ!」


 その言葉が合図だったのだろう。

 エリンスたちのことを取り囲んだ魔導歩兵オートマタたちが一斉に得物を振り上げた。


「やるわよ、エリンス、アグルエ!」


 先頭へ飛び出したシスターマリーは、二本の剣を振り抜くと叫んだ。

 エリンスは近くへ迫った魔導歩兵オートマタの一体を弾き返し「あぁ!」と、アグルエも広げた黒き炎の翼で魔導歩兵オートマタを弾き飛ばして「うん!」と返事をする。

 マリーは瞬く間に二体の魔導歩兵オートマタを斬り裂けば、跳び上がり魔法の詠唱をはじめた。

 周囲に浮かぶは六本の剣。

 まるで翼のようにマリーの背中に並び揃った剣たちが、踊るように回転をはじめる。


「剣刃踊れ!」


 続けざまに亜空間より取り出した剣を四本、次々に振り投げて、シスターマリーは魔導歩兵オートマタたちの注意を引くように一斉に宙を飛ぶ剣で斬りかかった。

 エリンスとアグルエもその間に一体ずつ、魔導歩兵オートマタたちを破壊していく。

 鈍器を振り上げる無機質な視線を掻い潜り、刃物を突き刺そうと振り回した無機質な殺戮を避けて、一閃、また一閃、エリンスは剣を振り抜き、アグルエは黒き滅尽の炎で対抗した。

 ものの数分で、周囲を取り囲んでいた魔導歩兵オートマタたちは全滅だ。


「はぁ、はぁ」と肩で息をするそれぞれに、周囲にはガラクタと成り果てた魔導歩兵オートマタたちが転がり倒れる。

 エリンスも額から流れる汗を腕で拭って、段差の上でただ静かに戦いの様子を見下ろしているクラウエルへときっさきを向けた。


「それくらいは、やってもらわなきゃ。楽しくない」


 手をぱんぱんとゆっくりと叩いて、見下したわざとらしい称賛を送ってくる。

 そんな風にしたクラウエルのことを、ツキノはやはり心配したような揺れる眼差しで見つめていた。

 幻英ファントムを取り逃してしまった今、ゆっくりしている余裕もないのだろう。エリンスはそんな焦りも胸に、クラウエルの背後にある閉まってしまった白く輝く大きな扉へ目を向けた。


