第268話 黒き幻影は彼の地で待つ

 霊樹の間とは、魔王城――イルミネセントラル城の屋上に広がる空間であり、この世界の中で一番、霊樹に近い場所だった。

 天を覆う七色に輝く葉、幾重にも伸びる枝、そして、一面に聳え立つ茶色の壁は、天より伸びた霊樹の幹。足元は魔王城全体に使われている黒色をした石が敷き詰められ、四方に数十メートルある空間は霊樹に背を向ければ、枝葉の隙間から魔界の地の果てまでもが見渡せる。

 それだけの高所だというのに風は吹かず、しかし、葉たちは囁くように揺れていて、キラキラと輝く魔素マナの粒子を振りまいた。

 広間より霊樹に向かって数段ほど階段になっていて、その先には何やら何かを突き立てておくための台座のようなモノが置かれている。エリンスたちが魔導昇降機エレベーターで乗り込めば、幻英ファントムはその台座の前で霊樹に触れ、天を見上げていた。

 右肩より先を失った痛々しい姿だというのに、全身からは気高く黒白こくびゃくの炎が溢れ出し、左手にしているのは、セレロニア公国から奪われた『霊樹の枝』――『鍵』だ。


幻英ファントム!」


  三方を透明な光の壁に囲われていて、エリンスが一歩前に飛び出せば、響くように声が広がった。

 そんなエリンスの声に、幻英ファントムはじろりと、背を向けたままに横顔だけを向けた。

 白いマスカレードマスクからのぞく瞳は暗く深く、しかし、冷めたように細められている。


「もう用はないと、言っただろう。虫けらのような人々の皆さん」


 にやりと口角を上げて見下すように笑った。

 願星ネガイボシを構えるエリンスに、横にアグルエが並び立ち、そんな二人の後ろでシスターマリーも剣を二本構えて立つ。アグルエの腕の中から飛び出したツキノは着地すれば、尻尾を膨らませ、威嚇するように牙を剥いた。