「先へは、行かせない。エリンス・アークイル」


 そんなエリンスの視線にも気づいたのか、クラウエルはにやりと笑った。


「センセイは返してもらう。きみたちは、ここで死ぬんだ」


 ぐっと二色の瞳に力がこもり、クラウエルの額に青白い血管が浮かび上がった。

 それと同調するように握り込んだ彼の拳には、右手に白き炎が、左手に黒き炎が浮かび上がる。


「まさか!」


 ツキノが何かに気づいたように声を上げた。


「エリンス・アークイル、きみは、ぼくには勝てない」


 黒白の炎がクラウエルの身体を包み込んでいる。

 エリンスもそれだけで圧巻とさせられる。

 目の前から感じる根源たる力の波動。それは紛れもなく、神の叡智たる黒き炎と白き炎。あの幻英ファントムを目の前にした先ほどと同じだった。


「イプシロン、ぼくこそが完全体となって顕現した新世代の『神の器』さ」


 クラウエルの身体から溢れんばかりの黒白の炎が燃え盛る。


「お主、自分の身体まで……」


 ツキノの揺れる瞳は驚きに見開かれていた。


「お兄様の、力だ」


 アグルエも悔しそうに目に力を込めて、そんなクラウエルのことを見上げていた。

 それが、クラウエルが続けていた研究の成果でもあったのだろうか。全て、幻英ファントムが実現しようとしていることのためなのか。

 ツキノの表情が怒りのそれに変わる。

 唖然と見上げてしまったそれぞれに、だが、シスターマリーだけは剣を両手に跳び上がった。


「クラウエル、おまえを拾った魔王様までもが死んだ。これ以上の狼藉ろうぜき、ありはしないわ!」


 同じ魔王五刃将としての矜持を守るためだったのか、隙を見せたように笑ったクラウエルへ斬りかかった。

 だが、クラウエルは白く輝く腕を振り払う。剣を持っているわけでもなく、小さく振るわれただけの腕ではあったのだが、しかし――。


「ぐっ、きゃああああ」


 マリーは大きな力に薙ぎ払われたようにして弾き返された。


「マリーさん!」

「ルマリア!」


 悲鳴にも似たアグルエとツキノの叫びが木霊する。

 一撃で吹き飛ばされたマリーは宙を舞い、手にしていた二本の剣は粉々に砕けていた。

 一瞬の間に何が起こったのか、エリンスには目視することもできなかった。

 だが、立ち止まってもいられない。

 にやりと笑うクラウエルに、エリンスは剣を振り上げ飛びかかる。アグルエはそんなエリンスにすぐに気がついて、祈るように手を合わせた。想いがエリンスの背中を通して伝わって、黒き炎は翼となって広がる。


「おまえを止めなきゃ、世界は!」


――幻英ファントムを追うこともできはしない。


 決意を乗せた剣を振り抜いて、だが、クラウエルは再び左腕を払うだけでそれに対応して見せた。

 空気が震え、突風が巻き起こったかのような空間の振動。クラウエルが纏った白き炎が膨れ上がり、エリンスはその重圧に弾き返された。

 白き否定の炎の力を込めた剣の刃ですら、通らない。否定しきれない。想いの差はそこにないはずなのに。これは、単純な力の差だ。


 刹那、エリンスに対して強く突き刺さったのは、怒り、憎しみだった。

 クラウエルの個人的な強い想いが、エリンスにも痛いほどに伝わって来た。


――センセイ、センセイ!


 涙に濡れた声で、失くしたモノを呼ぶ声がする。


――どうして、ぼくを置いて……ぼくが、弱いから。


 悔しくて、悔しくて、そのために師を越える必要があった。


――ぼくが、センセイが生きていられる世界を創るよ。


 覚悟の想いが灯る。


――なんとしてでも、何をしてでも、センセイがいない、こんな生きづらい世界を、変えてやる。


 白き炎同士の共鳴だ。

 弾き返されて力は届かなかった。だけど、想いは通じ合った。

 苦しみに表情を歪めながら目を開けば、エリンスの身体は宙へと投げ出されている。身体に力が入らない。背中に伝わっていたはずのアグルエの想いにこたえることすらできず、黒き炎を操ることもできはしない。


「エリンスッ!」


 下のほうから、アグルエの悲鳴が聞こえた。

 だが、眼前へ迫っていたのは、宙へ投げ出されたエリンスを追って跳び上がったクラウエル、『神の器』イプシロン。

 色濃い白き炎を纏った拳が握られる。その黄色い瞳は強い憎しみに染まっていた。


「白き破壊の炎、勇者の力だ。死ね、エリンス・アークイル!」


 拳が振り下ろされる。エリンスは身動きを取れず、その攻撃を防ぐこともできない。

 だが、エリンスの視界の隅に、何か白い光が走った。


――糸?


 死を覚悟した瞬間、刹那に流れた時間の中、エリンスは何者かの手に引っ張られ、地面へと向かって放り投げられた。

 しゃららん、とメロディーを奏でるように音色が響く。周囲に張り巡らされた見えない糸に、クラウエルの動きは一瞬絡めとられる。

 エリンスはなんとか受け身を取って地面を転がり、膝をついた。


 クラウエルの拳を受け止めるように、エリンスを庇って飛び込んできたのは、漆黒の髪を靡かせ大きな太い黒い尻尾を振った魔族の女性だ。

 傷つきボロボロの姿になりながらも戦場に舞い戻り、手にした得物――楽器の弓を振るう。それが、魔王五刃将としての誇りなのだと、亡くした王を想って、悲しき鎮魂歌レクイエムを奏でるように。

 だけど、その瞳は力強く怒りに燃えていた。


「ニルビーア!」


 ツキノが叫んだ。

 魔王五刃将が一人ニルビーア・マイは、苦しそうな表情を浮かべながらもクラウエルの攻撃を弾き返した。


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