「俺は、おまえを止める!」


 エリンスが口にすれば、幻英ファントムは「ふっ」と鼻で笑う。

 失くした右腕を支えるようにし、傷口に手を当てる幻英ファントムは、そのまま振り返る。

 やはりそこから血は流れておらず、白い光が粒子になるように立ち昇っていた。


「今や、俺とおまえの差は絶対的だ」

「それでも!」


 エリンスは眼差しに想いを込めて、剣を握る両手に力を込める。

 横にいるアグルエも同じように幻英ファントムを見上げていた。

 二人の気持ちが一つになれば、願星ネガイボシの剣身は黒白の炎に包まれて、二人の身体からもオーラのように黒き炎と白き炎が燃え上がる。


「わたしたちは、守りたい。この世界を、今を生きる人々の想いを!」


 アグルエが力強く言えど、しかし、その言葉も届かない。

 幻英ファントムは「はぁ……」と深いため息を一つ吐いて、やれやれと言った様子で首を横に振った。


「二つの力もここに一つになった。『鍵』も『道導みちしるべ』も我が手に揃っている。おまえらは、何か、勘違いをしてやしないか?」


 何もわかっていないと、そう言いたげに四人のことを見下ろした。


「たしかに、魔王にもらったこの一撃は痛かった。しかし、そうしておまえらと同じ場所に立って戦ってやったのも、それまでの話だ」


 幻英ファントムは失くした右肩の先に目をやって、くははっ、と笑う。


「何が、言いたい!」


 エリンスは剣を握る手からは力を抜かずに、半歩踏み出し聞いた。

 すると、幻英ファントムはにやりと笑ってから力を込めたように両目を見開く。

 黒き炎が燃え上がる。どす黒く滲んだ漆黒の炎が幻英ファントムの身体を包み込むように、猛々しく燃え盛った。


「止める? 馬鹿が。俺はもう、高みへと達した。おまえらと同じ次元にはいない」


 漆黒の炎の中から姿を現した幻英ファントムは、右手・・に黒く輝く星剣デウスアビスを振り上げて、「かははははっ」と高らかに笑う。

 そんな姿を見て、「そんな……」と口元を押さえたのは、エリンスの横にいたアグルエだ。


「おまえにもわかるだろう、エリンス・アークイル。黒き創造の炎、想いの力があれば、たかが腕の一本、痛みを消すことなんて簡単だ」


 幻英ファントムは左手で『霊樹の枝』を構え、右手では星剣デウスアビスを構える。

「くっ」と、エリンスも言葉を噛み締めた。

 アグルエと心を一つにしているときに感じた全能感。『今ならばなんでもできる』そう感じた想いは、その想い通りにこたえてくれる力だった。


「どうやって止める? 今や俺は全知全能、この世界を創った神にすら匹敵する。不死身であり、無敵であり、おまえらが触れられる存在ではなくなった」


 高らかに宣言し、両腕を広げる幻英ファントムの姿は、敵う相手がいないことをわかりきっているかのようだった。

 だが、ツキノは静かに言い返す。


「じゃが、おまえは神ではない。世界は創れない・・・・・・・のじゃろうて」


 ツキノの言う通りだ。

 幻英ファントムにそのような力が備わったというのならば、アルバラストから力を奪った瞬間にそうしていただろう。

 的確に、幻英ファントムの矛盾を突いた言葉のように聞こえた。しかし、幻英ファントムは余裕そうな表情を見せて「くくくっ」と静かに笑う。


「言っただろう? 俺はもう、高みへ到達した。『鍵』も、『道導みちしるべ』も、ここにある」


 左手にする『霊樹の枝』。

 右手にする星剣デウスアビス。


 二つのそれらを掲げるようにして、そして、幻英ファントムは手にしていた『霊樹の枝』をそこへ設置されていた台座に突き立てた。

 ゴゴゴッと周囲の空気が震えはじめる。それぞれがしきりに周囲を見渡せば、そのようにしたエリンスたちを笑うように幻英ファントムは言葉を続けた。


「不思議に思わなかったのか? かつて、『勇者』と呼ばれた男が、どこへ消えたのか。どうして名を失くしたのか」


 エリンスだって不思議に思わなかったはずはない。

 勇者と魔王の約束――星刻の谷で見た石碑から消された名前。

 旅をしていて、世界を巡っても、その名はどこにもない。世界を救ったはずの勇者の存在は、此の世のどこにも残っていなかった。

 名前も、行方も、誰も知らない。


「神の至る場所、『かみ』、『勇者』はそこに到達したのさ」


 震える空気の中、幻英ファントムは傷ついたマスカレードマスクを手で押さえながらも笑い続ける。


「『神の座』……」

「そこが、勇者のいる場所なの……」


 エリンスとアグルエが呟けば、幻英ファントムは「あぁ、そうだ」と、ずっと知っていて当たり前だったかのように返事をした。


『勇者を探してきてほしい』――アグルエが魔王アルバラストから最初に託された想いの、真の意味もそこにあるのだろう。そこを目指せと、そういうことだったのだろうか。人々から忘れられ、『勇者』という記号だけが言葉となって残った存在は、ひょっとして、魔王にもその居場所はわからなかったのではなかろうか。

 たとえ、彼が・・その名を憶えていた・・・・・・・・・のだとしても――。


「どうして……」とエリンスが呟けば、幻英ファントムは「ん?」と楽しそうに首を傾げた。


「どうして、おまえだけ・・が、その事実を、憶えている・・・・・


 エリンスが聞けば幻英ファントムは「ふふっ」と、楽しそうに目を細める。


「……俺が、初めて造られた『神の器』だからだよ」


 そう笑った幻英ファントムに、エリンスは絶句する。


「女神は、俺に囁いた。『この世界はあなたにとって、どう見える?』ってな」


「神が……?」と、エリンスは信じられないことを聞いているように、目の前にしているように、目の前にいる『神の器』アルファの存在すらもを疑ってしまう。

 この世界を創ったとされる『神』。

 この世界を、この大地を創ったほどの力を要していて、影響力もあったはずなのに――決して、人界でも魔界でも語られることはなくなってしまった存在。

 それは、どうしてだったのか。

 この世界は、『勇者と魔王の約束』によって巡っていたからだ。


「言ったよな、エリンス・アークイル。俺もおまえも、選ばれたモノ・・・・・・だ」


 歪んだ世界に相対し――セレロニア公国で、幻英ファントムが口にした言葉。


――『素質は認めるよ。俺もおまえも、選ばれたモノ・・・・・・だ』


「だが、俺とおまえの間には、決定的な違い・・・・・がある」


 二つの白き力の交錯の中で――それは先ほど幻英ファントムから言われた言葉でもある。


 幻英ファントムはにやりと笑い、勝ち誇るように言い放つ。そしてその瞬間、周囲の空気の震えが止まっていた。

 幻英ファントムの背後、霊樹の幹に浮かび上がるように飛び出していたのは、白く輝く大きな真四角をした二枚扉だ。


「俺は、女神ティルタニア――この世界の神に選ばれた。おまえは、『勇者』に選ばれただけの人間に過ぎないってことだ」


 そっと振り返り背を向ける幻英ファントムに、エリンスは言い返すこともできず、だけど、一歩を踏み出した。

 しかし、そうしたところで、そこまでの話を黙って聞いていたシスターマリーとツキノが、警戒したように周囲を見渡していることにも気がつく。「くっ」と悔しそうに言葉を噛み締め、マリーが腰を下ろして二本の剣を構える。

 ガシンガシンと不気味な駆動音を上げて、いつの間にか現れた亜空間とを繋ぐゲートから飛び出してきたのは、魔導歩兵オートマタ。周囲には既に確認できるだけで数十体は集まっている。


 その間にも霊樹の間の奥では、ゴゴゴッと空気を震わせながら、まるで幻英ファントムを迎え入れるように白く輝く大きな扉が開いた。

 白い光の空間へ、まるで祝福するかのように眩しい光が扉の先からは溢れている。

 ゆっくりと歩みを進める幻英ファントムの姿は、その先へと消えていく。


「待てっ!」


 エリンスは後を追おうとするのだが、そんなエリンスの腕をアグルエがすかさず握ってくれた。周囲は既に魔導歩兵オートマタたちに取り囲まれている。下手に飛び出せば、こいつらの餌食になるだけだろう。

 ツキノも焦ったように視線を動かして、そして、そんな視線の先にそいつは姿を現した。


「キアハハハハハハ、追わせるはずがないだろ? の地は、アルファのための場所だ」


 耳の下ほどまである薄い金髪に、全体的に色素が薄いような印象を覚える白い肌。

 物静かな目は鋭く、左眼が黄色、右眼が翠色のオッドアイ。スッと通った筋に小さな口元と中性的な雰囲気を感じる顔立ちに、耳は細く尖っている。身長は小さくまだ子供のような印象も覚えるが、邪悪に笑う雰囲気は、無邪気さとはかけ離れた悪意を伴ったものだった。

 赤と白を基調としたローブに身を包み、手のひらを天井へ向けて両腕を開き、彼は白い狐姿のツキノを視界に捉えて、二色の瞳をぎらりと輝かせた。


「クラウエル……」


 ツキノがその名を呼べば、それにも彼は嬉しそうに、にたりと笑う。

 クラウエル・アン。元魔王五刃将が一人。

 ツキノにとって断ち切らなければいけない因縁を抱える相手で、そして、『神の器』アルファを起こした全ての元凶だ。


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